質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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身延山久遠寺 その6 奥之院思親閣(2)
奥之院境内-1
鐘楼堂、寛文八年身延山二十九世日莛上人代建立
奥之院境内-2
境内の風景
奥之院境内-3
奥之院境内-4
元政塚、京都深草元政上人の父の遺骨と御自身の髪を埋められた塚
奥之院境内-5
釈迦像、昭和45年4月建立のお釈迦様の像
JUGEMテーマ:写真

 身延山は、今からおよそ700年の昔、日蓮大聖人がその晩年をすごされた霊山です。 建長5年(1253)4月28日、32歳で房州清澄山上に御開宗を宣言された日蓮大聖人は、以来鎌倉に伊豆に房州に、さらには死は必定とまでいわれた3年間の佐渡御流罪など、わたしたち凡人には想像もできない御難苦心の20年を送られました。
 佐渡御流罪より帰られた大聖人は、幕府に3度目の諫暁をなされましたが受け入れられず、「三度いさめて容れられざれば去る」 との古来の聖賢にならって、甲斐の国波木井郷の領主、南部六郎実長の招きをいれ、文永11年(1274)6月17日、草深い身延の山に入山され、南部公心づくしの御草庵に入られました。 聖人53歳のこの時を身延山の開創紀元としています。
 南部公は弘文4年には18米四方の大堂を建設し、大聖人は始めて身延山妙法華院久遠寺と御命名になり、「日蓮が弟子檀那等はこの山を本として参るべし、これ即ち霊山の契なり」 と述べられ、この山はお釈迦様が法を説かれたインドの霊鷲山にも劣らぬ名山であると称され、こよなく愛されたのです。 又、身延山の四季は素晴しく、春の桜、秋の紅葉は特に秀でています。
(身延山久遠寺発行・心のふるさと身延山 より引用)

 【ミニ知識】 釈迦(しゃか)・・・古典文学事典より
 仏教の開祖。 生没は諸説あるが前566年ごろ〜前486年ごろか。 姓はゴータマ、名はシッダルタ。 「釈迦牟尼(しゃかむに)」 「釈尊(しゃくそん)」 とも。
 中部ネパールの釈迦族の浄飯(じょうぼん)王の子として迦毘羅(かびら)城に生まれる。 母は摩耶夫人(まやぶにん)。 80歳で入滅。 
| 山梨県身延の旅 | 19:20 | comments(0) | - |









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