質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
広島の旅 その78 鞆の浦編(5) 鞆城跡 鞆の浦歴史民俗資料館
12鞆城跡-1
案内掲示板
鞆城跡-2
福山市鞆町後地536-1にある「鞆の浦歴史民俗資料館」。
鞆城跡-3
鞆城跡-4
福山市鞆の浦歴史民俗資料館
鞆城跡-5
 鞆城跡(ともじょうあと)
 ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。慶長12年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中だったことが知られる。
 元和元年(1615年)の一国一城令に先立って廃城となり、正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。
鞆城跡-6
紅葉が見られる歴史民俗資料館の前庭。
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前庭にある「楽聖 宮城道雄先生像」。
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 前庭に立つ万葉歌碑
 鞆の浦の、磯のむろの木、見むごとに、相見し妹は、忘らえめやも
鞆城跡-9
 天平二年(730)12月 大納言兼務となって都に上る大宰師大伴旅人は、鞆の浦で亡き愛妻を偲び三首の歌を詠んだ。その中の一首がこの歌で、万葉集に載録されている。鞆の浦の磯に立つむろの木 そのむろの木を見るたびに、ともに眺めた妻のことが忘れようにも忘れられない、と歌う。
 旅人は、神亀5年(728)の初め大宰府に下ったと思われるが、その途中、鞆の浦のむろの木を妻とともに眺めた。しかし、その妻はまもなくこの世を去ってしまう、その悲しみを、旅人は翌天平三年、六十七歳で没するまで歌い続けたのである。
鞆城跡-10
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鞆城跡から見る眼下の風景。

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 福山市鞆の浦歴史民俗資料館は、福山市制70周年を記念して鞆城跡の高台に建設されました。館内では、歴史資料やお祭りなどの民俗資料が常設展示されています。鞆の浦とゆかりの深い箏曲家、宮城道雄の愛用琴などの遺品を展示しています。宮城道雄が1929年に発表した「春の海」で世界的に評価されました。この曲は、父親の故郷であり、自身が幼少期を過ごした鞆の浦を思って創作したと言われています。宮城道雄は8歳で失明しており、光を失う以前に見た鞆の浦の海が、永遠の原風景として心に刻み込まれていたのでしょう。

| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その77 鞆の浦編(4) 保命酒、商家
商家-1
軒を並べる鞆の浦の商家
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軒下に下がるのれん
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入江保命酒本店
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店内に展示されている大きさ日本一の「備前人形徳利」。
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福山市重要文化財「鞆の津の商家」。

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 商家の屋根に掲げられている大きな「保命酒(ほめいしゅ)」の看板が目に付きます。鞆の浦の名産で、正式名称は「十六味地黄保命酒」、江戸時代から鞆の地で造られている伝統の薬味酒で、十三種類の漢方薬と麹米・もち米・焼酎を合わせた十六味を漬け込んだ和製のリキュールです。
 1659年に中村吉兵衛が製造販売したのが始まりで、その後、福山藩を代表する幕府への高級献上品として全国的に有名になりました。現在も鞆町の4つの保命酒屋でしかつくられていません。試飲させてもらいました。「瀬戸内海の養命酒」の味です。
| 広島の旅 | 19:37 | comments(0) | - |
広島の旅 その76 鞆の浦編(3) 桝屋清右衛門宅
桝屋宅-1
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福山市鞆町鞆422にある「桝屋清右衛門宅」。
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坂本龍馬(1835―1867 幕末の志士 土佐藩郷士出身 1864年長崎に亀山社中のちの海援隊を結成・・・)
桝屋宅-4
 いろは丸絵図 平成22年7月に、長崎市歴史民俗資料館で見つかったいろは丸絵図(長崎・亀ヶ崎深堀を出船する様子)です。いろは丸は大洲藩(現愛媛県大洲市)所有で、家紋である赤地に蛇の目、3本マストが描かれています。当時大洲藩は蒸気船を1隻しか所有していなかった為、いろは丸にほぼ間違いないと言われています。また廻船問屋・桝屋は、大洲藩との取引があった記録が残っており、それ故いろは丸を救出したとも考えられます。
 いろは丸仕様 1862年グリノック建造(スコットランド)・原船名サラ号・積載量約165トン・全長約47m・全幅約5.2m・深さ約3m・無衝角・円形船尾・スクリュー船
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いろは丸・坂本龍馬と鞆の浦
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坂本龍馬の隠れ部屋
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坂本龍馬が書いたと思われる手紙。
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桝屋清右衛門宅全景

