北国街道沿いに建つ 「安藤家屋敷」。
安藤家は、江戸期には長浜十人衆の中から選ばれる三年寄りの一家として、長浜町の発展に力を尽くし活躍しました。
北国街道 安藤家 〜2人の才能に彩られた建築美〜
ようこそ、北国街道 安藤家へ
当安藤家は、明治38年(1905)に建てられました。 虫籠(むしこ)窓、紅殻(べんがら)格子などが施されたしつらいは、長浜を代表する近代和風建築となっています。 また、当家は北大路魯山人が手掛けた装飾美でも知られています。 安藤家創業の百貨店で使われた、九尺の一枚板に彫られた篆刻(てんこく)看板もその一つ。 魯山人は中国で篆刻や書を学び、当時、福田大観と名乗って、長浜を拠点に作品を制作していました。 当家離れの “小蘭(しょうらん)亭” に残る天井絵・篆刻額・篆刻扉・襖・障子・地袋も彼の手によるもので、中国風に造られているのが特色。 今も残る作品群を通じて魯山人の大胆かつ精緻な芸術性に触れていただくことができます。 その意味でも貴重な建築文化と言えるでしょう。
当安藤家のもう一つの見どころが庭園です。 “古翆(こすい)園” と名付けられた庭園は、長浜で多くの庭園を手がけた庭師・布施宇吉(植宇)によるもの。 巨石をあしらった池泉(ちせん)回遊式庭園で、四季折々の風情をお楽しみいただけます。 北大路魯山人と布施宇吉。 ふたりの才能に彩られた当安藤家を、どうぞじっくりとご覧ください。
秀吉公と安藤家
安藤家の祖は藤原姓を名乗り、室町時代に伊予国からこの地に移り住んだと伝えれれています。
賎ヶ岳合戦(1583)では、秀吉に協力しました。
当時、秀吉は織田信長から浅井領を拝領した際に、今浜と呼ばれていたこの地を信長の名にちなんで長浜に改称し、長浜城を築いていました。 秀吉は長浜城下において、楽市楽座に代表される商業優先政策を実施。 また、賎ヶ岳の合戦で大きな功績のあった者の中から“十人衆”を選び、長浜の自治を委ねます。 安藤家は十人衆の一家として、町衆文化の一翼を担いました。
刻書看板 「呉服」
安藤家第12代・安藤興惣次郎は父祖の家業を継ぎ、福島市で明治中期以降中村合名会社呉服店(現在の百貨店・株式会社中合)を経営していた。 この看板は、かねて親交のあった北大路魯山人に製作を依頼したもので、1922年(大正11)に完成し、店頭に掲額された。 魯山人40歳の作で、縦96センチ、横417センチ、厚さ9センチの巨大な欅(ケヤキ)一枚板を使用し、雄渾華麗な筆致による力強い刻字は見事である。 さらに 「呉」 は亀を 「服」 は鶴を形象し、社業永遠の発展を象徴するものと伝えられている。 魯山人の最高傑作と称えられている。
刻書看板 「清閑」 大正5年(1916)北大路魯山人作。 小蘭亭から見えるよう、当家西側の庇の上に掲額されていた。
安藤家の離れ、魯山人により 「小蘭亭」 と名付けられた。
離れへの渡り廊下、これより先は立入禁止です。
小蘭亭・入口の襖
離れの襖を閉めると、襖二枚に赤色で丸く大きく描かれた中国の雷文様が現れます。 中央を円形にくりぬき格子状にする斬新な発想からも、魯山人の美意識の一端に触れることができるでしょう。襖の把手(はしゅ)に篆刻(てんこく)された 「蘭亭曲水の序」 の一説にちなんだ文字も彼の作品です。
小蘭亭・天井絵
小蘭亭の天井には杉の一枚板が使われています。 表面には淡いグリーンを基調とした杉綾模様が施され、中心には「寿」の文字が青色でシンボリックにデザイン、美しいコントラストも見どころです。 杉板を支える虎竹も空間のアクセントとなっています。
10年の歳月をかけて完成した池泉回遊式庭園 「古翆園」。
二階より眺望する 「古翆園」。 びわ湖の水 「湖水」 にかけて名付けられた庭園は、春にはつつじ、秋には紅葉が彩られます。
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写真 長浜市元浜町 北国街道沿いにある安藤家、明治38年から大正4年にかけて建てられました。 虫籠窓、紅殻格子などが施された長浜を代表する近代和風建築となっています。 北大路魯山人により名付けられた 「小蘭亭」、魯山人作の篆刻看板、10年の歳月をかけて完成した庭園 「古翆園」 など、見どころの多いお勧めの観光スポットです。