質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
滋賀・長浜と彦根の旅 その24 JR木ノ本駅(長浜市)
JR長浜駅
JR長浜駅、これより4つ目の駅 「木ノ本駅」 へ向かいます。
湖北水鳥公園
 途中駅 「河毛駅」 のホームに立つ掲示板。 日本の夕陽百選 「湖北水鳥公園」。
 湖北水鳥公園は、当駅よりコミュニティバスで約20分。 220種2万羽近くの水鳥が確認でき、バードウオッチングが楽しめるところです。 また、水鳥公園からの夕陽は 「日本の夕陽百選」 にも選ばれており、鳥たちと夕陽が織り成す幻想的な風景に多くのカメラマンが訪れています。(HP観光情報サイトより)
JR木ノ本駅
長浜駅から約15分で  「JR木ノ本駅」 に到着。 木ノ本駅は長浜市木之本町にあるJR西日本北陸本線の駅。 開業明治15年(1882)。
佐吉くん
賤ケ岳七本槍の里 木之本へようこそ 「佐吉くん」 がお出迎え!
ふれあいステーションおかん
まず、駅にある 「ふれあいステーションおかん」 へ。
土産品
自家栽培野菜・手作りの品・地元観光お土産品などが販売されています。
黒田家ゆかりの地-1
店内では、黒田家発祥の地 ようこそ木之本へ 〜ゆかりの地 五市特産市開催中〜。
黒田家ゆかりの地-2
備前の国(岡山県瀬戸内市)
黒田家ゆかりの地-3
播磨の国(兵庫県姫路市)
黒田家ゆかりの地-4
近江の国(滋賀県長浜市)
黒田家ゆかりの地-5
筑前の国(福岡県福岡市)
黒田家ゆかりの地-6
豊前の国(大分県中津市)
JUGEMテーマ:写真

 今回の 「滋賀・長浜と彦根の旅」 は、 NHK大河ドラマ 「軍師 官兵衛」 に因み、滋賀県長浜市を訪れました。 長浜市木之本町は、「黒田家御廟所」 や 「賤ヶ岳古戦場」 があるところです。
 また、黒田家ゆかりの地大分県中津市は、作日9月28日 大河ドラマ 「軍師 官兵衛 跡を継ぐ者」 の中で 、中津城で長男・長政に家督を譲るシーンが放送されました。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その23 まち歩き-3(長浜市)
長浜タワー
長浜タワー 昭和39年(1964)に、地元の資産家が 「長浜にも東京タワーのような名物を」 という理由で建設。 ビルは5階建てで、その上部に 「長浜タワー」 の文字が入った鉄塔が立つ。 現在は1階部分に飲食店が入居している。  開業当時は5階部分が有料で展望台になっていたが現在は閉鎖。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
浄琳寺
 黒壁スクエア内に建つ、浄土真宗大谷派 「慈雲山 浄琳寺」。
 元浅井郡尊勝寺に在り本願寺蓮如に帰依して、真宗となる。
天正元年(1572年)9月、小谷城落城の後、この地に移される。 寛政10年(1798年)、権律師恵天の時、太鼓部屋を建て(表の建物)寺子屋を開いて子弟に教授する。 その徳を讃え門人が建てた碑が残る本尊は木造阿弥陀如来の立像にして安阿弥の作と伝う。 他に今浜時代の長因寺に伝わっていた阿弥陀如来の立像を安置する。
 尚、当寺院は観光には公開されてはいません。(案内板より)
お花きつね
 ながはま御坊表参道に立つ 「お花きつね」。
 むかしから、長浜御坊(長浜別院大通寺)の大広間の天井に、お花というキツネが住んでいると言われています。 ここには、梯子(はしご)がかけてあり、毎日この梯子を上って油揚げを供える人が、後を絶たないと言うことです。
時計
柱の掲示板
アーケードの柱に取り付けられた時計と掲示板。
札の辻本舗-1
北国街道・札の辻にあるガラスの工芸品や湖北の物産品の専門店 「札の辻本舗」。
江戸時代における情報発信のメディアであった高札。 かって主要道路であった北国街道と美濃谷汲道とが交差する交通の要衝であった 『札の辻』 は高札の掲示場でした。
札の辻本舗-2
札の辻本舗前に立つ掲示板 「金の草履」。
開知学校
旧開知学校の校舎 明治4年に開校された県下初の小学校(滋賀県第一小学校)。 校舎は明治7年(1874)に建設された木造3階建ての擬洋風建築。
JUGEMテーマ:写真
 
