質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2013 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 大阪名所めぐり その14 大阪城天守閣からの眺望
    三橋栄香 (02/25)
  • 大阪名所めぐり その14 大阪城天守閣からの眺望
    大阪城 (02/25)
  • 東京名所めぐり 柴又界隈 その4 帝釈天 瑞龍松
    北脇健慈 (01/02)
  • 東京名所めぐり 柴又界隈 その4 帝釈天 瑞龍松
    柴又帝釈天 (01/02)
  • 青森の旅 その27 弘前市(7) 弘前公園(3) 東門、亀石
    上杉裕世 (12/10)
  • 青森の旅 その27 弘前市(7) 弘前公園(3) 東門、亀石
    弘前城 (12/10)
  • 三島・楽寿園 菊まつり 中尊寺金色堂
    田中もえぎ (11/06)
  • 青森の旅 その28 弘前市(8) 弘前公園(4) 弘前城 石垣修理
    多田裕計 (11/05)
  • 青森の旅 その28 弘前市(8) 弘前公園(4) 弘前城 石垣修理
    弘前城 (11/05)
  • 見てください!! 雄大な富士山です。
    大森政輔 (08/10)
LINKS
PROFILE
九州・大分の旅 その60 臼杵市・臼杵石仏(10) ヤマコ臼杵美術博物館
ヤマコ臼杵美術博物館-1
ヤマコ臼杵美術博物館-2
石仏観覧券発売所の近くにある 「ヤマコ臼杵美術博物館」。
家紋入り桐紋蒔絵鞍
家紋入りの桐紋蒔絵鞍(きりもんまきえくら)
稲葉家の紋
 稲葉家の紋
 稲葉氏の家紋は<角切折敷三文字>(すみきりおしきさんもじ)といいます。 折敷は神へのお供えをのせる台です。 三文字は、伊予大三島の大山衹神社(大三島神社)の<三>といわれていますが、この神社は越智一族の氏神で軍神とされています。
 稲葉一鉄の祖父・河野通貞(こうのみちさだ)は越智氏の支族です。 このように、折敷に三文字をのせて戦勝と一族の繁栄を祈願したものと思われます。 槌(つち)は替紋(かえもん)です。
黒漆塗十八間筋兜
黒漆塗十八間筋兜(くろうるしぬりじゅうはちけんすじかぶと)
十八筋の伊多羅貝(いだらがい)の前立て。 末広がりの形は幸運を願ったもの。
貝合せ-1
貝合せ-2
 貝合せ
 もともとは平安貴族の遊びで、きれいな貝や珍しい貝を集め、それに絵を描き、ふさわしい歌を詠んでいました。 ゲームとしてはトランプの神経衰弱に似た遊び方が知られています。 蛤貝(はまぐりかい)の身と蓋を地貝と出し貝に分け、地貝をふせて円形に層を作って並べます。 その中央に出し貝を置き、もとの一対をさがします。 当館収蔵の貝合せは蛤貝に全く同じ絵柄を金銀で描き分けています。
 また一対の蛤貝は他とは合わぬところから、貝合せはただの遊び道具ではなく、女性の貞節を、あるいは家同士の婚礼を象徴する意味が付けられていました。 それは婚礼の際に貝を収めた貝桶が作法と儀式にのっとって扱われたことからもうかがえます。 花嫁が嫁ぎ先の屋敷に輿入れるよりも先に、まずこの貝桶の受け渡しがその任にふさわしい人物の手で行われました。(説明文より)
化粧道具
化粧道具
秋草模様蒔絵角盥・楾
秋草模様蒔絵角盥・楾(あきくさもようまきえつのだらい・はぞう)
野点道具・風炉
野点道具・風炉(のだてどうぐ・ふろ) 茶釜とセットになっています。
行器
行器(ほかい) 弁当を入れて運ぶ器。 野外では腰掛として使用します。
JUGEMテーマ:写真

 臼杵と稲葉家
 ゆかしい歴史と文化の城下町臼杵は、キリシタン大名大友宗麟が永禄5年(1562)頃、丹生島(現臼杵公園)に築城したことに始まります。 慶長5年(1600)には美濃から稲葉氏が入城、以来幕末まで15代にわたり臼杵藩5万余石を治めました。 館内には、往昔の城中を物語る藩主の馬具や文具などの道具、輿入れの際の豪華な嫁入り道具など多彩な文化財が展示されています。
 ちなみに、冠のヤマコとは、海苔生産加工業を営む会社の社名です。 
