質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
山口の旅 その53 防府市 毛利氏庭園(1)
毛利氏庭園-1
毛利氏庭園入口
毛利氏庭園-2
国指定 名勝 毛利氏庭園案内板
毛利氏庭園-3
これより広大な庭園を散策します。
毛利氏庭園-4
毛利氏庭園-5
サツキがきれいに咲いています。(2015・5・29撮影)
毛利氏庭園-6
雲一つない五月晴れ、庭園の緑と青い空に感動します。
毛利氏庭園-7
毛利氏庭園-8
どのアングルから見ても絵になる風景です。
毛利氏庭園-9
毛利氏庭園-10
昭和天皇 御手植樹(クロマツとヒノキ)
毛利氏庭園-11
庭園から見る旧毛利家本邸
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 国指定名勝 毛利氏庭園 
 丘あり、滝あり、せせらぎあり、起伏に富んだ25、000坪の広大な庭園は、代表的な近代日本庭園として高い評価を得ています。 風光明媚な瀬戸内の借景に加え、サクラ、サツキ、紅葉など四季折々のあざやかさは見る人を飽きさせません。(毛利氏庭園リーフレットより) 

 追伸 今年(2015)のブログ更新は今日が最後です。 来年(2016)は1月4日よりブログ更新を行います。 引き続き 「山口の旅」 を写真展示しますので見て下さい。
| 山口の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
山口の旅 その52 防府市 旧毛利家本邸・毛利博物館(2)
旧毛利家本邸-1
旧毛利家本邸の一階廊下
旧毛利家本邸-2
ケヤキの一枚板
旧毛利家本邸-3
上段之間
旧毛利家本邸-4
格式ある天井燈
旧毛利家本邸-5
旧毛利家本邸-6
公居間、宝の間とも言われています。
旧毛利家本邸-7
重要文化財指定書
旧毛利家本邸-8
中庭
旧毛利家本邸-9
階段を上って二階へ
旧毛利家本邸-10
二階から見る庭園、素晴らしい眺めです。
旧毛利家本邸-11
庭園から見る旧毛利家本邸の全景
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 毛利家の歴史
 鎌倉幕府創設の功労者入江広元を祖とする毛利氏は、その子季光が本拠相模国(現在の神奈川県)毛利荘にちなんで毛利氏を名乗り、時親の代に安芸国(現在の広島県)吉田荘に移住しました。
 その後、元就により西国最大の戦国大名へ飛躍した毛利氏は、輝元時代に長門国(現在の山口県)萩に移り、その子秀就が初代長州藩主となります。 歴代藩主の努力で力を蓄えた長州藩は明治維新を実現、功により最後の藩主元徳は公爵となりました。(旧毛利家本邸リーフレットより) 
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山口の旅 その51 防府市 旧毛利家本邸・毛利博物館(1)
旧毛利家本邸-1
これより松並木の路を進み、毛利博物館・毛利氏庭園へ
旧毛利家本邸-2
表門
旧毛利家本邸-3
きれいに整備された園内(2015・5・29撮影)
旧毛利家本邸-4
園内案内板
旧毛利家本邸-5
旧毛利家本邸前広場
旧毛利家本邸-6
旧毛利家本邸入口 車寄せ、現在は毛利博物館として一般公開されています。
旧毛利家本邸-7
応接室 邸内唯一の洋風の部屋。
旧毛利家本邸-8
旧毛利家本邸案内板
旧毛利家本邸-9
大広間(客殿) 奥の18畳の間には大きな床が設けられ、当主はここに座して客を迎えもてなしました。
旧毛利家本邸-10
大広間 天井は一段と高く格天井になっています。
旧毛利家本邸-11
大広間から見る庭園。
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 庭園内でひときわ目立つ1、200坪の豪邸は、大正5年(1916)完成の公爵毛利邸です。 江戸時代の御殿さながらの規模と装飾の妙は、近代和風建築の粋を集めたとの評価も高く、内部は毛利博物館として公開されています。 毛利家に伝わる国宝を含むたくさんの宝物を収蔵・展示しています。
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山口の旅 その50 防府市 防府国分寺
周防国分寺-1
昭和32年(1957)国の史跡に指定されている 「周防国分寺旧境内」。
周防国分寺-2
境内を覆う樹齢約600年のクスノキに圧倒されます。
周防国分寺-3
仁王門前の 「筋塀(すじべい)」、五本の筋が最高格式を表します。
周防国分寺-4
県指定文化財 周防国分寺・仁王門 重層入母屋造、建坪36坪の堂々たる楼門。 現在のものは慶長元年(1596)毛利輝元が建立し、ついで明和4年(1767)毛利重就が修築。 門の左右には仁王像を、また楼上には十六羅漢が安置されています。
周防国分寺-5
境内に掲示されている案内板。
周防国分寺-6
