質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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広島の旅 その26 宮島散策 平清盛像と大鳥居
平清盛像
宮島桟橋前広場に立つ「平清盛像」、宮島繁栄の礎を築いた人です。
日本三景碑
日本三景碑(日本三景とは、天橋立・松島・厳島)
世界遺産登録記念碑
 世界遺産登録記念碑(上の穴にぴったり収まる大鳥居が見れます。事前調査不足で残念!)
 世界文化遺産「厳島神社」は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物「瀰山原始林」を頂く宮島の島全体をご神体として、6世紀ころに創建されたと伝えられている。1168年、平清盛は海上に浮かぶ寝殿造り様の社殿という独創的な神社建築を完成させた。平安時代の極に達した建築美の面影は、多くの先人によって手厚く守られ、現在に伝えられている。周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものである。また神道の社殿群の中にかっての神仏混淆のなごりを色濃くとどめている。大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包含する地域は1996年12月7日「厳島神社」としてUNESUCOの世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることになった。我々は、この貴重な遺産を後世に引き継ぐ責務を負ったのである。
 世界文化遺産登録区域は海(青)と弥山の森林も含む島の約14%の広い範囲(黄)。バッファゾーン(緩衝地帯)は、海を含み「厳島(島名)」の全島(緑)。
 弥山山頂(530m)付近には弘法大師開基と伝えられる弥山本堂や大師が求聞持の修行中に焚いた護摩の火が今日まで燃え続けている「霊火堂」などの史跡が点在する。この島は全島花崗岩からなり、地質学的に興味深い事象が随所に現れている。また宮島の動物や植物もたいへん貴重なものが多い。動物ではミヤジマトンボや野生のシカなどがある。植物では、ツガ、モミ、コウヤマキなどの針葉樹にアカガシ、クスノキ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が混じり、その多様性は日本の縮図と形容されている。
参道-1
早朝で参詣者が少ない海辺の参道を進みます。
史跡及名勝碑
参道に立つ石碑「特別史跡及名勝 厳島」。
参道-2
日本三景 宮島の灯籠、早朝閉門のため脇道を入ります。
厳島案内板
特別史跡・特別名勝 厳島 案内板
鳥居
鳥居をくぐり御笠浜へ
宮島案内図
宮島案内図
参道-3
参道右手に朱色の大鳥居が見えてきます。
大鳥居
御笠浜の「国重文・大鳥居」、撮影の人気No1スポット!

JUGEMテーマ:写真

 宮島桟橋前広場に立つ平清盛像。47歳で神社の造営に着手、50歳の完成時には出家し、像のように剃髪していました。840年以上前、平安時代の武将・平清盛の信仰にによって、現在見られる社殿群の基本が造られました。海に浮かぶ大鳥居は、平安時代より数えて8代目で明治8年に再建されたものです。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その25 宮島散策 宮島フェリー
宮島口駅-1
宮島口駅-2
JR宮島口駅 2016年10月18日撮影
地下歩道-1
宮島口地下歩道
地下歩道-2
地下歩道に描かれた作品
地下歩道-3
広島県立宮島工業高等学校2008年度インテリア科3年課題研究作品「宮島三女神物語」
地下歩道-4
同2009年度の作品
宮島フェリー-1
JR宮島フェリーのりばへ
宮島フェリー-2
きっぷうりば
宮島フェリー-3
JR宮島フェリー乗船
宮島フェリー-4
宮島口桟橋を出航
船上風景-1
船上からの風景 宮島、中央に弥山(みせん)が見えます。
船上風景-2
船内放送で、宮島はお釈迦様の顔に見えるそうです。左から目、鼻、口、胸の「寝観音の姿」。
船上風景-3
船上から見る厳島神社五重塔、豊国神社(千畳閣)
船上風景-4
大鳥居と厳島神社
宮島桟橋
宮島桟橋
宮島
宮島町訪問歓迎の灯籠

