質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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小江戸・川越の旅 その17 三芳野神社
三芳野神社-1
平安時代初期の大同2年(807)の創建と伝わる 「三芳野(みよしの)神社」
三芳野神社-2
社前に続く細い参道は、童謡 「とおりゃんせ」 のモデルと言われています。
 ♪とおりゃんせとうりゃんせ ここはどこのほそみちじゃ
  てんじんさまのほそみちじゃ ちょっととおしてくだしゃんせ
  ごようのないものとおしゃせぬ このこのななつのおいわいに
  おふだをおさめにまいります いきはよいよいかえりはこわい
  こわいながらも とおりゃんせとおりゃんせ♪
三芳野神社-3
三芳野神社-4
三芳野神社-5
三芳野神社境内に建立されています石碑 「わらべ唄発祥の所」 です。
三芳野神社-6
同じ境内に 「川越城七不思議」 の石碑も建立されています。
JUGEMテーマ:写真

 三芳野神社は川越城跡の東端、本丸御殿のすぐ前にある。 平安時代初期の大同2年(807)の創建と伝えている。 のち、京都北野天神から菅原道真の神霊を勧請して合祀したという。 長禄元年(1457)、川越城を築いた太田道灌は、本神社を城の鎮守とし、天正19年(1591)には、徳川家康が朱印20石を寄進。 江戸時代を通じて、川越城主歴代の尊信が厚かった。
 社前に続く細い参道は、童謡 「とおりゃんせ」 天神様の細道のモデルだと伝えられている。 神社が城内にあったため、一般人の参拝がなかなか難しく、その様子が歌われたといわれている。
 境内の背後に雁が飛来する 「初雁の杉」 があったが、今はない。 三芳野の社名は、「伊勢物語」 に出てくる 「みよし野のたのむの雁のひたぶるに 君が方にぞよると鳴くなる」 の中の、みよし野(川越の古名)によると伝えている。
 本殿と拝殿を相の間でつないだ、いわゆる権現造りの社殿は、寛永元年(1624)川越城主酒井忠勝が、徳川三代将軍家光の命によって造立したもの。 本殿・拝殿とも屋根入母屋造り、銅板葺きで、蟇股や太い木割り、各所に施された朱塗り・飾り金具、拝殿の小組格天井の黒漆塗りなどに、桃山時代(16世紀後半)の壮麗な建築様式を残している。 県指定の文化財。(郷土資料事典 埼玉県より引用)

 【ミニ知識】 川越城七不思議・・・境内掲示板より
 (その1) 初かりの杉
 川越城内にある三芳野神社の裏には大きな杉の老木があった。 いつの頃からか毎年雁(かり)の渡りの時期になると時を違わず飛んできた雁は、杉の真上まで来ると三声鳴きながら、杉の周りを三度回って、南を指して飛び去ったということである。 そのため、川越城は別名 「初雁城」 ともいわれている。

 (その2) きりふきの井戸
 城中に苔(こけ)むした大きな井戸があった。 ふだんは蓋(ふた)をしておくが、、万一敵が攻めて来て、一大事という場合には、この蓋を取ると、中からもうもうと霧が立ち込めて、城は敵から見えなくなったという。 そのため、川越城は別名 「霧隠城」 ともいわれる。

 (その3) 人身御供(ひとみごくう)
 川越城築城の際、太田道真・道灌父子は、三方(北、西、東)の水田が泥深く、築城に必要な土塁がなかなか完成せず苦心をしていたところ、ある夜龍神が道真の夢枕にたって 「明朝一番早く汝のもとに参った者を人身御供に差し出せばすみやかに成就する」 と言った。 道真は、龍神にそのことを約束をしたが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰(よね)姫であった。 さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、姫は、ある夜、城の完成を祈りながら、七ツ釜の淵に身を投げてしまった。 そののち川越城はまもなく完成したという。

 (その4) よな川の小石供養
 むかし、川越城主にたいそう狩の好きな殿様がいて、毎日のように鷹狩りに出かけていた。 ある日、供の若侍が小川のほとりを通りかかると、一人の美しい百姓の娘に出会ったので、名前をたずねると 「およね」 といい、やがてこの娘は縁があって若侍の嫁となったが、姑にいびられ実家に帰されてしまった。 およねは自分の運命を悲しみ、夫に出会った小川のほとりで夫の通りかかるのを待っていたが、会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。 やがてこの川を「よな川」と呼ぶようになったが、川の名は 「およね」 からきているとも、よなよな泣く声が聞こえるからともいわれている。

 (その5) 7つ釜と片葉の葦(あし)
 浮島稲荷社の裏側一帯は、萱(かや)や葦(あし)が密生した湿地帯で、別名 「七ツ釜」 といわれていた。 ここに生える葦は不思議なことに片葉であって、次のような話が伝わっている。 川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、ようやくこの七ツ釜のところまでやって来たが、足を踏みはずしてしまった。 姫は、川辺の葦にとりすがり岸にはい上がろうしたところ、葦に葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでしまった。 この辺りの葦は、この姫の恨みによってどれも片葉であるといわれている。

 (その6) 天神足洗いの井戸
 太田道真・道灌父子が川越城を築城するに当たって、堀の水源が見つからず困っていたところ、一人の老人が井水で足を洗っているのに出会った。 この老人の案内によって水源を見つけた道灌は、かねての懸案を解決し、難攻不落の川越城を完成させることができたといわれている。 かの老人の気品にあふれた姿に気がついた道灌は、これぞまぎれもない三芳野天神の化身であったかと思い、以来これを 「天神洗足の井水」 と名づけて大事にし神慮にこたえたという。

 (その7) 城内ひずめの音
 川越城主酒井重忠は、不思議なことに夜ごと矢叫(やたけび)や蹄(ひづめ)の音に眠りをさまされていた。 ある日、易者に見てもらったところ、城内のどこかにある戦争の図がわざわいしているとの卦(け)が出たので、さっそく土蔵を調べたところ堀川夜討の戦いの場面をえがいた一双の屏風絵がでてきた。 この屏風の半双を引き離して養寿院に寄進したところ、その夜から矢叫や蹄の音が聞こえなくなったという。
| 小江戸 川越の旅 | 19:08 | comments(0) | - |









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