質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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馬籠宿と妻籠宿の旅 その5 馬籠宿(5) 高札場
馬籠宿-1
宿場内には、いくつかの茶房があります。
馬籠宿-2
その中の一つに 「馬籠宿・喫茶 穰(みのる)」 があります。
馬籠宿-3
店のオープンデッキから最高の恵那山を望みながらお茶をどうぞ!
馬籠宿-4
ふらりと入りたくなる 「馬籠宿 喫茶 かっぺ」 もあります。
馬籠宿-5
馬籠宿上入口付近に案内板があります。 案内板には次のように書かれています。

 中 山 道
 中山道は、はじめ 「中仙道」 と書かれていたが、本州の中部山岳地帯を貫いている道路ということから、享保元年(1716)以降、「中山道」 と書き改め、やはり 「なかせんどう」 と読まれた。 江戸と京都を結ぶ重要な街道で、その延長は132里(約550Km)、ここには六十九の宿場が置かれていた。
 この道路は東海道・奥州街道・甲州街道・日光街道とともに 「天下の五街道」 の一つといわれ、参勤交代の際、ここを通る大名は三四家と定められていた。 江戸幕府にとっては西日本にある諸大名の動向対策と、これらの諸国を支配していくうえに極めて重要な性格を持つ道路であった。

 陣 場
 ここらあたり一帯の地名を 「陣場」 という。 天正12年(1584)に徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧山の決戦のとき、木曽路を防衛する豊臣方は、馬籠城を島崎重通に固めさせていた。 家康方は兵七千をもって木曽に攻め入り、その一部は馬籠城を攻略すべくこの地に陣を敷いた。 故にここを 「陣場」 と呼ぶようになった。

 高 札 場
 江戸時代には、村人たちに法令などを徹底遵守させる目的で、板に墨書きしたものを掲示する場所を定めたが、それは村の入口や庄屋宅の近くなど人目につき易い場所が選ばれ、藩の厳重な管理下におかれていた。 村人たちはその場所を 「こうさつば」 とか 「ごはんぎょうば」 といった。
 文字が読めない人が多いその当時、正月になると庄屋は村人をこの場所に集めて読んで聞かせ、これを守るように言い聞かせた。 現在復元されているものは、正徳元年(1711)に公布された 「御朱印、毒薬等の定書き」 や、明和七年(1770)の 「徒党禁止」 の札などで、復元の際に読みやすい楷書に書き直した。
馬籠宿-6
案内板の直ぐ近く、「下入口」 から約600mの位置にある 「上入口」 の表示板です。
馬籠宿-7
馬籠宿-8
更に「中山道」を上がると左側に 「馬籠宿 上但馬屋」 があります。
馬籠宿-9中山道の街道端には、 「高札場;こうさつば」 が復元されています。
馬籠宿-10
江戸時代の雰囲気が漂う「高札場」です。
馬籠宿-11
江戸時代から、「博奕(ばくち)の類一切に禁制の事」 と定められています。
JUGEMテーマ:写真

 中山道・馬籠(まごめ)宿、約600mの石畳の両側に40余軒の食堂・茶房・みやげ店が軒を並べています。 藤村記念館や馬籠脇本陣史料館などで歴史を 学んだあとは、道中のうまいもん食べ歩きや民芸品などの買物も見どころの一つです。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:47 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その4 馬籠宿(4) 脇本陣
馬籠宿-1
立派な店構えの 「馬籠宿 大黒屋」 です。
馬籠宿-2
軒下に下がっているのは 「酒ばやし」 です。 昔は地方の造り酒屋の軒下に杉の葉を束ねて切り揃えたものが下げられていました。 それを 「酒ばやし」 といい、造り酒屋であることを示す一種の看板です。 杉の葉がだんだん茶色に変化していく度合と、新酒の熟成具合を合わせみていたようです。 年の暮れあたりに新しい 「酒ばやし」 を出すとことで新酒ができたという知らせにもなった訳です。(HPうんちくより)
馬籠宿-3
「馬籠脇本陣史料館」 屋号は「八幡屋」と呼ばれ、大黒屋とともに酒造りを営んでいました。 史料館には、八幡屋所蔵の記録・版本・什器類・宿関係の史料・器具類など、また民家からの民具類や 「夜明け前」 の参考資料としたものが展示されています。
馬籠宿-4
脇本陣の前に、山口誓子の句碑。 「街道の 坂に 熟れ柿 灯を点す 誓子」
馬籠宿-5
馬籠脇本陣の全景です。
馬籠宿-6
「馬籠脇本陣史料館」 の案内板です。
馬籠宿-7
坂道がつづく 「中山道」、江戸時代の情緒が漂います。
馬籠宿-8
御食事処の「近江屋」さん、五平餅が美味しそうでした。
馬籠宿-9
「ふるさとの家」、藤村が童話を書いていたとは、今回初めて知りました。
馬籠宿-10
古い臼が置かれています。
馬籠宿-11
歌の好きな石臼(藤村童話・ふるさとより)
馬籠宿-12
女性に人気の屋号「杉の屋」さん。
馬籠宿-13
馬籠宿-14
杉の屋 手しごと展が開催中です。
馬籠宿-15
軒下に吊るされた木札、しみじみと読ませてもらいました。
JUGEMテーマ:写真

