重厚感と優美さを併せ持つ 「旧唐津銀行本店」 の外観です。
EOS-30D・EF-S17-85mm(17mm)で撮影 これ以上は無理でした。
唐津駅前にあります、モダンな佐賀銀行 唐津支店です。
写真の旧唐津銀行本店は、唐津市出身の建築家・
辰野金吾の弟子、田中実氏が設計し、1912年(明治45年)に完成しました。 外壁は当時最新建築材のレンガ調タイルが使用され格調高い仕上がりになっています。
【ミニ知識】 唐津が生んだ建築界の巨匠たち(唐津市近代図書館発行資料より)
辰野金吾(たつの きんご 1854〜1919)・・・明治時代の建築家 1854年(安政元年)唐津藩士の子として現在の唐津市坊主町に生れる。 1879年(明治12年)工部大学校(現東京大学)造家学科を第1回生として卒業。 すぐにイギリスへ留学、帰国後工部大学教授、帝国大学工科大学教授、工科大学学長、日本建築学会会長等の要職を歴任。 明治建築界最大の巨匠。
代表作には日本銀行本店(1896・国指定重要文化財)、同大阪支店(1903)、両国国技館(1909)、東京駅(1914・国指定重要文化財)、大阪市中央公会堂(1917)などがある。 唐津近辺では、武雄温泉棟及び楼門、現福岡市立歴史資料館などがある。 また旧唐津銀行は氏の作品ではないが、氏の作風の流れをくむものとして知られている。 国会議事堂設計競技の審査員として活躍中、その結論を見ず1919年(大正8年)66歳で没す。
曾禰達蔵(そね たつぞう 1852〜1937)・・・1852年(嘉永5年)江戸唐津藩邸に生れる。 小笠原長行公の小姓として幕末を迎え帰藩。 1879年(明治12年)工部大学校(現東京大学)造家学科を第1回生として卒業。 1881年工部大学校助教授。 1886年海軍省を経て1890年三菱社へ入り、三菱丸の内赤レンガ街、占勝閣などの建設に従事。 代表作 慶応義塾創立50周年記念図書館(国指定重要文化財)がある。 1937年(昭和12年)85歳で没す。
村野藤吾(むらの とうご 1891〜1984)・・・1891年(明治24年)現在の唐津市東唐津に生れる。 1918年(大正7年)早稲田大学建築学科を卒業。 大阪の渡辺節事務所へ入り、チーフデザイナーとして活躍。 1929年(昭和4年)村野建築事務所を開設。 森五商店東京支店(1931年)、大阪パンション(1931年)など国際スタイルの建築をつくり注目される。 代表作 広島市にある世界平和記念聖堂(国指定重要文化財)がある。 1984年(昭和59年)、93歳で没す。