2009.06.30 Tuesday
熊野古道・那智の旅 その13 熊野那智大社(2)
熊野那智大社は2004年7月 「紀伊山地の霊場と参詣道」 として世界遺産に登録
石段を登り切ると「熊野那智大社」です。 二の鳥居前から撮影
境内に掲げられている大きな案内板です。 全文を下記に記します。
境内には大勢の観光客が参拝に訪れています。
熊野那智大社の拝殿・御本殿です。
鮮やかな朱色の熊野那智大社です。
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熊野那智大社の御案内
この地を 「熊野」 と申します。 クマとは、「奥まった処」 「隠れたる処」との意があり、そこは 「上座」 であり 「聖」 なる地と位置づけています。 「クマ」 と 「カミ」 は同じ意味があり、「クマノ」 は 「カミの野」 で神々の住まえる地といえます。
神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏(やたがらす)の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。 その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇五年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えています。
古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」 那智山熊野権現と称し、御社名を 「熊野那智大社」 と申し、御祭神は、熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神 「伊弉冉命」 を主神とし十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社 熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。
重畳と續つく紀伊の山々の果て、前面に大海原が拡がる温暖な地は京洛より山川八十余里、往復一ヶ月を要し後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を 「蟻の熊野詣」 と称しています。
御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦社・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では、昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。
更に、平成十四年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度 『紀伊山地の霊場と参詣道』 として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。
那智山 熊野権現 熊野那智大社