 豊臣秀吉が城の城下町として整備した長浜、城廃城後は大通寺の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展しました。 撮影は長浜市街地から長浜市木ノ本町へ移ります。 黒田観音寺や黒田家廟所を訪ねてきましたので見て下さい。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 20:11 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その22 まち歩き-2(長浜市)
成田美術館-1
 古い町並みが残る北国街道沿いにある現代建築の 「成田美術館」。
アール・デコスタイルの作家として知られる19世紀末から20世紀初めに活躍したフランス人ガラス工芸作家ルネ・ラリック(1860−1945)の作品を200点以上を所蔵、テーマごとに展示されています。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
成田美術館-2
成田美術館の美しい庭園。
馬つなぎ石-1
馬つなぎ石-2
「馬つなぎ石」 北国街道・長浜宿にある船問屋の玄関先にあります。 当時、旅人はこの石に馬をつないで荷積み、荷下ろしをしました。(湖心亭かわら版より)
明治ステーション通り
明治ステーション通り、長浜鉄道スクエアから市立図書館までの通り。
長浜浪漫ビール-1
長浜浪漫ビール-2
長浜浪漫ビール、江戸時代の米蔵を改造した地ビールレストラン。 タンク直注ぎで新鮮な地ビールと郷土食材を使った料理が美味!
舟板塀
絶好の撮影ポイント、舟板塀。 船の側板などを外壁として使用された家屋。
下舟町
 下舟町(しもふなまち;現 朝日町)
 天正年間〜明治12年までの町名。 豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 船持ちや船乗りが多く住んでいたことに由来する。 江戸期は瀬田村領年貢地。 元禄8年の家数34、人口190。 明治12年大安寺町と合併し南船町となる。
美しい花
家の玄関先に咲く美しい花に心が和みます。
月宮殿-1
月宮殿-2
 歴史的風致形成建造物・景観重要建造物 「月宮殿山蔵」
 長浜曳山祭り 長浜曳山祭りは、秀吉公が男子の出生を祝って町民に贈った金子をもとに、長浜八幡宮の祭礼に曳山を造ったのが始まりです。
 祭りの華は子供歌舞伎。 曳山の舞台で小さな男子が、浄瑠璃と三味線に合わせて見事な芸を披露します。
 当蔵に入っているのは月宮殿という曳山。 亭は雲上の楼閣と称され、12基の曳山のうち最も美しく、町衆の美意識の高さを感じさせます。
子供歌舞伎の像-1
子供歌舞伎の像-2
明治ステーション通りにある 「子供歌舞伎の像」。
昔のガス灯
明治のガス燈。 当時、最も斬新なデザインで、今見てもクラシカルな雰囲気が素敵な明治時代初めのガス燈がそのまま残っています。(湖心亭かわら版より)
JUGEMテーマ:写真

 ヤンマーミュージアム見学の帰り、北国街道沿いにある 「成田美術館」 で美しいガラス工芸を観賞、初めてみるルネ・ラリックの気品ある優雅な作品に感動しました。
 北国街道と交差する明治ステーション通りは、舟板塀、昔のガス灯などレトロな文化を感じさせる情緒あふれる通りです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:10 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その21 まち歩き-1(長浜市)
祝町通りアーケード
長浜 壱番街祝町通りアーケード。
万華鏡-1
アーケード内に案内の垂れ幕 「日本一 高さ8Mの巨大万華鏡」。
万華鏡-2
案内に従って、巨大万華鏡へ
万華鏡-3
万華鏡-4
日本一 高さ8Mの巨大万華鏡。手動のハンドルを回します。
万華鏡-5
万華鏡-6
頭上の模様が変化する、正に万華鏡。 話のタネになる万華鏡です。
うだつ-1
小屋根をつけた 「うだつ」。
うだつ-2
 北国街道 武者隠れ道 ここから 『うだつ』 がよく見える 漢字で書くと 「梲」。
 「うだつが上らない」 とはよく使われる言葉だが 「うだつ」 とはもともと建築用語で日本家屋の屋根の両端を一段と高く上げ小屋根をつけた土壁を意味します。「うだつ」 は防火や装飾などの目的で造られ、金持ちの家に限られたことから景気や威勢の良い例として 「うだつ」 が上ると言われます。
 「うだつ」 が始めて造られたのは室町時代、応仁の乱後、荒廃した京都に景気を取り戻したい一心で、民家が考案 「うだつ」を上げた。 その後徳川時代の町人文化に受けつがれ各地に拡大され現存している 「うだつ」 は冨の象徴でなく、日本史に登場する民家の自立自主の現れです。