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その59 臼杵市・臼杵石仏(9) 石仏周辺のみどころ
化粧の井戸-1
化粧の井戸-2
石仏周辺のみどころスポット 「化粧の井戸」。
臼杵石仏公園-1
(右)人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し、いそぐべからず  徳川家康
臼杵石仏公園-2
(左)安易な道を選んではならぬ 近道を抜けてはならぬ 有島武郎
臼杵石仏公園-3
(右)千日の稽古を鍛(たん)とし 万日の稽古を錬(れん)とす 宮本武蔵
ちなみに、鍛錬とは、金属をきたえねること。
臼杵石仏公園-4
(左)僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 高村光太郎
臼杵石仏公園-5
臼杵石仏公園-6
臼杵石仏と満月寺の間にある 「臼杵石仏公園」、色々な石碑が点在しています。
石仏 不動明王-1
石仏 不動明王-2
磨崖仏 願い 不動明王 坐像 高さ 2.2m
深田の鳥居-1
周辺の田んぼの中に建つ 「深田の鳥居」。
深田の鳥居-2
鳥居の傍らに立つ掲示板。
JUGEMテーマ:写真
 
 国宝・臼杵石仏参拝後、石仏周辺のみどころスポットを撮影してきました。 満月寺を始め、人生の教訓が刻まれた石碑が立つ 「臼杵石仏公園」、伝説の「化粧の井戸」、周辺の岩に刻まれた 「不動明王」 そして、田んぼの中に建つ 「深田の鳥居」 には驚きました。
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その58 臼杵市・臼杵石仏(8) 満月寺(2)
満月寺本堂-1
満月寺本堂-2
満月寺(まんがつじ)本堂。
満月寺五重塔
満月寺五重塔 正和4年(1315)の作。 作者は日秀という阿闍梨(あじゃり;僧)。
臼杵市指定有形文化財。
満月寺観音石仏-1
満月寺境内の高台にある祠。
満月寺観音石仏-2
特別史跡 観音石仏
満月寺観音石仏-3
 特別史跡 観音石仏
 昭和27年3月29日指定 臼杵市大字深田字観音
 満月寺境内に残るこれらの石造彫刻は二体の坐像が並ぶ像の方を真名野長者夫妻の像と伝えられています。 真名野長者夫妻とは、ここ深田に残る伝説に出てくる炭焼き小五郎とその妻、玉津姫をいいます。 また一体のみの坐像は蓮城法師像と伝えられ臼杵磨崖仏群を作り上げたとされる人物です。 どちらもあくまでも伝説ですが臼杵磨崖仏の造立の謎に関わるとされています。
 尚、「観音石仏」 の名称は小字の 「観音」 を冠したものです。 臼杵市教育委員会
満月寺の鐘
満月寺の鐘 石仏梵鐘(せきぶつぼんしょう) 平和祈願のため、昭和63年建立。
石碑
満月寺境内に建つ石碑。
宝篋印塔(日吉塔)-1
宝篋印塔(日吉塔)-2
 特別史跡 重要文化財 宝篋印塔(ほうきょういんとう)(日吉塔;ひよしとう)
 特別史跡   昭和27年3月29日指定
 重要文化財  昭和37年9月17日指定
 総高4.20mをはかる。 この時期のものとしては高く、均整のとれた凝灰岩製の塔である。 基礎・塔身・屋根・相輪からなる。 塔身は、正面(西面)内側が深く刻られた厨子形をしている。 屋根は六段あり、初段の四隅には、隅飾突起が置かれている。
 昭和61年(1986)、宝篋印塔の保存修理工事に伴って行われた周辺の発掘調査によって、塔が据えられている整地層中から瓦や土器などの遺物が出土した。 この遺物によって、塔の造立は、鎌倉時代後期(十四世紀初頭頃)であることが明らかになった。   臼杵市教育委員会
宝篋印塔(日吉塔)-3
満月寺境内にある均整のとれた美しい塔、「宝篋印塔(日吉塔)」。
JUGEMテーマ:写真

 国宝臼杵石仏の近く、石仏公園を間にはさんだところにある 「満月寺」。 仁王像・五重塔や均整のとれた美しい宝篋印塔などの文化財を見ることができます。 臼杵石仏参拝後、数分で行ける満月寺参拝をお勧めします。 
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
2013年 富士山すそのパノラマロードコスモスまつり
コスモスまつり-1