 馬籠脇本陣史料館には、脇本陣が大名宿泊の祭に使用された諸道具類や同家に残された宿場の文献資料などが展示され、それらを通じてありし日の宿場の賑わいと当時の文化や人々の生活の様子を知ることができます。(中山道自然歩道ご案内より)

 【ミニ知識】 山口誓子(やまぐちせいし)(1901―1994)
 俳人。本名 新比古(ちかひこ)。京都市生れ。東大法学部卒。「ホトトギス」同人となり、句集「凍港」を出した。のち水原秋桜子の「馬酔木」に参加、新興俳句運動に貢献した。1948年西東(さいとう)三鬼らの要請により「天狼」を創刊主宰。句集「炎昼」「晩刻」「和服」のほか、随筆集「俳句諸論」などがある。(百科事典マイペディアより)
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:36 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その3 馬籠宿(3) 藤村記念館
馬籠宿-1
坂道の右側あるのが 「清水屋資料館」 です。
馬籠宿-2
馬籠宿-3
木曽馬籠 清水屋資料館の案内板です。
馬籠宿-4
道中に飾られている花が旅人の心を和ましてくれます。
馬籠宿-5
江戸時代の雰囲気が漂う馬籠宿 「但馬屋」 です。
馬籠宿-6
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民芸品のお土産が並ぶ馬籠宿 「やをや」。
馬籠宿-9
馬籠宿の景観を守って建築された小奇麗な茶房 「四方木屋;よもぎや」 です。
馬籠宿-10
坂道の左側に水車が回る食事処「馬籠茶屋」です。
馬籠宿-11
右側には民宿「馬籠茶屋」があります。
馬籠宿-12
振り返るとこのような風景になります。
馬籠宿-13
坂道のほぼ中央に 「藤村記念館」 があります。
馬籠宿-14
記念館の前に建立された小さな石碑、博物館相当施設 藤村記念館 昭和三十年二月十日文部大臣指定 長野県史跡(島崎藤村宅跡)など と刻まれています。
馬籠宿-15
この立派な石碑に 「明治天皇停蹕之蹟」 と刻まれています。 また岐阜県史跡 島崎藤村宅(馬籠宿本陣)跡と書かれた標識も立てられています。
JUGEMテーマ:写真

 馬籠宿(まごめじゅく)は江戸時代から中山道の宿場町として、今から遡ること400年ぐらい前から一つの集落として存在します。 江戸時代の中山道は、国の重要な街道で大名行列も行われました。 現在の藤村記念館(島崎藤村の実家)は、宿場の本陣として使われたところです。 当時にタイムスリップして大名行列や旅人が行き交う賑わいぶりを撮影したいものです。

