質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
佐賀県の旅(71/完) 唐津その18/完 唐津曳山展示場
曳山展示場
唐津市民会館横に設置されています 「唐津曳山展示場」 です。
5番曳山 鯛
5番曳山 鯛 魚屋町 弘化2年(1845)
8番曳山 金獅子
8番曳山 金獅子 本町 弘化4年(1847)
まとい
13番曳山 水主町(かこまち)の 「まとい」 です。
台車
曳山の台車です。

      昭和55年国指定 重要無形民俗文化財 「唐津くんち曳山行事」

 城下町としての唐津の町は、慶長の頃(西暦1600年頃) 寺沢志摩守広高が唐津城を築いた時に始まりますが、唐津っ子の産土神である唐津神社の秋祭りは、築城前の古くから行われていました。 町人衆の篤い敬神の誠は、文政2年(1819)刀町の赤獅子の奉納に現れ、以来明治9年までの57年間に15台の曳山が次々と奉納され(うち紺屋町の黒獅子は明治中期に損滅)これらの貴重な町人文化の遺産は、幾多の苦難に耐えて守り継がれ、曳き続けられてきました。
 豊穣の秋祭り 「唐津くんち」 は、毎年11月3・4日に行われていますが、2日の夜は宵曳山(よいやま)と呼び、14台の曳山は飾り提灯に彩られ、万燈に映える金銀丹青も鮮やかに華麗なる巡行が展開されます。
 翌3日(文化の日)は、唐津大明神が御旅所へ御神幸される日で、御輿に供奉する曳山は、江戸時代の町火消装束を今に伝えて、黒木綿の腕貫・腹掛・股引等に身を固め、各町ごとに意匠をこらした、いなせな法被(はっぴ)姿の曳子たちが、鉦・笛・太鼓の勇壮豪快な曳山囃子(やまはやし)につれてある時は走り、ある所は緩るく市中の巡路を引き廻ります。 なかでも御旅所のある西の浜での曳込みは 「唐津くんち」 の圧巻で、重さ2〜4トンもある曳山がが轍(わだち)も深く競い合い、死力を尽くして砂地に挑むその姿は、壮快無比な景観であり、数万の観衆を魅了します。
 続く4日は御神幸はなく町民の祭りとして、ほぼ前日と同じ町々の巡路をゆっくりと曳き廻りますが、「一閑張;いかんばり」 と呼ばれる工法によるこの曳山は、木組み・粘土の原型や木型の上に和紙を数百回張り重ね、麻布を張り、幾種類もの漆で塗り上げ、金銀を施して仕上げたもので、完成までには2年前後の歳月を要したと伝えられています。 多種多様な姿態の造形美は稀に見る優れた工芸品として、佐賀県の重要有形民俗文化財に指定されています。(からつ曳山展示場のパンフレットより)

 今回は展示されている曳山しか見ることが出来ませんでしたが、素晴しい工芸品です。 展示場ではビデオも上映されており、秋祭りの様子を見ることが出来ます。 是非、この勇壮で豪華な秋祭りを実際に見に来て下さい。

 ’06年11月4日より71回にわたって写真展示しました佐賀県の旅、鳥栖、佐賀、小城、伊万里、唐津は今回で一旦終了とします。 来年の帰郷時に、再度佐賀県を旅し撮影をしたいと思っています。 今回撮影できなかった吉野ヶ里遺跡、呼子、有田町、武雄温泉、嬉野温泉など、筆者の郷土、佐賀県は見所いっぱいの魅力あふれる観光地です。 是非、一度お出かけ下さい。 
| 佐賀・唐津の旅 | 19:18 | comments(2) | - |
佐賀県の旅(70) 唐津その17 唐津神社
唐津神社-1
唐津神社-2
唐津神社-3
唐津駅から徒歩10分のところにあります 「唐津神社」 です。

