質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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会津若松の旅 その40 会津藩校 日新館(1) 南門
コミュニティバス
会津若松駅よりコミュニティバス 「みなづる号」 に乗って会津藩校日新館へ
永楽大康獅子-1
永楽大康獅子-2
永楽大康獅子
什の掟
 永楽大康獅子前に立つ 「 什の掟」。 じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)
 同じ町に住む6歳から9歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。 この集まりのことを会津藩では 「什(じゅう)」 と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
 毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が上記のような 「お話」 を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて 「お話」 に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
山川健次郎
 山川健次郎先生を讃えるの辞
 略伝 山川健次郎先生は嘉永7年(1854)閏7月17日、会津藩家老山川尚江重固の三男として城下の本二ノ丁(現・東栄町)に生れる。 幼少より聡明にしてわずか9歳で藩校日新館に入学。 就学3年目の12歳で一等(最優秀組)に昇級するほどの英才ぶりを発揮し、慶応4年(1868)戊辰戦争で白虎隊士として戦火の城下や籠城戦で奮戦する。
 戦に敗れ落城後、猪苗代に謹慎中に藩士秋月胤永(悌次郎)の計らいと城下の真龍寺住職河井善順の機略により寺小姓に扮し、秋月の昌平黌時代の親友長州藩士奥平謙輔を頼って危うく夜陰に乗じて越後に向け会津を脱し、越後府権判事奥平の書生となる。 その後奥平の朋友同じ長州藩士前原一誠の庇護を得る。 やがて、北海道開拓使次官黒田清隆の推挙によって渡米し、名門のエール大学に留学。 物理学を専攻して学友ロバート・モーリスの叔母で富豪のハンドマン夫人の学資援助を得て卒業し、学士号を取得する。
 明治8年(1875)に帰国、明治9年東京開成学校(東京大学の前身)の教授補となる。 翌年東大の理学部教授補として物理学科を担当、翌々年弱冠26歳で教授となり、わが国で初めてエックス線の照射に成功するなど、物理学の基礎を築き近代科学の先駆者として高名を馳せ、わが国における初の理学博士となる。
 明治34年(1901)48歳で東京帝国大学第6代総長に就任、続いて九州帝国大学初代総長に就任、大正2年(1913)再び東京帝国大学総長に選ばれ、翌年には京都帝国大学の総長をも兼任する。 この時期の東京帝国大学において初の公選による総長ととして活躍し、更に旧制武蔵高等学校(現武蔵大学)の校長を務めるほか東北帝国大学の設立にも深く関与するなど、わが国の高等教育制度の確立と大学の自治に力を尽くす。
 明治40年(1907) 九州の安川財閥の強い要請によって戸畑(現・北九州市)に私立明治専門学校(現・国立九州工業大学)を設立。 同校の総裁として、常に日新館教育の精神を生かして学園経営に挺身、「技術に堪能なる士君子たれ」 との高い建学理念のもとに真の科学者の育成を目指し、時代を担う若き学徒の薫育と指導に当たる。
 優れた学究の傍ら国民の教化運動に尽力し徳目教育の推進に力を注ぐ。 更に枢密院顧問となり国政に関与して天皇の諮問にあずかるなど、わが国の各道、各界における多大なる貢献により男爵の爵位を授与され、勲一等旭日大綬章を受章する。
 昭和6年(1931)6月26日 東京にて逝去。 享年78 (ご遺志により医学の研究に献体され、最後まで科学者として学術振興に貢献された)
日新館-1
日新館-2
 会津武家屋敷は、会津の歴史と文化を後世に遺すため、昭和50年に開門したが、慶応4年(1868)戊辰の戦火に焼失した会津藩校日新館の復元を既に企画していた。 会津藩校日新館は、五代藩主松平容頌の時代に、家老田中玄宰の建議によって企画され、享和3年(1803)に完成した。
 「日新」 の名は、大学の 「苟二日モ新タナラバ日ニ日二新タニ又日ニ新タニセン」 の文に由来し、その教育は藩祖の遺訓を旨とし、文武両道にわたる巾広い内容であった。 文は漢学を主とし、天文学、蘭学、舎密学(化学)等にわたる多数教科制で、今日の小学校から大学まであり、武は兵学をはじめ、弓術、刀術等武芸全体に及び学力の水準は群を抜いていた。
 ここに郷愁の旧藩校を復元し、江戸時代建築の粋を集めた観光博物館として、更に本学の教育綱領にもとづく研修の場として広く社会に提供し、国際的にも開かれた社会教育の拠点とする。
 施設概要
    大成殿(講堂)  講釈所(大学)  武講(研究所)  素読所(小学)
    東西武学寮   射弓亭
    建造物計  4,850屐1,470坪)  総地積 126,000屐38,000坪)
        起工 昭和60年3月30日  落成 昭和62年4月1日
        会津藩校日新館
南門-1
南門-2
日新館の入口、「南門(みなみもん)」。
戟門
 南門をくぐるとその先にある、「戟門(げきもん)」。 左室に太鼓を置き、これを打ち鳴らして時を知らせていました。
JUGEMテーマ:写真

 会津若松の旅もいよいよ最後の訪問先、「日新館」 を写真展示します。 総地積126,000屐38,000坪)、建造物計4,850屐1,470坪)の壮大な観光博物館です。 当時の会津藩の文武両道の教育方針や施設に感動します。

 7月7日〜9日、NHK大河ドラマ 「軍師 官兵衛」 に因み、滋賀県長浜市と国宝・彦根城を撮影してきました。 台風8号の影響を気にしながらの撮影でした。
 「会津若松の旅」 が終わり次第、「滋賀・長浜と彦根の旅」 と題して写真展示しますので見て下さい。
| 会津若松の旅 | 19:48 | comments(0) | - |









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