質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< November 2014 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 大阪名所めぐり その14 大阪城天守閣からの眺望
    三橋栄香 (02/25)
  • 大阪名所めぐり その14 大阪城天守閣からの眺望
    大阪城 (02/25)
  • 東京名所めぐり 柴又界隈 その4 帝釈天 瑞龍松
    北脇健慈 (01/02)
  • 東京名所めぐり 柴又界隈 その4 帝釈天 瑞龍松
    柴又帝釈天 (01/02)
  • 青森の旅 その27 弘前市(7) 弘前公園(3) 東門、亀石
    上杉裕世 (12/10)
  • 青森の旅 その27 弘前市(7) 弘前公園(3) 東門、亀石
    弘前城 (12/10)
  • 三島・楽寿園 菊まつり 中尊寺金色堂
    田中もえぎ (11/06)
  • 青森の旅 その28 弘前市(8) 弘前公園(4) 弘前城 石垣修理
    多田裕計 (11/05)
  • 青森の旅 その28 弘前市(8) 弘前公園(4) 弘前城 石垣修理
    弘前城 (11/05)
  • 見てください!! 雄大な富士山です。
    大森政輔 (08/10)
LINKS
PROFILE
滋賀・長浜と彦根の旅 その45 玄宮園-2(彦根市)
玄宮園-1
国の名勝 「玄宮園」、美しい庭園をカメラのアングルを変えながら撮影。
玄宮園-2
玄宮園-3
写真中央上と池の水面に国宝・彦根城が入るビューポイント。
玄宮園-4
アップで彦根城天守を撮影。
玄宮園-5
ワイドで撮影した光景、彦根城天守を借景とした旧大名庭園。
玄宮園-6
玄宮園-7
橋のある玄宮園の光景。
玄宮園-8
玄宮園-9
松と石のある風景も見どころです。
JUGEMテーマ:写真

 滋賀県彦根市にある旧大名庭園。 国の特別史跡 「彦根城」 の区域、および隣接する楽々園とともに 「玄宮楽々園」 として国の名勝に指定されている。
 園内は中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝(唐時代)の離宮庭園を参考に、「瀟湘八景」 を 「近江八景」 に置き換えて作庭されたといわれる。 天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その44 玄宮園-1(彦根市)
玄宮園-1
これより 「楽々園」 に隣接する 「玄宮園(げんきゅうえん)」 へ
玄宮園-2
 玄宮園(名勝)
 城の北東にある旧大名庭園で、4代藩主直興が延宝5年(1677)から7年かけて造営した。 中国の宮廷に付属した庭園を 「玄宮」 と言ったことから命名されたと考えられる。 江戸時代初期の庭を現代に伝える名園である。
 大きな池に突き出すように建つ臨池閣、鳳翔台といった建物のほか、広大な池泉を中心に池中の島や入江に架かる9つの橋など、変化に富んだ回遊式庭園となっている。 花の香りに蝉しぐれ、紅葉、雪景色と、四季折々の風情を大名気分で味わえる。
玄宮園-3
広大な回遊式庭園 「玄宮園」。
玄宮園-4
美しい庭園をアングルを変えながら撮影。
玄宮園-5
玄宮園-6
どのアングルで撮影しても絵になる風景。
玄宮園-7
風情ある石灯籠のある風景。
玄宮園-8
橋越しに見る庭園の風景。
JUGEMテーマ:写真

 玄宮園は、隣接する 「楽々園」 とともに 「槻御殿;けやきごてん」 と呼ばれた彦根藩の下屋敷です。 槻御殿は、延宝5年(1677)、4代藩主井伊直興(なおおき)により造営が始まり、同7年に完成したと伝え、昭和26年には楽々園とともに 「玄宮楽々園」 として国の名勝に指定されています。 現在は、槻御殿の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称しています。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その43 楽々園(彦根市)
彦根城内堀-1
彦根城内堀-2
黒門橋から見る彦根城内堀。 ちなみに黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋。 現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっています。
彦根城内堀-3
内堀を優雅に泳ぐ白鳥。
楽々園-1
「楽々園;らくらくえん」 玄関。 大老、井伊直弼の生家。
楽々園-2
・・・・・・開国の英傑 井伊直弼も1815年10月29日に父直中の14男としてこの屋敷で生まれた。 と書かれています。
楽々園-3
現在、楽々園は老朽化のため保存整備事業実施中です。
楽々園-4
修理前の御書院棟。
楽々園-5
「御書院」 内部(御次之間から御上段を見る)。
楽々園-6
 槻御殿(けやきごてん)
 第4代藩主井伊直興が延宝5年(1677年)に着手し、同7年に完成したもので、下屋敷として築造され、木材は槻(jけやき)でその華麗さは各大名も驚嘆したものである。 大老井伊直弼は、文化12年(1815年)10月29日ここで生まれた。 これらの建物は数棟の東屋(あずまや)よりなり、今日に至るまでしばしば修理が加えられたが、往時のおもかげをとどめている。 第12代藩主直亮が文化年間(1804年〜1817年)に楽々之間を増築して以来、槻御殿という正式の名よりはむしろ楽々園の名のほうが有名になった。
 楽々園の名は、「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」 の意からとったといわれ、民の楽を楽しむという仁政の意をもっているともいわれている。
楽々園-7
楽々園-8
楽々園、枯山水庭園。 庭園の奥に 「玄宮園」 があります。
JUGEMテーマ:写真
 
