質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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会津若松の旅 その42 会津藩校 日新館(3) 東塾
東塾-1
東塾-2
これより、日新館・東塾に入ります。
素読所-1
素読所-2
素読所教科書
素読所-3
素読所での学習。
書学所-1
書学所-2
書学所-3
書学所での学習。
大硯-1
大硯-2
日新館使用大硯(端渓の硯)。
天球儀
天球儀 日新館では、大きさの違いはありましたが、このような教材を用いて天文学を勉強しておりました。 学んでいる生徒は、白虎隊士中二番隊 伊東悌次郎(16歳) 勤勉な学習ぶりを認められ、藩公から何度か褒賞を賜わった。
礼式方-1
 白虎隊の食事学 
 日新館の生徒だった白虎隊士の食事は麦めし、みそ汁、芋や大根の煮物など粗食でしたが、これらの食品は脳の機能を向上させる成分を多く含んでいます。 食事をしている生徒は、白虎隊士中二番隊 篠田儀三郎(17歳) 誠実、実直で約束は必ず守った。 二番隊37名のリーダーであった。
礼式方-2
礼式方-3
礼式方。
JUGEMテーマ:写真

 白虎隊の学舎、会津藩校 日新館とは
 江戸時代、全国三百藩校の中でも規模内容ともに随一と謳われたのが、会津藩の学校 「日新館」 です。 五代藩主松平容頌(たかのぶ)時代の、家老田中玄宰(はるなか)の 「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」 との進言によって計画され、5年の歳月をかけ享和3年(1803)に鶴ヶ城の西側に一大学門の殿堂として完成しました。
 広さは東西226m、南北116m、面積8千坪、建物は1500坪ありました。 幕末に飯盛山で自刃した白虎隊の少年達も勉学はもちろんの事 「ならぬことはならぬ」 の精神を学び、未来に夢をはせていました。
 残念ながら戊辰戦争において、焼失してしまった日新館ですが、昭和62年に会津の精神文化を後世に伝えようと完全復元されました。
| 会津若松の旅 | 19:01 | comments(0) | - |









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