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 桝屋清右衛門宅は、いろは丸事件の際に命を狙われていた坂本龍馬が、偽名を使い身を隠した屋根裏部屋などを公開。屋敷の土間に併設するギャラリーでは、アート雑誌やクラフトなどが販売されています。
 いろは丸事件とは、江戸時代末期、坂本龍馬の船「いろは丸」に紀州藩の軍艦が衝突し瀬戸内海に沈没した事件。船を失った坂本龍馬らは鞆の浦に上陸し、桝屋清右衛門宅に滞在、藩相手に損害賠償交渉を行い多額の賠償金を勝ち取った。沖には今もいろは丸が沈んでいるとも。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その75 鞆の浦編(2) 福山城
福山城-1
福山駅に隣接した「福山城」五層の天守がそびます。
福山城-2
 福山城
 福山城は、西国鎮護の重責を担って入封した徳川譜代の臣、水野勝成が元和6年(1620)より3ヶ年の歳月を費し、陸海の要衝であるこの地に完成させた平山城である。総面積約8万坪(26.5ha)内外二重の濠をめぐらし本丸には、白亜の5層6階の複合天守と多数の櫓を構築、その威容は、全国城郭中屈指の名城とされていた。
 その後、水野五代、松平一代、阿部十代の居城となり、明治になって濠は埋められ、月見櫓をはじめ多くの櫓が取り壊され、残された天守閣・湯殿等も第二次世界大戦の戦火により焼失した。幸いにも、築城当時、伏見城から移築した伏見櫓、筋鉄御門は、昔日の姿を留め、貴重な遺構として重要文化財の指定を受けている。
 なお、現在の天守閣等は、昭和41年市制50周年記念事業として、市民の浄財で外観復元がなされ、城跡は国の史跡となっている。 城名 鉄覆山朱雀院久松城 別名 葦陽城
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福山城伏見櫓
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筋鉄御門(すじがねごもん)
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案内板
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伏見御殿跡
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鏡櫓
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月見櫓
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湯殿

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 新幹線の車窓から見える福山城の五層の天守。徳川譜代の大名水野勝成は備後南部十万石の領主としてこの地に入り、当時、水戸や和歌山の徳川御三家でさえ認められなかった五層の天守を造営。西国大名への押さえととした。十万石の城主の居城としては考えられないほどの大規模な城である。天守の北側には鉄板を張るなど強固な防衛を固めた城であったが太平洋戦争で焼失。昭和41年に外観復元され現在は博物館として利用されている。
(HP広島県のお城より)
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その74 鞆の浦編(1) 福山駅
福山駅
広島駅から静岡へ帰る途中で福山駅で下車。
福山駅前-1
路上に描かれたタイル画、ばらのまち 福山。
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100万本のばらのまち 福山
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駅前に咲く美しいばらの花。
福山駅前-5
福山駅前-6
 JR福山駅前のシンボル「五浦釣人像;いづらちょうじんぞう」。平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の作品。
平櫛田中は、明治5年(1872)岡山県生れの木彫家。高村光雲らに学び、岡倉天心に影響を受けた。1962年(昭和37年)文化勲章受章。1965年(昭和40年)、東京藝大名誉教授となる。

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 広島での撮影を終え、静岡へ帰る途中「鞆の浦」撮影のため、福山駅で下車。福山駅からバスで30分のところに「鞆の浦」はあります。福山市は広島県の東端に位置する都市で、広島県内では広島市に次いで2番目となる約46万人の人口を擁します。 1945年の福山空襲により、市街地の約8割が焼け野原となりました。「戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に和らぎを取り戻そう」と1956年、南公園(現在のばら公園)付近の市民が、ばら苗約1000本を植えたのが「ばらのまち 福山」の始まりです。
| 広島の旅 | 19:16 | comments(0) | - |
広島の旅 その73 安芸太田町 三段峡(9) 黒淵 絶景!
黒淵-1
岩壁の間から見る黒淵荘
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黒淵には小さな渡船が似合います。
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黒淵の上流の風景
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渡船が浮かぶ黒淵の絶景!
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黒淵荘渡船場
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静寂が漂う黒淵の絶景!
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岩壁の岩肌
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黒淵渡船場へ帰ります。

