質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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小京都 佐野の旅 続編-5(完) 佐野厄除け大師
田中正造翁-1
今回の写真は全て佐野厄除け大師で撮影したものです。 前回の訪問時見逃してしまった 「田中正造翁」 のお墓です。 自然石で建立された堂々としたものです。
田中正造翁-2
今回驚いたのはいみじくも前回一考をお願いした点が改善されているのです。 立木も短く剪定され見晴らしがよくこれなら何方がこられても見落とすことはないと思います。 佐野厄除け大師に参拝の折りには、地元の偉大な政治家の墓参をお勧めします。
田中正造翁-3
お墓の前には 「石川啄木」 の歌碑があります。
銅鐘-1
田中正造翁の墓の横に建つ、佐野市指定有形文化財 工芸品 「銅鐘」 です。
銅鐘-2
銅鐘-3
天明鋳物の中でも代表的作品です。
銅鐘-4
銅鐘-5
明暦4年(1658)、天明鋳工105人が合作して寄進した大鐘とあります。
東照宮-1東照宮-2
同じ境内にあります「春日岡山 東照宮」、ふるさと佐野100選に選定されています。
東照宮-3
東照宮-4
東照宮-5
拝殿の軒下の彫刻が見事です。
東照宮-6
拝殿脇を入るとこの透塀を見ることができます。
東照宮-7
東照宮-8
透塀の隙間から撮影した本殿の様子です。見事な彫刻の片鱗が見えます。 前回の東照宮の写真と記事はこちらにも掲示されていますので合わせてご覧下さい。
菊花展-1
撮影当日は丁度境内で 「菊花展」 が開催中でした。
菊花展-2
見事な菊の花です。ただただ感心するばかりです。
菊花展-3
菊花展-4
菊花展-5
菊花展-6
丹精を込めて栽培された大輪の菊の花は見応えがあります。
菊花展-7
題が「裾野の月」、筆者の住む街 「富士山の裾野市」 なので近親感を覚えます
菊花展-8
同時に展示されている「小学生菊花写生展」、どの作品も力作ぞろいです。
菊花展-9
菊花展-10
上手に書けた絵画に拍手です。 小学生が書いたとは思えない見事な作品です。
JUGEMテーマ:写真

 今回をもちまして 「小京都 佐野の旅」 は完結です。 佐野は派手さはありませんが大人の旅ができるところです。これ以外にも季節に合わせて咲く花の見どころがあります。 インターネットのHPや観光協会に問い合わせてお出かけ下さい。

 尚、本ブログ更新は年末年始はお休みです。
来年1月4日より九州の旅シリーズとして「小京都 人吉の旅」、「熊本城」、「有田の旅」そして「ハウステンボス」の写真展示を行いますので見て下さい。

 今年一年ご愛読ありがとうございました。では愛読者の皆さん良いお年を!
| 小京都 佐野の旅 | 19:17 | comments(3) | - |
小京都 佐野の旅 続編-4 宝龍寺
宝龍寺-1
佐野駅から徒歩5分のところにあります 「宝龍寺;ほうりゅうじ」
宝龍寺-2
境内敷地内にある「阿弥陀如来像」、元禄7年(1694)につくられたもの。
宝龍寺-3
カメラは水平に構えていますが、なぜか小首を傾けている銅像なのです。
宝龍寺-4
宝龍寺本堂です。
宝龍寺-5
晩秋を感じさせる宝龍寺鐘楼
宝龍寺-6
落ち葉がきれいな庭園です。
宝龍寺-7
本堂横にあります 「呑竜幼稚園」 です。
街中風景-1
宝龍寺の帰り撮影した街中風景です。 創業二百年佐野名物 田丸屋漬物店
街中風景-2
店の前の大きな釜が目印の漬物屋さん
街中風景-3
見事な曲線美をみせてくれる珍しい電柱です。
JUGEMテーマ:写真

 江戸時代初期に生活困窮者の子供をひきとり教育した呑龍が住職をつとめた寺院。現在もその徳を引き継いで境内に 「呑竜幼稚園」 が開園されています。
 ここ宝龍寺では、子供たちの健全な成長や安産を祈願する子育呑龍上人大祭が毎年9月8日に開催され、当日は子供連れのお父さんお母さんたちで賑わうそうです。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 続編-3 佐野市郷土博物館
佐野市郷土博物館-1
佐野市郷土博物館-2
田中正造ゆかりの博物館、「佐野市郷土博物館」
佐野市郷土博物館-3
この博物館は 「ふるさと佐野100選」 に選定されています。
佐野市郷土博物館-4
博物館の門を入ると左側に田中正造の銅像があります。
佐野市郷土博物館-5
地元出身の政治家・田中正造の足跡を紹介するコーナー、ビデオ鑑賞もできます。
佐野市郷土博物館-6
佐野市郷土博物館-7
博物館1Fに展示されているタイムカプセル(平成の鐘)、2043年開封予定。
佐野市郷土博物館-8
佐野市郷土博物館-9
佐野市で発掘された考古学資料などが常設展示されています。
佐野市郷土博物館-10
佐野市郷土博物館-11
八丁撚糸機や武者絵織なども常設展示されています。
JUGEMテーマ:写真

