質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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東北4大夏祭り(16) 1日目 青森ねぶた祭り その16/完
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平成19年 青森 『ねぶた大賞』 受賞ねぶた
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平成19年出陣ねぶた 青森山田学園 『聖人 聖徳太子』 作/北村 隆
 聖徳太子の実の名は厩戸皇子(うまやとおうじ)という。 太子は574年大兄皇子と穴穂部間人皇女の長子として生まれた。 少年時代から仏教に親しみ、学問を学び国際人だったのである。 けれども太子の十代は蘇我氏と物部氏の争いなど国内政治が大きくゆらぐ出来事の連続であった。
 場面は蘇我氏と物部氏の争いで神仏のご加護を受けた聖徳太子が毘沙門天の鎧を借り、物部氏に立ち向かう姿である。 千手観音の千本の手はどのような衆生をあまねく救済しようとする観音の慈悲と力の広大さを表している。(青森ねぶた小冊子より)

 今年の 「ねぶた大賞」 に輝いた 『聖人 聖徳太子』 のねぶた師、北村 隆さんは最優秀制作者賞に輝き2年連続の受賞です。 おめでとうございます。

 青森ねぶた祭りを16回に亘り写真展示しましたが今回を持って終了します。 一度は見てみたかった日本の誇る素晴しいねぶた祭りを十分に堪能しました。 想像していたイメージよりはるかにスケールが大きく繊細で迫力があった 「ねぶた」 でした。
 お囃子、跳人(ハネト)、ねぶた が一団となって織り成す光景は実に素晴しいです。是非一度は青森の 「ねぶた」 を現地で見て感動して下さい。 筆者お勧めの日本のお祭りです。

 帰りの渋滞を避けるため、ねぶた鑑賞を30分前に終了、バスの待合場所まで約25分歩きました。 青森市の人口30万人対し、本日の人出が約50万人で大変な混雑です。 ツアー一行38名が無事全員はぐれることなくバスに帰着できたのは何よりでした。 21:00にバスは今晩の宿泊地、鯵ヶ沢プリンスホテルに向け出発、ホテル到着23:00、ホテルでバイキング形式の夜食を戴き、入浴後 日付が変わって就眠。 感激のツアー東北4大夏祭りの1日目が終了しました。

 [撮影後記] 撮影器材はEOS−30D+EFS17−55mmF2.8 IS USMを使用、夜のお祭りなのでISO800で全て手持ち撮影。 手ブレを心配しましたがきれいに撮影でき満足。 今回の幸運は桟敷席の一番前に陣取り、隣のNHKテレビクルーと一緒に撮影できたことです。 汗びっしょりの撮影で体力勝負でした。
 お陰様で筆者の記念すべき貴重な写真が撮れました。 青森の皆さん感動ありがとうございました。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:11 | comments(4) | - |
東北4大夏祭り(15) 1日目 青森ねぶた祭り その15
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平成19年 青森商工会議所会頭賞 受賞ねぶた
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平成19年出陣ねぶた 日立連合ねぶた委員会 『道成寺』 作/北村 蓮明
 奥州の僧安鎮は、熊野参詣の道中、清姫と出会い、いつか妻にすると言った。 娘はそれを誠と思い、年頃になった今こそ連れ帰ってほしいとせがむが、僧は本気さに驚き、ざれ事を悔やみ逃げてしまう。 娘はそれを知ると飛ぶように後を追い、一途な想いはいつしか憎悪となり、口から吐く息が炎と化す蛇体となって道成寺に追い詰めた。(青森ねぶた小冊子より引用)

 【ねぶた各賞】
  ≪総合賞≫
  「ねぶた大賞」・・・・ねぶたの制作を主体に、運行・跳人(ハネト)・囃子など総合的
             に最も優れている団体に与える賞 
  「知事賞」・「市長賞」・「商工会議所会頭賞」・「観光コンベンション協会会長賞」の順
  に決定されます。
  ≪部門賞≫
  「最優秀制作者賞」・・・・ねぶたの制作が最も優れている制作者に与えられる賞
  「運行・跳人賞」・「囃子賞」があります。