周防国分寺-7
重要文化財 周防国分寺・金堂 荘重な二層入母屋造の仏殿で建坪116坪余、堂内の須弥壇は桃山時代のものと伝えられています。 現在の仏殿は、安永8年(1779)毛利重就の建立したもの。
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 周防(すおう)国分寺は、天平13年(741)、聖武(しょうむ)天皇の勅願により建立。 創建時と変わらない境内に、今も伽藍を残す珍しい国分寺として有名です。 金堂では、重要文化財の薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、四天王立像など50体余りの仏像を拝観することができます。
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山口の旅 その49 防府市 防府天満宮(4) 境内散策
筆塚
防府天満宮の境内に建つ 「筆塚」。
二宮金次郎銅像
二宮金次郎銅像、台座に 「勤勉努力」 の文字。
鈴木淳歌碑
 2002年3月27日に除幕式が行われた作曲家 鈴木淳 「浮雲」(香西かおり) の歌碑。 当日この歌を歌うために、香西かおりさんが東京からかけつけられたそうです。 鈴木淳氏は防府市出身 昭和42年 「小指の想い出」(伊東ゆかり)が大ヒット。
紫雲石-1
紫雲石-2
願い事が必ず叶うとされる不思議な謂われがある 「紫雲石」。
至誠のざくろ-1
至誠のざくろ-2
前橋市から寄贈された 「至誠のざくろ」。 至誠(しせい)とは、きわめて誠実なこと。
太鼓楼
太鼓楼
「LOVE神社」の碑-1
「LOVE神社」の碑-2
「LOVE神社」の碑 道真公は子宝に恵まれ、家族愛に満ちあふれていたといわれることから設置された石碑。 「LOVE」 と刺繍された御守りもあります。
燈籠
境内に建つ格式のある燈籠。
境内の風景-1
境内の風景-2
防府天満宮境内の美しい景観。
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 防府天満宮の御祭神 菅原道真公は多くの子供があり、正確には分かりませんが標準的な系図によれば男11人、女3人の子供が挙げられますが、そのうち、九州の大宰府に 連れていくことが許されたのは幼い子供だけでした。
 防府天満宮は、京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮と並ぶ日本三天満宮のひとつとして知られています。 延喜4年(904)創建の学問の神様・藤原道真公を祀ります。 歴史が息づく千年の町防府は、ご利益スポットが点在するまちです。 次回は周防国分寺を訪ねます。
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山口の旅 その48 防府市 防府天満宮(3) 境内散策
大専坊
 大専坊(だいせんぼう) 天満宮の本坊で禁門の変へと兵を進めようとしていた総大将来島又兵衛と、それを止めようとした高杉晋作とが激論を交わした場所。 また幼少の伊藤博文が起居していた記録が残っています。(幕末史跡めぐりマップより)
暁天楼-1
 暁天楼(ぎょうてんろう) 門前にあった旅館藤村屋の離れの建物で、一見漬物小屋に見せかけていますが、2階では勤王の志士たちが密議を交わしました。 名前は山県有朋により名付けられました。
暁天楼-2
暁天楼-3
 暁天楼の案内板
御神木-1
御神木-2
 暁天楼の裏にそびえる樹齢約800年のクス木、防府天満宮の御神木です。
毛利重就公像
 防府天満宮境内に建つ 「毛利重就(しげたか)公像」。
 幕末維新に大きな役割を果たした萩藩。 その足がかりをつくったのは藩主・毛利重就といえる。 重就は現在の下関市の多くを領地とした長州藩主の子として生まれ、宝暦元年(1751)に萩藩主となりました。 そのときの萩藩の負債は銀約3万貫に達しており、さらに増え続けたことから、重就は藩政改革を断行します。
 そこで、税の取れる土地を増やすための土地の調査(宝暦検地)を行い、増えた税収入で撫育方(ぶいくかた)という基金をつくりました。 この撫育方は非常時の蓄えにした以外に、農地や塩田の開発費用に使われました。 重就は、藩の収入を増やすために防府の開発に力を入れ、干拓によって土地を広げると、新田や塩田を築いたりするなど、産業が発展していきました。
千年式年大祭記念碑-1
千年式年大祭記念碑-2
菅公御神忌1000年式年大祭記念碑 
歴史館
 歴史館 明治維新室 国の重要文化財9件、県・市指定文化財7件、ほか約500点の宝物並びに多数の古典籍を収蔵。 館内併設の明治維新室では、防府天満宮と縁のある志士の展示をしています。
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 防府天満宮 御祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) その2