 佐野市郷土博物館は、佐野市を中心とする地域の考古・歴史・民俗などに関する資料を展示する歴史系博物館として、昭和58年11月に開館しました。
 常設展示の中心として偉大な政治家田中正造翁の足跡があります。 玄関を入ると正面には、明治期にこの地方に起こった足尾鉱毒事件(公害問題)に命をかけた田中正造翁を顕彰する展示室が設けられています。 田中正造翁が政治家を志しからの足跡を関係資料で展示されています。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 続編-2 朝日森天満宮
朝日森天満宮-1
佐野駅から徒歩約10分、「朝日森天満宮;あさひもりてんまんぐう」 につきました。
朝日森天満宮-2
学問の神様である菅原道真公が祀られ一年中、学生さんの姿が絶えません。 社殿につづく石畳の両側には、梅の木が並び季節になると可憐な花が満開となります。
朝日森天満宮-3
参道を歩くとほどなく風格のある神門がみえてきます。
朝日森天満宮-4
神門の前にある「ふるさと佐野百選」の掲示板です。 朝日森天満宮 「梅の天神朝日森」 と佐野かるたにもあるように、社へ続く参道の両側には灯篭と天神様にふさわしく梅の木が並んでいる。 学問の神様と言われる菅原道真公を祭るこのお宮は、広い境内地を持ち、老杉や木々の緑と総桧造りのどっしりと落ち着いた社殿が微妙に取り合わさり見事な景観を呈している。
朝日森天満宮-5
朝日森天満宮-6
朝日森天満宮-7
神門に刻まれている彫刻が見事です。
朝日森天満宮-8
神門から社殿を見ることができます。
朝日森天満宮-9
朝日森天満宮-10
社殿に行く途中にある「筆塚」です。
朝日森天満宮-11
朝日森天満宮-12
筆塚の隣にある市指定史跡「菅神廟碑;かんじんびょうのひ」
朝日森天満宮-13
朝日森天満宮-14
神牛 「天神様のなで牛」 梅が天神様のシンボルであるのと同様に牛(神牛)も天神様のトレードマークです。 当宮の御祭神 菅原道真公は、承和12年乙丑(きのとうし)のお生れということもあり、反芻(はんすう)類の牛が繰返し噛砕き消化することを学問になぞらえ、大変かわいがられました。・・・・・
朝日森天満宮-15
社殿横に鎮座します「八社」
朝日森天満宮-16
総桧造りのどっしりとした「社殿」。主祭神;菅原道真、配祀神;豊受姫命・火産霊命
JUGEMテーマ:写真

 朝日森天満宮は治安3年(1023)創立と伝えられています。 平安時代、藤原秀郷7代の孫足利次郎太夫家綱が唐沢山城の 「天神沢」 に天満宮を勧請し 「朝日森天満宮」 と称した。 明治5年、朝日森神社と改名し郷社となる。 のちに現社号に改称。 かっては小屋町の氏神であり、明治9年(1876)合併以降は旧佐野町の氏神さまとして、「天神様」 と呼ばれ、親しまれています。
| 小京都 佐野の旅 | 19:05 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 続編-1 城山公園
佐野駅-1
佐野駅-2
JR両毛線・東武佐野線の 「佐野駅」 城山公園口。11月16日生憎の雨となりました。
城山公園-1
城山公園-2
城山公園口から直ぐのところに 「史跡 佐野城址」 があります。
城山公園-3
現在 「城山公園」 として市民の憩いの場所、ふるさと佐野100選にも選定。
城山公園-4
公園内にある万葉の里・城山記念館です。
城山公園-5
今日は記念館和室で 「月釜茶会」 が催されます。
城山公園-6
城山公園-7
城山公園-8
記念館資料室には佐野城に関する資料が展示されています。
城山公園-9
記念館の庭に紅葉、小雨が降り続いています。
城山公園-10
記念館前に「ふじ」の古木、樹齢はわかりませんが藤の花を見てみたいものです。
城山公園-11
更に奥へ進むと鯉の泳ぎ池と東屋があります。
城山公園-12
公園内に立派な橋が架けられています。
城山公園-13
橋の欄干に佐野市の市鳥 「おしどり」 がデザインされています。
城山公園-14
城山公園-15
佐野城本丸の石畳と石垣
城山公園-16
城山公園-17
城山公園の一番奥には 「佐野市戦没者霊園」 があります。
城山公園-18
城山公園-19
午前9:00小雨が降り続いています。
城山公園-20
5時間後、午後2時再度訪問。 雨も上がりきれいな黄葉を撮影することができました。
城山公園-21
城山記念館庭園の紅葉が雨上がりできれいでした。
城山公園-22
城山公園-23
城山公園-24
紅葉がきれいですが、毎年4月10日前後には公園内の桜もきれいだそうです。
JUGEMテーマ:写真

