2016.11.09 Wednesday
和歌山の旅 その51 和歌浦散策 番所庭園
和歌山市雑賀崎にある「番所庭園;ばんどこていえん」。
きれいに整備された園内、黒松が見事です。
園内から見る雑賀崎の美しい景観、小さく見える灯台は「雑賀崎観光灯台」。
ここは、元番所台場遺跡。
現在は、大芝生と松の海洋公園、芝生に“ようこそ”の文字。
万葉歌碑(藤原卿 巻7-1194)
紀の国の 狭日鹿(さひか)の浦に 出(い)で見れば 海人(あま)の燈火(ともしび) 波の間(ま)ゆ 見ゆ
雑賀の浦 こんにち「雑賀;さいか」といえば、いっぱんに新和歌浦西方突出の雑賀崎を思うようだが、「雑賀」の地は、和歌山市街の南部、天神山北方の西浜、関戸から宇須・打越・塩屋にかけての一帯をいうもので、万葉の「狭日鹿乃浦」もこの地西方、西浜から雑賀崎にかけての海をいうものであろう。
こんにちは水軒西方は広く埋め立てられ、大貯木場と和歌山南港になっていて、とうてい想像もつかないだろうが、かっての海を思えば、波の間に見えかくれする、めずらしい海人の燈火への心ひかれも、描かれなくはない。万葉の「雑賀野」は天神山から秋葉山にかけての平野部を称したものであろう。
万葉ゆかりの地 黒船の見張り番所の跡 元番所お台場の跡 番所庭園
1.万葉時代神亀元年(724年)10月に、聖武天皇が大和の都から、お供の公家・宮廷人達と、和歌の浦に行幸されました折、藤原卿がここ番所庭園の北側に広がる海「雑賀の浦」の漁火を見て、詠まれたと言われている上記歌は、あまりにも有名です。昭和52年に、宇治田省三和歌山市長は、犬養孝大阪大学名誉教授に、市域を詠んだ万葉歌十首と、その故地十箇所を選んで頂き、そこにその歌板と歌碑を建立しました。「雑賀の浦」の歌板と歌碑は、犬養先生が近辺各所を歩かれて決められた園内に今も大切に管理され建っています。
2.番所庭園のあるここは、地図にも出ている様に「番所の鼻」と言い、平坦で海に長く突き出た地形で、紀州藩は海の防備見張りのため遠見番所を設けました。藩領の長い海岸線十数ヶ所に番所がありましたが、ここはその中でも和歌山城に最も近い番所として、狼煙場と共に重要な所でした。其の後、遠見番所は鷹の巣山頂へ移転したので、ここは「元番所」と呼ばれています。
3.米国ペリーの来航(嘉永6年 1853年)を機に、紀州藩も本格的に海防に取り組み始めました。翌年安政元年(1854)に家老三浦長門守御持場「元番所お台場」が当庭園内大芝生の辺りに構築されました。紀州藩から出された異船記(和歌山県立図書館蔵書)には、この「元番所お台場」全体の鳥瞰絵図や大砲・鉄砲・人員の配置などが詳細に記載されています。
4.ここ番所庭園は、和歌山市万葉めぐりコースです。また瀬戸内海国立公園特別地区にも指定された国の代表的景勝地です。特に同国立公園中の景勝地50ヶ所にも選ばれています。また、珍しい紀州青石(緑泥片岩)の海岸美も、ごゆっくりと、お楽しみください。
景観説明図
展望台から見る双子島。右;大島(男島)、左;中之島(女島)。
大芝生が美しい「番所庭園」の全景。
JUGEMテーマ:写真
国指定名勝元紀州徳川家庭園・養翠園を撮影後、和歌浦散策の最後は、万葉ゆかりの地・黒船の見張り番所の跡・元番所お台場の跡「番所庭園」です。海のない平城京(現在の奈良県)に住む万葉貴族にとって、温暖で雄大な和歌浦の風景は心浮き立つ憧れだったのです。
紀三井寺から始まった和歌浦散策、玉津島神社、妹背山、不老橋、紀州東照宮、和歌浦天満宮、蓬莱岩、養翠園、そして番所庭園などなど、和歌山屈指の絶景の数々を堪能しました。お勧めの散策コースです。