 審査員は、祭主催団体・報道機関・学識者など、ねぶたに精通した有識者で構成された奨励委員が20人以内と文化団体・市政モニター・国際交流団体などからの推薦者で構成される一般審査員10人以内があたります。
 総合賞としての最高賞は 「ねぶた大賞」 となり、昭和37年制定の 「田村麿賞」 の名称が平成7年度より 「ねぶた大賞」 に改称されました。
 審査は8月1日の事前審査を始め、祭り期間中2〜5日まで、様々な場所で審査が行われます。 5日夜の最終審査会で集計され決定されます。 受賞した団体は6日に表彰され、運行時に額を付けお披露目運行します。(HPねぶたQ&Aより引用)

 よって筆者が撮影した8月5日の夜は審査の最中でした。 受賞された 「商工会議所会頭賞」 と 「ねぶた大賞」 を偶然に撮影していました。 今回は 「商工会議所会頭賞」 受賞ねぶたを写真展示します。 次回の青森ねぶた祭りの最終回に 「ねぶた大賞」 を写真展示しますので見て下さい。

 尚、写真撮影できませんでした 「平成19年受賞ねぶた」 は次の作品です。
「知事賞」・・・・JRねぶた実行委員会 『酒呑童子』 作/竹浪 比呂央
「市長賞」・・・・青森県板金工業組合 『呉軍の先鋒・鈴の甘寧』 作/北村 蓮明
「青森観光コンベンション協会会長賞」・・・・消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
                     『日本武尊・草薙の剣』 作/千葉 作龍
                      受賞おめでとうございます。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:20 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(14) 1日目 青森ねぶた祭り その14
ねぶた-1
平成19年出陣ねぶた ねぶた愛好会 『象 引(ぞう びき)』 作/諏訪 慎
 象引は、歌舞伎の演目の一つ。 また、歌舞伎十八番の一つで、蘇我入鹿(そがのいるか)が連れてきた象を、藤原鎌足の家来山上源内左衛門が引き合ってついに奪い取る、という源内左衛門の怪力を描いた、荒事の芸として伝えられる粗筋。
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平成19年出陣ねぶた 私たちのねぶた自主製作実行委員会 『北遊記(北方真武祖師・玄天上帝出身志傳)真武・妖魔を導く』 作/私たち一同
 天界の最高神・玉皇大帝の分身である玄元が修業の後、「玉虚師相・玄天上帝」 に封じられ 「北方真武大将軍」 の称号を与えられる。 ところが太陽宮で真武に仕えるはずの三十六の天将は人界で妖魔となり悪事を行っていた。 天界の宝剣・三本の七星剣と仙薬の火丹五百粒を授かり、真武は天下を周遊し妖魔を帰順させて、天将三十六元師へと導いていく。
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平成19年出陣ねぶた あおもり市民ねぶた実行委員会 『喝、執金剛神(かつ、しつこんごうじん)』 作/京野 和鴻
 仏教では、須弥山の山頂に居る帝釈天が、悪魔にいたずらされて困っている人間や動物たちが居ると、その下に居る四天王に助けに行く様に命令すると言われている。 しかし、その命令をしている余裕がない時は、帝釈天自ら宙を飛び、二体に変身して、助けに行く。 この変身行動を 「執金剛神」 と言い仁王となって現れる。 仁王像は、「阿形」、「吁形」 の一対となるのが一般的であるが、これを一体のみで表した像を 「執金剛神」 とよんでいる。 怒りの表情を併せ持ち、甲冑に身をつつみ、悪魔のいたずらに立ち向かう 「執金剛神」 をねぶたで表現した。