色とりどりの花が咲く 「コスモスまつり会場」。
コスモスまつり-2
すその美人の湯、ヘルシーパーク裾野。
コスモスまつり-3
会場には 「祝 富士山世界文化遺産」 の幟。
コスモスまつり-4
はためく 「富士山すそのパノラマロード コスモスまつり」 の幟。 雲がなければこの先に美しい富士山を見ることができます。 残念です。
コスモスまつり-5
コスモスまつり-6
コスモスまつり-7
コスモスまつり-8
コスモスまつり-9
会場に咲き誇る可憐な 「コスモスの花」 がきれいです。
コスモスまつり-10
コスモスまつり-11
会場では色々なイベントが行なわれ、来訪者を楽しませてくれます。
コスモスまつり-12
コスモスまつり-13
満開のコスモスの花、その美しさに感動。 ちなみに、コスモスの花言葉は 「乙女の純情」です。
JUGEMテーマ:写真

 我が町、静岡県裾野市で第3回 「富士山すそのパノラマロード コスモスまつり」 が開催され、昨日(22日)撮影してきました。 ヘルシーパーク裾野入り口周辺の遊休農地を活用して整備された約2ヘクタールのコスモス畑。
 秋風に揺れるコスモスの赤や白、ピンク、黄色が色鮮やかです。 とくにこの近辺は、富士山の眺めが素晴らしいビューポイントです。 富士山をバックに満開のコスモスの花の写真を展示出来ないのが残念です。
| 郷土の風景・催し | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その57 臼杵市・臼杵石仏(7) 周辺散策 満月寺(1)
眼下の風景-1
「古園石仏」 より見る眼下の風景。 右手奥に 「化粧の井戸」 があります。
眼下の風景-2
手前 「参道橋」 を進むと 「臼杵石仏公園」、「満月寺」へ。
眼下の風景-3
手前の広場付近は 「心の小径」 です。
深田川
「深田川」 が流れるのどかな風景。
参道橋
「参道橋」 を渡って 「満月寺」 へ向かいます。
満月寺-1
深田の里に建つ 「紫雲山 満月寺」。
仁王像-1
満月寺の本堂前に立つ 「仁王像」。
仁王像-2
右側の像は口を開いた 「阿形像」。
仁王像-3
左側の像は口を閉じた 「吽形像」。
案内板
 国指定特別史跡 臼杵磨崖仏(木原石仏)
 指定年月日 昭和27年3月29日
 所在地    臼杵市大字深田字木原965-2
 二基の仁王像は凝灰岩製で、膝から下を地中に没しているため、全体像を正確には知り得ないが、いずれも一辺1m、厚さ20cmの台石に立てられている。 像高は、阿形(あぎょう)像(開口像)が2.4m、吽形(うんぎょう)像(閉口像)が2.2mをはかる。 阿形像は左手を開いて胸にあて、右手は腰にあてている。 吽形像は、左手を開いて腰にあてているが、右手は、手首から欠損している。 その付根には、胸部にもみられるような径10cmほどの穴が開けられている。 阿形・吽形像とも鼻の一部が欠損しているが、病気回復に対する信仰によって削られたといわれている。 二基とも腰を外側に強くひねり、その大仰な身振りが顔の表情と溶合い、一種独特なおかしさを醸し出している。 昭和47年、周辺の発掘調査によって、この二基の仁王像は、鎌倉時代後期に比定されている瓦を含んだ整地層中に据えられいることが明らかにされた。 このことによって、仁王像は、鎌倉時代後期以降、室町時代前期頃までの間に造立されたと推定される。 臼杵市教育委員会
満月寺-2
昭和25年に復興された 「満月寺本堂」。
JUGEMテーマ:写真

 満月寺(まんがつじ)は、伝説によれば臼杵石仏の縁起に欠かせない真名長者の発願により三重町内山連城寺を開いた連城法師によって創建されたという。 現在の満月寺本堂は、昭和25年に日本山妙法寺(山主)、故藤井日蓮大上人の手で祇陀院跡にこじんまりと復興された。 御本尊は釈迦如来像である。 (臼杵市発行 うすきがいど、HP石仏観光センターより引用)
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:11 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その56 臼杵市・臼杵石仏(6) 古園石仏