 楽々園は、滋賀県彦根市にある歴史的建造物と庭園および遺構。 かっては、江戸時代初期(1677年)に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。
 「御書院」、「地震の間」、「楽々の間」、「雷の間」、「新東西の間」 や 「鳰の間」 など江戸時代後期の数奇屋建築が現存する。 江戸時代は 「槻御殿」 あるいは 「黒門外御屋敷」 と呼ばれており、明治時代以降に 「楽々の間」 から 「楽々園」 と呼ばれるようになったとされる。 御書院から望む庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水である。 戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていた。
 敷地は国の特別史跡 「彦根城跡」 の区域に含まれる。 また、隣接する大名庭園の玄宮園とともに 「玄宮楽々園」 として国の名勝に指定されている。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 22:56 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その42 彦根城・黒門山道(彦根市)
彦根城-1
これより本丸から黒門へ下ります。
彦根城-2
彦根城-3
黒門山道沿いに見る彦根城の景観。
彦根城-4
当時の石垣が残る山道。
彦根城-5
 井戸曲輪(いどくるわ)
 黒門から本丸へ向かう坂道の途中に設けられた小曲輪。 孤状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓(しおやぐら)が築かれ、周囲は瓦塀(かわらべい)が巡っていました。 塩櫓の近くには方形と円形の桝(ます)が現存しており、石組み溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。 曲輪の名も、この井戸に因(ちな)んで名づけられたのでしょう。 「塩」 と 「水」 は、籠城戦(ろうじょうせん)ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。 井戸曲輪は小さい曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。
 なお、この曲輪の上下の石垣は、高さが10mを越える高石垣となっています。 とくに下方の石垣は高さが19.4mあり、彦根城の石垣の中ではもっとも高く堅牢(けんろう)な構造となっています。
 右図は 『御城内御絵図』  に描かれた井戸曲輪の全容(赤丸は井戸の位置)
彦根城-6
「井戸曲輪」 掲示板附近の光景。
彦根城-7
黒門から本丸へ至る黒門山道(登城路)の仕切り石垣。
彦根城-8
歴史を感じる当時の石垣を見ながら黒門へ
彦根城-9
現在の 「黒門」。
彦根城-10
昔あった黒門櫓と橋
JUGEMテーマ:写真
 
 国宝・彦根城天守の撮影と見学を終え、4代藩主の直興が延宝5年(1677)に造営した 「玄宮園」 へ向かうため、黒門山道を下ります。 黒門山道(登城路)は麓から本丸へ向かう最短のルートです。 山道の途中には、「井戸曲輪」 や当時の石垣を見ることができます。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その41 彦根城・太鼓門櫓(彦根市)
時報鐘-1
時報鐘-2
 時報鐘(じほうしょう)及び聴鐘庵(ちょうしょうあん)
 この鐘は、12代藩主井伊直亮の弘化元年(1844年)に鋳造したもので、当初鐘の丸にあった鐘の音が城下の北の隅にどどかなかったので現在地に移した。 現在は午前6時、9時、正午、3時、6時と1日5回ついている。
 大老井伊直弼は禅の精神と相通ずる茶道にひかれ自らも 「宗観(むねみ)」 と号し、修行をつづけた。 大老の著 「茶の湯一会集」 に書かれている 「一期一会」 の茶道精神は有名である。 この精神をしのび、時報鐘の管理棟を改造した聴鐘庵で薄茶の接待をいたしております。