長浜の名水-1
長浜の名水-2
 長浜の名水 由来記
 この水は霊峰伊吹山系石灰岩の地層深く浸透し太古より清冽な水を湛える巨大な地底湖に水源をなす地下数百尺の伏流水の湧き水で、極めて高品位の水質、言い知れぬ天然水の旨味で長浜の名水と言われています。
 伊吹山の降雨は石灰岩層を浸潤し姉川などを流れて琵琶湖に注がれるが、石灰岩層を通ることで近時話題の酸性雨による公害を中和していることが琵琶湖環境問題研究所の調査で知られています。 この様に炭酸カルシュウムを多量に含みアルカリ性のため、飲料水としても最適で、食品加工にも使用され素材の持つ風味も充分生かされて居ります。
 この素晴らしい天然水を充分に味わってみて下さい。 お持ち帰り自由です。
もち焼せんべい-1
北国街道沿いにある、こだわりのおかき販売処 「寺子屋本舗 長浜店」。 笑顔が素敵な店員さん。 撮影協力ありがとうございました。
もち焼せんべい-2
この店の、昔づくり もち焼せんべい が美味です。 食べ歩きに最高です。
手作りがまぐち
手作りがまぐち 櫻日和、絵になる光景です。
長浜まちの駅-1
大手町通りアーケード内にある、地産地消の店舗 「長浜まちの駅」。
長浜まちの駅-2
まちの駅天井のステンドグラスがきれいです。
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 「長浜のまち歩きMAP」 を片手に持ち、長浜観光スポットをつぶさに撮影してきました。 人気ランキングベスト10はもちろんのことですが、それ以外に目につく光景をカメラに収めてきました。 日本一を謳う 巨大万華鏡もその一つです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:41 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その20 ヤンマーミュージアム(長浜市)
ヤンマーミュージアム-1
2013年3月21日長浜市三和町にオープンした 「ヤンマーミュージアム」。
ヤンマーミュージアム-2
ヤンマーミュージアム-3
建物の前に建つ石碑。
ヤンマーミュージアム-4
 美しき世界は感謝の心から
 「人生というものは、運、不運に左右されることも大きかろうが、それでも誠実さと感謝の心を失わないで努力しておれば、よき協力者を得て途(みち)も開け、人から感謝もされて、美しい世界がおのずから展開してくるのではないだろうか」
 貧しい農家に生まれた山岡孫吉(やまおかまごきち)は、多くの困難に打ち勝ってヤンマーを創業し、燃えるような情熱とたゆみない努力によって、世界的なエンジンメーカーに育て上げました。 晩年、その道のりを振り返り、孫吉翁が語った言葉です。 ヤンマーでは、今もこの言葉を 「創業者の精神」 として社員ひとりひとりが大切にしています。     Grateful to Serve for a Better World
ヤンマーミュージアム-5
ヤンマー創業者 山岡孫吉翁胸像
ヤンマーミュージアム-6
 世界初の小型横型水冷ディーゼルエンジン 「HB型」。
 このエンジンは、ヤンマーが世界で初めて小型実用化に成功した世界初の小型横型水冷ディーゼルエンジンです。
 山岡孫吉は、資源の乏しい日本において、燃料消費量が少ない耐久性に優れたディーゼルエンジンの小型実用化に取り組み、1933年(昭和8年)12月23日に世界で初めて開発に成功しました。当時、まだまだ大型で扱いの難しかったディーゼルエンジンを人力で運べるまで小型軽量化し、始動も容易な構造としたことで、農業の籾摺り機駆動用や、かんがい用ポンプ駆動源などに幅広く普及が進みました。
  2012年 国立科学博物館 「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」 に登録
ヤンマーミュージアム-7
これより展示室を見学、天気予報でおなじみの 「ヤン坊とマー坊」。
ヤンマーミュージアム-8
人にやさしく、環境にやさしい 「トラクター」。
ヤンマーミュージアム-9
ヤンマーミュージアム-10
「ハンドドーザ」 分かり易い説明が掲示されています。
ヤンマーミュージアム-11
ヤンマーの歴史が学べます。
ヤンマーミュージアム-12
船舶用エンジン。
ヤンマーミュージアム-13
館内では試乗体験もできます。