 【ミニ知識】 島崎藤村(しまざき とうそん)
 明治5年(1872)、筑摩県馬籠村(後の長野県西筑摩郡神坂村)に生まれる。 本名島崎春樹。 生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。 明治学院卒。 詩集「若菜集」などのロマン主義的詩風を示す。 小説「破戒」によって作家の地位を確立。 「春」「家」「新生」「嵐」などの自伝的作品で自然主義文学を代表。 昭和4年より10年まで「中央公論」に、父をモデルとして明治維新前後を描いた長編小説「夜明け前」を連載、歴史小説として高い評価を受ける。 昭和18年、大磯の自宅で、「東方の門」執筆中に倒れ、8月22日71歳で逝去。 大磯町地福寺に埋葬される。 馬籠の菩提寺永昌寺には分骨として、遺髪・遺爪が埋葬された。 毎年命日の8月22日には菩提寺である永昌寺にて、関係者らにより藤村忌が執り行われています。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:22 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その2 馬籠宿(2) 枡形
馬籠宿-1
手前 「中山道」を左へ直角に曲がると 「枡形;ますがた」、坂道は新道(車屋坂)です。
馬籠宿-2
「馬籠の宿場と枡形」 を説明した掲示板です。
馬籠宿-3
 馬籠の宿場 
 中山道六九宿のうち、木曽谷には十一の宿場が置かれていた。 馬籠は板橋を一番目とすると四三番目の宿場になり、江戸からの距離は八三里六町余りとなっていた。
 街道が山の尾根に沿った急斜面を通っているので、その両側に石を積んで屋敷を造る「坂のある宿場」が特徴となっている。
 宿場の中央には高貴な人の宿泊に備えた「本陣」や「脇本陣」、荷物運搬の差配をする「問屋」が置かれ、旅人の利用する「旅籠」が一八軒、このほか「飯屋」や「馬宿」があって、行き交う旅人で賑わった。
 明治二五年(一八九二)に、木曽川沿いに国道が開設され、さらに明治四五年(一九一二)には国鉄中央線が全線開通することにより、宿場としての使命を終えた。
 明治二八年(一八九五)と大正四年(一九一五)の二度の大火で江戸時代の遺構の殆どを消失した。
 枡 形
 馬籠宿の街道の南端は直角に二度折り曲げてありこの部分の山手側は切り土になっている。 これは城郭建築の枡形を模したもので、ここを「枡形」といった。 本来宿場が軍事的な目的をもって造られたことを示している。 明治三八年(一九〇五)の道路改修により当時の原形を消失したが、その後昭和六〇年代になって復元された。
馬籠宿-4
道に 「枡形」 を示す印があります。
馬籠宿-5
左手に掲示板、正面が阿弥陀堂、手前の坂道が新道、手前右側の道が「枡形」です。
馬籠宿-6
左の道が「枡形」、右の坂道(車屋坂)が新道です。
馬籠宿-7
「枡形」にある水車小屋、このところで道が直角に曲がっています。
馬籠宿-8
新道(車屋坂)の途中にある 「常夜燈」です。
馬籠宿-9
桝形と新道が交差した点に、二つ目の 「枡形」 を示す印があります。
馬籠宿-10
上ってきた坂道を振りかえると、このような風景、常夜燈を右に下りると「枡形」です。
JUGEMテーマ:写真
 
 馬籠(まごめ)を 「百科事典マイペディア」 で調べてみました。
 長野県南西部、木曽郡山口村に属する旧中山道の宿場。 馬籠峠からこの宿場にかけては昔の姿がよく保存されている。 島崎藤村の生地として有名で、藤村記念館がある。 岐阜県中津川市からバス。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 19:06 | comments(0) | - |
馬籠宿と妻籠宿の旅 その1 馬籠宿(1) ツアー出発
車窓の風景-1
3月20日(土)、三連休の初日とあって高速道路は渋滞しています。
車窓の風景-2
きれいな橋です。 伊勢湾岸自動車道に架かる橋長820mの「豊田アローズブリッジ」です。 正式名は矢作川(やはぎがわ)に架かる 「矢作川橋」。
車窓の風景-3
東海環状道、長さ300mの五ヶ丘(いつつがおか)トンネル。 上り線と下り線のトンネルが近くを抜け、直ぐ隣に並ぶ形から、「めがねトンネル」と呼ばれています。 日本のめがねトンネルはこれまで約30件程度しか施工されていない珍しいトンネルです。
車窓の風景-4
車窓の風景-5
東海環状道、内回りの 「愛岐(あいぎ)トンネル」 です。 名前の通り愛知と岐阜の県境にあり、外回りは3,270m、内回りは3,290mあります。
馬籠宿-1
高速道路渋滞の影響で予定の2時間遅れで、馬籠宿(まごめじゅく)の駐車場に到着。
馬籠宿-2
駐車場の周りには、桃でしょうか、きれいなピンクの花が咲いています。
馬籠宿-3
馬籠宿らしい古風な建物が建っています。
馬籠宿-4
馬籠宿下入口の表示と案内図です。 すぐ脇を県道7号線が走っています。
馬籠宿-5
全長約600mの石畳と坂道がつづきます。
JUGEMテーマ:写真

