質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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会津若松の旅 その37 史跡を訪ねて 野口英世青春通り
野口英世青春通り-1
野口英世青春通り-2
大町四ツ角中央商店街にかかるアーチ 「野口英世青春通り」。
まちなか周遊バス
通りを走る 「まちなか周遊バス」。
野口英世青春通り-3
野口英世青春通り-4
「野口英世青春通り」 命名の由来。
野口英世青春通り-5
 野口英世ゆかりの地マップ。
 会津若松と野口英世
 野口英世は、高等小学校を卒業後、医学開業試験の受験のため上京するまでの3年半を会津若松市で過ごしました。 後に、世界的な細菌学者となる英世の礎(いしずえ)がこのとき築かれました。英世の青春時代の足跡は、今もまちのあちらこちらに見ることができます。
栄町教会-1
栄町教会-2
 日本キリスト教団若松栄町教会 英世が19歳の時、洗礼を受けた教会。 当時の名が記された信徒名簿が残されています。
野口英世青春広場-1
野口英世青春広場 ここに昭和33年、英世の偉業をしのぼうと銅像が建立された。
野口英世青春広場-2
ライトアップされた 「野口英世青春広場」。
JUGEMテーマ:写真

 野口英世博士のあれこれ(日本銀行福島支店HPより引用)
 会津若松時代
けた外れの集中力
  博士は左手の手術がきっかけで、医師になる決意を固め、高等小学校を卒業した後、左手の手術を受けた会津若松の会陽医院に薬局生として入門しました。 博士は会陽医院で医学のほか、英語・ドイツ語・フランス語の勉強をしましたが、並外れた集中力を発揮し、1つの言語の原書を3ヶ月で読めるようになったそうです。 博士は、一度引いた語彙(ごい)は全て覚え、二度と同じ語彙を引くことはなかったそうです。 また、医師開業試験に合格した後、中国(当時は「清」)でペストが発生したことから、博士も医師団の一員として派遣されましたが、中国への8日間の船旅の中で、博士は、中国人の船員と手真似を交えて世間話をしているうちに、簡単な日常会話をマスターしてしまったという逸話も残っています。
 こうした 「けた外れの集中力」 が、難関と言われていた医術開業試験を1回の受験で合格したことに役立ったのでしょう。
会陽医院の渡部院長からの厚い信任
  会陽医院の渡部院長は、1894年、日清戦争に軍医として従軍しましたが、博士は渡部院長に日頃の生真面目さを買われ、会陽医院の留守を守ることを命じられ、また渡部家の家計まで任されました。 留守中、患者の診療を行なうことはありませんでしたが、お金のやり繰り等色々と悩まされることが多かったそうです。 しかし、博士はお金の出入りを細大漏らさずしっかりと記録し、渡部院長が帰国した際に大いに驚かれたという逸話が残っています。

 野口英世は、子供向けの偉人伝が多数刊行されて 「偉人の代表」 ともよべる存在となったため、医学研究者としては非常に知名度が高い人です。 現在、2004年より発行されている日本銀行券の千円札の肖像になっています。
 また、平成28年は野口英世生誕140年の節目の年にあたります。 野口英世が生れた明治9年は、当時の 「磐前県」 「福島県」 「若松県」 の三県が合併され、現在の福島県の形にほぼ確定した福島県のスタートの年にあたります。 平成28年に地方自治法施行60周年記念貨幣として野口英世をテーマに記念貨幣が発行されます。 楽しみです。
| 会津若松の旅 | 19:01 | comments(0) | - |









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