 残したい日本の音風景100選 ≪複合≫ 彦根城の時報鐘と虫の音
 虫の音色にあいまって時をうつ、白亜の名城の時の鐘
 12代藩主、井伊直亮の時代により音色の美しい鐘にするために小判を入れて造らせたと伝えられており、現在でも時代の移り変わりを音色で知らせる“時のオルゴール”として、城の係員によって朝6時から夕方6時までの3時間ごとにつかれている。
太鼓門櫓-1
この石段を登ったところに 「太鼓門櫓」 はあります。
太鼓門櫓-2
 太鼓門櫓(たいこもんやぐら)及び続櫓(つづきやぐら)(重要文化財) 桃山時代
 本丸の表口を固める櫓門。 築城時に他の城から当初に移築されてきた建物です。櫓門としては珍しく、その背面が開放されて高欄付の廊下となっています。
太鼓門櫓-3
太鼓門櫓附近の岩壁。
太鼓門櫓-4
重要文化財 彦根城 太鼓門櫓
太鼓門櫓-5
続櫓
太鼓門櫓-6
太鼓門櫓-7
太鼓門櫓の下。
太鼓門櫓-8
太鼓門櫓、背面が開放されている高欄付の廊下。
太鼓門櫓-9
太鼓門櫓の内部。
JUGEMテーマ:写真

 国宝・彦根城 太鼓門櫓(重要文化財) 登城合図用の太鼓を納めていたもの。 本丸への最後の関門、東側の壁面が無く、柱の間に高欄をつけて廊下にした構造は櫓には稀なつくりです。 別の城の城門を移築した建物です。 
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:55 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その40 彦根城の内部―3(彦根市)
彦根城-1
彦根城天守、展望室から瓦越しに見る琵琶湖の風景。
彦根城-2
破風の間の天井梁。
彦根城-3
 この引き違い板戸の中は千鳥破風の屋根裏を利用して一室が設けられ、ニ個の隠狭間が付けてあります。(説明文より)
彦根城-4
 破風の間
 彦根城天守は、規模は比較的小振りですが、屋根に多様な破風が設けられているのが特徴のひとつです。 これらの破風内には、破風の間という小部屋を設けているものがあります。 破風の間には鉄砲狭間(てっぽうざま)が切ってあり、防御のための小空間となりました。 破風の間は、その下屋根の軒近くまで突き出ているので、屋根面による死角が少なく、防御には有効でした。
 写真(上)天守の破風外観、写真(下)天守の破風の間(隠し部屋とも称される破風の間には、鉄砲狭間が切られている。)
彦根城-5
格子の窓から光が指し込む天守内部の光景。
彦根城-6
彦根城天守前広場、緑の葉を広げる古木。
彦根城-7
 着見台(つきみだい)(着見櫓跡)
 眺望の良い当地には、かって0.8m(5間)に10.6m(6間)の二階櫓があり着見台と称していました。 眼下の城門佐和口及び京橋口の看視(かんし;注意して見守る)に当たるとともに、遠く中山道から分岐して佐和山を越え、城下に入る切通道(彦根道)を望みました。 明治初年に櫓は取り壊され、今日では展望台として多くの人々の目を楽しませています。
彦根城-8
着見台から、眼下に彦根市街地を望む。
彦根城-9
 本丸跡
 天守の前には、御広間(おんひろま)や宝蔵(ほうぞう)・矢櫓・着見櫓などが築かれていたが、天守以外の建物は明治になって取り壊された。 御広間は、東西に長く南北約12m(6間)に東西約30m(15間)で、台所と局(つぼね)が付設されており、表御殿が山麓に営まれるまでの江戸時代初期は藩主の居館となっていた。
彦根城-10
彦根城案内地図
彦根城-11
彦根城-12
 天守台の牛蒡(ごぼう)積み石垣。
JUGEMテーマ:写真

 国宝・彦根城、天守を支える天守台の石垣の積み方が耳慣れない 「牛蒡積み」 。 牛蒡積みとは野面積み(自然石をそのまま積んだ石垣)の一種で、胴長の石を用い、短径面を前面に出す積み方。 各石の胴の長さ(控長)は面の長辺の3倍程度が通常。 その中に適当な力(ちから)石がはめ込まれています。 色々な種類の石垣を見るのも旅の楽しみのひとつです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:29 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その39 彦根城の内部―2(彦根市)
彦根城-1
彦根城-2
彦根城-3
太い部材で組まれている彦根城内部
彦根城-4
彦根城-5
彦根城-6
城内展示品、当時の瓦や金物が展示されています。
彦根城-7
展望室へ向かう急な階段を上ります。
彦根城-8
上から見る急な階段。
彦根城-9
時代を感じる板の間の展望室。
彦根城-10
彦根城 展望室から見る琵琶湖の風景。
彦根城-11
彦根城-12
展望室から見る彦根市街地。
JUGEMテーマ:写真

