2016.06.29 Wednesday
和歌山の旅 その2 和歌山城 一の橋の樟樹
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和歌山城案内図
一の橋と大手門
和歌山城史跡解説 「一の橋と大手門」
大手門(追手門)とは城の内部に入る正面の門です。 和歌山城は天正13(1585)年に羽柴(豊臣)秀吉の命で弟の秀長が築城し、家老の桑山重晴を城代として置きましたが、この時は岡口門が大手門でした。 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後に和歌山城主となった浅野幸長(よしなが)は、城の大規模な修築を行いました。 浅野期の途中で内部の北東部のこの地に橋をかけ、門を設置して大手としたのです。 紀州徳川家もひき続きここを大手としましたが、橋を 「市之橋」、門は 「市之橋御門」 と呼んでいました。 それが寛政8(1769)年から 「大手御門」 と改称し、橋は 「一の橋」 に変えたのです。
大手門は高麗門形式の門で土塀や多聞が連なり、西の石垣上には月見櫓が建っていて、一の橋には高欄擬宝珠が付けられていました。 『紀伊国名所図会』を見ると、登城する重臣たちは橋の手前で駕籠や馬から降りなければならず、同道した重臣の家来は槍を立てかけて待合所で待機しています。
大手門は明治42(1909)年5月に倒壊しましたが、昭和57(1982)年3月に再建され、翌年3月には一の橋が架けかえられました。
石畳がきれいな城内散策路
一の橋の樟樹(くすのき) 県指定文化財(天然記念物) 昭和33年4月1日指定
幹の周囲 7m、樹高 25mで巨大な樹冠を形成している。太い枝を四方にのばし、約 35mにもおよぶ城内最大の樹木である。推定樹齢は、約400年といわれている。昭和20年(1945)の和歌山大空襲で損害を受けたが樹勢が回復し今日にいたっている。
伏虎像(ふっこぞう)
歴史を感じる城内の石垣
和歌山城の創建
天正13年(1585)、紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の 「岡山」(現在の虎伏山)に城を築かせました。 これが和歌山城のはじまりです。 その後、秀長は郡山城(奈良県大和郡山市)に移り、家臣の桑山重晴が和歌山城代となりました。(HP;史跡 和歌山城より)