質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE
<< 青森の旅 その30 弘前市(10) 弘前公園(6) 弘前公園の桜 | main | 青森の旅 その32 弘前市(12) 弘前公園(8) 日本一のソメイヨシノ >>
青森の旅 その31 弘前市(11) 弘前公園(7) 鷹丘橋
弘前公園-1
朱色が鮮やかな「鷹丘橋;たかおかばし」
弘前公園-2
鷹丘橋は、本丸と北の郭に架かる橋です。
弘前公園-3
顔出し絵「超城合体タメノブ―ン后廖▲董璽泪愁鵐阿弘前学院聖愛高校野球部の応援歌として歌われています。
弘前公園-4
弘前公園-5
弘前市古木名木、樹高約24mの「ハルニレ」。
弘前公園-6
満開の八重桜がきれいです。
弘前公園-7
 公園内にある「籾蔵跡;もみぐらあと」 ここには、四代藩主信政(のぶまさ)の生母である久祥院の屋形がありましたが、宝永元年(1704)以降は宝蔵や籾蔵が建てられ、廃藩の頃には籾蔵が建ち並んでいました。平成12年〜13年度の発掘調査で、籾蔵を構成する礎石列が確認されました。礎石は約1m間隔で並び、東側および南側は後世の建物のため失われていましたが、十二間×四間(約24m×8m)規模であることがわかりました。この籾蔵が建てられた時期は、19世紀前半と考えられます。発掘され礎石は盛り土により保護しました。その上に石を配置し、区画内の舗装の色を変えることにより、籾蔵の跡を表示しました。 弘前市
弘前公園-8
 「子の櫓跡;ねのやぐらあと」 北の郭北東隅の土塁上には、藩政時代を通して三層の櫓がありました。櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていました。子の櫓は廃藩以降もその姿を留めていましたが、明治39年(1906)花火のために消失してしまいました。平成13年の発掘調査により、正方形に並ぶ櫓の礎石と石段が確認されました。櫓の礎石には、石切の際の矢穴や柱を据える凹(くぼ)みのあるものがあり、中央には束石があります。櫓の規模は四間×四間(約8m×8m)であり、二の丸に現存する三棟の櫓と同規模となります。櫓の基礎及び石段については、発掘調査で確認されたままの状態で表示しました。 弘前市
弘前公園-10
淡いピンク色の花「つばき」。
弘前公園-11
元気に咲くツツジの花。
弘前公園-9
弘前公園-12
大木に寄り添うツツジの花。

JUGEMテーマ:写真

 弘前城・鷹丘橋は、四代藩主津軽信政が造った橋で、内濠を隔て、本丸と北の郭に架かる橋です。弘前城は、寛永5年(1628)に改称される以前は、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。鷹丘橋という名は、由緒ある旧名にちなんだものと思われます。この橋は寛文10年(1670)、藩主信政が母の屋敷のある北の郭を行き来するために架けたとされます。藩政時代は、敵の侵入を防ぐため、戦時には壊される架け橋でした。
| 青森の旅 | 19:00 | comments(0) | - |









このページの先頭へ