松下門跡
旧下中城町
秋田市立中央図書館 明徳館
図書館前庭に立つ「秋田の赤い靴」像
像の傍らにある案内板「秋田の赤い靴に寄せて」
明治20年(1887)11月14日、金子ハツは秋田女囚監倉で生まれた。息も絶えだえの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、若い宣教師 カラー ハリソン(1859〜1937)である。6歳になったハツを学校(現秋田市立明徳小学校)で学ばせたく、ハリソンは教え子の川井運吉に相談した。結婚前の運吉は分家してハツを養女にした。ハリソンの帰国はハツが12歳の時。残して行くにしのびず、ハツを連れて横浜から船に乗った。後にハツをロスアンゼルスの大学に入れるが、当時排日の嵐で卒業しても思うような就職口はなくコラ(ハツの米国名)の将来を案じたハリソンは日系人が多いハワイへ渡り共に教師の道を歩むが、コラは34歳の春、この世を去った。その後もハリソンは日系人のよき師、よき相談者となって78歳の生涯を全うした。二人はホノルルのヌアヌ墓地に眠っている。
―かっては苦悩にうちひしがれし 異邦人なれど いまぞわが故郷に辿り着きぬ―
1922年胸を病み死を覚悟したコラが残した詩の一節である。95年の歳月が流れて、いま、ふるさと人の愛の手がさしのべられた。コラの霊はどんなにか安らぎを得たことであろう。そして信仰と人間愛を貫き通したミス カラ― ハリソンのお顔も晴れやかだ。 渡辺喜恵子 記
少女像「英明」
庭の紅葉がきれいです。
石碑「久保田城跡」
あきた舞妓松下土曜劇場でリッチな舞踊公演を鑑賞したあと、市立図書館 明徳館 前庭に立つ「秋田の赤い靴」像に出会う。アメリカ人宣教師ミス カラ ハリソン(1859〜1937)と秋田生れの金子ハツ(1859〜1922)をモデルとした「秋田の赤い靴」像は、一見の価値がある作品です。