ヤンマーミュージアム-14
 エントランスに展示されている 「世界初のディーゼルエンジン」。
 このエンジンは、ルドルフ・ディーゼル博士によって発明され、1899(明治32)年にドイツのMAN社より実用製品化された世界最古のディーゼルエンジンです。
 販売後、38年間いろいろな産業の動力として用いられた後、MAN社で保存・展示されていましたが、1957(昭和32)年、ヤンマーの創業者 山岡孫吉に贈られました。 ルドルフ・ディーゼル博士の精神を引き継ぎ、ディーゼルエンジンの小型化に成功し、その普及に貢献した山岡孫吉の功績を讃えて贈られました。
 ヤンマーは寄贈されてまもなくこの貴重なエンジンの複製を作成、2013(平成25)年、ヤンマーミュージアムのシンボルとして再整備しました。(掲示板より)
ヤンマーミュージアム-15
ヤンマーミュージアム受付カウンター。 撮影協力ありがとうございました。
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 JR長浜駅から徒歩約10分のところにある 「ヤンマーミュージアム」 は、子どもから大人まで楽しめる体験型ミュージアムです。ヤンマーの歴史や創業者 山岡孫吉の足跡、ものづくりの仕組みなどを豊富な展示や映像、シュミレーターなどを通して体験学習できます。 本物のシャベルカーの運転体験もできます。 お勧めの学べるスポットです。 ここでも 「長浜浪漫パスポート」 が使えます
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:46 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その19 長浜アートセンター(長浜市)
長浜アートセンター-1
長浜アートセンター-2
2013年7月にオープンした 「長浜アートセンター」。
長浜アートセンター-3
現在 「 愛のヴィクトリアン ジェエリー展 Part2」 開催中。 9月23日まで。
長浜浪漫パスポート
「長浜浪漫パスポート」 当館でも販売しています。
長浜アートセンター-4
入口置かれているオブジェ。
長浜アートセンター-5
二階の展示会場。
長浜アートセンター-6
中央に展示されている作品。 「若き日のヴィクトリア女王」 1842年頃 イギリス 
成婚まもないヴィクトリア女王を描いた作品です。
長浜アートセンター-7
レンズ越しに見る 「ローマンモザイク&ゴールドブローチ」 
19世紀中期 イタリア 鳥を追っている犬のモチーフ。
長浜アートセンター-8
「ローマンモザイク&ゴールドブレスレット(ペア)」 19世紀中期 イタリア。
長浜アートセンター-9
「ガーネット&ダイヤモンド ゴールドセット」 1840年頃 フランス。
長浜アートセンター-10
MUSEUM SHOP 素敵なミュージアムグッズを展示販売しています。
JUGEMテーマ:写真
 
 黒壁30号館 長浜アートセンターは、黒壁スクエアに近接する北国街道沿いに2013年7月に誕生しました。 現在、「愛のヴィクトリアン ジュエリー展 Part2」 が開催中です。 女性には必見の観光スポットです。
 なお、長浜観光には 「長浜浪漫パスポート」 がお得です。 1000円で長浜の観光施設16施設の内5施設に入館できます。 それに+「特典・割引があるお店」 にて割引、粗品の提供があります。 有効期間は平成26年(2014)12月28日(日)まで。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その18 妙法寺(長浜市)
妙法寺-1
妙法寺(みょうほうじ) 仮堂
妙法寺-2
境内に建つ 「豊臣秀勝公廟」
妙法寺-3
妙法寺-4
 羽柴秀勝公と妙法寺
 妙法寺は羽柴(豊臣)秀吉公の命によって、浅井氏の小谷城下から移転した日蓮宗の寺院です。 天正4年(1576)10月14日、秀吉公の長男 「羽柴秀勝公」が亡くなり、この寺に葬られたといわれています。
 寺には童子像(写真1)が伝来していますが、昭和27年に焼失しました。 また、旧境内地の東奥(現在は飛び地)に鞘堂(さやどう)に、墓石(写真2)が安置されていましたが、平成14年秋に本堂前に移転されました。
