本丸広場から見上げた姫路城です。 紺碧の青空にそびえる絢爛たるお城です。
石垣を見上げると扇を開いたように美しい曲線美を見せています。 この石垣は野面積ですが、角石は大きな長方形の石を左右交互に積む算木積みになっています。
三国濠から見た姫路城です。
姫路城の全景です。
青空にくっきりとそびえ立つ姫路城が素晴しいです。 手元にあります 「国宝の旅」 の本に次のように書かれていますので、紹介してこの項を終わります。
◆環立式天守閣の総合美
五重の外観を持つ大天守は、ひときわ高くそびえ、西、乾、東の3つの小天守が、方形の四隅に配置され、それを渡櫓がつなぐ。 白漆喰で固められた壁をはじめ、外観がつくりだす総合的な構成美は、日本の城のなかで髄一。 あたかも白鷺が羽を広げたような優雅な美しさから 「白鷺城」 の名でも知られる。
大天守と小天守を渡櫓が結ぶ形式は 「環立式」 と呼ばれ、この形式で造られた姫路城は、城本来の目的である防備面からも、きわめてすぐれた城である。
現在、築城時の天守閣が残る城は日本にわずか12。 そのうち国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路城の4つである。 姫路城は南北朝の創建後、桃山時代に再建、江戸時代に改築や増築が行われたが、幸い一度も戦禍にあわず、築城以来の城郭全体をほぼ完全な形で残す。 その美しさと史料的な価値ゆえに、平成5年(1993)に世界遺産に登録されている。
◆中世から近世への城郭建築
姫路城は、戦国大名の赤松氏が貞和二年(1346)に築いたのが始まりで、のちに豊臣秀吉が中国攻めの拠点として大々的に改築した。
現在の天守群は江戸時代になって、藩主池田輝政が建設を始め、慶長十四年(1609)に完成した。 姫山に姿を現した外観五重の壮大な大天守は、石垣に隠れた地下一階を含めて六階で、石垣からの高さは31.5m。 入母屋造の二重櫓の上に、やや小規模の二重の櫓をのせ、さらに最上部に望楼式の天守をのせる。 その最上部の床を東西2本の大柱が支えている。
濠は深く掘られ、城内の通路は迷路状で堅固な要塞となっている。 望楼式天守は、戦国時代以来の形式だが、江戸期の城郭建築はより堅牢で単調な造りになっていく。 それだけに姫路城は、美と強さを兼ね備えた最後の城といえる。
各所に千鳥破風や唐破風、出格子窓を組み合わせ、さらに、3つの小天守が大天守を中心にバランスよく配置され、変化に富む、絢爛たる城郭建築である。
夫、豊臣秀頼の死後、当時の城主本多忠政の長男に嫁いだ千姫を見守ったのもこの城であった。
追記;将軍徳川秀忠の長女千姫は、大阪城落城のあと、本多忠刻に再稼して姫路城西の丸で幸せな日々をすごしました。 化粧櫓や長局(百間廊下)が今もその名残りをとどめています。