質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE
<< 会津若松の旅 その37 史跡を訪ねて 野口英世青春通り | main | 会津若松の旅 その39 史跡を訪ねて 歴史的建造物 >>
会津若松の旅 その38 史跡を訪ねて 大町四ツ角
大町四ツ角-1
七日町通りと野口英世青春通りがクロスする、この 「食い違い十字路」 が、会津五街道の起点となる 「大町四ツ角」 です。
大町四ツ角-2
四ツ角の一角に建つレトロな建物、大正10年の建築物。 旧郡山商業銀行若松支店。 現在は 「四ツ角大正館」 となり、一階で喫茶店、二階は貸しホール、地下はバーとなっています。
大町四ツ角-3
 大正館の前に立つ掲示板 蒲生氏郷ゆかりの地 〜会津の先人たち〜
 蒲生氏郷(がもう うじさと) 弘治2年〜文禄4年(1556〜1595)
 豊臣秀吉の命により会津の領主となった氏郷は、会津の大改革を行いました。 鶴ヶ城を築き、城下の町割りをおこないます。 ここ大町四ツ角は町方の中心で高札(告知板)が建てられ 「大町札之辻」 と呼ばれました。 会津五街道の起点であり、街道に出るにはそれぞれの木戸を通っていったのです。 この南東の角には商人司・簗田(やなだ)氏が、北東の角には近江から氏郷とともに会津に入った倉田氏が町検断として大きな屋敷を構え、町々には市が立ち大いに賑わいをみせていました。
 織田信長の娘を妻に持ち、キリシタン大名であり利休七哲(利休の七人の優れた弟子)の筆頭でもあった戦国のエリート氏郷は、城下を造るとともに漆器、酒などの産業を盛んにし、92万石の太守として会津に君臨します。 わずか5年の治世でしたが氏郷が政治、経済、文化に及ぼした功績は計り知れないものがあったのです。
 興徳寺に蒲生氏郷の墓があります。(徒歩5分)
大町四ツ角-4
 道路元標 藩政時代からここ大町四ツ角は各街道の起点でした。 明治15年福島県令・三島通庸(みしま みちつね)はこの道路元標を起点として山形県、栃木県、新潟県へ伸びる三方道路の大工事を行います。 この工事は住民に厳しい労役を課したため自由民権運動に火をつけ喜多方事件を引き起こします。 しかし、わずか3年で総延長213kmの道路を完成させたこの大工事が戊辰戦争後、疲弊しきっていた会津の発展の礎となったということも事実です。
大町四ツ角-5大町四ツ角-6
「若松市道路元標」 と刻まれています。
会津町方伝承館-1
 会津町方伝承館 会津地方に長年培われた伝統産業や伝統工芸とふれあうとともに、それらの振興をはかり理解を深めることを目的とした施設。
会津町方伝承館-2
会津町方伝承館-3
会津町方伝承館-4
会津町方伝承館-5
会津漆器や会津木綿、絵ろうそく、赤べこなどの民芸品が販売されています。
会津町方伝承館-6
会津町方伝承館一階の様子。
JUGEMテーマ:写真

 野口英世青春通りを散策していると、大町四ツ角の 「食い違い十字路」 に出会います。 江戸時代、一之町と七日町に分かれる 「食い違い十字路」 には、大町札之辻や若松市道路元標が設けられていたそうです。 当時の様子を描いた 「会津若松城下絵図」 によりますと車がない時代、交差点の真ん中に石垣を積み、その上に柵が回され、木の札に墨書きで、立札を掲げていたようです。
| 会津若松の旅 | 19:21 | comments(0) | - |









このページの先頭へ