 平成15年度、長浜市教育委員会は 「市制60周年記念事業」 として、墓石移転後の学術調査を行いました。 その結果、墓石が安置されていた場所から約2.5メートル南で、塚墓(写真3、石囲いの埋葬施設)が発見され、形状から安土桃山時代の大名一族の墓であることが分かりました。 また、墓石も彩色をほどこされた 「題目式笠塔婆」 であることが分かりました。 その結果を受け、塚墓と墓石は、平成16年4月に長浜市指定文化財となりました。
 この学術調査によって、長浜城主時代、秀吉公の長男に相当する人物が実在したことが確認されました。
     写真1(左);伝 羽柴秀勝公画像 旧妙法寺蔵(昭和27年焼失)
     写真2(中);墓石(題目式笠塔婆)
     写真3(右);平成15年度に学術調査された塚墓(石囲いの埋葬施設)
妙法寺-5
境内にある 「妙法こだま霊園」
妙法寺-6
境内には、奉納祈願と長浜曳山祭り・羽柴秀勝公に因み 「曳山型」 新本堂の建立に浄財支援をお願いする掲示板が掲げられています。
JUGEMテーマ:写真

 妙法寺は、長浜市大宮にある日蓮宗のお寺です。 天正4年10月14日に長浜城で夭折(ようせつ;年若くして死ぬこと)した秀吉公最初の嫡男秀勝公の菩提寺です。

 秀勝は、羽柴秀吉が長浜領主時代に授かった子供といわれています。
生母は秀吉の側室南殿であるとされることが多い。 所在を長らく疑問視されていましたが、近江長浜の妙法寺や宝厳寺での調査により、実在説が現在は主流です。(HPニコニコ大百科より) 
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 20:16 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その17 知善院(長浜市)
知善院-1
 知善院(ちぜんいん)表門 市指定文化財
 桃山時代の建造で、もと長浜城の搦手門(からめてもん;裏門)であったものをここに移築されたものといわれている。 用材の太いこと、本扉の太い格子造りなど城門らしいところがある。(掲示板より)
知善院-2
「知善院」 山号 宝生山 天台宗真盛派(てんだいしゅうしんせいは)の寺。
知善院-3
知善院の文化財
 国・重要文化財 木造十一面観音座像 一軀  鎌倉時代
観音堂に安置され、寄木造、玉眼を嵌入(かんにゅう)した彩色の像。鎌倉時代の十一面観音は、立像が多い中に、この仏像は、座像であることが異色である。
 市指定文化財 知善院表門
 市指定文化財 淀殿浅井氏(淀君)自筆消息 一幅 桃山時代
 市指定文化財 知善院宛豊臣秀吉朱印状   一幅 桃山時代
知善院-4
 知善院の門前町 知善院町(ちぜんいんちょう)
 江戸時代の長浜を構成した五十二町の一つ。
 北中町と東北町の境界から北に向かう両側町である。 羽柴(豊臣)秀吉公が長浜城下町造成にあたり、東北の鬼門守護として、小谷城内から移した知善院が所在した。 その表門は、長浜城の旧搦手門といわれる。 元禄8年(1695)の記録では、家数29軒、男50人、女62人が居住していた。
知善院-5
知善院は六瓢箪(むびょうたん)霊場の一つ。
昔から瓢箪六つで  『むびょうたん』 ―無病― に通じ多くの人に親しまれています。
知善院-6
知善院・鐘楼
知善院-7
知善院・本堂 本堂には阿弥陀三尊像が安置され、その左手には大坂城落城の時に持ち出された、秀吉公の木像が安置されています。
知善院-8
知善院・観音堂 観音堂の十一面観音座像は、寄木造に彩色を施した高さ約60cmの木造で、運慶作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。
知善院-9
 秀吉公と知善院
 天台真盛宗の寺院である知善院は、長浜城下町を造成していた豊臣秀吉公によって、小谷城下から現在地に移設されました。 秀吉公の生前から保護を与えられ、天正4年(1576)10月22日には寺領30石の寄進を受け、これが江戸時代を通じて朱印地として存続しています。 また、江戸初期から、大坂城にあったという秀吉公の像を安置し、長浜の秀吉公への信仰の核となってきた寺院です。
 元禄15年(1702)に完成した観音堂は、秀吉公による年貢免除地(朱印地)設定を感謝する町民により結ばれた 「地子(じし)報恩講」 によって建立されています。 さらに、堂内には 「神になった秀吉」 を表す 「豊国大明神」 と記された軸が掛けられていました。 その後も、延享4年(1747)8月には秀吉公150回忌を、寛政7年(1795)8月には200回忌を、弘化4年(1847)には250回忌を、それぞれこの知善院で行っています。 現代に至っても、昭和6年(1931)6月17・18日の両日、秀吉公350回忌が執り行われるなど、長浜における秀吉公への信仰の核となっていることには変わりありません。
