質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
尾張・名古屋の旅 その33 トヨタテクノミュージアム産業技術記念館(6)
産業技術記念館-1
自動車館二階フロアに展示されている 「AA型乗用車」 です。
産業技術記念館-2
 トヨダスタンダードセダンAA型乗用車(1936年) 1936年4月、トヨタ初の乗用車 「AA型乗用車」 が完成した。 AA型乗用車は、オールスチールボデーの採用や、エンジンを前車輪軸上に搭載して広い室内空間を確保している。 A1型試作車に対しては、フロント部分のデザインが変更されている。
  販売価格は名古屋渡しで 3,350円と設定され、当時のフォードやGMに比べて400円ほど安い価格であった。 その生産は刈谷試作工場から始まり、刈谷組立工場、挙母(ころも)工場へと移り1942年12月までに、AB型フェートン(1936年9月〜1938年9月生産)を含めて1,757台が生産された。(案内板より)
産業技術記念館-3
ドアを開き内部を見せて頂きました。 当時のまま忠実に複製されています。
産業技術記念館-4
クラクションも鳴ります。
産業技術記念館-5
当時のマークは現在の 「トヨタ」 ではなく 「豊田;トヨダ」 が使用されています。
産業技術記念館-6
見学時、色々親切に教えて頂きありがとうございました。
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同じフロアに、エンジンやボデーも展示されています。
JUGEMテーマ:写真

 1936年(昭和11年)、トヨダスタンダードセダンAA型乗用車(セダン;前後2列の座席を持つ箱型乗用車) の販売価格が当時のお金で 3,350円と設定。 昭和11年当時の米価が一升(約1.5kg) 40銭の時代。 現在の米価が10kg 5,000円とすると一升が約750円、当時と比較して約1,900倍となります。 単純にこの倍率から換算して当時の車の価格は約 636万円となります。 現在の高級車並みのお値段です。 タイムスリップしてAA型乗用車が颯爽と走行している姿を見てみたいものですね。
| 尾張・名古屋の旅(後編) | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その32 トヨタテクノミュージアム産業技術記念館(5)
産業技術記念館-1
トヨタテクノミュージアム産業技術記念館の金属加工技術の実演コーナーです。
産業技術記念館-2
120tonの鋳造プレスが設置されています。
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鋳造とは金属を溶かし、鋳型に流しこんで、所要の形を造ることです。
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鋳造された部品類が展示されています。
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1935年(昭和10年、今から74年前) 頃の手叩き板金の様子です。
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当時の車体ボデーが組み立てられる様子です。
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完成した試作ボデー(複製)です。
産業技術記念館-8
 完成した試作ボデー(複製) 手叩き板金で作られたパネルは凸凹や接ぎ目が多い。 ボデーの形に組付けてからはんだを盛り、磨き上げて表面を整える。 下塗りのあと水研ぎによりさらに表面を仕上げてからボデー色が塗装される。 この展示は塗装が完成した状態を再現しており、このあとの工程でエンジンやシャシー、内外装部品が取り付けられる。 試作工場で組み立てられた試作車は 「A1型」 と命名され、その1号車は1935年5月に完成した。
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 「岸和田だんじり祭」のあと、再び 「尾張・名古屋の旅」 の写真展示に戻ります。 

 トヨタテクノミュージアム産業技術記念館の繊維機械館を見学後、自動車館に進みます。 金属加工技術の実演コーナーや1935年当時の試作1号のボデー製造工程が展示されています。 ここでは 「研究と創造」 と 「モノづくり」 の大切さや素晴らしさが学習できます。
| 尾張・名古屋の旅(後編) | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その7(完)
だんじり祭-1
カンカン場交差点に 「大工町」 のだんじりが疾走します。
だんじり祭-2
交差点を左折します。
だんじり祭-3
大人達に守られながら、小さな子供も参加しています。
だんじり祭-4
曳き手が走り、速度の乗っただんじりが交差点で方向転換させる 「やりまわし」 が始まります。 だんじりのスピンアウトから見物客を守るため大工町の若者が並びます。
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大屋根の上では大工方が軽やかに舞います。
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だんじり祭-11
岸和田だんじり祭の醍醐味を撮影することができました。
だんじり祭-12
9月20日 午後2時、祭りは一気にヒートアップ。 カンカン場交差点には次々と 「だんじり」 が疾走してきます。 元気いっぱいの 「中町」 の皆さんです。
だんじり祭-13
群衆の中を華麗に疾走する 「南町」 のだんじり、見事な舞いに拍手です。
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 7回に亘って写真展示しました 「2009年 岸和田だんじり祭」 は今回で終了です。
9月19日、20日の二日間で延べ60万人にのぼる見物客が興奮と感動を味わったお祭りでした。 岸和田の皆さん感動ありがとうございました。