 11月15日・16日 「とちぎ秋まつり」 の撮影の合間に佐野を撮影してきました。
前回 「小京都・佐野の旅」 を写真展示していますが、その時見逃した佐野の見どころを今回撮影してきましたので続編として写真展示します。 見て下さい。
| 小京都 佐野の旅 | 19:10 | comments(2) | - |
小京都 佐野の旅 その23/完 アークステージ
ロンドンタクシー
佐野のお宝の一つ 「ロンドンタクシー」 です。 佐野駅前の合同タクシーにある英国カーボディーズ社製でガソリン車では日本に唯一という貴重なタクシーです。
佐野町道路元標-1
佐野町道路元標-2
駅前通りと日光例幣使街道(旧国道50号線)を結ぶ交差点にある 「佐野町道路元標」
アークステージ-1
同じ交差点広場に天明鋳物のオブジェ 「アークステージ モニュメント」 があります。
アークステージ-2
佐野のお宝の最後の一つになります 「アークステージ」、佐野が昔、宮中に献上した灯籠は天をも明るくする燈籠として 「天明」 と言われ、この燈籠をモチーフにして造られました。 昼は鐘の塔、夜は光の塔として親しまれています。
JUGEMテーマ:写真

 佐野のまちのお宝、駅前のおしどり噴水からアークステージまで全17件のお宝を中心に撮影しました 「小京都 佐野の旅」 を今回を持って終了します。 佐野は静かできれいなまちです。 一度お出かけ下さい。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 その22 佐野厄よけ大師(5) 東照宮
東照宮-1
東照宮-2
東照宮-3
佐野厄よけ大師の境内にある 「東照宮・唐門」 です。
東照宮-4
東照宮社殿の入口です。
東照宮-5
江戸中期を代表する華麗で精緻な建造物です。
東照宮-6
ふるさと佐野100選、昭和57年県の有形文化財に指定された 「東照宮社殿」。
JUGEMテーマ:写真

 徳川家康公の御霊(みたま)を静岡県久能山より日光東照宮へ移す途中の、元和3年(1617)3月27日に当寺に一夜安置されました。 この仏縁により諸大名の寄進にて文政11年(1828)に境内の乾(いぬい)の地に造営されたもの。 江戸中期を代表する華麗で精緻な建造物です。 
 社殿は唐門、透塀、拝殿、本殿からなり、いずれも昭和57年栃木県の有形文化財に指定されています。 全国に祭祀されている東照宮社殿四百余の中、最もすぐれた建造物と高く評価されています。

 筆者、佐野で徳川家康公が祭祀されている東照宮を撮影できるとは思いませんでした。 しかも全国東照宮社殿中、最もすぐれた建造物とのこと。 御霊が一夜安置された仏縁でこれだけの立派な社殿が諸大名の寄進で造営されるのです。 それを思うと徳川家康公は偉大な方です。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 その21 佐野厄よけ大師(4) 子育地蔵尊
子育地蔵尊-1
子育地蔵尊-2
佐野厄よけ大師の境内に建つ、子育地蔵尊 お掃除小僧さんです。
古いお札納め所
古いお札納め所
水子地蔵尊-1
水子地蔵尊-2
朱色が鮮やかな水子地蔵尊
水子地蔵尊-3
不幸にしてこの世に生まれることのできなかった幼な児の供養が行えます。
大師参拝おみやげ店
境内にある大師参拝おみやげ店です。
JUGEMテーマ:写真

