質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
時之栖イルミネーション 2014〜2015 妖精たちのHABATAKI
イルミネーション-1
時之栖イルミネーション 2014〜2015  「光のトンネル」。
イルミネーション-2
イルミネーション-3
今年のテーマは 「妖精たちのHABATAKI」。
イルミネーション-4
2015年の干支 「未;ひつじ」 もイルミネーションされています。
イルミネーション-5
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時之栖にそびえ立つ 「光の塔」。
イルミネーション-7
イルミネーション-8
全長450mの 「光のトンネル」、大勢の人が幻想的な動きと輝きを楽しんでいます。
イルミネーション-9
イルミネーション-10
参加型イルミネーション “富士山ヒカリの国フィスティバル”  28作品が見れます。
イルミネーション-11
ここで記念写真が撮れます。
イルミネーション-12
 「イルミネーションツリー」 20mを誇る自然のモミの木を移植、木の周囲を七色の光が駆け上がります。 また、木の周辺には白い光の草原が広がります。 フォトスポットとして人気です。
JUGEMテーマ:写真

 静岡県御殿場市神山で開催中の 「時之栖イルミネーション2014〜2015」 を昨日(12/28)撮影してきました。 園内5つの会場で美しい光の世界を鑑賞できます。 今年のテーマは 「妖精たちのHABATAKI」。 有機EL照明を使用した次世代のイルミネーションは、幻想的な動きと輝きが楽しめます。 開催は2015年3月15日まで、富士山の麓で光輝くお勧めのイルミネーションです。 土日休日は大変な混み様です、平日のご来場をおすすめします。

 2014年のブログ更新は今日で終わりです。 2015年は1月5日より写真展示します、見て下さい。 それでは、読者の皆さん良いお年をお迎え下さい。
| イルミネーション | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その57(完) 佐和山城跡と石田三成
佐和山城跡-1
佐和山城跡-2
 佐和山城跡
 佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代初期に近江源氏佐々木定綱(ささきさだつな)の6男時綱(ときつな)が、佐和山の麓に館(やかた)を構えたのが始まりと伝える。 その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。 佐和山城は両勢力の境目の城として攻防が繰り返された。やがて湖北では京極氏に代って浅井氏が覇権を確立し、湖南の六角氏との間で佐和山城争奪戦が展開されることになる。
 信長・秀吉の時代にも、佐和山城は近江の要衝を守る城として重視された。 信長は佐和山城に重臣の丹羽長秀(にわながひで)を配し、安土城築城までの間、佐和山城が安土城の機能を維持した。 秀吉の代も、堀秀政(ほりひでまさ)、堀尾吉貼晴(ほりおよしはる)、そして五奉行筆頭の石田三成(いしだみつなり)の入城と、佐和山城に重きを置く姿勢は変わらなかった。 この間、佐和山城はしだいに整備され、山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが重なり、山下には東山道に面して大手門が開き、2重に巡らされた堀の内外には侍屋敷・町屋そして足軽屋敷などの城下町が形成された。
佐和山城跡-3
佐和山城絵図(彦根城博物館蔵)
石田三成公像-1
龍潭寺(りょうたんじ)の境内に建つ 「石田三成公蔵)
石田三成公像-2
 石田三成(1560〜1600)
 安土桃山時代の武将。 豊臣政権五奉行の一人。 幼名佐吉(さきち)。 幼少より豊臣秀吉に仕え、1583年の賤ケ岳の戦の功により重用され、九州征伐や文禄・慶長の役などに出陣。 一方民政面に才能を認められ、軍需品輸送、太閤検地の施行などに才腕をふるう。 1590年(1595年とも)近江佐和山城主として18万石(19万余石とも)を領する。 秀吉の死後徳川家康と対立、関ヶ原の戦で敗れ斬首。
石田三成群霊供養
佐和山観音
同じく、龍潭寺の境内に建つ石田三成群霊供養・佐和山観音。
JUGEMテーマ:写真

 佐和山城の戦い(フリー百科事典・ウィキペディアより) 
 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで三成を破った徳川家康は、小早川秀秋軍を先鋒として佐和山城を猛攻撃した。 城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘し、敵を寄せ付けなかったが、やがて城内で長谷川守知など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、同月18日、奮闘空しく落城し、父・正継や正澄、皎月院(三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは自害して果てた。
 徳川方の兵士は 「栄華を極めた三成はさぞ華美を尽くしたのだろう」 と思い、我先に城内に乱入したが、城の壁は粗壁であり、また、何の装飾もない質素な作りであったという。 しかも、石田屋敷にあったものは豊臣秀吉から送られた感謝状のみであったと伝わっている。
 三成は領地にて善政を敷き、領民から大変慕われていたという。

