質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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和歌山の旅 その47 和歌浦散策 あしべ通りと紀州東照宮
和歌の浦-1
美しい和歌浦の山
和歌の浦-2
山肌にシラサギが羽を休めています。
和歌の浦-3
和歌の浦 案内板
あしべ通り-1
不老橋から上流へ向かう「あしべ通り」。
あしべ通り-5
川の堤防に掲げられた和歌
あしべ通り-2
あしべ通り-4
和歌と美しい絵をを楽しみながら通りを散策。
東照宮-1
紀州東照宮
東照宮-2
境内案内図
東照宮-3
鳥居
東照宮-10
青石が敷き詰められた東照宮参道。
東照宮-11
急勾配の108段の石段「侍坂」。
東照宮-4
東照宮-5
極彩色の「紀州東照宮・楼門」(重要文化財)。
東照宮-6
紀州東照宮の全景、唐門の奥に拝殿・石の間・本殿 (いずれも重要文化財) があります。
東照宮-7
社殿前に立つ「灯籠」。
東照宮-8
東照宮由緒
東照宮-9
紀州東照宮唐門 (重要文化財)、撮影はここまで。

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 和歌山市和歌浦西にある「紀州東照宮」は、紀州初代藩主・徳川頼宣(よりのぶ)が創建したのが始まりという神社。極彩色で精巧な彫刻などを施した華麗な社殿から、「関西の日光」と呼ばれています。撮影は唐門までですが、巫女さんの案内で内部の拝殿・石の間・本殿を参拝することができます。左甚五郎作の「鶴と亀」は必見です。
| 和歌山の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その46 和歌浦散策 不老橋と塩釜神社
芦辺屋・朝日屋跡地-1
芦辺屋(あしべや)・朝日屋跡地に残る松尾芭蕉の句碑(右)
芦辺屋・朝日屋跡地-2
 名勝 和歌の浦 芦辺屋・朝日屋跡地
 紀州藩初代藩主徳川頼宣(よりのぶ)は、慶安年間(1648〜1651)に、後に生母養珠院(ようじゅいん;お万の方)を祀ることになる妹背山を整備するとともに、鏡山の東麓に「芦辺屋」と「朝日屋」という茶屋を造らせた。
 このあたりから紀三井寺への渡船があり、多くの人々が訪れている。
 現在、天保4年(1833)に紀州藩10代藩主徳川治宝(はるとみ)の命により建立されたとされる松尾芭蕉の句碑があり、「行春(ゆくはる)を わかの浦にて 追付(おいつき)たり」と読める。
 明治時代には、「芦辺屋」という料理旅館が営まれ、多くの文人墨客(ぼっかく)が宿泊した。南方熊楠(みなかたくまぐす)は、ロンドンでの出会いを通じて親交のあった孫文と明治34年(1901)にこの地で旧友を温めている。
あしべ橋
あしべ橋
不老橋-1
あしべ橋から見る「不老橋;ふろうばし」。撮影したかった一枚の写真です。
不老橋-2
橋を渡ることができます。
不老橋-3
不老橋の勾欄部分、雲を文様化した彫刻が施されています。
不老橋-4
和歌山市指定建造物 「不老橋」案内板。
和歌の浦観光案内マップ
不老橋周辺の 「和歌の浦観光案内マップ」。
塩釜神社-1
不老橋の向かいにある「塩釜神社;しおがまじんじゃ」。
塩釜神社-2
紀州和歌の浦 安産の神様で有名な神社です。
塩釜神社-3
塩釜神社-4
主祭神の塩槌翁尊(しおづちのおじのみこと)は輿の窟(こしのいわや)とよばれる岩穴に鎮座されています。