 奈良時代の天平勝宝7年(755)に創祀されたと伝えられる古社で、祭神は住吉3神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と、神田宗次が祀られています。
 この地は、神功(じんぐう)皇后が、新羅遠征に際して海辺に住吉3神を祀り、海路の安全を祈願した所で、凱旋のとき宝鏡を捧げたと伝えられ、その後、奈良時代になって、この地の地頭 神田宗次が海浜で宝鏡を発見してこれを祀り、その由緒を奏上して、唐津大明神の神号を賜わったのにはじまると伝えられています。
 秋祭りは 「唐津くんち」 とよばれ、11月2日の宵山(よいやま)から11月3・4日の曳山(ひきやま)まで盛大に行われます。 勇壮華麗な曳山がくり出す市民上げての伝統行事で、その名は全国的に名高いものです。
| 佐賀・唐津の旅 | 19:15 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(69) 唐津その16 唐津市近代図書館
唐津市近代図書館-1
この立派な建造物は 「唐津市近代図書館」 です。
唐津市近代図書館-2
正面入口から見える二階に上がる階段です。
唐津市近代図書館-3
正面に設置されています磁彩レリーフです。 HPで次のように紹介されています。
唐津出身の画家、森 通(もり とおる;独立美術協会会員)氏の油彩 「大地・・・黄砂の空」 が原画。 隊商のラクダの列が豆粒のように見える広い砂漠、黄砂を映して輝き拡がる大きな空。 光線の具合で微妙に変化するマティエール(絵肌)と色の調子で、内奥に秘められた強い力を静かに引き出すような大きな拡がりを表現。
唐津市近代図書館-4
唐津市近代図書館-5
磁彩レリーフの横に展示されています 『南極の石』 です。
 ここ唐津で、南極の石と出会えるとは思ってもいませんでした。 帰宅して、なぜ南極の石が 「唐津市近代図書館」 にあるのか、HPで調べてみましたがわかりません。 どうしても知りたくて図書館に電話をして、訊ねたところ親切に教えて戴きました。
 その答えは、南極観測砕氷艦 「しらせ」 号が、九州の北西部に位置した静穏な港 「唐津港」 に寄港した際に、艦長から唐津市長に この「南極の石」 が贈呈されたそうです。 唐津市としては沢山の人に見てもらうために、人が大勢集まるこの場所が選ばれたそうです。
 唐津へ行かれる機会がありましたら、是非この貴重な「南極の石」を見てください。 唐津市近代図書館は唐津駅のすぐ近くにあります。

| 佐賀・唐津の旅 | 19:09 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(68) 唐津その15 唐津市役所
唐津市役所
雲一つない快晴の下、格調高い 「唐津市役所」 です。
唐津市民会館
唐津市民の文化活動の拠点的施設として、1204席の大ホールをはじめ各種会議室があります 「唐津市民会館」 です。

 平成17年1月1日、長い間協議を重ねておられた8市町村の合併が実現し、人口13万人余の新しい唐津市が誕生しました。 「“佐賀県ナンバーワン”のまちづくりに挑戦」 をスローガンとして、昭和36年生れ(45歳)の若き市長・坂井俊之氏を中心に、元気あるまちづくりに取り組んでおられます。 筆者も佐賀県出身者の一人として応援していきます。
| 佐賀・唐津の旅 | 19:18 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(67) 唐津その14 河村美術館
河村美術館

 この建物は、唐津出身の河村 龍夫(かわむら たつお)氏が佐賀県認可第1号の財団法人美術館として1990年10月に開館しました「河村 美術館」です。 今回拝観する予定でしたが、撮影したこの日は残念ながら休館日でした。 現在の開館日は土・日・祝日のみです。
 当館には弱冠28歳8ヶ月で夭折した九州が生んだ天才画家 「青木 繁」 の作品を中心に、小磯良平、黒田清輝ら日本を代表する巨匠の作品から磁器、刀剣まで貴重なコレクションがおさめられています。

【ミニ知識】 青木 繁について百科事典や広辞苑に次のように紹介されています。
 青木 繁(あおき しげる)1882〜1911 明治後期の天才的洋画家
福岡県の生まれ。 東京美術学校で、黒田清輝の指導をうけ白馬会賞を受賞。 ロマン的(夢や空想の世界にあこがれ、現実を逃避し、甘い情緒や感傷を好む傾向)な独自の画風を生み出し、29歳で没するまでに 『海の幸』 『わだつみのいろこの宮』 などの名作を残した。(日本史事典)

 洋画家。 久留米生まれ。 東京美術学校卒。 窮乏と肺肝に苦しみながら明治ロマン主義を最もよく代表する作品を遺した。
作 『海の幸』 『わだつみのいろこの宮』 など。(1882〜1911)(広辞苑)

