2012.06.29 Friday
坂本・比叡山延暦寺の旅 その27 延暦寺 西塔(6) 釈迦伝
釈迦伝 1 太子誕生
今から2500年ほど前、ヒマラヤの麓のカピラ国の浄飯王(じょうぼんのう)と后摩耶夫人(まやぶにん)との間に誕生されました。 その頃カピラ城近くに住むアシタ仙人は、太子誕生にまつわる数々の奇瑞(きずい;めでたいことの前兆として現れた不思議な現象)に驚き、太子に拝謁を願いでて抱かれる太子を拝し、はらはらと涙します。 「なぜ泣くのか」 とたずねると、仙人は、「この方は王位につけば仏陀(ぶっだ;悟りを開いて、真の道理をえた者)となられる方です」 と予言しました。
釈迦伝 2 宮殿の生活
ご成婚後、太子は平和な生活を送られた。 夏・冬・雨期の三つの宮殿がもうけられ、蓮の池には水をたたえ、庭園には青・赤・白と色とりどりの華が咲きほこり、入浴には四人の侍女がお世話をし、身には栴檀(せんだん、香木の名、ビャクダンの異称)の香をぬり、新しい絹の衣装をつけ、歌と舞と酒とご馳走の享楽(きょうらく;快楽にふけり楽しむこと)をほしいいままにしました。 太子はこの栄華の生活に対し 「この生活は自分にとってどんな意味を持つのであろうか・・・・」 と反省され、沈うつな日を重ねるようになってゆきます。
釈迦伝 3 苦 行(くぎょう)
世の無常をまのあたりに見た太子は、周囲の人々の言も聞かず出家します。 出家修行の旅に出た太子は、真の道が得られぬまま六年間の苦行の生活に入ります。 風雨や雷にもめげず、毎日毎日黙々として善定をおさめます。 体はみるみるやせ衰え、手足は枯れた葦(あし)のようになります。 それでも苦行はすべて解脱(げだつ;悟りの境地)への道でないことを悟ります。 太子は新たな道を求めるのでした。
釈迦伝 4 降 魔(ごうま)
太子の成道が近づきました。 魔王はあらゆる手段で成道を邪魔します。 薄い羽衣をつけた妖艶(ようえん)な魔女三人を近づけ、媚能の限りを尽くし、太子の心を乱そうと企みます。 また悪鬼夜叉らがキバを出し、鉾(ほこ)をかざして迫ります。 太子は毅然(きぜん)として説法します。 たちまち魔女は老婆と化し、悪鬼夜叉は恐れ戦き逃げ去りました。
釈迦伝 5 釈尊の成道
降魔の襲来をしりぞけた太子は、心の平和をとりかえし、平等の思いにひたります。 過去の宿世を想い起して、初めに第一の智慧を悟ります。 次に生死の相を知り第二の智慧を体得します。 次に煩悩を滅ぼし尽くし解脱して、「成すべきことは終った、再び迷いの生を受けることはない」 と悟ります。 この時、大地は歓喜に震え、神々は天華を降らせ、天楽を奏でて讃歓します。 こうして太子は、世界の人々の供養を受けるにふさわしい人、正しい悟りを得た人、即ち仏陀となります。 時に35歳、12月8日の明けの明星がきらめいていました。 尼連禅河のほとりの菩提樹の下で、太子は 「正覚を得た人」 になられたのです。 今後太子を釈尊と呼びます。 釈尊は千余の弟子をつれて王舎城に入り、その郊外に留まっていました。 釈尊を修行中から崇拝していたマガタ国の頻婆娑羅王はこの噂を聞き、多くの従者をつれて訪れ、説法を聞きこの地に永く留って化導されんことを願い、王は城外の閑静な場所竹林園に精舎(寺)を建てて寄進したいと申し出ます。 これが仏教の最初の精舎で、教団の発展もこれから軌道にのってゆくことになります。
JUGEMテーマ:写真
釈迦堂の境内に掲示されている 「釈迦伝」です。 釈迦を理解する上で興味がありましたので写真展示します。
また、古典文学辞典によると 【釈迦】 は次のように記載されています。
仏教の開祖。 生没は諸説あるが前566年ごろ〜前486年ごろか。 姓はゴータマ、名はシッダルタ。 「釈迦牟尼(しゃかむに)」 「釈尊(しゃくそん」 とも。 中部ネパールの釈迦族の浄飯(じょうぼん)王の子として迦毘羅(かびら)城に生まれる。 母は摩耶夫人(まやぶにん)。 80歳で入滅。