 道真公は無実の罪を着せられ、昌泰4年(901)1月25日、九州大宰府へ左遷されました。 左遷より2年の月日が経った延喜3年(903)2月25日大宰府にて無念の思いのまま薨去されました。 そこで亡骸を牛舎にお乗せし引かせたところ牛が伏せて動かなくなりました。 人々は 「きっとここに葬って欲しい」 という道真公のお気持ちの表れであると思い、その地(今の大宰府天満宮)に葬りました。
 薨去後、都では天変地異が続き左遷に関わった者達が次々に亡くなりました。 人々は道真公の怨霊の仕業に違いないと畏れ、御霊魂をお慰めするため京都の地(今の北野天満宮)に神としてお祀りしました。
 道真公と梅と牛にまつわる伝承は数多くあり、そのことから全国の天満宮では境内に梅が咲き誇り、牛は天神さまのお使いとされ、臥牛が天神さまの鎮まる場所を表すシンボルとなっています。(防府天満宮リーフレットより)
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山口の旅 その47 防府市 防府天満宮(2) 境内散策
野村望東尼の像
 野村望東尼(のむら ぼうとうに)の像
 望東尼は福岡藩士の娘として生まれ、高杉晋作ら尊王攘夷の志士たちと交わります。薩長同盟が成り、軍が東上する際に防府天満宮で戦勝祈願を行い7日間の精進潔斎で1日1首句を詠み天神さまに奉納をしました。
右側歌碑
 右側歌碑
    もののふの あたに勝坂 超えつつも 祈るねきこと うけさせたまえ
  (解説)勝坂を超えて来る志士たちの願いをどうぞお聞き届け下さい。
左側歌碑
 左側歌碑 
    面白きこともなき世をおもしろく(晋作) すみなすものは心なりけり(望東尼)
 (解説)面白くない世の中を面白く生きるのはどうしたらいいのだろうか そのように生きていくのは心の持ち方次第です。
歌碑案内板
 歌碑案内板
戦勝祈願詣の石碑-1
戦勝祈願詣の石碑-2
 戦勝祈願詣の石柱 武士だけでなく庶民も志士たちの戦勝を天神さまに祈り、有志によって千日詣の開始と終了の記念碑が建てられました。
貞宮遥拝所-1
貞宮遥拝所-2
 貞宮遥拝所
 明治30年楫取素彦は明治天皇第10皇女貞宮多喜子内親王の御養育主任に任ぜられました。 内親王は明治32年に夭折されたため遺品が下賜され、その安置場所として建立されました。 以降、貞宮のご命日である1月11日には遥拝式が執り行われ楫取素彦も参列しました。
楫取素彦・美和子像
 貞宮遥拝所の傍らに建つ 「楫取素彦・美和子(文)像」。
 初代群馬県令をつとめた楫取素彦は、現在の山口県萩市出身で、大河ドラマ「花裳ゆ」のヒロイン「文」の夫です。 楫取素彦を一言でいえば 「幕末維新の志士から名県令」 ということになります。(HP;ぐんま花燃ゆプロジェクトより)
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 防府天満宮 御祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) その1
 平安の古(いにしえ)、菅原家は学者の家として栄えておられました。 その家柄の中で道真公は菅原是善(これよし)の子として、承和12年(845)6月25日にお誕生になり、幼名を 「阿呼(あこ)」「吉祥丸(きつしょうまる)」 と申されました。 幼少より学問に優れ、僅か5歳の時、庭に咲いている梅を愛でられ、
  「美しや紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある」
とお詠みになりました。
 その後18歳で文書生(もんじょうしょう)、33歳で文書博士になられ学識を高めていかれる一方で、誠実な政治感覚により時の帝の信任も篤く高位高官へ昇られ、55歳の時に右大臣に任ぜられました。 しかし時の権力者である藤原氏による讒言(ざんげん)により無実の罪を着せられ、昌泰4年(901)1月25日、九州大宰府へ左遷されることになりました。 その際御自宅の紅梅殿の庭にて
  「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」
と和歌を詠まれて、永く親しまれた梅の花に別れをお告げになりました。(防府天満宮リーフレットより)
| 山口の旅 | 19:14 | comments(0) | - |
山口の旅 その46 防府市 防府天満宮(1) 本殿
防府天満宮-1
防府天満宮・参道石段
防府天満宮-2
手水舎
防府天満宮-3
防府天満宮・楼門
防府天満宮-4
防府天満宮・本殿
防府天満宮-5
天神さまのお使いとされる臥牛(がぎゅう)は、天満宮のシンボルです。
防府天満宮-6
防府天満宮-7
芙蓉菅廟最初の碑
防府天満宮-8
防府天満宮-9
国の登録有形文化財 「春風楼(しゅんぷうろう)」、通称・通夜堂(つうやどう)。
