2013.09.30 Monday
九州・大分の旅 その60 臼杵市・臼杵石仏(10) ヤマコ臼杵美術博物館
石仏観覧券発売所の近くにある 「ヤマコ臼杵美術博物館」。
家紋入りの桐紋蒔絵鞍(きりもんまきえくら)
稲葉家の紋
稲葉氏の家紋は<角切折敷三文字>(すみきりおしきさんもじ)といいます。 折敷は神へのお供えをのせる台です。 三文字は、伊予大三島の大山衹神社(大三島神社)の<三>といわれていますが、この神社は越智一族の氏神で軍神とされています。
稲葉一鉄の祖父・河野通貞(こうのみちさだ)は越智氏の支族です。 このように、折敷に三文字をのせて戦勝と一族の繁栄を祈願したものと思われます。 槌(つち)は替紋(かえもん)です。
黒漆塗十八間筋兜(くろうるしぬりじゅうはちけんすじかぶと)
十八筋の伊多羅貝(いだらがい)の前立て。 末広がりの形は幸運を願ったもの。
貝合せ
もともとは平安貴族の遊びで、きれいな貝や珍しい貝を集め、それに絵を描き、ふさわしい歌を詠んでいました。 ゲームとしてはトランプの神経衰弱に似た遊び方が知られています。 蛤貝(はまぐりかい)の身と蓋を地貝と出し貝に分け、地貝をふせて円形に層を作って並べます。 その中央に出し貝を置き、もとの一対をさがします。 当館収蔵の貝合せは蛤貝に全く同じ絵柄を金銀で描き分けています。
また一対の蛤貝は他とは合わぬところから、貝合せはただの遊び道具ではなく、女性の貞節を、あるいは家同士の婚礼を象徴する意味が付けられていました。 それは婚礼の際に貝を収めた貝桶が作法と儀式にのっとって扱われたことからもうかがえます。 花嫁が嫁ぎ先の屋敷に輿入れるよりも先に、まずこの貝桶の受け渡しがその任にふさわしい人物の手で行われました。(説明文より)
化粧道具
秋草模様蒔絵角盥・楾(あきくさもようまきえつのだらい・はぞう)
野点道具・風炉(のだてどうぐ・ふろ) 茶釜とセットになっています。
行器(ほかい) 弁当を入れて運ぶ器。 野外では腰掛として使用します。
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臼杵と稲葉家
ゆかしい歴史と文化の城下町臼杵は、キリシタン大名大友宗麟が永禄5年(1562)頃、丹生島(現臼杵公園)に築城したことに始まります。 慶長5年(1600)には美濃から稲葉氏が入城、以来幕末まで15代にわたり臼杵藩5万余石を治めました。 館内には、往昔の城中を物語る藩主の馬具や文具などの道具、輿入れの際の豪華な嫁入り道具など多彩な文化財が展示されています。
ちなみに、冠のヤマコとは、海苔生産加工業を営む会社の社名です。