質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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古都奈良の旅 平城遷都1300年祭 棚田嘉十郎
棚田嘉十郎-1
平城宮跡朱雀門前、朱雀大路緑地に建立されている 「棚田嘉十郎翁像」
棚田嘉十郎-2
               棚田嘉十郎(たなだ かじゅうろう)
 万延元年(1860)、現在の奈良市須川町に生まれる。 明治の中頃、奈良公園で植樹の職にたずさわっているとき、観光客から平城宮跡の位置を問われ、荒れ放題の宮跡に保存の意を強める。 明治35年(1902)、地元での平城宮跡保存の運動が高まると嘉十郎も参加、平城神宮の造営をめざしたが、資金面で行き詰る。
 以来、嘉十郎は、貧窮の生活のなか、自費で平城宮跡の保存を訴え、上京を繰り返し、多くの著名人から賛同の署名を集める。 そのようななかで、地元の有志・溝辺文四郎らは、嘉十郎の運動に協力し、多くの援助をおこなった。
 明治43年(1910)平城奠都1200年祭が企画されると、嘉十郎は当時の知事に協力を得て、御下賜金300円をたまわるなどして成功に導く。 その後、大正2年(1913)徳川頼倫を会長に念願の 「奈良大極殿址保存会」 が組織され、大極殿に標石28基を配置するとともに記念碑を建てて往時の遺構を永久に保存することを決め、嘉十郎の労がはじめて日の目を見ることとなった。 しかし、用地買収が軌道にのりだして間もなく、嘉十郎が推挙した篤志家が約束を破ったことの責任を痛感し、大正10年(1921)8月16日自刃。 嘉十郎は、61歳の生涯を閉じた。
 苦難に満ちた嘉十郎の悲願は、支持者の努力により達成され、嘉十郎自刃の翌年、大正11年(1922)に国の史跡として保護されることとなった。

 顕彰会は、棚田嘉十郎翁と溝辺文四郎翁の平城宮跡保存につくした功績をたたえるため、昭和63年7月発足いたしました。 市民はじめ多くの方々からの御寄付により顕彰像の建立にいたりました。像は、棚田翁が左手に平城宮跡から出土した瓦を持ち、右手で大極殿跡を指差す姿です。
                                 平成2年(1990)8月16日
                          棚田嘉十郎翁・溝辺文四郎翁顕彰会会長
                                 奈良市長 西田栄三
                                     像制作者 江里敏明
棚田嘉十郎-3
奈良市の 「感謝と誓い」 も掲示されています。
モニュメント-1
モニュメント-2
同じ緑地内に建立されているモニュメントです。
JUGEMテーマ:写真

 今回展示しました写真は、朱雀大路の撮影時に右手の緑地内に建立されている像を偶然発見し、撮影したものです。 「棚田嘉十郎翁像」 の刻印を読みながら撮影しましたが、筆者の過去の記憶の中にその名はありませんでした。 本日平城遷都1300年祭 最後の写真展示を編集するに当たり初めて 「棚田嘉十郎翁」 の功績を知り多いに感銘しました。 平城宮跡を見学の際は、朱雀門の前にある 「棚田嘉十郎翁像」 を御覧下さい。

 これで2010年の写真展示は終了です。 今年一年ご愛読頂きありがとうございました。 愛読者の皆さん、良いお年をお迎え下さい。 また来年も見て下さい。
| 古都奈良 平城遷都1300年祭 | 18:36 | comments(0) | - |









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