質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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鹿児島の旅 その27 歴史ロード 「維新ふるさとの道」
維新ふるさとの道
 歴史ロード 維新ふるさとの道 歴史が漂う、維新の英傑を語り伝える道です。
加治屋町
 幕末・維新の偉人を生んだ加治屋町
 郷中教育が日本を拓いた
 「議を言うな」―薩摩の青少年の間では、暗黙のうちに、このような取り決めがなされていました。「つべこべ小賢しい理屈を言わず、先輩の言うことには従え。」 ということです。 藩政時代、薩摩では、城下の居住地をいくつかの区域に分け、その区域ごとに子弟の教育にあたりました。 区域のひとつひとつを 「方限;ほうぎり」 とか 「郷;ごう」 と呼び、その教育機関として、郷の相中(あいなか)、略して 「御中;ごじゅう」、つまり現在の学区にあたる制度を設けたのです。
 御中では、幼少の頃から肉体的にも精神的にも徹底した鍛錬教育が行なわれ、特に上下関係は厳しくしつけられました。 「議を言うな」 「長老衆には従え」 という暗黙の了解は、そういう土壌で培われたものと思われます。 薩摩藩には幕末33の郷中があり、中でも下加治屋町郷中は、高麗、上荒田の三郷中(三方限)と並んで、幕末から明治にかけて多くの逸材を生み出したことで有名です。 偉人傑士(けっし)として、西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、大山巌、村田新八、東郷平八郎、黒木為和召鯒攴个掘郷中教育が日本近代化への原動力となったことを如実に物語っています。
日新公いろは歌
「いろは歌」 の広場に立つ石柱。
基本理念
 薩摩藩士の礎を築いた基本理念
 ―理論より実践を重んじる教育―
 「日新公;じっしんこう」 と敬(うやま)われた島津家中興の祖、島津忠義(ただよし)は人の道、生き方、人の上に立つ者の心得などをわかりやすく歌の形で広めることを目的として、天文14年(1545年)に 「いろは歌」 を作りました。 「いろは歌」 は理論より実際の行動を重んじる薩摩藩士ならではの子弟教育の教典として重視され、その後も長く親しまれてきました。 郷中の二才(にせ)や稚児(ちご)だけでなく、無学の者や子女もこれを諳(そら)んじて家庭教育の基礎としていたといわれます。
 「古(いにしえ)への道を聞きても唱(とな)へてもわが行(おこない)にせずばかひなし」 など総数47首の歌に詠みこまれた精神は、実践主義を旨とし、義や誠を重んじた薩摩武士の魂の根源でもあり、現代においてもなお色あせない重みを持っています。 園内に点在するいろは歌の広場には、47首の歌と意訳とがそれぞれ石柱に刻まれており、薩摩の偉人たちにも受け継がれてきた武士としての基本理念に触れることができます。
二つ家
 二つ家(ふたつや)と呼ばれる住居形態
 ―下加治屋町での武士の暮らし―
 鹿児島城から離れた甲突川沿いの下加治屋町は、幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛ら下級武士の居住地でした。下加治屋町には70数戸の下級武士が居住しており、当時の屋敷は二つ家と呼ばれる居住形態でした。 二つ家とは座敷を中心とした格式を重んじる 「おもて」 と台所など日常生活のための 「なかえ」 とが樋の間(てのま)でつながり、屋根は二つでありながら部屋はひと続きになっているという特徴を持ちます。 当時の屋根は藁(わら)や萱(かや)で葺(ふ)いたものが主で、一部瓦を使用したものや板葺などもあったと思われます。
 当時の下級武士の生活は質素なもので、米を常食することもできず、内職として傘の骨作りや特産物の櫛(くし)作り、農作業の手伝いなどをして食いつないでいたといわれます。(案内板より)
維新ふるさと館-1
維新ふるさと館-2
鹿児島市 維新ふるさと館
薩摩維新ふるさと博-1
撮影時(2014・10・27)は 「薩摩維新ふるさと博」 が開催中。
薩摩維新ふるさと博-2
幕末・明治をモチーフにしたイベントが開催。
薩摩維新ふるさと博-3
薩摩維新ふるさと博-4
薩摩維新ふるさと博-5
薩摩維新ふるさと博-6
〜維新と出逢う時間旅行〜 を満喫! 撮影協力ありがとうございました。
JUGEMテーマ:写真

 歴史ロード 「維新ふるさとの道」 は、西郷隆盛、大久保利通や東郷平八郎など、多くの偉人を輩出した加治屋町の甲突川(こうつきがわ)左岸緑地に、いろは歌の広場や下級武士の屋敷などを配置し、歴史探訪の散策を楽しめるよう整備されたものです。
 偶然、撮影当日は 「薩摩維新ふるさと博」 が開催中で、明治維新のタイムトラベラーに参加することができ、素敵な写真を撮影することができました。
| 鹿児島の旅(前篇) | 19:01 | comments(2) | - |
元気で楽しみながら日本の旅を続けています。
5月、大河ドラマの舞台となった山口県萩市を旅します。
ブログ発信が元気の証、見て下さい。
| miya | 2015/04/15 7:16 PM |
お久しぶりです!旅の写真を見ていると元気で頑張っているなーと感じます。(もう47都道府県 旅した事でしょう?)
| miya-sige | 2015/04/14 2:54 PM |









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