これより松陰神社へ
松陰神社 鳥居
鳥居前に立つ大河ドラマ 「花燃ゆ」 の幟。
厚東常吉(ことう つねきち)翁之像 台座名称刻板に 「岸信介書」 の文字。
萩市出身の衆議院議員。 1884年(明治17年)―1968年(昭和43年)
吉田松陰の遺徳を伝えた 「雷鳴」 の異名をもつ政治家 「厚東常吉」。
NHK大河ドラマ 「花燃ゆ」 の主な舞台となる萩市にある 「松陰神社」 は、年間約45万人もの観光客が訪れますが、造営当時は簡素で小さな祠(ほこら)があるだけでした。 現在の振興には、その豪快な性格から 「雷鳴」 の異名をもつ政治家の尽力がありました。
境内に立つ 「顔出し看板」。 ちなみに2015年7月5日に萩の5資産を含む 「明治日本の産業革命遺産」 が世界遺産に登録されました。 萩の5資産とは、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、萩城下町の5つの資産で構成されています。
境内に立つ松陰神社 開運招福の看板、飯田俊徳(左)吉田松陰(右)。
石碑 「薩長土連合密議之処(さつちょうど れんごうみつぎのところ)」
この石碑は、明治百年記念の昭和43年(1968)に建立。
向かって右から 「薩州・田上藤七、長洲・久坂玄瑞、土州・坂本龍馬」、左側に 「文久二年一月、鈴木勘蔵宿之跡」 とある。 元総理大臣 岸信介 揮毫
文久2年(1862)1月、土佐藩士坂本龍馬が、同藩士の武市瑞山(たけちずいざん)の書簡をもって久坂玄瑞(くさかげんずい)を訪ね来萩し、この場所にあった鈴木勘蔵の旅館に泊まった。 たまたま薩摩藩士田上藤七(たがみとうしち)も同藩士樺山三円(かばやまさんえん)の書簡を持参して来ていた。 図らずも久坂を中心に薩長土の三藩士が一堂に会することになり、後日の薩長土連合を暗示する前兆となった。
久坂の武市瑞山宛の、書簡によれば、「諸侯も公卿も恃(たの)むに足らず、草莽(そうもう)の志士を糾合(きゅうごう)し、義挙の外(ほか)はとても策無し」 と述べられており、松陰の 「草莽崛起論(そうもうくっきろん) 」 に通じる内容を語りあったと思われる。
石碑 「明治維新胎動之地」 内閣総理大臣 佐藤栄作書
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写真 萩市最初の訪問地は、学問のご利益で知られる 「松陰神社」。 鳥居をくぐった境内には石碑や銅像などが並びます。 その一つ一つをたどると明治維新の胎動が見えてきます。 松陰神社の復興発展に尽力した厚東常吉や鉄道の父と称される井上勝を支えて鉄道の敷設に尽力した飯田俊徳の名は、現地へ来て初めて知る偉人です。