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 不老橋は、国の名勝「和歌の浦」の構成要素の一つです。徳川家を祀る紀州東照宮の和歌祭の際に、紀州徳川家や東照宮関係者の人々が、御旅所に向かうために通行した「御成道」に架橋したもの。
 橋台のアーチ部分は肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については湯浅の石屋忠兵衛の施工と推定されます。勾欄部分は雲の文様化したものが見れます。江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れています。(フリー百科事典『ウィキペディア』より)
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その45 和歌浦散策 三断橋と妹背山
三断橋-1
三断橋と妹背山
三断橋-2
三断橋入口に掲示された看板。
三断橋-3
これより三断橋を渡ります。
三断橋-4
 案内板 妹背山(いもせやま)は、周囲250m程の小島で、西側に砂岩製高欄付きの三断橋(さんだんきょう)が架けられている。この橋は、和歌山県内最古の石橋で、紀州藩初代藩主徳川頼宣(よりのぶ)が妹背山を整備した慶安4年(1651)頃までに建設された。中国の景勝地である杭州西湖の六橋の面影があるといわれ、独特の意匠・構造を持つ。欄干、敷石、橋桁、橋脚は何度か補修されているが、橋の原形は、崩れることなく今日まで継承されている。正面右側の「経王堂;きょうおうどう」と呼ばれる小堂の中には、梵字で書かれた題目碑がある。南側の磯部の道をたどると東端の水辺に観海閣(かんかいかく)が建っており、西の方向へ石段を登ると多宝塔の前に出る。
経王堂
2011年に再建された 「経王堂」 、堂内にはサンスクリット語(梵字)で 「南無妙法蓮華経」 と刻まれた題目碑が安置。
観海閣-1
島の東端の水辺に建つ「観海閣」。
観海閣-2
対岸から見る「観海閣」。
観海閣-3
 観海閣は、妹背山の東端に位置し、水辺に張り出すように建てられている。三断橋と同じく慶安4年(1651)頃までに紀州藩初代藩主徳川頼宣により建造された。四季を通じて、遥かな干潟(ひがた)の水面から、対岸の紀三井寺や名草山の山並みへと続く絶妙な山水の景色を楽しむことができる水閣として、参詣人や庶民にも開放されていた。
 元は木造瓦葺きで、台風、高波の被害により再建と改修が繰り返され、昭和36年(1961)の第二室戸台風で倒壊したため、現在の建物は、鉄筋コンクリート造で再建されている。
多宝塔-1
多宝塔-2
和歌山市指定文化財(建造物)「海禅院多宝塔」
妹背山-1
山頂までわずか14mの山道を登ります。
妹背山-2
妹背山山頂からの和歌浦湾の絶景。

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 妹背山は、片男波の内海に浮かぶ小島で、中国の名橋をモデルに築かれた石橋・三断橋で陸と結ばれています、島内には、題目碑が安置された経王堂、紀州藩初代藩主徳川頼宣により建造された「観海閣」、頼宣の母お万の方の菩提を弔(とむら)うため建てられた「多宝塔」があります。また、山の山頂からは和歌浦の絶景が望めます。
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
速報!広島の旅
活気あふれる広島
今年(2016年)何かと話題の街「広島」。現在、プロ野球日本シリーズで燃えています。
原爆死没者慰霊碑
平和記念公園 原爆死没者慰霊碑
折り鶴
今年 5月27日 オバマ大統領から贈られた「折り鶴」が広島平和記念資料館に展示されています。
宮島の鹿
外国の観光客に寄り添う宮島の鹿
宮島厳島神社入口
宮島厳島神社参拝入口。世界遺産登録20周年の今年、看板の前は人気の撮影スポットです。
弥山山頂
先日、NHK番組「ブラタモリ」で放映された宮島・弥山(みせん)山頂。
竹原・松阪家住宅
安芸の小京都、「竹原」、市重要文化財「松阪家住宅」。
呉・てつのくじら館
広島県呉市にある「海上自衛隊呉史料館」、通称「てつのくじら館」。
三段峡入口
広島県山県郡安芸太田町にある、日本百景・特別名勝「三段峡」入口
三段峡黒淵
三段峡随一の景勝地、切り立った絶壁に囲まれた「黒淵」。
鞆の浦町並み
鞆の浦(とものうら)は、歴史を感じる町並みを散策、左側の建物が「太田家住宅」。
常夜燈
潮待ちの港のシンボル「常夜燈」、映画などのロケも行われる名所です。

