2011.08.31 Wednesday
長崎の旅 その51 龍馬の足跡をたどる(9) 若宮稲荷神社
小川に架かる石橋を渡ると 「若宮稲荷神社」 があります。
境内には、小振りの 「坂本龍馬之像」 が建立されています。
長崎の伝統的なお祭である「竹ン芸」で有名な龍馬ゆかりの神社!!
「古いお宮を若宮」と親しまれている若宮稲荷神社は毎年10月14日・15日の秋大祭で奉納される「竹ン芸」で有名です。徒歩でわずかの所に「亀山社中跡」があり、坂本龍馬をはじめ長崎を訪れた志士等たちも多く参拝したと言われ「勤皇稲荷」とも呼ばれている。又、境内には坂本龍馬の像が建立されている。
ここに注目!
坂本龍馬をはじめ勤皇志士たちが参拝したことで「勤皇稲荷」とも呼ばれる若宮稲荷神社。今も龍馬や幕末の長崎を感じることができるおすすめの場所です。
メモ書き “龍馬伝” 長崎ロケでは出演者(俳優)の方々が参拝され絵馬を奉納して行かれました。
朱色が鮮やかな 「若宮稲荷神社」 本殿。
余りにも立派な社殿に少々驚きました。
緑あふれる境内に朱色の社殿が並びます。
若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)
延宝元年(1673)、出来大工町の乙名(おとな;一族の長)・若杉喜三太が開創。 伊良林郷の鎮守の神として崇敬を集め、“若宮様” と親しまれるようになりました。 明治元年(1868)、社号を伊良林稲荷神社と改称し、明治29年(1896)、境内の大改修等を行い、現在の神域を創成しました。 秋の祭り(10月14・15日)に奉納される行事「竹ン芸;たけんげい」は有名で、男狐・女狐の面をつけた若者が高さ10m余りの2本の青竹の上で曲芸を行います。 神社の使いである男狐と女狐が若宮神社の御神徳をよろこんで裏の竹藪で遊ぶ姿を模したものといわれています。
境内に建立されている 「坂本龍馬之像」。
やや小振りの 「坂本龍馬之像」 です。
慶応元年(1865)幕末の風雲児坂本龍馬は、伊良林・亀山に日本最初のカンパニ― 「亀山社中」 を創設した。 亀山社中は、商業活動のかたわら倒幕運動にかかわり維新回天の事業を推しすすめ、日本の近代化に大きな役割を果たした。
この銅像は、風頭山頂に立つ坂本龍馬之像の原型であり、龍馬ゆかりの地・亀山社中の一層の発展を願って制作者山崎和國氏から寄贈されたものである。
題字は、山崎和國氏書。 平成三年十一月吉日 亀山社中ば活かす会
坂本龍馬と若宮稲荷神社
若宮稲荷神社は 「勤皇稲荷」 とも呼ばれています。
これは、当稲荷が南北朝の武将・楠木正成(1336没)の守護神であったことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志士が多く参詣したためと言われています。
幕末当時、頼山陽の 『日本外史』 等の影響により、楠木正成の人気が高まり、勤皇の志士たちの厚い尊敬を集めていました。
坂本龍馬(1835〜1867)も正成を崇拝していたらしく、正成の最期の地である神戸・湊川では 「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水」 という歌を詠んでいます。 また、今も残る写真には、正成所持の刀を模して作らせたと言われる脇差を、腰に差した姿でおさまっています。
若宮稲荷神社は、龍馬の創設した亀山社中や、盟友・佐々木三四郎と会飲した料亭・藤屋にも近いことから、たびたび参詣して、日本の維新回天が一日も早く成就する事を祈っていたのではないでしょうか。
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亀山社中資料展示場から直ぐのところに、この若宮稲荷神社はあります。 小川にかかるアーチ式の石橋を渡ると緑豊かな森の中に朱色が鮮やかな社殿。
坂本龍馬も参詣した神社に佇み、肌で歴史を感じてきました。 お勧めの若宮稲荷神社 参拝です。