 2010年3月20日(土)、読売旅行バスツアー 「木曽路・妻籠宿・馬籠宿うまいもんぶら~り食べ歩き」 に夫婦で参加してきました。 その時撮影した写真を 「馬籠宿と妻籠宿の旅」 と題して写真展示します。 以前より 「馬籠宿」と「妻籠宿」 は撮影したかった江戸時代の宿場情緒漂う町並みです。 少し時期がずれましたが、見て下さい。
| 馬籠宿と妻籠宿の旅 | 20:21 | comments(0) | - |
越後湯沢と奥只見の旅 その11(完) 魚野の里・雪国奇木館
車窓の風景-1
車窓の風景-2
予定の見学を終えたツアー一行は、車窓の美しい風景を見ながら静岡へ帰ります。
魚野の里
途中、雪国観光センター 「魚野の里;うおののさと」 で昼食と買物です。
雪国奇木館-1
出発までの時間を利用して、個人的に隣接する 「雪国奇木館」 を見てきました。
雪国奇木館-2
館主のメッセージが掲げられています。
雪国奇木館-3
奇木を利用した花瓶が素敵です。
雪国奇木館-4
雪国奇木館-5
雪国奇木館-6
雪国奇木館-7
雪国奇木館-8
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雪国奇木館-12
雪国奇木館-13
色々な巨木や奇木が展示されています。
雪国奇木館-14
圧巻は 「御神木 延命くぐり」 です。
雪国奇木館-15
この中をくぐれます。
雪国奇木館-16
「延命くぐり木の由来」 が書かれています。
関越トンネル
食事と買物を終えた、ツアー一行は 「関越トンネル」 を通り静岡の沼津へ帰ります。
JUGEMテーマ:写真
 
 2010年5月30日・31日、読売旅行ツアー 「奥只見遊覧船・アルプの里と越後湯沢温泉」 をたっぷり楽しんできました。 新潟のこの時期は、新緑がとれもきれいで、初めてみる大源湖・アルプの里、二日目の奥只見ダムと湖、どれも素晴らしいです。 本文では触れませんでしたが、湯沢ニューオータニホテルの大浴場で疲れを癒した温泉も最高でした。 筆者お勧めのコースです。(完)

 ≪追伸≫ 日本、堂々の16強、南アフリカで開催されているサッカーワールドカップで日本が3―1でデンマークに快勝し8年ぶりに決勝トーナメント進出を決めました。 早朝からのTV応援で、3点目のゴール時、思わず涙が出てきました。 緊張が安心に変わった瞬間でした。 次は決勝トーナメントです。 当面の目標4強を目指して一戦、一戦悔いの残らない試合をして下さい。 がんばれ 日本!。
| 越後湯沢と奥只見の旅 | 19:57 | comments(0) | - |
越後湯沢と奥只見の旅 その10 奥只見ターミナル
奥只見-1
40分の周遊コースを終え、遊覧船発着所へ帰ってきました。
奥只見-2
美しい奥只見湖を眺めながらターミナルへ
奥只見-3
帰りのスロープカ―乗場です。
奥只見-4
帰りはなだらかな坂道を歩いて下ります。
奥只見-5
坂道の途中にマンホールのふた、お湯のマンホールは初めて撮影しました。 奥只見ダム・奥只見湖や水芭蕉などがデザインされています。
奥只見-6
奥只見スロープカ―駅、所用時間は片道3分・100円の乗り物です
奥只見-7
奥只見発電所水車ランナ 発電所で30年間使用されたものが展示されています。
奥只見-8
奥只見-9
秘境 奥只見 奥只見湖と奥只見ダム 昭和36年に完成した我国有数の人造湖です。 神秘的な湖面と四季折々に彩りを添える樹木の景観は素晴らしく、特に春の新緑や秋の紅葉は見事です。・・・・また定期船の時刻表や奥只見シルバーラインのトンネル19の名称・長さなどが書かれています。
奥只見-10
よく目立つ、大きなけんちん汁の看板です。 鶏肉入りが特徴です。
奥只見-11
観光客の人達が美味しそうに 「けんちん汁」 を食べています。
奥只見-12
奥只見-13
旅の駅 奥只見ターミナル、色々なお土産が売られています。
奥只見-14
11時45分、遊覧と買物を終えたツアー一行はターミナルを後にします。 高いところからみたターミナルの風景です。 観光バスが停車しています。 人気のコースです。
奥只見-15
高いところから、最後に重力式としては日本一の奥只見ダムの美しい景観です。
奥只見-16
再び 「奥只見シルバーライン」 を通って静岡へ帰ります。
JUGEMテーマ:写真
 