古園石仏-1
古園石仏(ふるぞのせきぶつ)の覆屋が見えてきました。
古園石仏-2
順路4 古園石仏(大日如来像)、ここが最後の石仏です。
古園石仏-3
 臼杵磨崖仏(古園石仏)保存修理工事の概要
 臼杵磨崖仏は、軟かい石質の阿蘇熔結凝灰岩に高肉彫りされています。 軟かい石質であるため彫刻には適している反面壊われやすく、地下水や表面温度等の変化によって風化が進行していきます。 とくに、古園石仏はもともと仏像の下半部分に岩が無かったこともあり、地下水が常にしみ出し湿潤な状態となっていました。 このため、コケ類が繁殖し、風化を進行させる要因の一つとなっていました。 そこで、臼杵市は国・県の補助を受け、文化庁の指導のもとに平成3年度(1991)から5年度までの三カ年間保存修理を行いました。
 亀裂を生じた岩盤には、彫刻面を避けて27本のアンカーボルトを打ち込んで崩落を防ぐと共に、風化した龕(がん)部全体に樹脂(ワッカーOH)を含浸させ石質硬化を図りました。 このほか、コケ類除去、地下水排水工事、石積工事、割落した仏像片の復位などを行いました。 さらに、この修理工事と併行して、平成4年度から二カ年で保存修理の効果をより高めるため、防災施設としての収蔵庫(覆屋)設置工事も行いました。   臼杵市教育委員会
古園石仏-4古園石仏-5
古園石仏-6
古園石仏の入口にも磨崖仏が彫られています。
古園石仏-7
古園石仏-8
中尊の大日如来像。 端正で気品あふれる表情に感動します。
古園石仏-9
大日如来像に向かって左側の石仏群。
古園石仏-10
右側の石仏群。
古園石仏-11
古園石仏-12
古園石仏に線香を立てて参拝してきました。
古園石仏-13
 修復前の古園石仏。 大きな写真パネルが現地に掲示されています。 以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置され、長く人々に愛され続け、世界的にも有名でしたが、保存の為の修復に合わせて仏頭も昔日の見事な姿に復位されました。
古園石仏-14
古園石仏を守る 「覆屋」。
古園石仏-15
古園石仏の全景。
JUGEMテーマ:写真

 古園石仏は、大日如来を中心とする曼荼羅を構成を構成し整然とした陣容をそなえる、臼杵石仏の中心的存在。 通称古園十三仏とも、大日山石仏とも言われている。
 特に中尊の大日如来像は日本石仏中の最高傑作の一つといえるだろう。
  ―高く秀でた眉、切れ長の伏し目に端正な顔、ほのかに紅を刷いた唇にあたたかいみ心が通う― 
 きわめて端厳な相好であるが、ゆたかな両頬や、ややとがった二重頤(おとがい;したあご)、切れ長の伏し目など幽玄(ゆうげん;上品でやさしいこと)で神秘的雰囲気がただよう。 制作年代は平安後期を下らないと言われる。
 臼杵石仏は、崩壊破損が甚だしかったが修復工事(S33〜)により平成5年8月25日には中尊大日如来像の仏頭が復位され、昔日の荘厳な姿に復した。(臼杵市発行 「うすきがいど」 より)
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その55 臼杵市・臼杵石仏(5) 山王山石仏
山王山石仏-1
石造五輪塔の脇道から、順路3に戻り 「山王山石仏」 へ向かいます。
山王山石仏-2
山王山石仏への参道。
山王山石仏-3
山王山石仏-4
「山王山石仏」 は三体の石仏から構成されています。
山王山石仏-5
中央には大きな 「伝釈迦如来坐像」。
山王山石仏-6
左に 「阿弥陀如来坐像」。
山王山石仏-7
右に 「伝薬師如来坐像」。
山王山石仏-8
山王山石仏の参拝を終え、これより順路4、「古園石仏」 へ向かいます。
JUGEMテーマ:写真
 
 国宝・臼杵石仏の 「山王山石仏;さんのうざんせきぶつ」 は、三体の石仏で、中尊には大きな如来坐像をすえ、、その左右には脇尊(きょうそん)としての如来坐像を配した珍しい形式をとっている。 邪気のない童顔が心を和ましてくれる。 「隠れ地蔵」 とも呼ばれ、故安井曽太郎画伯が絶賛した像である。 平安後期頃の作。(リーフレット国宝臼杵石仏より)