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 筆者、10月15/16日に福岡県朝倉郡筑前町「カルナパーク花立山温泉」で開催された同窓会に出席後、広島に6日間滞在し各地を撮影してきました。今年の5月27日、現職のアメリカのバラク・オバマ大統領が広島を訪問。その時贈られた「折り鶴」が広島平和記念資料館に展示されています。
 今年世界遺産登録20周年を迎える宮島は、海外から訪れる観光客が多く、特に弥山はTV放映もあってかにぎわっています。安芸の小京都「竹原」は日本のウイスキーの父、竹鶴正孝の生まれ故郷として有名です。呉市は旧海軍ゆかりの港町で呉の2大人気スポット「大和ミュージアム」「てつのくじら館」があります。日本百景・特別名勝 三段峡は広島バスセンターから高速バスで1時間15分の山間にあり紅葉の名所でもあります。撮影当日はまだ紅葉しておらず船頭さんの話では今月の末頃からが見頃とのことです。最後に訪れたのは、福山駅からバスで30分、汐待ちの港、ノスタルジックな散歩がが楽しめる「鞆の浦」。見どころは、町のシンボル、高さが11mと港の常夜燈。日本一を誇り、映画のなどのロケも行われる名所となっています。またすぐ近くにある重要文化財「太田家住宅」は筆者おすすめの観光スポットです。後日「広島の旅」と題して写真展示しますので見て下さい。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その44 和歌浦散策 玉津嶋神社(2) 奠供山
奠供山-1
奠供山-2
名勝 和歌の浦 奠供山(てんぐさん)
奠供山-11
奠供山-12
和歌山市指定文化財(歴史資料) 仁井田好古(にいだこうこ)撰文碑 奠供山碑
奠供山-3
玉津嶋神社の脇を通って石段を登ります。
奠供山-13
奠供山-4
約10分ほど上ると標高35mの奠供山山頂へ
奠供山-5
奠供山-6
 山頂に立つ「望海楼遺址碑;ぼうかいろういしひ」
 望海楼は天平神護元年(765)10月、この地に行幸された称徳(しょうとく)天皇が、和歌浦湾の眺望を楽しむために造営された楼閣風の建物であった。この碑は、その建物の所在した場所を考証するとともに、和歌の浦の景観美を賞賛した史跡顕彰碑である。文化10年(1813)3月、藩主(10代藩主徳川治宝)の命により建立され、撰文、揮毫はどちらも藩の儒学者仁井田好古の手に成る。
 全文656字の碑文を要約すれば、はじめに「和歌の浦」の地名の由来を聖武・称徳両天皇の行幸の故事より説き起こし、「望海楼」の遺址を奠供山南麓の南浜(現:和歌山県公館付近)に推定すると共に、和歌の浦における古今の地形変遷にふれる。
 すなわち古代の和歌の浦は、前面に雄大な海が開け、背後に島や干潟が複雑に入り組んだ地形を特色としたが、その後、南浜の前面に出島のあたりから東南方に向けて繊細な砂嘴(さし)が成長し、そのため風景が一変した。しかし、景観のおもしろさはいささかも減じることはなく、まことに造化の神の妙配というしかないと絶賛している。
 現在この碑は奠供山山上にあるが、もとは南麓の南浜にあったものを、明治33年(1900)4月、明治天皇が連合艦隊を率いて和歌浦湾に来泊された際に、お召艦の上から望見できるように現在地に移したものといわれる。
奠供山-7
眼下に見える二つの新旧橋、手前が「不老橋」、奥が「あしべ橋」。
奠供山-8
橋の向こうに広がる和歌川の河口。
奠供山-9
奠供山-10
奠供山山頂から見る美しい「和歌浦」の眺望。

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 和歌浦は、美しい海岸線が続く風光明媚な海景色が、万葉歌人をはじめ多くの人々に愛されてきた景勝地。紀州徳川家ゆかりの史跡も多く、初夏には絢爛豪華な行列が繰り広げられる和歌祭の舞台となります。奠供山の山頂から見た「不老橋」は、紀州10代藩主徳川治宝(はるとみ)の命で建造されたものです。