 色々な 「ねぶた」 を堪能して下さい。 尚、ねぶたの説明文は青森ねぶた祭実行委員会発行の「青森ねぶた」小冊子より引用させてもらいました。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:37 | comments(2) | - |
東北4大夏祭り(13) 1日目 青森ねぶた祭り その13
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平成19年出陣ねぶた 青森自衛隊ねぶた協賛会 『義経千本桜 狐忠信』
作/有賀 義弘  歌舞伎、義経千本桜 「伏見稲荷鳥居前」 の場面
 源頼朝に追われた義経に伏見稲荷神社で会うことができた静御前は、義経から初音の鼓を託され、梅の木に縛られてその場に残される。 そこへ鎌倉方の追っ手、速見藤太が現れ捕まえられそうになるが、忽然と現れた義経の家来、佐藤忠信が藤太を蹴散らして静を救う。 実はその忠信は本当の佐藤忠信ではなく、初音の鼓に張られた狐夫婦を慕ってやってきた子狐が忠信に化身したものだった。(青森ねぶた小冊子より)

 ねぶた 「義経千本桜 狐忠信」 は赤色が際立ってきれいでした。 ここに登場する佐藤忠信は平安末期の武士で陸奥(青森県)の人です。 義経が吉野山に隠れ、山僧に攻められた時、自ら義経と称し奮戦。 翌年京都に入り、糟屋有季に囲まれて自刃。 兄の継信は屋島の戦で義経の身代わりとなり平教経の矢に射られて戦死。 兄弟で義経に仕えた武士です。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:21 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(12) 1日目 青森ねぶた祭り その12
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平成19年出陣ねぶた 県庁ねぶた実行委員会 『達磨大師』 作/穐元 和生
 達磨大師(だるまたいし)は、中国で活躍した仏教の僧侶で菩提達磨(ぼだいだるま)とも言い、眼光鋭く髭(ひげ)を生やし、耳輪を付けた姿が印象的である。
 壁に向かって九年間座禅を続けた修行 「面壁九年」 は、『禅』 を極めることが、『悟り』 への道であると自らの行動で示し、このねぶたは、いかなる困難にも対処できる 「落ち付いた心」 と 「忍耐力」 を表している。(青森ねぶた 小冊子より)

 青森県は本州最北端にあたる東北地方の県。 人口約144万人。 古くから 「みちのく」 と呼ばれ、かっての陸奥(むつ)国の一部分を占める。
 平安末期の安倍貞任の子孫が津軽に入り安東氏と称し、蝦夷(えぞ)管領となった。 1585年には津軽氏が弘前(ひろさき)に居城して津軽地方を統一、江戸時代に黒石藩も合わせ治めた。 県の東部は鎌倉時代以来、南部氏が統治し、江戸時代南部領であったが、明治維新によって弘前県に統合され、1871年、黒石県とともに現在の青森県となった。(百科事典より)

 県庁ねぶた 「達磨大師」 の顔に力強さと迫力を感じます。 一枚の絵から立体的に
作り上げる業に感心することしかり。 ねぶたの凄さに圧倒されます。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:17 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(11) 1日目 青森ねぶた祭り その11
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 平成19年出陣ねぶた に組・東芝 『石川五右衛門 命の叫び』 作/村元 芳遠
 石川五右衛門は、今から四百年前に実在した人物と伝えられています。
五右衛門は実子と共に釜茹での刑になったが、一瞬でも熱地獄から吾が子を遠ざける為に、最後の最後まで子供を頭上に掲げ続けた。
 本作は、殺伐とした現代に向け、あえて残酷な場面をもって逆説的に親と子の絆の大切さを表現したものです。(青森ねぶた小冊子より)