 厄年(やくどし) を広辞苑で調べてみました。
 人の一生のうち、厄(やく;くるしみ・わざわい・災難) にあうおそれが多いから忌み慎まなければならないとする年。 数え年で男は25・42・61歳、女は19・33・37歳などという。 特に男の42歳と女の33歳を大厄(たいやく) といい、その前後の年を前厄(まえやく)・後厄(あとやく)といって恐れ慎む風があった。 厄払いをして健やかな人生を過ごしたいものです。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 その20 佐野厄よけ大師(3) 本堂
佐野厄よけ大師-1
佐野厄よけ大師-2
燦然と輝く荘厳な惣宗寺(佐野厄よけ大師) の本堂です。
佐野厄よけ大師-3
手前の参道から本堂を見た光景です。 緑の木々がきれいです。
花まつり-1
花まつり。 釈迦の誕生の日を記念して行う法会。 毎年4月8日を恒例とする。 花御堂を作り、中に誕生仏を安置し、甘露を象徴する甘茶を像にかける風が一般的です。
なお、花まつりと呼ぶのは明治以後とされる。(百科事典より)
花まつり-2
お釈迦様に甘露をかけて鐘を一つたたいて手を合わせます。
佐野厄よけ大師-4
佐野厄よけ大師-5
本殿と並ぶ朱色が鮮やかな社殿を見ることができます。
佐野厄よけ大師-6
本殿の前に建立されている 「麗水観音」 です。
佐野厄よけ大師-7
庫裡入口に、お洒落な清めの水、浄水が置かれています。
JUGEMテーマ:写真

 本堂・庫裡などを備え、寺内に慈慧大師(元三大師) の画像を祀った大師堂があるところから、一名“元三大師”とも呼ばれ、正月の2日〜6日には厄よけの開運を祈願する人たちでにぎわいます。
 「厄よけ大師」 とは、天台座主(てんだいざす、天台宗最高の地位) を務めた良源のことです。 比叡山延暦寺中興の祖とされる良源は没後神格化され、「元三大師」 として日本各地の寺院に祀られ、信仰を集めています。
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
小京都 佐野の旅 その19 佐野厄よけ大師(2) 田中正造翁の墓
田中正造-1
佐野駅前広場に建立されています石碑 「田中正造生誕の地」 です。
田中正造-2
惣宗寺(佐野厄よけ大師)の境内にある案内板です。
田中正造-3
 この案内板をみて勘違いをしてしまいました。 最初の表題と図面をみて墓所は徒歩で7分のところにあるのだと思い込み墓参をあきらめました。 よく読むと翁に関する資料は左記の博物館で収蔵・展示しております。 と書かれています。
 あるHPに、惣宗寺は正造さんの本葬・分骨式が行われた場所です。 しかし、今ではほとんどの参拝者は、このお墓に気付くことなく、右手の本堂へと足をむけてしまいます。 これも筆者のような勘違いが原因で参拝者が見過ごすケースがあると思います。 自分の勘違いで墓参が出来なくて残念です。 できれば一考をお願いしたい。
田中正造-4
 HPによりますと惣宗寺の山門に正対した正造さんの大きな墓。 「鳴呼慈侠田中翁之墓」 と刻まれている自然石でできた大きな墓が境内にあるそうです。 惣宗寺参拝の折り見逃さないよう気を付けて下さい。
JUGEMテーマ:写真

 【ミニ知識】 田中正造(たなかしょうぞう)・・・郷土資料事典「栃木県」より
 明治時代の政治家、足尾鉱毒事件の義人(ぎじん;わが身の利害をかえりみず他人のために尽くすひと)。 天保12年(1841)下野国安蘇郡旗川村小中(現佐野市小中町)の庄屋の家に生れた。 明治13年栃木県会議員に当選、同15年改進党に入党、 同17年県令三島通庸の暴政とたたかい投獄された。
 明治23年第1回総選挙に栃木県から選出され、以後連続当選。 議会ではもっぱら足尾銅山鉱毒問題をとりあげ、被害地農民の利益を代表して議会の内外で奮闘を続けた。 明治34年衆議院議員を辞職し、その年の12月10日、明治天皇に足尾銅山の創業停止を直訴したことは有名。
 明治37年以後は、利根川治水の見地から、谷中村(現下都賀郡藤岡町の南部)が遊水池として買収されるのを阻止するため、居住民とともに闘ったが敗北。 治水問題に奔走中の大正2年(1913)没した。 その葬儀には、近在農民の参列者5万人余りを数えたという。

 足尾鉱毒事件とは、明治中期の社会問題。 古河財閥の経営する足尾銅山から流れ出る鉱毒が渡良瀬川流域の田畑を荒廃させた。 栃木県出身の代議士田中正造が第2議会以後訴えつづけたが、政府は古河に加担してこれを無視した。 1897年以来3回にわたって被害農民が大挙上京し請願を試み、1900年には4度目の上京で警官隊と衝突、1901年(明治34年)には田中の天皇直訴まで発展した。 このころを頂点として弾圧と切りくずしにより反対運動は衰えた。(日本史事典より)
| 小京都 佐野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
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