JUGEMテーマ:写真

 「広島の旅」は、今回より宮島編を写真展示します。撮影した2016年は、厳島神社が「人類共通の遺産」として普遍的価値を認められ、世界遺産に登録されて20年! 同じく世界遺産に登録された弥山にも登ってきました。そして何より宮島は、年間来島者数が400万人を超す人気観光地です。早朝7;20に宮島に渡り夕方16時まで撮影してきました。宮島の魅力を写真展示しますので見て下さい。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(1) | - |
広島の旅 その24 広島タウン お好み村、広島東照宮
お好み村-1
新天地 広島名物 元祖 お好み焼きの「お好み村」。観光客に人気のスポットです。
お好み村-2
広島名所! 25のお好み焼き屋が軒を連ねる「お好み焼き専門ビル」。
慰霊碑-1
袋町公園に立つ「母子像」。
慰霊碑-2
 袋町地区原爆死没者慰霊碑 爆心の袋町地区にあって総てを絶たれいまなおその証しさえなく眠る原爆死没者のみ霊に捧げるためこの碑を建立する 平成4年8月 袋町地区社会福祉協議会
花
心を癒す可憐な花。
広島東照宮-1
広島市東区にある「広島東照宮」、JR広島駅から徒歩12分のところにあります。
広島東照宮-2
参道
広島東照宮-3
扁額「長尾山」が掛かる山門。
広島東照宮-4
広島東照宮-5
広島東照宮・本殿
広島東照宮-6
境内に掲示されている「原爆誌」。
広島東照宮-7
 広島みこし行列『通(とお)り御祭礼(ごさいれい)』復元記念
 広島東照宮は江戸時代初期の慶安元年(1648)時の藩主浅野光晟(みつあきら)公により創建され 平成10年(1998)創建350年を迎えた よって同年11月8日かって城下町広島の伝統行事として50年ごとに行われた広島みこし行列『通り御祭礼』を183年振りに復元して 饒津神社から当宮へ還御し式年大祭を執り行った 行列には450余名が参加し沿道は5万人の観客で埋まった なお当二百貫神輿は慶安年間の作 原爆で破損したが焼失は奇跡的に免れた ここに『通り御祭礼』の復元を祝し記念碑を建てる 平成11年11月吉日

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 広島東照宮は、徳川家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当たる慶安元年(1648)、当時の浅野家4代・広島藩主浅野光晟によって、広島城の鬼門(東北)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。
 光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当たる寛文6年(1666)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。(HP広島東照宮より)
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広島の旅 その23 広島タウン 広島市現代美術館、まんが図書館
現代美術館-1
広島市現代美術館は、小高い比治山に立つ、現代アートの美術館。
現代美術館-2
美術館周辺の案内板。
現代美術館-3
現代美術館-4
広島市現代美術館の正面入口。
現代美術館-5
現代美術館-6
ムーアの広場
現代美術館-7
現代美術館-8
彫刻の丘
現代美術館-9
屋外展示場
現代美術館-10
題「根香 1988」
現代美術館-11
題「小さな鳥」
まんが図書館-1
現代美術館に隣接してある「広島市まんが図書館」。
まんが図書館-2
 日本発の文化 “まんが” がテーマの図書館で、各分野のコミックを閲覧することができます。また歴史的価値の高い古書や復刻版も収集しています。

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 広島市現代美術館は、広島市南区の高台に立つ印象的な建物です。建物の設計は黒川紀章。日本と世界の現代美術アーティストの作品が展示されています。比治山公園の高台の森の中に立つ美術館、正面の石段を上ると近未来的なアルミニウムの建造物に圧倒されます。真ん中のエントランスを中心として、左右2つに棟からなっています。展示品として、現代美術や若手芸術家の作品などが鑑賞できます。屋外にもムーアの広場、彫刻の丘などに数多くの作品が展示され、訪れる人の目を楽しませてくれます。
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広島の旅 その22 広島タウン 旧日本銀行広島支店
旧日銀広島支店-1
現在の旧日本銀行広島支店の外観
旧日銀広島支店-2
1945年11月に撮影された日本銀行広島支店(爆心地から約380m)
旧日銀広島支店-3
広島市指定重要有形文化財 旧日本銀行広島支店
旧日銀広島支店-4
旧日本銀行広島支店入口
旧日銀広島支店-5
旧日本銀行広島支店内部
旧日銀広島支店-6
当時の金庫
旧日銀広島支店-7
資料展示室
旧日銀広島支店-8
旧日銀広島支店-9
材木町から南に誓願寺を望む
旧日銀広島支店-10
旧日銀広島支店-11
広島駅構内
旧日銀広島支店-12
旧日銀広島支店-13
人影の石
旧日銀広島支店-14
旧日本銀行広島支店について