 まといの演技で青森ねぶた祭りは一段と華やぎます。 に組・東芝 ねぶた一団の登場で祭りは最高潮に達しました。 お祭りには 「まとい」 がよく似合います。 洗練された演技で沿道の観衆を魅了します。 素晴しいです。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:21 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(10) 1日目 青森ねぶた祭り その10
歓喜乱舞するハネト
歓喜乱舞する跳人(ハネト)達です。
幸運の鈴
ハネト達が身に付けていた「幸運の鈴」です。 歓喜乱舞で飛び散った鈴を拾うと縁起がいいとされています。 今年はいいことがありそうです。
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ヤマト運輸ねぶた実行委員会 ねぶた 水滸伝より 「黒旋風・李逵と張順」
 中国は明の頃、梁山泊(りょうざんぱく)二代目首領 「宋江(そうこう)」 をリーダーに108人のアウトロー(無法者)達の中から敵と戦う姿は暴れる獅子に見えたと相手に恐れられ陸では敵なしの 「黒旋風・李逵(りき)」 と真っ白な肌と全身の刺青が特徴で、後に水軍の頭領となる 「張順」 とが最初で最後の戦いの場面です。その後二人は仲直りする。 共に梁山泊を目指す。(青森ねぶた実行委員会発行 青森ねぶたより)

 上記資料 「青森ねぶた」 小冊子に 「ねぶたができるまで」 が記載されていましたので参考までに紹介します。

(1)題材と下絵
歴史的な物語などを題材に構想を練り、構想がまとまると鉛筆で下書きをして色をつける。 下絵はねぶたの設計図なので十分に時間をかける。
    ↓
(2)小屋がけ
ねぶたを作るためと、完成後の収納のためにねぶた小屋を作る。 小屋の大きさは間口約12m、奥行き12m、高さ約6〜7mです。
    ↓
(3)細部の下ごしらえ
顔・手・足・刀・槍などの細部をあらかじめ作っておく。 割出しには、比例式で寸法を計算する。 小屋がけが始まる寸前まで作業がすすめられる。
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(4)骨組み
いよいよねぶたつくり。 まず角材で支柱を作り、針金や糸を使い紙がはれるように形を作る。 昭和30頃までは、針金を使わず竹で骨組みを作っていた。
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(5)電気配線
昔はろうそくを使っていたが今は専門の配線工を使ってねぶたの内線に20W〜100Wまでの電球や蛍光灯を600〜800個ほど取り付ける。 電源は発電機を使う。
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(6)紙はり
出来上がった骨組みに奉書紙をはる。 のりとしてボンドを使い、はみ出さないようにはるのが一番難しいとされている。 ここまでくるとねぶたらしくなる。
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(7)書割(墨書き)
墨で形を取る。 純白のねぶたに墨で顔や手足、衿、帯、着物の柄などを書き分けていく。 迫力をかもし出す筆法で書きわけていく。
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(8)ろう書き
表現に合わせて、パラフィンをとかして模様をつける。 明るさをつけるとともに、色のにじみも防ぐための作業である。
    ↓
(9)色付け(彩色)
残った白地に色をつける。 染料と水性顔料を使い、筆書き又はスプレーで染色する。 これでねぶたの本体は完成。
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(10)台上げ
装飾のほどこされた高さ2mの車つきの台に、50人がかりでねぶたを上げる。 これで全体の高さは5m位。 制作者たちの感激の一瞬である。

 根気のいる仕事です。 毎年新しく制作するのですから大変です。 お金と時間がかかります。 一年がかりで作って、みせるのは8月2日〜7日の6日間です。 しっかり鑑賞して思い出に残る 「日本の祭り」 の1ページにします。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:33 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(9) 1日目 青森ねぶた祭り その9
国際的なお祭り
外国の方も参加しています。 国際的なお祭りです。
由紀さおりさん
桟敷席の前をパレードする歌手の 「由紀さおり」 さんを撮影することが出来ました。
由紀さおりさん
沿道の観衆と気さくに握手をされていました。 やさしい方です。
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右側の方が青森県初の30万都市、青森市の市長・佐々木誠造さんです。 宝物をいかした 「オンリーワン」 のまちづくりを目指しておられます。
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青森市役所ねぶた実行委員会 穐元 和生(あきもと わせい)作  「火牛 倶利伽羅峠を制す」 と題されています。 迫力のあるねぶたです。
 平家追討のため、怒涛の勢いで進軍を開始していた木曽義仲の軍勢は、越中・加賀の国境である 「倶利伽羅峠(くりからとうげ)」 で平維盛(たいらのこれもり)率いる平家軍との戦を迎える。 このとき義仲がとった奇襲の戦法が、「火牛の計」である。 闇夜の中、火をつけた「たいまつ」を角にゆわえた5百頭の牛を、敵陣に突入させ、平家軍一万八千騎を谷底に突き落とし勝利を収めたといわれる。