  写真(左);「豊国大明神」 神号 豊臣秀頼書 知善院蔵
  写真(右);長浜城下町の推定復元図
JUGEMテーマ:写真
 
 長浜市元浜町にある知善院、天台宗真盛派のお寺で、元小谷城下にあったものを秀吉公がこの地に移したものと伝えられています。 六瓢箪霊場の一つです。 残念ながら今回は、事前調査不足で、重文の観音像、阿弥陀三尊像、秀吉公の木像は拝観出来ませんでした。 建造物の外観のみの撮影です。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:00 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その16 北国街道 安藤家屋敷
安藤家-1
北国街道沿いに建つ 「安藤家屋敷」。
安藤家-2
安藤家は、江戸期には長浜十人衆の中から選ばれる三年寄りの一家として、長浜町の発展に力を尽くし活躍しました。
安藤家-3
安藤家-4
 北国街道 安藤家 〜2人の才能に彩られた建築美〜
 ようこそ、北国街道 安藤家へ
 当安藤家は、明治38年(1905)に建てられました。 虫籠(むしこ)窓、紅殻(べんがら)格子などが施されたしつらいは、長浜を代表する近代和風建築となっています。 また、当家は北大路魯山人が手掛けた装飾美でも知られています。 安藤家創業の百貨店で使われた、九尺の一枚板に彫られた篆刻(てんこく)看板もその一つ。 魯山人は中国で篆刻や書を学び、当時、福田大観と名乗って、長浜を拠点に作品を制作していました。 当家離れの “小蘭(しょうらん)亭” に残る天井絵・篆刻額・篆刻扉・襖・障子・地袋も彼の手によるもので、中国風に造られているのが特色。 今も残る作品群を通じて魯山人の大胆かつ精緻な芸術性に触れていただくことができます。 その意味でも貴重な建築文化と言えるでしょう。
 当安藤家のもう一つの見どころが庭園です。 “古翆(こすい)園” と名付けられた庭園は、長浜で多くの庭園を手がけた庭師・布施宇吉(植宇)によるもの。 巨石をあしらった池泉(ちせん)回遊式庭園で、四季折々の風情をお楽しみいただけます。 北大路魯山人と布施宇吉。 ふたりの才能に彩られた当安藤家を、どうぞじっくりとご覧ください。
安藤家-5
 秀吉公と安藤家
 安藤家の祖は藤原姓を名乗り、室町時代に伊予国からこの地に移り住んだと伝えれれています。
賎ヶ岳合戦(1583)では、秀吉に協力しました。
 当時、秀吉は織田信長から浅井領を拝領した際に、今浜と呼ばれていたこの地を信長の名にちなんで長浜に改称し、長浜城を築いていました。 秀吉は長浜城下において、楽市楽座に代表される商業優先政策を実施。 また、賎ヶ岳の合戦で大きな功績のあった者の中から“十人衆”を選び、長浜の自治を委ねます。 安藤家は十人衆の一家として、町衆文化の一翼を担いました。
安藤家-6
 刻書看板 「呉服」
 安藤家第12代・安藤興惣次郎は父祖の家業を継ぎ、福島市で明治中期以降中村合名会社呉服店(現在の百貨店・株式会社中合)を経営していた。 この看板は、かねて親交のあった北大路魯山人に製作を依頼したもので、1922年(大正11)に完成し、店頭に掲額された。 魯山人40歳の作で、縦96センチ、横417センチ、厚さ9センチの巨大な欅(ケヤキ)一枚板を使用し、雄渾華麗な筆致による力強い刻字は見事である。 さらに 「呉」 は亀を 「服」 は鶴を形象し、社業永遠の発展を象徴するものと伝えられている。 魯山人の最高傑作と称えられている。
安藤家-7
 刻書看板 「清閑」 大正5年(1916)北大路魯山人作。 小蘭亭から見えるよう、当家西側の庇の上に掲額されていた。
安藤家-8
安藤家の離れ、魯山人により 「小蘭亭」 と名付けられた。
安藤家-9
離れへの渡り廊下、これより先は立入禁止です。
安藤家-10
 小蘭亭・入口の襖
 離れの襖を閉めると、襖二枚に赤色で丸く大きく描かれた中国の雷文様が現れます。 中央を円形にくりぬき格子状にする斬新な発想からも、魯山人の美意識の一端に触れることができるでしょう。襖の把手(はしゅ)に篆刻(てんこく)された 「蘭亭曲水の序」 の一説にちなんだ文字も彼の作品です。
安藤家-11
 小蘭亭・天井絵
