重要文化財 園城寺一切経蔵(おんじょうじ いっさいきょうぞう)
重要文化財 建造物 園城寺一切経蔵 一棟
一切経蔵は、仏教のすべての経典、つまり一切経(大蔵経ともいう。)を納める施設のことで、この経蔵には版木の一切経が収められています。
この経蔵は、桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、檜皮葺の禅宗形式をもった建物ですが、裳階(もこし)を付けているため柱間が三間三間、屋根が二重に見えます。 内部には一切経を納めた八角形の輪蔵(回転書架)を据えています。 全体におだやかな感じをもち、禅宗様経蔵の古い例として貴重なもので、室町時代中期を降らぬ建物とされています。
なお、この経蔵は、もと山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって慶長七年(1602)に移されたものといわれています。
明治39年(1906)4月に国の重要文化財になりました。
一切経蔵
慶長七年毛利輝元公が山口県の洞春寺より移築したもので、輪蔵に収められた一切経は高麗(こうらい)版として名高い。
建物は室町時代の作、重層宝形造りと称し唐様建築で上部は、「鏡天井」、四方は「明層」と云い、高い所から光りを取り入れる仕組である。
輪蔵は八角八柱造り、八方に千鳥破風を作り、龕内(がんない)に経論の守護である中国の人、傳大士を安置する。
「一切経堂」 の隣に建立されている 「三重塔」。
慶長六年(1601)、徳川家康により寄進された。 もとは奈良県・比蘇(曽)寺の塔で、室町初期の建築。
重要文化財 建造物 園城寺塔婆(三重塔) 一基
この三重塔は、もと大和国(奈良県)の比曽寺(現在の世尊寺)にあった東塔を慶長六年(1601)に移したもので、大和地方における中世の塔の風格をもっており、鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされています。
塔は、三間三重の塔婆の形式で、本瓦葺の屋根をもち、各重の落ちも大きく、初重目に縁をつけてます。また、二重目、三重目に菱格子を用いているのは珍しいものです。 明治39年4月に国の指定文化財になっています。
灌頂堂(かんじょうどう)、寺流の密教を伝承する道場。
園城寺長日護摩堂(おんじょうじ ちょうにち ごまどう)
滋賀県指定文化財 建造物 園城寺長日護摩堂
この護摩堂は、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺の小堂で、灌頂堂と渡廊下によってつながっています。 全体として簡素な建物で、正面は桟唐戸(さんからど)、両脇を連子窓(れんじまど)、両側面の正面よりを舞良戸(まいらど)、他は背面を含めて横羽目板壁としています。
建立年代については、明確な資料はありませんが、寺伝によると後水尾(ごみずのお)天皇(1611〜1629)の祈願により建てられたものといわれています。大師堂、灌頂堂よりは少し遅れて建てられたものと考えられています。
昭和35年(1960)1月に滋賀県の有形文化財になりました。
灌頂堂・長日護摩堂の奥に 「大師堂」 があります。 慶長三年(1598)の再建で、国宝・智証大師像二躯、重文・黄不動尊立像が祀られています。
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写真 まさに、園城寺[三井寺]は文化財の宝庫です。 貴重な高麗版の一切経を納めた八角輪蔵のある一切経蔵。 三重塔・灌頂堂・長日護摩堂・大師堂の一帯を唐院(重要文化財)といい、当寺の開祖・智証大師円珍和尚(814〜891)の廟所として最も神聖な場所です。 唐院の名は智証大師が入唐求法の旅で持ち帰った経典類を納めたことに由来します。