質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
LINKS
PROFILE
<< 佐賀・有田焼の旅 その15 法元寺と桂雲寺 | main | 佐賀・有田焼の旅 その17 有田内山伝統的建造物群保存地区 >>
佐賀・有田焼の旅 その16 有田の風景
有田の風景-1
県道に架かる「いわなかはし」 付近の風景です。
有田の風景-2
川岸の堤防が印象的でした。
有田の風景-3
流れる川の水もきれいです。
コスモス-1
コスモス-2
付近には漢字で秋桜とも書く 「コスモス」 の花が咲いています。
芳栄堂-1
小奇麗な陶磁器店 「芳栄堂」 で見つけた有田焼のバレリーナです。
芳栄堂-2
日本工芸会正会員 中尾恭純氏の作品 「点刻象嵌花生」です。 これも有田焼です。
芳栄堂-3
中尾恭純(なかお やすずみ)氏は第105回九州山口陶磁展で 「最高賞」 など数々の賞を受賞された有田出身の陶芸作家です。
有田の風景-4
有田焼窯元の煙突が見える有田の素朴な風景です。
JUGEMテーマ:写真

 郷土資料事典 佐賀県に 「有田焼」 に関する記事が次のように書かれています。

 豊臣秀吉は、文禄・慶長の2度の役で朝鮮に派兵したが、慶長3年(1598)、秀吉の死によって戦いは終わりを告げた。 この時鍋島直茂は、朝鮮から多くの陶工を伴って帰り、有田皿山に窯を築かせた。 これが有田焼の始まりである。 皿山というのは窯里の総称で、内山・外山・大外山の3ヶ所に分かれていたが、藩では皿山で陶業を営むものを150戸と定めていた。
 この陶工の一人李参平が、元和2年(1616) に有田泉山に白磁鉱を発見して以来、有田独特のすきとおるように美しい磁肌が生まれた。
 その後、正保年間(1644〜47) に、中国人から彩画着色の技術を習った東山徳右衛門が、これを酒井田柿右衛門に伝え、柿右衛門は呉州権兵衛とともに苦心の結果、ついに赤絵の技法に成功した逸話は有名である。
 鍋島藩は、この技法が他に洩れないように厳しく取り締まり、陶商の有田立入を禁じ、製品はすべて伊万里で取引させたため、一般には伊万里焼とよばれた。
 江戸中期のオランダ貿易は、長崎に近いという有利な立地条件のなかで伸展したため、「古伊万里」 は国内は勿論、海外にも広く知られるようになり、いまも高い評価を受けている。
 いまは大小150軒の窯元で、伝統を誇る美術工芸品や、和洋食器類のほか、工業用の耐熱耐酸磁器・建築用タイル・電気碍子などが生産されているが、近年これらの生産量が総生産量の70%を越えており、時代の要求に従って変わりつつある有田焼の一面がうかがえる。 一方、格調高い芸術品も名工によって作られ名声を博している。 なお町内には、九州磁器文化館・有田磁器美術館、陶祖李参平の碑や、陶製の大鳥居をもつ陶山神社、初めて磁器が焼かれた天狗谷古窯跡など、有田焼に関する見どころが多い。
| 佐賀・有田焼の旅 | 19:01 | comments(0) | - |









このページの先頭へ