 57回にわたって写真展示しました 「滋賀・長浜と彦根の旅」 は今回をもって終了です。 豊臣秀吉が初めて主となった長浜城を中心として栄えた町・長浜、江戸時代は旧藩主井伊家35万石の城下町・彦根、国宝・彦根城も見応えがあり、心に残る撮影の旅でした。(完)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:02 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その56 龍潭寺(彦根市)
龍潭寺-1
井伊大老 石田三成菩提寺 龍潭寺(りょうたんじ)
龍潭寺-2
龍潭寺拝観入口
龍潭寺-3
龍潭寺-4
これより拝観します。
龍潭寺-5
龍潭寺方丈襖絵 森川許六作 (彦根市指定文化財)
龍潭寺-6
襖絵
龍潭寺-7
龍潭寺-8
元禄年間からは達磨さまにあやかる 「だるま寺」 として人々の信仰を集めています。
龍潭寺-9
方丈南庭 枯山水 「ふだらくの庭」 、別名 「庭の寺」 として親しまれています。
龍潭寺-10
書院東庭 借景式 「蓬莱池泉庭」 (彦根市指定文化財)
龍潭寺-11
仏足石
龍潭寺-12
観音お告げ七福神
龍潭寺-13
七福神・「福禄寿」(人望)
龍潭寺-14
七福神・弁財天(愛敬)
龍潭寺-15
大洞観音堂 ご本尊・楊柳観音菩薩 三十三観音のひとつで、種々の病難の消除を本誓とされます。 平安初期の作で、元和年間(1680年代)に琵琶湖中より、ご出現になりました。
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 美しい庭園を誇る井伊家の菩提寺 龍潭寺
 彦根藩主であった井伊家の菩提寺。 四季折々の花が美しく、造園専門学校のはじまりといわれる園頭科の学生が造った庭園が今も残り、「庭の寺」 とも呼ばれています。 また、禅宗の始祖・達磨大師にあやかる 「だるま寺」 としても有名です。 ほかに、森川許六の襖絵が見どころです。
 方丈の襖絵は、森川許六(もりかわきょりく 1656〜1715)の作と伝えられ、山水、人物、花鳥、走獣など十種もの画題が計百四面に描かれており、これだけの襖絵が彦根にまとまって伝存することは注目に値します。 許六は、彦根藩士の子で、蕉門(しょうもん;松尾芭蕉の一門)の俳人であるとともに、絵もよくし、狩野安信(かのうやすのぶ)に師事したと言われています。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:37 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その55 清涼寺(彦根市)
清涼寺-1
 彦根市古沢町大洞にある曹洞宗、永平寺派の寺 「清涼寺(せいりょうじ)」。 歴代の住職は、徳川重臣の権勢で諸国より高僧を請じたので修業道場として名声がたかまり、彦根の清涼寺として有名となった。
清涼寺-2
清涼寺-3
山門
清涼寺-4
 清涼寺 本堂
 本尊は釈迦牟尼仏で、本堂は宝永5年(1708)の再建であり、庫裏のあたりは佐和山時代三成の名家老といわれた嶋左近の邸跡と言われています。 入口が左に寄った左右非対称の造りになっているのが特徴で、寺宝である歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が保管されています。 寺にまつわる七不思議の伝説も残っています。
清涼寺-5
客殿(庫裏) 巨大な切妻屋根と立派な唐破風による見事な造りに圧倒されます。
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 彦根駅から徒歩約20分、佐和山の北西麓にある、祥寿山と号とする曹洞宗の寺 「清涼寺」。 江戸時代初期の寛永年間(1624〜44)、井伊氏3代直孝が、父直政の墓所として創建。 井伊家歴代の菩提寺で、裏山の高台に旧藩主の6基の宝篋印塔が現存している。 堂宇は観音堂・本堂・庫裏などを備え、門前に続く参道が、禅寺らしい閑寂な雰囲気を漂わせている。 直弼もここに参禅の修行に通ったと言われる。

