質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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沖縄の旅(47/完) 三日目 那覇空港
那覇空港
那覇空港カウンターです。
那覇空港
カラフルな飛行機です。
那覇空港
那覇空港発着ゲートです。 この飛行機に乗って帰ります。

 三日目の行程を振り返ってみますと 琉球村→平和祈念公園→ひめゆりの塔→琉球ガラス村 を観光して、ツアー一行の観光バスは那覇空港に帰ってきました。
 那覇空港16:50発 全日空132便で羽田空港に19:00到着。 京浜急行で品川まで行き、新幹線に乗り継ぎ三島駅に帰ってきました。 2007年3月29日〜31日の阪急交通社 「デラックス沖縄 3日間」 のツアーは無事終了しました。
 47回に亘り写真展示しました 「沖縄の旅」 は今回を持って終了します。 次回より 「小京都・足利の旅」 を写真展示しますので見て下さい。 

 [撮影後記]
 今回ツアー参加で、撮影器材としてEOS−30Dにレンズ17−55mmF2.8ISを装着し、三脚は持参せず全て手持ち撮影してきました。 幸い3日間とも雨にも降られず、風もなく絶好の撮影日和でラッキーでした。
 三日間でバスの走行距離が約400km、沖縄本島を縦断してきました。 各観光地での見学時間が短いので、かなりハードなフットワークを要した撮影でした。 メモリーは1GBを3枚と予備として512MBを持参し1日1GBをほぼ使い切る撮影量です。 思い出と記録に残る沖縄の旅となりました。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:21 | comments(4) | - |
沖縄の旅(46) 三日目 琉球ガラス村 その4
琉球ガラス村
琉球ガラス村にある別館 「ガラスギャラリー」 の入口です。
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
内部に展示されているガラス工芸品です。 販売もしています。

 ここは琉球ガラス村にあります 「ガラスギャラリー」 です。
ここでは琉球ガラスの工芸品と公募展などの受賞作品の展示販売も行っています。その美しさ、華麗さは沖縄伝統工芸の中で随一といわれています。

 職人の技で製作された素晴しい沖縄伝統工芸品を堪能させてもらいました。 透明感があって色鮮やかな色彩は素晴しいの一言です。 陶器と違って涼やかで凛とした姿がガラス工芸品の好きなところです。 琉球ガラス村は色々楽しめるところです。 今度来るときはツアーではなく、時間が自由にとれる 「ぶらり旅」 で来たいものです。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:05 | comments(0) | - |
沖縄の旅(45) 三日目 琉球ガラス村 その3
琉球ガラス村
本館1F ガラス・陶器ショップの入口に陳列されています花瓶です。 見事な琉球ガラスの作品です。 作者はこの道の職人芸 「平良 恒雄」 氏です。 ちなみにお値段は左の花瓶が¥189,000円で、左の花瓶が¥73,500円 です。
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
ショッピングセンターには様々なガラスや陶器の品が所狭しと並べられています。
見ているだけでも楽しくなります。

 琉球ガラスの歴史は、明治時代に始まります。 始めはランプのホヤ、薬瓶、菓子瓶ハエ取り器などの生活必需品として、昭和初期まで造られていたようです。
 本格的な琉球ガラスは戦後の物のない時代に駐留米軍で飲まれていたコーラやビールの空き瓶を利用して、色付きのガラスを再生したことに始まります。
 材料も技法も豊富になった現在では、その造形美も高く評価されるようになりました。その独特な造形美と相まって暮らしの中にとけこむ光の芸術として広く認められるようになりました。 今日では様々な沖縄の伝統工芸と共に癒しの島、沖縄を象徴する工芸の一つとなっております。(琉球ガラスの歴史より)
| 沖縄の旅 (後編) | 19:44 | comments(2) | - |
沖縄の旅(44) 三日目 琉球ガラス村 その2
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村
目の前でガラス製造工程「成形」 作業の職人芸を見学することができます。
琉球ガラス村
この炉の入口に温度は1300℃と表示されています。

 琉球ガラス製造方法(HP琉球ガラス村より引用)
 琉球ガラスの製法は大きく三つの流れで構成されています。

(1)原料の調合
まず、珪砂、ソーダ灰、石灰などの原料を袢量してミキサーに入れてよく混合します。 そして原料を溶けやすくするためカレット(ガラス層)を加えます。
(2)溶融
調合した原料を耐火粘土製の “るつぼ” あるいは槽状のタンク窯に入れ、約1400℃の高温で溶融します。 主な溶融エネルギー源には重油・ガスがあります。
(3)成形
一般に行われているガラス器の成形技法は “吹き” と “押し” による手づくりの方法があります。