 今回のツアーは筆者にとって 「岸和田だんじり祭」 のみの、静岡より往復約1000kmのバスの旅でしたが、記録と記憶に残る日本を代表するお祭りでした。 なお初日大渋滞のためカンカン場スペシャルシートでの観覧ができなかったことに対し、スペシャルシート代とお詫びとしてツアー会社より一人当たり5000円の返金があったことを付け加えておきます。(完)
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その6
だんじり祭-1
カンカン場交差点に救急車とだんじりが同時に進入する珍しいシーンに遭遇しました。 今回4時間半の滞在でしたが、その間に数回救急車のサイレンを耳にしました。 いかに勇壮で激しい祭りかが分かります。
だんじり祭-2
だんじりがカンカン場観覧席に曳行されます。
だんじり祭-3
本ツアーはだんじり初日に、この有料カンカン場のスペシャルシートから豪快なやりまわしを見られるはずでしたが、残念ながら事情により自由席からの見学となりました。
だんじり祭-4
沿道は大勢の見物客でいっぱいです。
だんじり祭-5
お祭りの一コマです。 後挺子協議会のタスキが見れます。
だんじり祭-6
街角で見かけた風景です。
だんじり祭-7
岸和田の子供たちは小さい頃からだんじりに触れて成長します。
だんじり祭-8
元気いっぱいの岸和田の子供たちです。
だんじり祭-9
大会会場周辺は露店が並び賑やかです。
だんじり祭-10
こんなお土産も並んでいます。
だんじり祭-11
地方からの観光バスが並ぶ専用駐車場、会場より約3分の距離にあり助かりました。
だんじり祭-12
本ツアーの「新富士観光バス」、 ナンバーが 「い・・・8」 で縁起のいい番号でした。
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 元プロ野球選手で現在野球評論家として活躍されている清原和博さんは、この岸和田市の出身です。 今年のだんじり祭に参加するのではとの噂が流れましたが、残念ながらその姿を見ることはありませんでした。

 清原和博さんは1974年(昭和49年) 岸和田市立八木南小学校に入学。 1977年、6年生ばかりのレギラーに混じり唯一4年生でレギラーを獲得。 その後投手としても才能を発揮し、6年生の最後の試合ではエースで4番を務め、完全試合を達成しました。 その後、岸和田市立久米田中学校に進学するとともに、岸和田シニアリーグに移り、中学2年生にしてキャプテンとして関西シニアで優勝を果たす。 3年時には日生球場のネットを揺らす本塁打を放った。 その後、PL学園、プロ野球西武ライオンズ入団と華々しく活躍されたことは記憶に新しいことです。(HPフリー百科事典より)
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その5
だんじり祭-1
カンカン場交差点を左折し疎街道を曳行する 「南町」 のだんじりを撮影。
だんじり祭-2
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曳き手が街道いっぱいになってだんじりを曳行します。
だんじり祭-5
だんじりが目の前です。 撮影するのも必死です。
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「南町」 のだんじりが速度を落として目の前を通過して行きます。
JUGEMテーマ:写真

 だんじり見学の心得
 祭礼関係者、警察官はだんじりの安全曳行と見物人の安全確保のため随所に立って見物人を誘導しています。これらの方の指示には、速やかに従ってください。
 ※脚立、ふみ台に乗っての見物は禁止します。
 ※傘をさしての見物は非常に危険ですので御遠慮ください。
 ※だんじりには後挺子という舵取り挺子があり、その後挺子の操作を十分に行うに
   は、だんじりの約二倍の幅が必要です。だんじりが通過するときは、道路を広く開
   けて曳行の邪魔にならなう様にしてください。 など