 【伝説】 清涼寺の七不思議 
・血の池 墓地の前にある池で、夜になると異様な女性の顔が池面に写し出される。
・黒雲 佐和山の頂上付近に出る黒雲は、一じんの竜巻きとなって彦根城を襲い、
     度々旗指物などを吹き飛ばした。 三成の亡霊のしわざという。
・タブの樹 境内正面近くにあるタブの大木で、時々女の姿に化ける。
・門の扉 大みそかの晩になると、ものすごいひびきでうなり続ける。
・壁の月 寺の方丈の壁で、壁面に月が写し出されるという。
・不思議な池 寺の上方にある池で、その水をたらいに汲んで洗濯物をつけておくと、
         ひと晩できれいになる。
・小姓の出現 寺の最も古い部屋のそばに石の手洗鉢がある。 深夜、かわやへ
         行ってこの手洗場までくると、一人の小姓が現われ、だまって手に
         ひしゃくで水をかけてくれる。 そして部屋に姿を消すが、部屋を
         のぞくと誰もいない。     (滋賀県・郷土資料事典より)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:39 | comments(2) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その54 四番町スクエア(彦根市)
四番町スクエア-1
夢京橋キャッスルロードに隣接する商店街 「四番町スクエア」。
四番町スクエア-2
四番町スクエア-3
大正ロマンの香りあふれる 「水と音と祈りのまち」、四番町スクエア。
四番町スクエア-4
四番町スクエア-5
ご城下彦根の新名所・四番町スクエア
四番町スクエア-6
四番町スクエアお店マップ
四番町スクエア-7
四番町スクエア-8
四番町スクエア-9
広場にガス燈が設置された大正ロマンの雰囲気が漂う商店街。
JUGEMテーマ:写真
 四番町は、明治12年〜昭和44年の町名・大字名です。 江戸時代から続く 「白壁町・内大工町・寺町」 が合併して成立し、明治22年犬上郡彦根町の大字となり、昭和12年に彦根市四番町となりました。 昭和44年、住居表示の実施により、現行の中央町・本町一丁目の一部となり、彦根の台所と呼ばれた市場商店街を中心に地元の人々に親しまれてきました。
 「四番町スクエア」 は、国宝彦根城や京橋キャッスルロードに隣接するエリアにあり、大正ロマン漂う町として21世紀に新しく生まれ変わろうとしています。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:31 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その53 夢京橋キャッスルロード-3 宗安寺
宗安寺-1
宗安寺(そうあんじ)、朱塗りの門があることから 「赤門」 と呼ばれるています。
宗安寺-2
 徳本行者名号碑(とくほんぎょうじゃみょうごうひ)
 徳本行者は江戸後期の浄土宗の念仏行者で、不思議な力をそなえて全国を布教された。 行者は、宗安寺でも一泊され、その時書かれた南無阿弥陀仏の名号は、道行く人誰にでも拝めるようにと道沿いにこの石碑として建てられた。
宗安寺-3
宗安寺-4
宗安寺本堂
宗安寺-5
宗安寺-6
鬼瓦保存
宗安寺-7
地蔵堂
宗安寺-8
 木村重成公首塚(掲示板より)
 この前の五輪の塔が、重成公の首塚であります。 横に並んでいる三基のお墓は、大坂夏の陣で若江堤より御首を持ち帰りました安藤長三郎氏代々のお墓です。 沿革を知りたい方は寺務所までおいで下さい。 沿革書を差し上げます。 浄土宗 宗安寺
JUGEMテーマ:写真

 宗安寺は、夢京橋キャッスルロード沿いにある浄土宗の寺。 井伊道政(1309-1404 南北朝-室町時代の武将)の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪(こうずけのくにみのわ)に建立された安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後彦根城築城のさい現在の地へ再度移築されました。 元禄の大火で、「赤門」 と呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城附属御殿を移築したものです。
 
 境内には 「木村重成公首塚」 があります。 木村重成(きむらしげなり)は、安土桃山時代の武将。 長門守と称す。 出身は不詳。 豊臣秀頼に仕え、大坂冬の陣に奮戦。 講和の際は正使として徳川秀忠より誓紙を受領。 夏の陣で井伊直孝と戦って敗死。 出陣に際し死を覚悟して名香(みょうごう)を兜(かぶと)にたきこんだ話は有名。(百科事典マイディアより)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その52 夢京橋キャッスルロード-2
夢京橋キャッスルロード-1
夢京橋キャッスルロード-2
夢京橋キャッスルロード-3
江戸時代の町並みが再現された「夢京橋キャッスルロード」。
夢京橋キャッスルロード-4
彦根市のマスコットキャラクター 「ひこにゃん」。
夢京橋キャッスルロード-5
ロード沿いの家前におかれた祠。
夢京橋キャッスルロード-6
ロード脇の水路には鯉が泳いでいます。
彦根かるた-1
ふるさとの歴史をかたる「彦根かるた」。
彦根かるた-2
歩道の石に刻まれた 「彦根かるた」。
彦根かるた-3
彦根かるた-4
彦根かるた-5
後世に語りつがれる 「彦根かるた」。
 (よ) 夜明前 鐘鳴りひびく 時報鐘(じほうしょう)
 (た) 高宮布(たかみやぬの) 背おうて渡る 無賃橋
JUGEMテーマ:写真