 ガラス製造作業を見学してきました。 熱気で少々暑いです。 南国の沖縄で、しかも1300℃〜1400℃の高温の溶融炉近くでの作業。 撮影時期が3月なので製作者は涼しい顔でしたが、7、8月の真夏は大変な作業だと思います。
 真っ赤に溶けたガラスを吹いたり、押さえたりして、見ているといとも簡単にガラス容器が作られていきます。 手早い作業が要求される工程です。
 このガラス村ではガラス容器の製作体験コースがあります。 是非一度体験されてはいかがですか、良い思い出になりますよ。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:03 | comments(0) | - |
沖縄の旅(43) 三日目 琉球ガラス村 その1
琉球ガラス村
琉球ガラス村
琉球ガラス村の入口で、大きな阿形(上)と吽形(下)のシーサーが出迎えてくれます。
琉球ガラス村
琉球ガラス村の全景です。
琉球ガラス村
琉球ガラス村
登窯出入口です。ここからガラス工場へと進みます。

 二箇所の戦跡を訪問した後、ツアー一行は今回のツアー最後の観光地となる 「琉球ガラス村」 にやってきました。 糸満市にあるこの琉球ガラス村は沖縄県内最大の琉球ガラスのテーマパークです。 年間3万個ものガラスを生み出す工場内で多彩な技法を見ることができます。 戦前、戦後のガラス製品の複製品やガラス工芸の新作を展示している美術館、琉球ガラスや陶器などを販売しているショッピングセンターなど施設も充実しています。(HP琉球ガラスの世界より)
| 沖縄の旅 (後編) | 19:19 | comments(0) | - |
沖縄の旅(42) 三日目 ひめゆりの塔 その3
ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆりの塔に隣接して建てられた 「ひめゆり平和祈念資料館」 です。
ひめゆりの石像
鈴木啓治氏(静岡県)製作の 「ひめゆりの石像」 です。
ひめゆりの女神像
鳥取県倉吉市 伊藤博氏寄贈 「ひめゆりの女神像」 です。
第三外科壕
第三外科壕です。この中で多くの先生や女学生が戦死しました。
カジュマル
うっそうと茂る 「カジュマル」 の木です。
顕彰碑
 顕彰碑です。 このひめゆりの塔の聖域二千坪は1951年 読谷村出身ハワイ二世儀間真一氏により寄贈されたものです。 生涯この篤行を誇ることのなかった氏の高潔な人徳を偲び深甚なる感謝の意をこめ この碑を建立します。 1992年3月

 「ひめゆり平和祈念資料館」 は1989年に、ひめゆりの塔に隣接して建てられた資料館です。 正面入口は戦前のひめゆり学園の外観を再現。 パネル写真による平和時の学園生活の紹介から始まって、米軍上陸後の日米両軍の戦闘状況、ひめゆり看護隊の悲劇に至るまでを時系列に克明に展開。 衣類や壊れた洗面器、薬品、医療器具などを展示、生き残った学徒たちの証言の本もならべられている。 圧巻はひめゆりの墓場ともいえる 「鎮魂」 の部屋。 当時の第三外科壕を現物大に復元したほか、三面の壁には214人の犠牲者の遺影と犠牲状況がアルミプレートに静かに並んでいる。 ひめゆり学徒たちが、息を引き取る寸前まで口ずさんだという 「別れの曲」 が会場に流れる。(HPおでかけガイドより引用)

 戦争終結から今年で62年が経過します。 戦争を知らない世代が人口の過半数を超え、戦争体験が風化しつつある今日です。 是非一度、この「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ね、平和の大切さを再認識してほしいと痛感します。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:13 | comments(0) | - |
沖縄の旅(41) 三日目 ひめゆりの塔 その2
ひめゆりの塔の記

 この碑は 「ひめゆりの塔の記」 です。 以下のように刻まれています。

 昭和二十年 三月二十四日 島尻郡玉城村港川方面へ米軍の艦砲射撃が始まった。 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒二百九十七名は、軍令によって看護要員としてただちに南風原陸軍病院の勤務についた。

 戦闘が激しくなるにつれて、前線から運ばれる傷病兵の数は激増し病院の壕はたちまち超満員になり、南風原村一日橋・玉城村糸数にも分室が設けられた。 看護婦・生徒たちは夜昼となく力のかぎりをつくして傷病兵の看護をつづけた。

 日本軍の首里撤退もせまった五月二十五日の夜 南風原陸軍病院は重病患者は壕に残し歩ける患者だけをつれて、手を引き肩をかし砲弾をくぐり、包帯をちぎって道しるべとしてここ摩文仁村に移動した。
 
 南にくだった後は病院は本部・第一外科・糸数分室・第二外科・第三外科に分かれて業務を続けた。 第三外科は現在のひめゆりの塔の壕にあった。

 六月十八日いよいよ米軍がま近にせまり、看護隊は陸軍病院から解散を命ぜられた。 翌十九日第三外科の壕は敵襲を受けガス弾を投げ込まれ地獄絵図と化し、奇跡的に生き残った五名をのぞき職員生徒四十名は岩に枕を並べた。 軍医・兵・看護婦・炊事婦等二十九名、民間人六名も運命をともにした。 その他の壕いた職員生徒たちは壕脱出後弾雨の中をさまよい沖縄最南端の断崖に追い詰められて多くの消息をたった。 南風原陸軍病院に勤務した看護要員の全生徒の三分の二がこうして最期をとげたのである。
 