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その54 臼杵市・臼杵石仏(4) 五輪塔(中尾五輪塔)
参道-1
 国指定重要文化財/特別史跡 石造五輪塔(通称:中尾五輪塔)
 大小二基とも阿蘇熔結凝灰岩製の五輪塔であり、大きい方は嘉応二年(1170年)、小さい方は承安二年(1172年)の銘が刻まれています。
 臼杵石仏全体の造立年代を考察するうえで、重要な目安となるものであり、国の重要文化財と特別史跡に二重指定されています。 ここから130m ↑
参道-2
参道-3
整備された参道を上ります。
参道-4
案内表示に従って進みます。
参道-5
道端の可憐な花。
参道-6
雑木林の中に 「五輪塔」 の覆屋が見えてきました。
五輪塔-1
囲いの中に大小の 「五輪塔」 はあります。
五輪塔-2
 五輪塔
 特別史跡   昭和27年3月29日 指定
 重要文化財 昭和29年9月17日 指定
 大小二基とも在銘の五輪塔である。
 大きい方は、空輪および風輪の一部が欠損しているが、総高約151cmをはかる。
荒削りだが素朴で重量感あふれる塔である。 地輪北面部に 「嘉応弐年(1170)」 の刻銘がある。
 小さい方は、総高104cmで地輪北面部に 「承安二年(1172)」 の、東面には 「千部如法経願主遍照金剛」 の銘がそれぞれ刻まれている。 この塔は、承安二年に如法経(法華経)を納めるために造立されたことがうかがえる。   臼杵市教育委員会
五輪塔-3
五輪塔-4
特別史跡・重要文化財の石造り大小の 「五輪塔」。
JUGEMテーマ:写真

 国宝・臼杵石仏・ホキ石仏第一群を参拝後、順路を外れて脇道に入り、150m上った処に 「石造五輪塔」 はあります。 日本で最も古い五輪塔の一つとも言われいます。 参道も整備され徒歩5分程度で参拝できるお勧めのスポットです。
 ちなみに、五輪塔とは、地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その53 臼杵市・臼杵石仏(3) ホキ石仏第一群
臼杵石仏-1
臼杵石仏-2
ホキ石仏第二群覆屋前にある、大分県の代表的な湧水の一つ 「観音の水」。 底に姫の像が祀られ、長寿や夫婦円満の水と言われています。
臼杵石仏-3
臼杵石仏-4
案内板に従って順路2、「ホキ石仏第一群」 へ向かいます。
臼杵石仏-5
この石段を上った先に 「ホキ石仏第一群」 はあります。
臼杵石仏-6
 臼杵磨崖仏(ホキ石仏第一群)保存修理工事の概要
 臼杵磨崖仏は、軟らかい石質の阿蘇熔結凝灰岩に高肉彫りされています。 岩そのものが軟質であるため、彫刻するには適している反面、地下水や表面温度等の変化に弱く、壊れやすいという特徴をもっています。 このホキ石仏第一群は、他の石仏群に比べて、彫られている場所が高く、地下水に関しては、それほど問題はありませんでしたが、磨崖仏が、彫られている龕部を含む、岩盤全体に多くの亀裂を生じ、崩落の危険を伴っていました。 そこで、臼杵市は、亀裂を生じ崩落の危険性をはらんでいる岩盤の固定を行い、磨崖仏の安全と保存を図っていくため、国・県の補助を受け、文化庁の指導のもと昭和63年度(1988)から平成2年度(1990)までの3カ年間、保存修理工事を行いました。
 工事の主な内容は、風化の進んでいる龕部に樹脂を含浸させ、石質の硬化を図る、龕下部を安定させるための石積工事、亀裂を生じた岩盤に、彫刻面を避けて30本のアンカーボルトを打ち込んで固定、さらに、割れ落ちた仏体片の復位などを行いました。 また、この修理と並行して、平成2年度から2カ年で保存修理の効果をより高めるため、防災施設として収蔵庫(覆屋)の設置工事も行いました。 臼杵市教育委員会
臼杵石仏-7
ホキ石仏第一群覆屋
臼杵石仏-8
臼杵石仏-9
 ホキ石仏第一群第一龕(がん) 如来三尊像(にょらいさんそんぞう) 中尊に釈迦如来を刻み、童顔で親しみやすい表情で語りかけてくる。 調法はやや劣り螺髪(らほつ)の刻み方など簡略化した跡がみられ、素朴な印象をあたえる。 平安末期頃の作。
臼杵石仏-10
臼杵石仏-11
