2001年に鶴ヶ城の修復に合せて、城郭風に改装された 「JR 会津若松駅」。
駅の改札口
駅構内にある観光案内所
会津若松駅の駅名由来
「会津」 という地名は、大川、只見川、日橋川など、幾筋もの大河が合流する地点という意味で名付けられたといわれています。
この地は、鎌倉時代初期から室町時代末期まで芦名(あしな)氏が統治していました。 戦国期、伊達政宗が芦名氏を滅ぼし、続いて近江出身の名族・蒲生氏郷(がもううじさと)が会津入りしました。 蒲生氏は、会津鶴ヶ城を大改造し、さらに城下を今日の姿に整備したほか、近江から酒造や漆器の技術者を呼び寄せ産業・文化を振興させ、今日の会津若松の骨格を築き上げたといわれています。
芦名時代 「黒川」 と呼ばれた町は、蒲生氏の郷里・近江国日野の杜にちなみ 「若松」 と改められ、その後、蒲生氏滅亡のあと保科・松平氏が幕末まで23万石を治めました。
この地名の由来を受けて、明治32年(1899)7月15日、岩越鉄道(現在の磐越西線)が当地に開通した時、会津若松駅が開業しました。
駅前に置かれている大きな 「赤べこ」。
「赤べこ」 の由来
1611年の会津を襲った大地震により、柳津町の「圓蔵寺;えんぞうじ」 が崩壊したため、会津藩主蒲生秀行の夫人振姫(徳川家康の三女)の寄進により、現在の地岩山の上に再建することとした。
しかし、巌上での建造のため大材を運び上げることが出来ず困っていたところ、副住職の宝海上人が 「赤べこ」 の大絵馬をご本尊虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の前に供え7日7晩祈祷を続けたところ、満願の日に 「赤べこ」 が絵馬から抜け出し裏山に消えた。 その夜明けに 「赤べこ」 は、赤毛の牛の大群を連れて現れ、ほかの牛と力を合せて大材を運び上げることとなり、みごとに虚空蔵堂を建てることができた。
完成間近になった頃、いつの間にか 「赤べこ」 の群れは裏山に姿を消し、絵馬の 「赤べこ」 も元の絵馬に収まっていたとのことである。 残念ながらこの絵馬は、1818年の本堂の火災によって焼失してしまった。
以後、「赤べこ」 は今に伝わり、赤色は魔除けの色といわれて福牛とされ、会津の観光キャラクターとなっている。
C57形蒸気機関車の動輪
この動輪は、C57形蒸気機関車に実際に使用されていたものです。スマートで華麗な姿をしていることから 「貴婦人(きふじん)」 の愛称で親しまれています。
現在、新潟駅〜会津若松駅で運転されている 「ばんえつ物語号」 などの機関車として活躍しています。
会津若松駅をバックに鶴ヶ城を見つめる 「白虎隊士の像」。
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写真 平成25年(2013)に放送されましたNHK大河ドラマ 「八重の桜」 の主人公 「新島八重」 ゆかりの地、「会津若松」 を2013年10月19日〜21日の3日間撮影してきました。 新島八重が22歳まで過ごし、京都に移ってからも度々帰郷した会津若松には八重ゆかりの場所もいくつかあります。 放送は終ってしまいましたが、見どころいっぱいの会津若松を写真展示しますので見て下さい。