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 広島市中区袋町にある旧日本銀行広島支店、現存する被爆建物の一つであり、広島市指定重要有形文化財。遺構として一般公開されており、芸術文化活動拠点として利用されています。
 爆心地からわずか380mながら頑丈な造りで倒壊を免れ、被爆2日後には営業業務を再開。原爆投下時にガラス片でできた傷もほぼ当時のまま残っています。現在は被爆建物として自由に見学することができ、イベントなども不定期で開催されています。
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広島の旅 その21 平和記念公園(10) 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
灯和の径
元安川の辺にある「灯和の径;とわのみち」。
毛髪碑
灯和の径に建つ「毛髪碑」。「黒髪も いのちのあらむ 朝に日に 刈りしを集め ここにまつらむ」昭和35年建立。
原爆慰霊碑-1
広島市高等女学校原爆慰霊碑
原爆慰霊碑-2
原爆慰霊碑-3
慰霊碑案内板
観音像-1
被爆動員学徒慰霊慈母観音像
碑文 (上)「観音となりて平和を守りゆく少年学徒らのみたま尊し 山本康夫」
   (下)「慈母観音に抱かれ眠る汝が姿心にえがきてわれら安らぐ 益田礼助」
観音像-2
観音像案内板
祈念館-1
祈念館-2
祈念館-3
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
祈念館-4
祈念館は地下2階構造になっています。
平和大橋
元安川に架かる「平和大橋」。1952(昭和27)年6月3日建立、全長85.6m、幅15m。
日が昇る東側は<昇る太陽>を象徴する、「つくる」と命名。設計者;アメリカの彫刻家 イサム・ノグチ。

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 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、2002年(平成14年)8月1日に国立の施設としては初めて平和記念公園内に設置されました。建物は、建築家・丹下健三の設計。地下2階構造で、」地下1階は情報展示コーナー及び体験記閲覧室が、地下2階には平和祈念・死没者追悼空間及び遺影コーナーが設けられています。
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広島の旅 その20 平和記念公園(9) 原爆犠牲ヒロシマの碑
元安川オープンカフェ
元安橋の袂にある元安川オープンカフェ。
灯和の径-1
元安川の辺をある「灯和の径;とわのみち」。
ヒロシマの碑-1
灯和の径に建つ「原爆犠牲ヒロシマの碑」。「戻れない風」をテーマに昇天する犠牲者の魂を表現したブロンズ像。
ヒロシマの碑-2
原爆瓦を組み合わせたパネルと碑文
ヒロシマの碑-3
石碑の裏側 説明文
ヒロシマの碑-4
原爆瓦発掘作業
ヒロシマの碑-5
原爆投下により焦土と化した広島市の全景
ヒロシマの碑-6
ヒロシマの碑-7
ヒロシマの碑-8
ヒロシマの碑-9
ヒロシマの碑-10
ヒロシマの碑-11
灯和の径-2
灯和の径-3
原爆投下から70年、現在の緑豊かな「灯和の径」。

JUGEMテーマ:写真

 「原爆犠牲ヒロシマの碑」は、1982(昭和57)8月5日「原爆により犠牲となった人々の叫びを永遠に記し、ヒロシマの心をあらわすとともに、戦争の悲惨さと核兵器廃絶の課題を学び、平和への決意を固めるため」に平和記念公園内に建立されました。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
速報! 金沢・能登の旅
鼓門
2015年の春、待望の北陸新幹線開業。金沢駅の玄関口として太鼓をイメージした駅前の「鼓門;つづみもん」。
兼六園
金沢巡りはまずここから。日本三名園の一つ「兼六園」。歴代加賀藩主が約180年をかけて作り上げた大名庭園。
金沢城公園
2015年3月復元工事が完了した「金沢城公園」。城内の桝形門で最大規模の「橋爪門」。
ひがし茶屋街
和情緒あるれる古都金沢の花街「ひがし茶屋街」。偶然、結婚式を挙げられた幸せなお二人に遭遇!
長町武家屋敷跡
江戸時代にタイムスリップする「長屋(ながまち)武家屋敷跡」。
のと鉄道-1
2015年4月29日、七尾と穴水を結ぶのと鉄道に「のと里山里海号」が登場。
のと鉄道-2
能登の里山をイメージしたえんじ色の里山号。
深浦地区
「のと里山里海号」ビュースポット深浦地区で臨時停車。
花嫁のれん展
七尾市一本杉通り「花嫁のれん館」。花嫁が嫁入りの時に「花嫁のれん」を持参し、花婿の家の仏間の入口に掛ける。
のとじま水族館
能登島にある「のどじま水族館」、好奇心旺盛なアザラシが見れる「アザラシ万華鏡」。
コスモアイル羽咋
石川県羽咋(はくい)市にある宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」。
輪島朝市
日本三大朝市の一つ、輪島朝市。350m続く「朝市通り」には約250軒もの露店が並ぶ。
輪島キリコ会館
2015年3月にオープンした「輪島キリコ会館」。
白米千枚田
世界農業遺産「白米(しろよね)千枚田」、急斜面に1004枚もの大小の田が見れます。