 奥只見ダムや奥只見湖は、「越後三山只見国定公園」 に入ります。 この国定公園は、新潟県と福島県にまたがる山岳公園です。 1973年(昭和48年)5月15日に指定されました。 越後三山とは、八海山、中ノ岳、駒ヶ岳を指し、古くから修験道の聖地として拓かれました。 特に八海山はその中枢に当たります。 著名な山として景鶴山、荒沢岳、浅草岳などがあり、奥只見地方には豊かな森林と日本屈指の豪雪地帯の雪解け水を利用した電源開発により建設された田子倉ダムや奥只見ダムなどの発電用のダムがあり、その景観と人跡未踏の地の森林の調和が美しいところです。
(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 越後湯沢と奥只見の旅 | 19:43 | comments(0) | - |
越後湯沢と奥只見の旅 その9 奥只見湖遊覧
奥只見-1
日本で二番目の貯水量を誇る 「奥只見湖」 です。
奥只見-2
雪を抱く山々に囲まれた奥只見湖の風景です。
奥只見-3
奥只見湖遊覧船乗場から、尾瀬へ行けるルートが新設されました。
奥只見-4
ツアー一行、10時30分頃出港の遊覧船に乗船します。
奥只見-5
ツアー一行の乗る遊覧船は左側に停船している遊覧船です。
奥只見-6
きれいな自然の風景を堪能してきます。
奥只見-7
小船と新緑と雪山それに青い空、絵になる風景です。
奥只見-8
雄大な自然の風景に圧倒されます。
奥只見-9
奥只見湖周辺は新緑がきれいです。
奥只見-10
岩肌と新緑がきれいな風景です。
奥只見-11
撮影したのが5月31日、まだこの時期は残雪を見ることができます。
奥只見-12
後方に見える山は、標高2356mの燧ヶ岳(ひうちがたけ)です。 一万年以上前の火山活動により尾瀬の原型を作り出した東北一の高峰。
奥只見-13
秋の紅葉も見てみたいものです。
奥只見-14
山肌が積雪の影響でしょうか、露出しています。
奥只見-15
自然がもたらす新緑と残雪の風景がきれいです。
奥只見-16
奥只見湖を周遊している 「外輪船」 です。 撮りたかった一枚の写真です。
奥只見-17
19世紀アメリカ、ミシシッピー河を運航していた外輪船をモデルに作られました。
奥只見-18
雄大な奥只見の風景を堪能できる40分の周遊コースです。
JUGEMテーマ:写真