 筆者、明日(10/15)九州・福岡で開催の同窓会出席とその後、何かと話題の広島撮影のため10月23日までブログ更新はお休みです。後日、「広島の旅」と題して写真展示しますので見て下さい。
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その43 和歌浦散策 玉津嶋神社(1) 万葉歌碑
万葉ふるさと
万葉ふるさと 玉津嶋(たまつしま)
玉津嶋神社-1
玉津嶋神社・鳥居
玉津嶋神社-2
玉津嶋神社由緒略記
玉津嶋神社-3
玉津島を詠める万葉歌
玉津嶋神社-4
小野小町 袖掛の塀
玉津嶋神社-5
玉津嶋神社 本殿
玉津嶋神社-6
本殿前に立つ、紀州藩祖 徳川頼宣公御寄進の「石灯籠」。
根上げ松
境内に展示されている、天然記念物「根上げ松」(名称鶴松)。
万葉歌碑-1
万葉歌碑-2
和歌の浦万葉歌碑 掲示板
万葉歌碑-3
万葉歌碑
右の歌碑
「やすみしし わが大王の 常宮と 仕へまつれる 雑賀野ゆ 背向に見ゆる 沖つ島
   清き渚に 風吹けば 白浪騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然ぞ貴き 玉津島」
左の歌碑
「沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠りゆかば 思ほえむかも」
「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」と刻まれています。(掲示板より)

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 紀三井寺の撮影を終え、これより散策しながら万葉のふるさと「玉津嶋神社」へ向かいます。途中、右手に立派な建物「県立医大」を眺めながら和歌川に架かる「旭橋」を渡り「玉津嶋神社」へ約40分ほどで到着。
 玉津嶋神社は、天照大御神の妹神である稚日女尊(わかひるめのみこと)をはじめとする三柱の女神を祀り、和歌の神様として古くから歌人の信仰を集めてきました。本殿の背後にある小高い山は奠供山(てんぐさん)と呼ばれ、聖武(しょうむ)天皇が行幸の際に登って雄大な海景色を愛(め)で、数々の万葉歌が詠まれたといわれています。
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その42 和歌浦散策 紀三井寺(3) 鐘楼(重要文化財)、松尾芭蕉像
幸福観音
紀三井寺の境内に立つ「幸福観音」
お身代わり賓頭盧尊者
本堂に鎮座する「お身代わり賓頭盧尊者」
此のお像はお詣りの皆様の心身の病を救い給う有難い なで仏の びんするさん です。・・・・・
鐘楼-1
鐘楼-2
国指定重要文化財「護国院鐘楼」
開山堂
開山堂
大師堂
大師堂
六角堂
六角堂
松尾芭蕉像-1
境内に立つ「松尾芭蕉像」
松尾芭蕉像-2
芭蕉翁足跡最南の地「見上ぐれば 桜しもうて 紀三井寺」
俳聖松尾芭蕉(1644〜94)が貞享5年(1688)春紀伊路を訪れ紀三井寺に参詣したときに詠んだ句。
境内の風景
新仏殿の展望回廊から見る伽藍の風景。

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 古くから「紀三井寺」の名で知られるこの寺の寺域は、紀ノ川河口平野の南部にある名草山(なくさやま 228.6m)の中腹にあって、境内から和歌浦湾を一望のもとに収める。境内は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれています。
   御詠歌 「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その41 和歌浦散策 紀三井寺(2) 新仏殿 ・ 大千手十一面観世音菩薩
新仏殿-1
新仏殿-2
紀三井寺 本堂の対面にある新仏殿。五輪塔を模した建物は2002年に竣工、高さ25m。
大千手十一面観音菩薩-1
高さ12m、木造の立像仏として日本最大の観音様、大千手十一面観世音菩薩。
大千手十一面観音菩薩-2
京都の仏師・松本明慶師の作。
大千手十一面観音菩薩-3
三階展望回廊ののぞき窓から見る観音様の頭部。
展望回廊-1
展望回廊-2
三階展望回廊からの眺望。
展望回廊-3
望遠で捉えた和歌山城。