防府天満宮-10
防府天満宮-11
春風楼に掲げられている彫刻の額。
防府天満宮-12
春風楼は、防府市を一望できる展望台として市民の憩いの場所となっています。
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 防府天満宮は日本で最初に創建された天神さまです。 御祭神の菅原道真公は九州大宰府への西下の途中、時の周防国(山口県)国司である土師氏(道真公と同族)を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に御着船になり、
     「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」 
 (解釈)この港を出発すれば次はいよいよ九州であるが、この防府の地は天皇のいらっしゃる京の都とまだ地続きである。 願わくはここ松崎の地に住まいを構え 「無実の知らせ」 を待っていたい。
 と願い九州へと旅立たれました。(防府天満宮リーフレットより)
| 山口の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
山口の旅 その45 防府市 ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館
大河ドラマ館-1
ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館の幟
大河ドラマ館-2
大河ドラマ館-3
ルルサス防府2階で開催中の、ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館 「文の防府日和」。
大河ドラマ館-4
大河ドラマ館-5
ドラマ館前に掲示されている地域ブランド 「幸せます」。
防府天満宮-1
最初に訪れた 「防府天満宮」 の石鳥居
防府天満宮-2
石燈籠が並ぶ美しい参道。
うめてらす
参道横にある、まちの駅 「うめてらす」。 うめてらすは、とっておきの観光情報や地元お勧めの新鮮な地域情報を提供する防府観光の出発点。特産品・土産コーナー、お食事処もあります。
マンホールのふた
美しい自然がデザインされたマンホールのふた。
防府天満宮-3
 参道を進むと中鳥居 「青銅鳥居」。 鳥居のあたりに二対の大きな狛犬(こまいぬ)が神域を守護。手前の狛犬が萩で造られた「萩狛犬」、後ろの狛犬が大阪で造られた 「浪速狛犬」。 浪速狛犬には宝暦9年(1759)の刻字、市内最古、参道狛犬では古い部類です。(HP防府市より)
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 NHK大河ドラマ 「花燃ゆ」は、12月13日(日)で最終回を迎えます。 防府には5月29日撮影してきました。 大河ドラマ館は平成28年1月11日(月・祝)まで開催。 防府は文こと美和子と素彦の楫取夫妻が終の棲家とした地です。
 ドラマ館見学後、周遊バスで6分、バス停 「防府天満宮・うめてらす」 下車。 防府天満宮は日本三天神のひとつで、延喜4年(904)創建、学問の神様・菅原道真公が祀られています。
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山口の旅 その44 萩市 旧萩駅舎
萩夏みかん工房-1
萩城跡すぐ近くにある 「萩夏みかん工房」。
萩夏みかん工房-2
工房の壁に掲示された、夏みかんソフトとマンホールのふた。
萩八景遊覧船-1
萩夏みかん工房前にある 「萩八景遊覧船のりば」。
萩八景遊覧船-2
約40分の遊覧船のコースは、萩城跡横の指月橋をスタートし、堀内伝統的建造物群保存地区を眺めながら、橋本川へ。 今回、時間の関係で乗船できませんでしたが一度乗ってみたい遊覧船です。
野山獄跡-1
野山獄跡-2
市指定史跡 野山獄跡
岩倉獄跡-1
岩倉獄跡-2
市指定史跡 岩倉獄跡
旧萩駅舎-1
旧萩駅舎-2
登録有形文化財 「旧萩駅舎」
旧萩駅舎-3
大正時代末期の美しい建造物、「旧萩駅舎」 全景。
旧萩駅舎-4
駅前広場に展示されている 「蒸気機関車動輪(D51 730号)」 越しに見る旧萩駅舎。
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 萩は、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元が慶長9年(1604)に萩城を築城し発展した町。 武家屋敷や旧宅が多く現存する城下町には、幕末の志士を育てた松下村塾をはじめ、明治維新で重要な役割を果たした偉人の生家など見所がいっぱいです。
 次回より、歴史が息づく千年の町、防府(ほうふ)を写真を展示します。 見て下さい。
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