 ホキ石仏第一群第二龕 如来三尊像 ホキ石仏第一群の中心的な存在である中尊の阿弥陀如来は静まった顔で、眉、目、髭を墨で描き、量感あふれる姿が特徴である。 三尊とも彫技は優れ、ホキ第二群の阿弥陀三尊像の傑作で平安後期頃の作といわれる。
臼杵石仏-12
 ホキ石仏第一群第三龕 如来三尊像 中央の三尊は、中尊に金剛界大日如来を配し、右に釈迦如来、左に阿弥陀如来が並んでいる。 三尊とも膝前(しつぜん)が長く広いのが特徴で、如来像の台座には、願文や経巻を納めたであろう円や四角の穴がある。 平安末期の作。
臼杵石仏-13
臼杵石仏-14
 ホキ石仏第一群第四龕 地蔵十王像(じぞうじゅうおうぞう) 中尊に地蔵菩薩をすえ、冥府(めいふ)にあって亡者の罪を裁き救済する十王像を左右5体ずつ配している。 錫杖(しゃくじょう)を持たず、右足を座し左足を立てている地蔵菩薩は、古い様式で珍しく、光背の彩色唐草紋も残っている。  鎌倉期の作。 
JUGEMテーマ:写真

 国宝・臼杵石仏 ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏;どうがさこせきぶつ)は、平安後期から鎌倉期に至るまでの磨崖仏が20数体並び、まさに壮観です。4つの龕(がん:仏像を納める厨子)から構成されています。
 各龕の説明は、リーフレット 「国宝臼杵石仏」 より引用しました。
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その52 臼杵市・臼杵石仏(2) ホキ石仏第二群
臼杵石仏-1
「清浄香」 で身も心も清め、臼杵石仏を参拝します。
臼杵石仏-2
並木が美しい参道を 「ホキ石仏第二群」 へ向かいます。 
「ホキ」 とは 「がけ」 という意味の地名。
臼杵石仏-3
この建物が最初に参拝する 「ホキ石仏第二群」 の覆屋。
臼杵石仏-4
 臼杵磨崖仏(ホキ石仏第二群)保存修理工事の概要
 臼杵磨崖仏は、阿蘇熔結凝灰岩に高肉彫りに刻まれています。 この凝灰岩は軟らかく彫刻に適している反面壊れやすく、地下水や表面温度の変化によって年々風化が進んでいます。 また、多くの仏像は、岩盤全体に生じた亀裂によって大小さまざまな形で母岩から割れ落ち、とくに第二龕(がん;仏像を納める厨子)の九品(くほん)阿弥陀如来像は、そのほとんどが原形を留めないほどに壊れ落ちていました。
 このため、臼杵市では、国及び県から補助金の交付を受け、文化庁の指導のもとに、昭和58年度から4ヶ年にわたって保存修理を行いました。 地下水を排除するたの長さ25mの集水パイプ10本を基壇下に設置し、亀裂が生じた岩盤には、彫刻面を避けて19本のアンカーボルトを打ち込んで固定し、割れ落ちた部分を元の位置に接合し、風化した表面全体に合成樹脂を含浸させました。
 臼杵磨崖仏は我国における代表的な石造美術品であり、貴重な仏像遺跡でもあります。 この磨崖仏を末永く後世に伝えるために、臼杵市はその保存管理に努力しています。            臼杵市・臼杵市教育委員会
臼杵石仏-5
臼杵石仏-6
礎石
臼杵石仏-7
臼杵石仏-8
 ホキ石仏第二群第二龕、「九品の弥陀(くぼんのみだ)」。
 比較的小さな9体の阿弥陀如来像が刻まれている。 中央の一尊だけが裳懸座(もかけざ)に座し、彩色も鮮やかに残っているが、他の8体は欠損がひどく惜しまれている。 平安末期頃の作といわれている。
臼杵石仏-9
臼杵石仏-10
「九品の弥陀」(拡大写真)。
臼杵石仏-11
臼杵石仏-12
 ホキ石仏第二群第一龕 阿弥陀三尊像
 見事な彫刻技術で彫られた、臼杵石仏の中でも最も優れた石仏のひとつである。 中尊阿弥陀如来像はどっしりと量感豊かで、毅然とした表情は彫技の冴えを感じさせる傑作である。 平安後期頃の作。(リーフレット 国宝臼杵石仏より引用)
JUGEMテーマ:写真

 臼杵石仏群は四群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)、同第二群、山王山石仏、古園石仏と名づけられています。 その数は60余体にもおよび、このうちの59体が国宝に指定されています。 
| 九州・大分の旅(臼杵) | 19:00 | comments(0) | - |
このページの先頭へ