2006.09.30 Saturday
伊豆修善寺の旅(13) 日枝神社
日枝神社の本殿です。
「子宝の杉」 です。 天に向かって真直ぐにそびえ立つ、ごく稀なる根幹が接合した樹齢800年の大杉。 子は夫婦の鎹(かすがい)(掲示板より)
静岡県指定天然記念物の 「イチイカシ・一位樫」 です。 根廻り5.5m、目通り4.5m、樹高25mの大木、一位樫は九州地方に成育する木で伊豆には珍しい。
日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立といわれる。 明治初年(1868)の神仏混淆(こんこう)廃止令(神仏分離令)により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社であった。 境内には杉の大木、ケヤキ、マキ等が亭々とそびえ立っている。(掲示板より)
「カゴノキ・鹿子の木」です。 黒っぽい樹皮がまだらにはがれ落ち、そのあとの新しい部分が白っぽいので、鹿の子模様になる。 鹿子の木の名はこの樹皮の模様からきている。 暖地の山地に生える常緑高木。 高さは普通10m〜15m、大きいものは20mほどになる。(掲示板より)
「信功院跡」です。 修禅寺八塔司の一つ信功院のあったところです。 源範頼は兄頼朝の誤解に依りこの信功院に幽閉されました。 建久五年(1194)梶原景時五百騎の不意打に合い範頼は防戦の末自害しました。 信功院は後に庚申(こうしん)堂となり今の庚申塔一基が残っています。(掲示板より)
ここは日枝(ひえ)神社です。 修禅寺に隣接し、昔は修禅寺の鎮守さまでした。
境内には子宝の杉の大木や県天然記念物に指定されている「一位樫」があります。 また、修禅寺に幽閉された源範頼が自害した場所です。 境内には幽閉地跡の表示と庚申塔がひっそりと建ています。
【ミニ知識】 源範頼(みなもと の のりより)
修善寺・赤蛙公園よりほどなく行ったところに 「源範頼の墓」 があります。 そこの掲示板に次のように書いてありましたので紹介します。
鎌倉初期の武将 義朝の第六子で蒲の冠者(かばのかんじゃ・生まれが遠江蒲御厨)と呼ばれた。 治承四年(1180)、兄頼朝が源氏再興の挙兵をした時、その麾下(きか・直属の家来)に属した。 寿永二年(1183)頼朝と義仲が対立した時、弟義経と共に兵を率いて西上し、翌年近江の国で義仲を倒した。 次いで義経と共に一ノ谷の合戦で平家軍を破り、功によって三河守を任じられた。
引続き平家追討のため九州に遠征し、平家滅亡後も九州に留って戦後の経営に当った後、鎌倉に帰った。 その後頼朝と義経の仲が険悪化した時、頼朝が範頼に義経を殺すよう命じたが、兄弟を殺すのは嫌だと断ると、範頼も義経のように叛(そむ)くようになると、疑われるようになった。
建久四年(1193)五月の曽我兄弟仇討ちの時、頼朝も巻き込まれ殺されたと誤って伝えられ、嘆き悲しむ政子(頼朝の妻)を慰めて、「範頼がおりますからご安心下さい」 と云ったのが、頼朝亡きあと幕府横領の下心だと疑いを招いた。 範頼は百万陳弁につとめたが、同年八月十七日、ついに当地修禅寺に幽閉され、さらに同月末、梶原景時に攻められて、日枝神社下にあった信功院で自刃したと伝えられている、信功院は徳川時代に廃止され、現在は庚申塔一基を残すだけとなっている。