 小蘭亭の天井には杉の一枚板が使われています。 表面には淡いグリーンを基調とした杉綾模様が施され、中心には「寿」の文字が青色でシンボリックにデザイン、美しいコントラストも見どころです。 杉板を支える虎竹も空間のアクセントとなっています。
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10年の歳月をかけて完成した池泉回遊式庭園 「古翆園」。
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二階より眺望する 「古翆園」。 びわ湖の水 「湖水」 にかけて名付けられた庭園は、春にはつつじ、秋には紅葉が彩られます。
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 長浜市元浜町 北国街道沿いにある安藤家、明治38年から大正4年にかけて建てられました。 虫籠窓、紅殻格子などが施された長浜を代表する近代和風建築となっています。 北大路魯山人により名付けられた 「小蘭亭」、魯山人作の篆刻看板、10年の歳月をかけて完成した庭園 「古翆園」 など、見どころの多いお勧めの観光スポットです。
| 滋賀・長浜と彦根の旅(長浜) | 19:35 | comments(0) | - |
滋賀・長浜と彦根の旅 その15 舎那院(長浜市)
舎那院-1
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長浜市宮前町にある真言宗豊山派のお寺 「舎那院(しゃないん)」。
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「舎那院」 は、近江ながはま六瓢箪(むびょうたん)霊場の一つです。
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境内に咲く美しいアジサイの花。
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静寂が漂う境内に建つ 「舎那院 本堂」。
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江戸初期建立の本堂。
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本堂の左右両面に使われている扉は、旧国会議事堂から移設されたもの。
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 本堂安置佛像名
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 当舎那院は、弘仁5年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、この本堂は文化7年(1810年)の落慶まで57年の長年月を費している。 7間4面総欅(けやき)造り。
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荘厳な本堂内部。
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 護摩堂(不動堂) 県指定文化財 
 簡素な中にもゆるやかな軒反りの屋根が美しく室町時代の建築様式を示し、中世の遺構の少ない護摩堂として貴重な古建築である。(軒下の掲示板より)
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滋賀県指定有形文化財 舎那院護摩堂
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 勝軍山 舎那院 長浜八幡宮の東隣にあり、元は八幡宮の神宮寺。 長浜城主だった秀吉公の厚い保護を受けました。 境内には 8月上旬から9月上旬にかけて、ピンクや白色の約300株の芙蓉(ふよう)の花が咲き誇ります。 9月には酔芙蓉が咲きますが、これは朝は白色ですが時間の経過とともに赤みを帯び、お酒で顔が赤くなる様に似ていることから名付けられています。( HP観光情報サイトより)

 撮影が7月7日のため、芙蓉の花は咲いていませんでしたが、境内には雨に濡れた美しいアジサイの花が咲いていました。 満開の芙蓉の花を撮影したいものです。
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