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 三段峡随一の景勝地で切り立った絶壁に囲まれた黒淵は、深い緑色の水をたたえています。秋には、紅葉が鮮やかに水の緑に映えるそうです。三段峡の旅は、黒淵で終わりですが、記憶と記録に残る撮影の旅でした。黒淵の上流には、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝の景観が楽しめます。三段峡完全制覇に挑戦して下さい。
 次回より「広島の旅」も最後になります「鞆の浦(とものうら)」編を写真展示します。見て下さい。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その72 安芸太田町 三段峡(8) 黒淵荘
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往復料金大人500円を支払って渡船に乗船。
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目の前に切り立つ岩壁。
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黒淵の風景
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岩の向こうに「黒淵荘」。
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乗船してわずか5分で黒淵荘渡船場に到着。
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渡船を降り坂を上ると「黒淵荘」。
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黒淵荘 歩道は橋向こう 猿飛・三段滝へ4.5km
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水槽で飼育されている特別天然記念物「大サンショウ魚」。
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黒淵の上流、猿飛・三段峡への吊り橋・歩道
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吊り橋・歩道から見る、黒淵の上流。
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下流の黒淵側。

JUGEMテーマ:写真

 三段峡の五大壮観の一つ、黒淵を渡船で5分のところにある、安芸太田町柴木1729 黒淵荘は、四季折々に美しい黒淵の景観を眺めながら、季節によって炭火焼きの山女魚串焼き、流しそうめん、おむすびなどを食べて休憩がができます。今回は叶えられませんでしたが、紅葉を見ながらの食事は最高でしょうね!
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その71 安芸太田町 三段峡(7) 黒淵渡船場
遊歩道-1
岩の造形を撮影しながら三段峡・遊歩道を歩きます。
ぐみの瀬-1
ぐみの瀬-2
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ぐるの瀬
蓬莱岩-1
蓬莱岩-2
蓬莱岩
遊歩道-2
遊歩道-3
遊歩道黒淵渡船場まで300mの地点。
遊歩道-4
黒淵
黒淵に到着、日時は2016年10月20日10時46分。
黒淵渡船場-1
三段峡・黒淵渡船場
黒淵渡船場-2
案内板、案内に従って前の棒を2、3度強く引っ張ります。
黒淵渡船場-3
先客を乗せて、黒淵渡船が帰ってきました。

JUGEMテーマ:写真

 三段峡正面入口を9時56分に出発、数々の景観を撮影しながら10時46分に黒淵渡船場に到着しました。所要時間は50分です。これより黒淵渡船に乗って清流の中から切り立って絶壁と原生林を堪能します。「黒淵」は渡船から世界レベルの景色とゆるやかに流れるひとときが満喫できます。
 「黒淵渡船乗船券」に次のような注意喚起が書かれています。
 「秋の山は日暮れが早いので時間と体力を考え無理のない散策をお勧めします。」
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その70 安芸太田町 三段峡(6) 女夫淵、石樋
女夫淵-1
三段峡の美しい景観、紅葉時に撮影したいものです。
女夫淵-2
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女夫淵-5
女夫淵
石樋-1
女夫淵のすぐ上流側にある急流「石樋」。
石樋-2
石樋-3
石樋
石樋観音-1
石樋観音-2
石樋観音-3
石樋観音
お地蔵さん
遊歩道の側にある「お地蔵さん」。
石樋休憩所
石樋休憩所

JUGEMテーマ:写真

 広島・安芸太田町にある三段峡の遊歩道は、軽装でも気楽に散策できるコースです。環境に極力配慮され、自然環境を損なうことなく整備されました。景観の一つ、女夫淵では歩道を淵の上へ張り出して造られています。その歩道から見る紺碧の淵は見ごたえがあります。その上流には石樋の急流、自然が造り出した石樋観音と続きます。
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広島の旅 その69 安芸太田町 三段峡(5) 赤滝
遊歩道-1
切り立つ岩壁の傍を通る三段峡・遊歩道、セラピーロード黒淵コース。
五立-1
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前方に見える切り立った岩壁「五立」。
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赤滝-2
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遊歩道の傍に落ちてくる「赤滝」。
遊歩道-2
岩壁の上に逞しく植わる樹木。
遊歩道-3
遊歩道-4
遊歩道-5
流れが穏やかで清らかな渓流に心が癒されます。
遊歩道-6
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岩がくり抜かれた遊歩道。

JUGEMテーマ:写真

 三段峡セラピーロード、特別名勝の中でのセラピーロードでは、至福の時が体感できます。三段峡入口から黒淵ルートは、渓谷美にあふれ、歩くだけで心が癒される景観が続きます。連続して小規模な滝やロード沿いの小渓流からは、マイナスイオンが降りそそぎます。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
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