質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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東京今昔物語 その7 浅草・浅草寺(4) 市川團十郎像など
浅草寺-1
浅草・三峯(みつみね)神社 浅草寺の境内にある秩父三峯神社の末社。 江戸時代には火事が多かったため、三峯信仰の信者が、火防祈願に秩父まで赴かなくてもお参りができるようにするため浅草寺境内に末社を勧請したものと思われます。 御利益 魔除け、盗賊除け、火防、家内安全など。
浅草寺-2
浅草寺-3
六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう) 石幢とは石塔の一つで、龕部(がんぶ;仏像を納める厨子のこと)の六面にお地蔵さまが刻まれている。 造立年代は不明だが、一説に、源義朝参拝の折に鎌田正清によって建立されたといわれる。しかしながら、石幢造立が流行した室町時代の可能性が高い。 もとは雷門の東方にあったもので、後に花川戸、明治になってこの地へ移された。
浅草寺-4
聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう) 観音さまは、われわらの苦しみをとり除き、お願いをきいて、「慈悲の心(あたたかい心)」を与えてくださる仏さま。 この像は、尾張国の孝山義道の発願(ほつがん)により、享保5年(1720)に建立された。 台座に 「千日参供養佛」 と刻まれている。 銅製。
浅草寺-5
一言(ひとこと)不動尊 怒りのお姿をした不動明王さまは、そのお姿をして教化し難い者を導き、その力でわれわれの迷いの心を打ち切ってくださる仏さま。 この一言不動尊は、何か願い事を一つに限って祈願すると、その願いがかなうとされ、古来より霊験が著しいといわれている。 享保十年(1725)造立。
浅草寺-6
浅草寺-7
 橋本薬師堂 当初は観音堂の北方にあって、北薬師と呼ばれた。 慶安2年(1649) 三代将軍徳川家光が観音堂の北西に再建し、堀にかかる橋のかたわらにあったので、家光自身が橋本薬師堂と名付けた。 平成六年、現在の場所に移転した。
 現在の建物は、桁行三間(約5.35m)、梁間三間(約5.10m)、屋根は入母屋造、瓦葺。 外部はかなり改変され、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているが、浅草寺境内に遺存する堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で、二天門や影向堂脇の六角堂に次ぐ古建築である。薬師如来坐像を本尊とし、他に前立の薬師如来と十二神将像が安置されている。
浅草寺-8
 淡島堂(あわしまどう) 元禄年間(1688〜1704) に紀州加太(かだ) の淡島明神を勧請してお堂が建立された。 現在の淡島堂は、戦後の仮本堂であった旧影向堂(ようごうどう) を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来。 淡島明神のほか、虚空蔵菩薩、取子地蔵菩薩が祀られています。
 入口左手にあるのが 「写経供養塔」。 浅草寺では、昭和33年の本堂落慶を記念して、「観音経写経運動」 を発願しご信徒各位にお写経をお勧めしており、ご奉納いただいたお写経は、毎年十月の写経供養会にてご本尊観音さまの御宝前に奉安され、供養されえいる。 平成六年に造立されたこの宝塔型の写経供養塔には、その年にご奉納されたお写経の経題と巻数とを記した 「目録」 をご奉安し、ご信徒各位のお写経の功徳を後世に伝え讃嘆している。(掲示板より)
浅草寺-9
この石灯籠は 「胎内くぐりの灯籠」 として江戸時代から有名であったもので、参拝の子どもがこの灯籠の下をくぐることで、虫封じや疱瘡(ほうそう)除けになると伝えられています。
浅草寺-10
淡島堂 「魂針供養塔之塔」  毎年2月8日には 「針供養」 が営まれ、日ごろ使用して折れた針を柔らかい豆腐に刺して感謝の意を表すもので、多くのご婦人方で賑わう
浅草寺-11
淡島堂、平和塔 浅草地区の戦災殉難死者慰霊塔。
浅草寺-12
浅草寺境内に建立されている、九代 市川團十郎像
浅草寺-13
 銘  大正八年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番 「」 の銅像が作られました この銅像は近代彫塑の先駆者深海竹太郎氏の傑作であり歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれておりました ところが第二次世界大戦中の昭和十九年十一月三十日金属類回収のため この「暫」の銅像も供出の命を受け 四十余年を経てまいりました
 この度 十二代市川團十郎襲名を機に復元の機運が高まり 浅草寺の御理解のもと 多くの方々に御尽力を賜り ここに 「暫」 の銅像が再現されました 十一代目並びに十二代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります
 こののちも 歌舞伎の盛隆とともに この 「暫」 の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世界の人々からも幾久しく愛されますことを願ってやみません
     昭和六十一年十一月三日              宇野信夫撰書
   九代目市川團十郎「暫」銅像復元建設委員会  十二代 市川團十郎
                                  浅草観光連盟
                                  松竹株式会社   
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 浅草は下町情緒を残す街として東京を代表的な観光地となっており、羽子板市、ほおずき市などの年中行事は多くの人出で賑わっています。 今回の、はとバスツアーで浅草寺の全てを見てまわる予定でしたが、浅草神社(重文) などが撮影できていません。 次の機会に挑戦したいと思います。

 【ミニ知識】 暫(しばらく)・・・広辞苑より
 歌舞伎十八番の一。 1697年(元禄10) 中村座の 「参会名護屋」 に初代市川團十郎が初演。 主人公の荒事役が 「暫く」 と声を掛けて現れ、悪人どもをこらしめる以外は、上演ごとに筋を新作。 現行定本は1895年(明治28) 9代團十郎所演の台帳による。
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