 戦争がすんで二人の娘の行方をたずねていた金城和信夫妻によって第三外科壕がさがしあてられた。 真和志村民の協力により昭和二十年四月七日最初のひめゆりの塔が建ち、次第に整備された。 ここに沖縄指範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員十六名、生徒二百八名の戦没者を合祀して白百合のかおりをほこったみ霊の心をうけ、平和の原点とする。
 
 乙女らは涙と血とを流してえた体験を地下に埋めたくないと平和へのさけびを岩肌に刻みながらついに永遠に黙した。

      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 この石碑はひめゆりの塔の入口に建立されています。 二十歳にも満たない尊い命が戦場に散る。 さぞかし無念だったことでしょう。 冥福をお祈りいたします。 
| 沖縄の旅 (後編) | 19:11 | comments(0) | - |
沖縄の旅(40) 三日目 ひめゆりの塔 その1
慰霊碑
壕の上に建つ、犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑です。今もなお献花が絶えません。
ひめゆりの塔
慰霊碑の右手前の小さな碑が 「ひめゆりの塔」 です。 横の穴は「壕」です。
第三外科壕跡
「沖縄陸軍病院第三外科壕跡」 と記されています。
千羽鶴
慰霊碑の横にはたくさんの千羽鶴が掲げられています。
撤退経路図
「ひめゆり学徒の勤務場所と撤退経路図」です。

 沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女子学徒隊219名は、補助看護婦として南風原陸軍病院に動員され123名が犠牲となった。 守備隊の南部撤退で、学徒も喜屋武半島へ移動したが、1945年6月18日の解散命令後、戦場をさまよい、多くの学徒が悲運に倒れた。 現在のひめゆりの塔の場所は第三外科壕の跡で、米軍の攻撃で一挙に46人の学徒、職員がなくなった。 ひめゆりは両校の同窓会の名前である。 またこの地より100mほど南にある第一外科壕の跡では、ひめゆり学徒隊解散前日の6月17日に米軍機の直撃弾が落下し、多数の看護婦や学徒が亡くなった。(HPひめゆり平和祈念資料より引用)

 沖縄戦跡にある平和祈念公園を見学後、同じ糸満市にあるもう一つ戦跡地 「ひめゆりの塔」 を訪ねました。 沖縄戦の戦地で負傷した兵士の看病に明け暮れ、日本軍と最後まで行動をともにした2校の15〜19歳の女学生、防空壕で降伏することなく最期を迎えた先生と生徒、余りにも悲惨な出来事でした。

 慰霊碑に静かに手を合わせ冥福をお祈りしてきました。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:18 | comments(0) | - |
沖縄の旅(39) 三日目 平和祈念公園 その3
美しい風景です。
花壇を大きく写し込んで 「沖縄平和祈念堂」 を撮影しました。
美しい風景です。
池越しにみた 「平和祈念資料館」 です。
美しい風景です。
池のある風景です。 みどりが豊かで気持ち良いです。
美しい建造物です。
平和祈念資料館の屋外通路です。滑らかな曲線がきれいです。
ハイビスカスです。
真っ赤なハイビスカスがきれいでした。
黄色い花です。
名前が分かりませんが鮮やかな黄色の花。 沖縄の街路樹としても見かける花です。

 平和祈念公園の美しい風景や花を角度を変えて撮影しました。
きれいなところです。 未来永劫この美しい風景や花達が二度と戦争で踏みにじられることのないよう祈りたいものです。

 撮影データ  EOS−30D EF-S17−55mm f 2.8 IS
          WB;太陽光 ISO400 評価側光 プログラムAE
| 沖縄の旅 (後編) | 19:25 | comments(0) | - |
沖縄の旅(38) 三日目 平和祈念公園 その2
平和祈念資料館
平和祈念資料館
美しい建造物の「平和祈念資料館」です。
平和祈念資料館
平和祈念資料館
平和祈念館の内部を一部を撮影したものです。
兵器
資料館の前に展示されている米軍戦車のキャタピラです。 宜野湾市で出土
兵器
旧日本軍酸素魚雷です。 総重量1720kg 全長7.15m 佐敷町で出土

 平和祈念資料館は、第二次世界大戦で貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表すとともに、悲惨な戦争の教訓を後世に伝え、世界の恒久平和の実現に寄与するために平和祈念公園内に設置された資料館です。1975年(昭和50年)に開館しました。 沖縄戦に関連する軍関係文書や個人所蔵の文書、ひめゆり学徒の手記などが収蔵・展示されています。 館内の展示は、「沖縄戦への道」、「戦場の住民」、「証言の部屋」、「収容所から」の4部で構成されています。(HP沖縄戦跡国定公園より)

 筆者、残念ながら時間がなく資料館の中には入れませんでした。 再度訪れる機会があれば、資料や証言を聞き沖縄戦の詳細な真実を学んで後世に伝えたいと思っています。
| 沖縄の旅 (後編) | 19:14 | comments(0) | - |
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