 彦根城は、JR彦根駅の西方、緑の小高い丘に白亜の天守を頂き、二重の堀に囲まれた城郭がほぼ昔のまま残り、姫路城などと天下の名城を競っています。 とくに月明かりに浮かぶ城は美しく、琵琶湖八景の一つに数えられているほどです。
 また、国宝・彦根城の展望室から見る風景も格別です。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:20 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その38 彦根城の内部―1(彦根市)
彦根城-1
天守閣入口より入り、城の内部を撮影します。
彦根城-2
彦根城-3
入口建屋の天井部分。
彦根城-4
 城内展示品 「火頭窓;かとうまど」
 鎌倉時代に禅宗建築として伝来した建築様式を禅宗様(唐様)という。中国の宋時代に行なわれていた様式をそのまま輸入した様式で、初めは禅宋建築のみに用いられていたが、やがて他の宗派の建築にも波及し、のちには、一般の寺院建築や城・住宅にも広く使われた。
 火頭窓には、花頭窓、火灯窓、火燈窓、架頭窓、華頭窓など、いくつかの字があてられるが、要するに上部が繰形(くりかた;えぐってあけた穴)をなす曲線から成る窓のことである。・・・・(説明文より)
彦根城-5
行き先表示に従って天守閣へ。
彦根城-6
城内展示品 「井伊直弼之像」。
彦根城-7
太い部材が使われている建屋内部。
彦根城-8
彦根城-9
 狭 間(さま)・・・広辞苑より 
城壁・櫓(やぐら)などに設けて、外をうかがい、また、矢・石・弾丸を放つための小窓。
彦根城-10
城内に掲示されている掲示板。
JUGEMテーマ:写真

 独特の美と意匠を誇る城郭建築の最高峰、国宝・彦根城。 大津城から移築されたといわれ、慶長9年(1604年)7月に工事を開始し、約20年の歳月をかけて築城され、元和8年(1622)に完成した建造物。 これより城の内部に入り撮影します。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その37 国宝 彦根城天守(彦根市)
彦根城天守-1
三重の天守がそびえる 「国宝 彦根城天守」。
彦根城天守-2
彦根市のマスコットキャラクター 「ひこにゃん」 と 彦根城天守。
彦根城天守-3
城内に立つ国宝の表示板。
彦根城天守-4
独特の美と意匠を誇る城郭建築の最高峰 彦根城。
彦根城天守-5
彦根城天守-6
アングルを変えて撮影、気品ある国宝天守。
JUGEMテーマ:写真

 いくつもの破風を巧みに組合せ、美しい曲線の調和を見せる天守。どっしりとした牛蒡積(ごぼうづみ)と呼ばれる石垣の上に、三重の天守がそびえています。 京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成しました。
 当時は18万石の時代で、規模はあまり大きくありませんが(高さ21m)、外観の美しさだけでなく、城本来の機能にも優れています。
 昭和27年(1952)に国宝に指定。 現存する国宝の天守は、彦根城以外には、姫路・松本・犬山城だけです。(国宝彦根城リーフレットより)
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その36 彦根城・天秤櫓(彦根市)
彦根城-1
案内板に従って彦根城入口へ
彦根城-2
彦根城-3
彦根城天守閣へ向かって、表門から坂道を登ります。
天秤櫓-1
天秤櫓-2
重要文化財の彦根城・天秤櫓(てんびんやぐら)。
天秤櫓-3
 天秤櫓(重要文化財)
 この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。 この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれている。 嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ西半分は落とし積みになっている。(掲示板より)
天秤櫓-4
重厚な造りの天秤櫓門をくぐります。
天秤櫓-5
当時の姿が残る、天秤櫓の内部。
天秤櫓-6
天秤櫓天井部の造り。
天秤櫓-7
 天秤櫓の壁(提示版より)
 天秤櫓の壁は、防火や防弾のために厚い土壁となっています。 土壁は、竹を縦横に組んだ竹小舞を骨組みとして藁縄(わらなわ)を絡め、それに荒壁、中塗り、白漆喰の順に塗り重ねています。 建物の外面は、柱などを土壁で完全に塗り込める 「大壁造り」、内面は柱を見せる 「真壁造り」 となっています。
 また、敵が攻め寄せる外側は、防弾の効果を高めるために壁を二重に造って一段と厚くしています。 その厚さは30cmを超えています。 このように厚くなっているのは、防弾が必要な壁面の中位より下であり、それより上方は通常の土壁としています。
JUGEMテーマ:写真

 彦根城は、初代藩主・井伊直政の嫡子・直継と直孝によって、約20年の歳月をかけて築城され、元和8年(1622)に完成したとされます。 大津城から移築された天守、長浜城の大手門を移築した天秤櫓に代表されるように、近郊にあった城郭から部材などを集めて創建された “リサイクル城” であったとか。 明治時代の廃城令や戦禍を免れてきたことから、当時の城郭の姿がほぼそのまま残り、天守は1952年に国宝に指定。 現存天守のある4城のひとつに数えられています。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(彦根) | 19:11 | comments(0) | - |
このページの先頭へ