 彦根城のお堀に架かる京橋からすぐ、白壁と黒格子の町屋風に統一された町並みは江戸時代の城下町をイメージしています。 全長350mのキャッスルロードには、和菓子屋、洋菓子屋、地元ならではの商品を扱うお店が軒を並べています。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その51 夢京橋キャッスルロード-1(彦根市)
可愛いタヌキたち
散策中に見かけた可愛いタヌキたち。
大手門橋
内堀に架かる 「大手門橋」。
旧西郷屋敷長屋門
 彦根市指定文化財 旧西郷屋敷長屋門 附袖塀 堀及び高麗門
 内濠と中濠とに囲まれたこの付近一帯は、上級武士の屋敷があったところで、この位置は、江戸時代後期の天保7年(1836)に作成された彦根御城下惣絵図によれば、西郷伊豫(三千五百石老中)屋敷にあたります。
 この長屋門は老朽化に伴い平成四年度から平成七年度にかけて大坂高等裁判所によって解体修理が実施されました。
 修理中に発見された墨書により、この長屋門は寛保2年(1742)に西隣の庵原家で建てられたものを、明治16年(1883)に裁判所が整備されることに伴い、現在の場所である旧西郷屋敷地内に移築されたものであろうと考えられます。 これだけ大きな長屋門はほかに例が少なく、城と濠と長屋門、それに続く土塀から昔のおもかげを今も伝えています。
 この長屋門の構造・形式
  桁行43.9m、梁間5.0m 一重、入母屋造 背面庇附き、桟瓦葺(掲示板より)
夢京橋キャッスルロード-1
手前、京橋から見る 「夢京橋キャッスルロード」。
夢京橋キャッスルロード-2
夢京橋キャッスルロード(左側)
夢京橋キャッスルロード-3
夢京橋キャッスルロード(右側)
招福本舗-1
商売繁盛のシンボル・招き猫の専門店 「招福本舗」。
招福本舗-2
店舗側面に描かれている看板。
夢京橋あかり館-1
夢京橋あかり館-2
夢京橋あかり館
夢京橋あかり館-3
 館内には、江戸時代は将軍への献上品だった彦根蝋燭。その貴重な品を展示するほか、和蝋燭、西洋キャンドル、お香などが展示販売されています。
JUGEMテーマ:写真

 彦根城、玄宮園、博物館や埋木舎の見学と撮影を終え、うちぼりみちを散策しながら 「夢京橋キャッスルロード」 へ向かいます。
 彦根城中堀に架かる京橋から南に伸びる 「夢京橋キャッスルロード」 は、江戸時代の町並みを再現し、かっての城下町風情が味わえます。 また、個性豊かな店舗が軒を並べ、食事やおみやげ探しにぴったりです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:17 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その50 埋木舎(彦根市)
埋木舎-1
これより、国特別史跡 埋木舎へ。
埋木舎-2
埋木舎 門
埋木舎-3
 埋木舎(うもれぎのや)
 大老、彦根藩第13代藩主、井伊直弼公は文化12年(1815)に第11代藩主、直中公の14男として生まれた。 5才のとき生母を17才のとき父をうしない、藩の掟によって僅か300俵の捨扶持を給せられてここに移った。
 弘化3年(1846)、第12代藩主である兄直亮の嗣子になるまでの青年時代(10代〜32才)をこの埋木舎で過ごした。この間に刻苦勉励して学内武芸に打ち込んだが、将来の藩主たるためものでなく、ただ与えられた窮庶子の地位において安住する精神を求めたに他ならなかった。