JUGEMテーマ:写真

 5月8日〜12日の5日間、金沢市をはじめ、七尾市、羽咋市、輪島市、穴水町を巡り撮影してきました。幸い天候にも恵まれ、予定通り撮影を終えました。後日「金沢・能登の旅」と題して写真展示しますので見て下さい。
 2015年春に北陸新幹線が開業以来、金沢を訪れる人が増えています。特にゴールデンウィーク中は大変な混雑ぶりだったとのことです。
| 金沢・能登の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その19 広島タウン 本川小学校平和資料館
平和資料館-1
本川(ほんかわ)小学校平和資料館、小学校校内に保存されている資料館。
平和資料館-2
入口に掲示されている案内板
平和資料館-3
平和資料館-4
入口に安置された「原爆慰霊碑」
平和資料館-5
平和資料館-6
館内に掲示されている写真「巨大な原子雲」
平和資料館-7
平和資料館-8
原爆投下によって破壊された広島市街地模型パノラマ
平和資料館-9
焼け焦げた配電盤
平和資料館-10
被爆後の教室
平和資料館-11
相生橋付近の被爆前と被爆後
平和資料館-12
旧本川国民学校(現在の本川小学校)付近
平和資料館-13
資料館に掲示されている、広島大学文学部教授 雑賀忠義(さいがただよし)氏の直筆の書
平和資料館-14
書の説明文
原爆死没者慰霊碑
平和記念公園の中央に位置する、原爆死没者名簿を納める鎮魂と慰霊の碑「原爆死没者慰霊碑」。

JUGEMテーマ:写真

 本川国民学校(現 本川小学校)は爆心地に最も近い小学校(約410m)として大きな被害を受けました。校舎は外部を残して全焼、壊滅し、校長ほか10人の教職員と1,2年生の子どもたち約400人のうち先生1人、生徒1人のみが軌跡的に助かりました。被爆した校舎の一部と地下室が当時のまま保管され、昭和63年(1988)平和資料館として開館しました。資料館は児童が学ぶ校内にあるため、入館には事前に事務所の許可が必要です。

 筆者、来週 「金沢・能登」撮影のため、ブログ更新はお休みです。
 後日「金沢・能登の旅」と題して写真展示しますので見て下さい。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その18 広島タウン 相生橋
赤い鳥-1
相生橋の袂に建つ「赤い鳥文学碑」、背景には元安川と相生橋。
赤い鳥-2
赤い鳥-3
 赤い鳥文学碑(鈴木三重吉文学碑)
 「千鳥」「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉(1882〜1936)は、明治15年この地に生まれました。大正7年少年少女雑誌「赤い鳥」を創刊し、日本最初の童謡童話が誕生しました。つづり方や自由詩を指導して児童の創造を高め、外国の名作童話も紹介し、わが国の児童文学の父とよばれています。この碑は昭和39年6月、被爆地ヒロシマの文化の復興のシンボルとして建てられ、平和への願いが込められています。圓鍔勝三の作品。碑には「私は永久に夢を持つ。たゞ年少時のごとく。ために悩むこと浅きのみ。三重吉」と刻まれています。
相生橋-1
 この橋名板は、原爆にあった相生橋を 昭和24年に修復した時に設置した親柱(右の絵)に取り付けられていたものです また まわりに張っている黒御影石は この親柱に使われていたものです
 左の絵は 昭和7年に架橋され 被爆を経て昭和24年まで使われた橋の親柱をかいたものです
 下の写真は 被爆2か月後の昭和20年10月の相生橋付近の状況です   昭和59年3月 広島市
相生橋-2
相生橋-3
現在の相生橋
相生橋-4
相生橋から見る太田川と元安川の合流点
原爆ドーム
相生橋から見る「原爆ドーム」
相生橋-5
相生橋
相生橋-6
Tの字の交差点を左に曲がると「平和記念公園」へ
平和の時計塔-1
平和の時計塔-3
橋を渡り切ると見えてくるのが「平和の時計塔」
平和の時計塔-2
青空にそびえる「平和の時計塔」、広島に原爆が投下された8時15分に毎日チャイムを鳴らす搭。

JUGEMテーマ:写真

 相生橋(あいおいばし)は、広島市の中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に架かる、相生通りと広島電鉄が通る併用橋です。全国的にも珍しいT字形の橋です。橋名の由来は、二つの橋が「相合う」ことから。昭和の初期から現在の形になり、広島名所として戦前の絵はがきで紹介されています。その形が上空から目立つため、広島市への原子爆弾投下の際に目標点とされ、被爆当日、この橋の付近にいた大勢の人びとが亡くなっています。元安川下流側で毎年8月6日夜に犠牲者を弔う灯ろう流しが行われています。
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