 春(5月下旬〜6月)は新緑と残雪が見れる、奥只見のベストシーズンです。 行楽日和で穏やかな湖面、山の緑と残雪の山々は自然が作り出す絶景です。 秘境奥只見、一度は見てみたい日本の美しい風景です。 
| 越後湯沢と奥只見の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
越後湯沢と奥只見の旅 その8 シルバーラインと奥只見ダム
奥只見-1
読売旅行ツアー 「奥只見遊覧船・アルプの里と越後湯沢温泉」 は二日目に入ります。 一直線の関越自動車道を奥只見ダムへ向かって走ります。 「ブレーキは心に、まいたけは健康に」 の看板は 「雪国まいたけ」工場、 環境のいいところで生産されてます。
奥只見-2
ここは美味しい米で名高い 「魚沼市」 です。
奥只見-3
奥只見に近づいてきました。
奥只見-4
これより 「奥只見シルバーライン」 に入ります。 昭和32年に完成し、江戸時代に奥只見で銀がとれたことからその名がつきました。
奥只見-5
全長22kmのうち、実に18kmが19のトンネルでつながっています。
奥只見-6
奥只見ダム建設用に作られたトンネル、建設当時の苦労が偲ばれます。
奥只見-7
暗いトンネルの中には、方向を示す大きな矢印が点滅しています。
奥只見-8
現在は県道50号線になっています。
奥只見-9
トンネルの出口が見えてきました。 通過するのに約30分かかりました。
奥只見-10
巨大な 「奥只見ダム」 、秘境奥只見の看板があります。
奥只見-11
ダムの堰堤まで行くのに 「奥只見スロープカ―」 に乗ります。
奥只見-12
料金は片道100円です。
奥只見-13
こんな急勾配を上ります。
奥只見-14
ダム下の 「旅の駅・奥只見ターミナル」 が小さく見えます。
奥只見-15
スロープカーを降りると大きな看板が目に入ります。
奥只見-16
ダムにはまだ残雪があります。
奥只見-17
奥只見ダムの高さは157mあり、上から覗くと身がすくみます。
奥只見-18
奥只見ダム 竣功 昭和36年12月。
奥只見-19
ダムの一番上は、こんなに広い道路になっています。
奥只見-20
日本で二番目の貯水量を誇る 「奥只見湖」。 ちなみに日本一は 「徳山ダム」 です。
JUGEMテーマ:写真
 
 ツアー二日目(5/31)も絶好の行楽日和に恵まれました。 関越自動車道をひた走り 「秘境奥只見」 に向かいます。 奥只見ダムは高さは157m、日本一高い重力式コンクリートダムです。 貯水量は日本で二番目。 2007年に完成した 「徳山ダム」 に日本一の座を譲りました。 またダムを造るのに先駆けて作られた全長20kmの 「奥只見シルバーライン」、昭和30年代における日本のトンネル技術力の素晴らしさに驚きます。 一見に値します。
| 越後湯沢と奥只見の旅 | 20:09 | comments(0) | - |
越後湯沢と奥只見の旅 その7 湯沢町散策
湯沢ニューオータニホテル-1
湯沢ニューオ−タニホテル-2
ロープウェイからも見えた、ツアー一行の宿泊ホテル 「湯沢ニューオータニホテル」
湯沢ニューオータニホテル-3
静岡からツアー一行を乗せてきました 「観光バス」 です。
湯沢ニューオータニホテル-4
ホテル入口には歓迎の看板です。
湯沢ニューオータニホテル-5
ホテルロビーに飾られている美しい絵です。
湯沢町散策-1
二日目の朝、6時朝食前に湯沢の町を散策、眼に留まった 「カエルと花」 を撮影
湯沢町散策-2
道の案内板、雪国文学散歩道も案内されています。
越後湯沢駅-1
ホテルから約10分、越後湯沢駅・西口(新幹線側)です。
越後湯沢駅-2
駅に掲示されている地図、駅の近くに 「雪国館」や「雪国の碑」 があります。
悦五湯沢駅-3
「雪国」文学山歩道も掲示されています。
越後湯沢駅-4
駅舎の柱に、ようこそ越後湯沢温泉へ
越後湯沢駅-5
越後湯沢駅構内に展示されている 「雪国」 の登場人物・芸者駒子の人形です。
越後湯沢駅-6
早朝なので駅の土産売り場は開いていません。
越後湯沢駅-7
越後湯沢駅・東口(上越線側)です。
JUGEMテーマ:写真

 筆者 泊まりで行くツアーでは、カメラを肩にかけて出かける早朝の散策を楽しみにしています。 一期一会の精神でチャンスがあれば、何でも見てやろうと思っています。 今回も越後湯沢駅は初めての訪問で、美しい芸者駒子に出会えました。 小さな幸せを感じます。 越後湯沢に行かれたら注目して下さい。

 【ミニ知識】 雪国(ゆきぐに)・・・百科事典マイペディアより
 川端康成の長編小説。 1935年から≪文芸春秋≫その他に分載、1947年に完結した。 越後湯沢温泉の風物を背景に、舞踊研究家島村と芸者駒子、その妹葉子との間に生まれる人間関係の微妙な美しさを描いている。 サイデンステッカーの英訳をはじめ、海外にも翻訳紹介され、川端文学の代表作。
| 越後湯沢と奥只見の旅 | 19:01 | comments(2) | - |
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