 嘉永3年(1850)藩主に、更には安政5年(1858)4月に幕府の大老職になるや翌々の6月には幕府の祖法を排して日米通商条約調印に続いて、英、仏、露、蘭の4ヶ国と開港条約を結んで国難を救った英断は、この埋木舎における生活のたまものといえよう。
埋木舎-4
埋木舎 玄関
埋木舎-5
埋木舎-6
埋木舎 表座敷
埋木舎-7
表座敷の掛軸、左;歴代藩主 13代直弼は右最下段 右;井伊直弼肖像画
埋木舎-8
埋木舎-9
井伊直弼側役等 大久保小膳
埋木舎-10
御茶室 「澍露軒」 茶湯 「一會集」
埋木舎-11
埋木舎の号
JUGEMテーマ:写真

 井伊直弼 青春の館 埋木舎 井伊直弼が17歳から32歳までの青春時代を300俵の捨扶持(すてぶち;江戸時代老幼・婦女などに救助の名目で与えたわずかの扶持米) で過ごしたところで、直弼は自らを生涯花咲くこともあるまいと埋もれた木にたとえて埋木舎と呼んだ。 ここで彼は茶道・華道、禅、歌道、武術などの研究に励んだ。
 茶道では石州流を学び裏手にある茶室は澎露軒(じゅろけん)と名づけ数多くの弟子に一期一会の茶道の精神を伝えた。(案内板より)

       「世の中を よそに見つつも埋木の 埋れておらむ 心なき身は」
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:50 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その49 彦根城博物館(彦根市)
博物館-1
 彦根城博物館(表御殿)
 江戸時代に彦根藩の政庁であった表御殿の復元と博物館機能の一体化を目指し構想・建築され、昭和62年(1987年)2月11、市制50周年を記念して開館。
博物館-2
 井伊の赤備え
 江戸時代に代々彦根藩主であった井伊家では、甲冑や旗指物など軍備のすべてを赤色としていました。 この赤づくめの軍団は、「井伊の赤備え」 と呼ばれ、勇猛なことで知られていました。 藩主から家臣にいたるまで、すべての甲冑は朱漆塗で、兜には金色の天衝(てんつき)をつけるよう定められていました。 藩主は天衝を脇立とし、家臣は前立とする決まりでした。(説明文より)
博物館-3
博物館-4
博物館-5
湖東焼
博物館-6
 琵琶(びわ) 銘大虎(だいこ) 室町時代
 豊臣秀吉から、京都の医師施薬院家が拝領したという琵琶。嘉永3年(1850)、雅楽を家業とする山井家の斡旋で、施薬院から井伊家12代直亮に譲られました。 代金は250両。 4弦4柱の雅楽に用いる楽琵琶ですが、一時期、平家琵琶として用いたらしく、5つの柱(じ)をとりつけた痕跡があります。(説明文より)
博物館-7
館内に置かれた心和む花瓶の花。
博物館-8
 直垂(上下) 薄紅地霞笹文様に鶴亀紋 江戸時代
 淡い紅色の地に、霞がかかり、笹が一面に生い茂っています。 背と袖の紋や袴の要所には、2羽の向き合う鶴と小ぶりの亀。 すがすがしい吉祥のデザインです。(説明文より)
博物館-9
 唐子遊図(からこあそびず) 狩野中信筆 江戸時代
 13人の唐子たちが遊び戯(たわむ)れる様子。 この画題の源は、100人の唐子を描いて子孫繁栄を願うという、中国の吉祥画「百児図(ひゃっこず)」ですが、本図では、唐子の数よりも可愛らしさに重点が置かれているようです。 唐子とともに、松竹梅や富貴をあらわす牡丹も描かれ、吉祥尽くしとなっています。 作者の狩野中信(1811-71)は、江戸幕府の御用絵師をつとめた狩野家のひとつ、浜町狩野家の8代当主。(説明文より)
博物館-10
復元された御座之御間(ござのおんま)、藩主が生活をした居間。
博物館-11
表御殿の復元 彦根市指定文化財・能舞台 博物館の中央には江戸時代以来の能舞台が移築復元されています。
博物館-12
博物館内に作庭された庭園。
JUGEMテーマ:写真
 
 彦根城博物館、彦根の歴代藩主であった井伊家には、このことを物語る豊富な美術工芸品や古文書が伝えられてきました。 その数は約4万5千点にのぼり、武家を象徴する甲冑・刀剣をはじめ、能面・能装束、雅楽器、茶道具、調度品や書・絵画などあらゆる分野にわたっています。 加えて、彦根および彦根藩に関する資料も収集しています。(彦根城博物館リーフレットより)
 彦根城見学後、博物館にも立ち寄られることをお勧めします。 素晴らしいです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:19 | comments(0) | - |
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