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 紀三井寺・新仏殿には、御本尊に木造の立像仏として日本最大となる総漆金箔張大千手十一面観世音菩薩が安置されています。京都西山に工房を構える仏師・松本明慶師の作で、2002年から制作を開始し、2007年に完成。2008年(平成20)5月落慶法要が営まれました。黄金の像、高さ12mの慈悲の御光に包まれた観音様に合掌です。
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その40 和歌浦散策 紀三井寺(1) 楼門 ・ 本堂 ・ 多宝塔
紀三井寺・楼門
紀三井寺 楼門(国指定重要文化財)室町時代・永正6年(1509)建立
楼門-2
三間一戸・入母屋造・本瓦葺き。建立以来たびたびの修理を受け、桃山時代の様式を残す。(高欄付きの縁をめぐらせた通路や和様三手先腰組)欄間には、牡丹と蓮の彫刻があざやか。金剛力士像を安置。
結縁厄除坂
 結縁厄除坂 地上より231段 是より上210段 若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出逢いをした坂 25段、33段、42段、62段と厄年を踏み越える石段が続きます。是より上の登段最速記録は21.9秒 無謀な挑戦はおやめください(元陸上100m日本記録保持者・青戸慎司選手)(掲示板より)
紀三井寺三井水
石段の途中にある日本名水百選の一 紀三井寺 三井水(清浄水・楊柳水・吉祥水)の清浄水
本堂-1
西国霊場第二番札所 紀三井寺
本堂-2
本堂-3
紀三井寺・本堂
霊宝堂-1
霊宝堂-2
紀三井寺・本堂・霊宝堂 堂内には、おびただしいシャモジが奉納されています。
多宝塔-1
境内に美しい姿を見せる多宝塔(重要文化財)
多宝塔-2
多宝塔-3
多宝塔 案内板

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 今回より「和歌山の旅」和歌浦編を写真展示します。JR紀勢本線 紀三井寺駅から徒歩10分のところにある「紀三井寺」をはじめに、玉津島神社、紀州東照宮、養翠園などを巡り最後は「番所庭園」まで散策します。

 紀三井寺(きみいでら)は、今から1240年近く昔(宝亀770年)、唐僧・為光上人によって開基されました。為光上人は、仏教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って唐(今の中国)より到来されました。そして諸国を巡り、上人がたまたまこの名草山の麓に一宿した折、山の頂上付近が白く光っているのを不思議に思って上がって来られると、金色に輝く千手観音様と出会われました。
 この地が、ご仏縁深き霊場と悟られた上人は、自ら一刀三礼のもとに十一面観音様の尊像を彫られて、これを草庵に安置し、この紀三井寺を開創されました。
 正式な寺名は「紀三井山金剛寺護国院」ですが、山内から湧き出す三つの霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)から「紀三井寺」という名前で親しまれてきました。(紀三井寺リーフレットより)
| 和歌山の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
和歌山の旅 その39 世界遺産・高野山 徳川家霊台 ・ 女人堂
玉川-1
奥に見える橋が「御廟橋」、橋の下を流れる清らかな川
玉川-2
塔婆が立つ川下
東日本大震災物故者慰霊碑
奥之院に2013年3月に建立された「東日本大震災物故者慰霊碑」
ロケット型の慰霊碑
珍しいロケット型の慰霊碑
徳川家霊台-1
徳川家霊台-2
重要文化財 徳川家霊台
徳川家霊台-3
徳川家康霊屋
不動坂口
高野山の入口、高野七口の一つ「不動口」
女人堂-1
高野山内に入れない女性のための参籠所「女人堂」
女人堂-2
女人堂-3
女人堂内部
女人堂-4
女人堂バス停
高野山駅
高野山ケーブル「高野山駅」

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 高野山奥之院の参拝を終え、これより引き返し女人堂がある高野山入口「不動口」まで散策します。2013年3月に建立された「東日本大震災物故者慰霊碑」に合掌し冥福を祈ります。重要文化財「徳川霊台」は、寛永20年(1643)三代将軍家光によって建立されました。一重宝形造りの同じ建物が左右に並んでおり、右が東照宮家康霊屋、左が秀忠の霊屋でいずれも高野聖によって建立されてとあります。女人堂は、明治5年(1872)女人禁制が解かれるまで、高野山内に入れない女性のために参籠所が設けられました。現在ではその中でも一番大きかった不動口の女人堂が唯一残っています。不動口から先は路線バス専用道路のため歩行者や一般車両は通行禁止。専用バスで高野山駅まで帰ります。
 およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた高野山、大門から始まり、檀上伽藍、金剛峯寺、金剛三昧院、奥之院、弘法大師御廟、徳川霊台、女人堂などを巡った高野山の旅は、荘厳な歴史をたどる感動の旅でした。(この項完)
| 和歌山の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
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