2018.02.28 Wednesday
金沢・能登の旅 その24 金沢市内 尾山神社(3) 前田利家公像、お松の方座像
尾山神社・手水舎
利家公金鯰(なまず)尾兜
前田利家公像
母衣(ほろ)について 流れ矢を防ぐために、鎧(よろい)の背にかけた布のことを言います。その後時代の推移により、風にふくらんだ形を示すために、竹串、鯨の骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになり、これを母衣と呼びました。戦国時代(西暦1560年頃)に騎馬武者は、これを背に戦場を駆け巡り、連絡の役をつとめました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした十人の黒母衣衆と前田利家を筆頭に九人の赤母衣衆とで合計十九人でした。そして、戦闘となれば、諸隊のガイド的役割もあり、敵にとって目に付きやすく大変危険でもありました。
お松の方座像
お松の方座像 名は「まつ」といい 前田利家の正室で 天文16年(1547)7月9日尾張の国に生れる 12才の時に9才年上の 前田家に嫁ぎ2男9女を儲ける 賤ケ岳の戦いには 柴田勝家に味方し敗れた夫前田利家に代って豊臣秀吉との和睦に尽力された お松の方は利家と戦国乱世を共にし 加賀藩を外柔内剛にて支えられました 利家没後は芳春院と号す 慶長5年(1600)徳川家康が前田家に嫌疑をかけた際 人質として江戸にて 15年間忍従に耐えぬき 慶長19年(1614)金沢に戻った 元和3年(1617)金沢城にて71才の生涯を終える 正に戦国烈女の鑑であり 加賀百万石の母と敬われる
平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」放映決定を記念し 前田家ご当主 尾山神社のご理解をいただき 若き日のお松の方の座像を境内のこの地に建立 お松の方の徳を万古に讃える 剣月記
お松の方座像の傍らに植わるシャクヤク。
お松の方とシャクヤク
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