 今年は終了しましたが、ベストショットを狙って夢中になると危険です。 ファインダーをのぞいていると周囲が見えません。 カメラマンの方十分注意して撮影して下さい。 脚立やふみ台が使用禁止なのでポジション取りが大事です。 今回カメラに28―300mmのズームを装着し重宝しました。
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その4
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「大北町」 のだんじり
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「紙屋町」 のだんじり
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「中之浜町」 のだんじり
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「大工町」 のだんじり
JUGEMテーマ:写真

 だんじり祭を撮影している時、地元の方がだんじりの本体も素晴らしいですよ。 と教えられ早速、休憩中のだんじりを撮影してきました。 岸和田(旧市)地区の祭礼は、各町が1台ずつ持ち22台のだんじりで構成されています。 今回その中で、大北町、紙屋町、中之浜町、大工町のだんじりを撮影してきました。 欅(けやき)で作られた見事な彫刻は一見に値します。 町毎にデザインが異なり、ストリーを感じます。 是非だんじり祭におでかけの際は、動のだんじりと、静のだんじりを見学されることをお勧めします。 素晴らしいです。
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その3
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「北町」 のだんじりがカンカン場交差点に入る様子を300mmの望遠で撮影したもの。
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幟を先頭に黒装束の一団が疾走します。
だんじり祭-3
まさしく勇壮な男の祭りに感動します。
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大工方は、だんじりの上で団扇を持ち、前方の進路を調整する役目も果たします。
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大工方はだんじりの花形です。 筆者お気に入りの一枚です。
JUGEMテーマ:写真

 岸和田だんじり祭は、大阪府岸和田市で毎年秋に行われる祭りです。 曳き手が走り、速度に乗っただんじりを方向転換させる 「やりまわし」 を見所として、多くの観光客を集めます。 元々は岸和田藩の領民が岸和田藩主とともに、その年の五穀豊穣を岸和田城内三の丸稲荷神社に感謝した稲荷祭が起源です。 現在では各町のだんじりがそれぞれの氏神社に宮入りし、五穀豊饒・無病息災などを祈願します。 全国的にも知名度が高く、日本を代表する祭りの一つです。(BIGLOBE百科事典より引用) 
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その2
だんじり祭-1
南海電車 岸和田駅改札口
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天井に 「だんじり祭」 が描かれています。
だんじり祭-3
大きな南海電車 岸和田駅です。
だんじり祭-4
駅には 「だんじり祭」 を祝う提灯が飾られています。
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平成21年岸和田だんじり祭の案内図、中央下が岸和田駅、中央上がカンカン場
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街の時計台にも 「だんじり」 が飾られています。
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岸和田駅前通商店街(アーケード)
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街には、だんじり祭の衣装が似合います。 街中はだんじり祭一色です。
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商店ではだんじり祭のお土産が売られています。
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岸和田市のマンホール、岸和田城(?)がデザインされています。
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五軒屋町交差点です。
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本通り商店街、正面が岸和田カンカンベイサイドモールと観覧席があります。
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岸和田では子供の頃からだんじり祭に参加、たのもしい後継者です。
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10:49 「五軒屋町」 のだんじりがカンカン場交差点を走り抜けます。
JUGEMテーマ:写真

