参道沿いにあった朽木と祠です。
おんこ(アララギ・オンコともいう) 「イチイ科」 樹齢700年以上。 (八方睨みの名木と称せらる) 松島町教育委員会指定古樹名木 と掲示されています。
きれいに整備された院内の墓所です。
日本最古のバラが植えてありますバラ園です。
バラ園の掲示板です。
バラの庭「白華峰西洋の庭」です。 「三慧殿」の厨子に描かれているバラ、アカンサス、ガーベラなどをモチーフにして、仏教とキリスト教の出会いによって生まれたバロック的な庭です。(円通院パンフレットより)
日本最古の洋バラをローマから持ち帰ったとされる 「支倉六右衛門常長」 について日本史事典と百科事典に次のように書いてあります。
支倉常長(はせくら つねなが)1571〜1622
江戸初期の仙台藩士。
慶長遣欧使節の正使。
通称六右衛門。藩主伊達政宗の命により、1613(慶長18)年遣欧使節としてノビスパン(メキシコ)からスペインに渡り、国王フェリペ3世に政宗の信書を呈した。 ついでローマに行きローマ教皇パウロ5世に謁見、通商を要請したが成功せず、1620年帰国した。 帰国後は、キリシタン禁制のため不遇のうちに没す。(日本史事典)
江戸初期の陸奥(むつ)仙台藩士。 支倉時正の養子、六右衛門とも。 自署には長恒とある。 1613年伊達政宗の命を受け、フランシスコ会士ルイス・ソテロとともにメキシコを経てスペインのフェリペ3世に通商開設と宣教師派遣を求める政宗の書を渡し、さらに自ら受洗した(洗礼名ドン・フェリペ・フランシスコ)。 ローマでは教皇パウルス5世に謁見。 通商交渉は失敗し、1620年帰国後はキリシタン禁制のため不遇。(百科事典)
【ミニ知識】 慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)(百科事典より)
1613年(慶長18年)伊達政宗が支倉常長を使者としてローマに派遣した使節。 野心的なフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロの勧めに基づいて計画され、ソテロ、ビスカイノら180余名を乗せた日本船で牡鹿(おじか)半島月ノ浦から出発。 メキシコを経てスペインに渡り1615年ローマに到着、パウルス5世に謁見して1620年帰国。しかし幕府の禁教政策のため主目的たるメキシコとの通商は果たされなかった。