 このお祭りの「ねぶた」を見ていると歴史の勉強ができます。 特に中国の歴史に登場する人物や平家物語を題材にしたものが多いようです。 ただ 「ねぶた」 が大きいとかきれいとかだけではなく 「ねぶた」 で表現されている題材を理解して鑑賞すると一段と興味が湧いてくるのではないかと思います。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:05 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(8) 1日目 青森ねぶた祭り その8
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化人(バケト)と呼ばれる人達が、祭りを一層盛り立ててくれます。
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凛々しい少年の姿は、見ていて頼もしいです。
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 大型ねぶたに混じって、小さくて可愛いねぶたや笑いを誘う化人(バケト)達、ぬいぐるみなどが沿道の見物客を和ましてくれます。 小さい頃からお囃子の正装でねぶた祭りに参加している姿などは、見ていて頼もしさを感じます。 ねぶた祭りは青森市民にとって世界に誇るお祭りでと思います。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:17 | comments(0) | - |
東北4大夏祭り(7) 1日目 青森ねぶた祭り その7
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オープンカーに乗って、パレードの先導と彩りを添える 「ミスねぶた」 の登場です。
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「ミスねぶた」 の皆さんが沿道の声援に笑顔で応えています。
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左から 2007年度 ミスねぶた・成田慧美さん、ミスねぶたグランプリ・世永由衣さん、
ミスねぶた・野村翔子さんです。 きれいな方です。 カメラ目線ありがとうございました。
出世大太鼓-1
出世大太鼓-2
青森県を本拠地とする(株)藤本建設の 「出世大太鼓」 です。 自費参加して今年で通算39回目を迎えます。 総勢200名近い関係者にて運行されています。 一時は日本一とも言われた大太鼓の雄姿を見れて感激です。

 青森ねぶたの歴史は古く今から約270〜290年前、1716〜1736年・享保年間の頃に、油川(青森)でねぶた祭りが行われたと記録されています。 その後1804
〜1818年・文化の時代にねぶたが大型化、人形ねぶたが創案されました。
           :
 1948年(昭和23)港まつりとねぶた祭りを結び大祭典に発展
 1958年(昭和33)青森港祭まつりを青森ねぶた祭へ変更
 1961年(昭和36)大型ねぶた20台で戦後最大のパレード、青森市文化財指定
 1968年(昭和43)初の有料桟敷席好評
 1970年(昭和45)ねぶた 「万国博(大阪)」 へ
 1971年(昭和46)日本のまつりに参加
 1972年(昭和47)観客動員数200万人突破、第1回ミス・ねぶたコンテスト
 1980年(昭和55)国の重要無形民俗文化財に指定、この年人出300万人
 1989年(平成元) 運用の円貨化のため、黒装束は排除
 1995年(平成7) 大型ねぶたの総合最高賞 「田村磨賞」 を 「ねぶた大賞」 へ
 1998年(平成10)青森市制100年ねぶた運行
 2001年(平成13)青森ねぶた保存伝承条例が施行
 2005年(平成17)ねぶた 「愛知万博(愛・地球博)」 へ
 2007年(平成19)大型ねぶた22台、大太鼓2台によって盛大に開催
                     (HPねぶたの由来・変遷より引用)

 歴史を感じさせる 「青森ねぶた祭」、日本各地の祭りの中で屈指の大きな祭典は、これからも永遠に親から子へそして孫へと受け継がれていくことでしょう。
| 2007年 東北4大夏祭り 青森 | 19:14 | comments(0) | - |
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