 宿泊ホテル 「プラザオーサカ」 で、筆者夫妻は別行動のためツアー一行と別れ、電車で岸和田に向かいます。 ホテル近くの「十三(じゅうそう)」 駅から阪急電車に乗り、「梅田」へ、地下鉄御堂筋線に乗り換え 「なんば」へ、南海電車に乗り換え 「岸和田」 へ約1時間かかりました。 初めての大阪電車の旅でしたが、なんとかたどりつきました。 午前10時から午後2時30分まで4時間30分、岸和田だんじり祭を楽しんできました。 14:40 駐車場でツアー一行と無事合流しました。 昨日の大渋滞でカンカン場観覧席からの撮影はできませんでしたが、その分別行動で自由に色々な視点や角度から 「だんじり祭」 が撮影できラッキーでした。 
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
2009年 岸和田だんじり祭 その1
だんじり祭-1
「北町」 のだんじりを連続撮影。 2009年9月20日 午後12:10  カンカン場にて。
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走るだんじりの大屋根で 「大工方」 が華麗に飛びます。
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曲がり角を500人以上は引っ張るだんじりは壮観です。
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右や左に蝶の如く飛び交う大工方、最大の見せ場です。
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念願の勇ましい祭りとして全国的に有名な 「岸和田だんじり祭」 を撮影しました。
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 2009年9月19日(土)〜20(日)にバスツアー 「岸和田だんじり祭と神戸2日間」 に夫婦で参加してきました。 残念ながらシルバーウィーク初日とあって高速道路1000円の影響をもろに受け、大渋滞に巻き込まれ大阪到着が4時間遅れ、「かんかん場」 スペシャルシートでの観覧はすでに終了、何も見ずホテルインとなりました。
 ツアー一行は、二日目の行程を組み替えて神戸見学とだんじり祭の自由見学となりました。 そこで筆者は神戸は二度見学しているので別行動にしてもらい、だんじり祭のみ自由見学と撮影をしてきました。 色々ハプニングのあったツアーでした。 

 19日、20日の二日間で延べ60万人の見物客が繰り出すという、大阪の 「岸和田だんじり祭」 、撮影したかった日本を代表するお祭りの一つです。 重さ約4トンのだんじり(地車・山車・楽車) を長さ百数十メートルの綱で500人以上が 「ソーリャ、ソーリャ」 のかけ声ともに引っ張り、大屋根の上では大工方がリズミカルに踊り、観客を魅了します。 勇壮な男の祭りです。
| 2009年 岸和田だんじり祭 | 19:01 | comments(0) | - |
尾張・名古屋の旅 その31 トヨタテクノミュージアム産業技術記念館(4)
産業技術記念館-1
入館時、開館15周年記念企画展として 「ジャカードの世界」 展が開催中でした。
産業技術記念館-2
産業技術記念館-3
ジャカード機の体験実習もできます。
産業技術記念館-4
産業技術記念館-5
着物や帯などに使用され日本の文化を伝えるジャカード織物が展示されています。
産業技術記念館-6
紋織物(もんおりもの)とは、種々な組織を組み合わせ、また色糸を使用して複雑な柄模様を織り出した織物の総称。・・・・手織りのものもあるが、現在ではそのほとんどがジャカード付きの機械で織られるため、紋織物全般をジャカード織物ともいう。・・・・・・
産業技術記念館-7
常設展示会場に展示されている 「写真織」。  最新の電子ジャカードを搭載したエアジェット織機です。 写真に写した模様がそのまま高速で織られていく迫力の技、織物の技術がここまで進んでいるのか驚き感心します。 スゴイの一言です。
JUGEMテーマ:写真

 「ジャカード」、筆者にとって初めて見聞する単語です。 広辞苑には  「ジャカード機で織った紋織物」 とあります。 さらに、ジャカード機とは ≪これを完成したフランス人ジャカール(J.M.Jacquard1752〜1834)の名の英語読みから≫ 紋織物機械の一。 経(たて)糸を1本ずつ単独に運動させて複雑な組織や紋様を織るのが特徴。 ジャカール機。 と書かれています。

 ジャカードの西陣への渡来
 明治の初めの頃、時の京都府知事・長谷信篤は、洋式織法を導入して西陣の機業(きぎょう;はたおりの仕事) を発展させたいという思惑がありました。 この意向を受け、1872年に西陣の伝習生3人がフランスのリヨンに派遣されました。 3人は苦労して紋織物技術を習得し、翌年ジャカード(20数台)、バッタンなど機械と技術を携え帰国し、1874年3月、京都博覧会でこれらを公開して広く世に紹介しました。 (織りの美・おどろき発見 ジャカードの世界 リーフレットより引用)

 追伸 明日(9/19)より大阪・岸和田だんじり祭ツアーに夫婦で参加のため、9/19〜9/21までブログ更新はお休みです。 後日、祭り写真を展示します、見て下さい。
| 尾張・名古屋の旅(後編) | 19:01 | comments(0) | - |
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