 明治期の洋画家。 久留米生まれ。 1899年上京、小山正太郎の不同舎に入る。 1904年東京美術学校洋画科選科卒。 その前年白馬会展に≪黄泉比良坂;よもつひらさか≫など日本神話に取材した画稿を出品、第1回白馬賞受賞。 1904年の 『海の幸』、1907年の 『わだつみのいろこ宮』 は大きな反響を呼んだ。 のち九州を放浪、29歳で病没。 美しい色調とロマン的な作風は、明治浪漫主義の絵画表現として近代日本美術の貴重な収穫となった。
福田蘭童(1905〜1976)はその子(百科事典)
| 佐賀・唐津の旅 | 19:20 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(66) 唐津その13 旧唐津銀行本店
旧唐津銀行本店
重厚感と優美さを併せ持つ 「旧唐津銀行本店」 の外観です。
旧唐津銀行本店
EOS-30D・EF-S17-85mm(17mm)で撮影 これ以上は無理でした。
佐賀銀行 唐津支店
唐津駅前にあります、モダンな佐賀銀行 唐津支店です。

 写真の旧唐津銀行本店は、唐津市出身の建築家・辰野金吾の弟子、田中実氏が設計し、1912年(明治45年)に完成しました。 外壁は当時最新建築材のレンガ調タイルが使用され格調高い仕上がりになっています。

【ミニ知識】 唐津が生んだ建築界の巨匠たち(唐津市近代図書館発行資料より)
 辰野金吾(たつの きんご 1854〜1919)・・・明治時代の建築家 1854年(安政元年)唐津藩士の子として現在の唐津市坊主町に生れる。 1879年(明治12年)工部大学校(現東京大学)造家学科を第1回生として卒業。 すぐにイギリスへ留学、帰国後工部大学教授、帝国大学工科大学教授、工科大学学長、日本建築学会会長等の要職を歴任。 明治建築界最大の巨匠。
 代表作には日本銀行本店(1896・国指定重要文化財)、同大阪支店(1903)、両国国技館(1909)、東京駅(1914・国指定重要文化財)、大阪市中央公会堂(1917)などがある。 唐津近辺では、武雄温泉棟及び楼門、現福岡市立歴史資料館などがある。 また旧唐津銀行は氏の作品ではないが、氏の作風の流れをくむものとして知られている。 国会議事堂設計競技の審査員として活躍中、その結論を見ず1919年(大正8年)66歳で没す。

 曾禰達蔵(そね たつぞう 1852〜1937)・・・1852年(嘉永5年)江戸唐津藩邸に生れる。 小笠原長行公の小姓として幕末を迎え帰藩。 1879年(明治12年)工部大学校(現東京大学)造家学科を第1回生として卒業。 1881年工部大学校助教授。 1886年海軍省を経て1890年三菱社へ入り、三菱丸の内赤レンガ街、占勝閣などの建設に従事。 代表作 慶応義塾創立50周年記念図書館(国指定重要文化財)がある。 1937年(昭和12年)85歳で没す。

 村野藤吾(むらの とうご 1891〜1984)・・・1891年(明治24年)現在の唐津市東唐津に生れる。 1918年(大正7年)早稲田大学建築学科を卒業。 大阪の渡辺節事務所へ入り、チーフデザイナーとして活躍。 1929年(昭和4年)村野建築事務所を開設。 森五商店東京支店(1931年)、大阪パンション(1931年)など国際スタイルの建築をつくり注目される。 代表作 広島市にある世界平和記念聖堂(国指定重要文化財)がある。 1984年(昭和59年)、93歳で没す。
 


| 佐賀・唐津の旅 | 19:19 | comments(2) | - |
佐賀県の旅(65) 唐津その12 旧高取家住宅
旧高取家住宅-1
プレオープン中の 「国指定重要文化財 旧高取家住宅」 の門です。
旧高取家住宅-2
豪壮な建築物で大玄関と洋間の外観を見ることができます。邸内は撮影禁止です。
旧高取家住宅-3
旧高取家住宅-4
良く手入れされた庭園です。

 この近辺を撮影中、この先に 「旧高取家住宅」 があり現在プレオープン中で入場無料なので是非行きなさい、素晴しい邸宅です。 と勧められたのがこの場所です。

 旧高取家住宅は、炭鉱主(杵島炭鉱など)として成功した高取伊好(たかとり これよし;1850〜1927)の旧宅で、唐津城本丸の西南の海岸沿いに建っています。

 平成6年〜平成7年に国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成8年5月に佐賀県重要文化財に指定されました。 その後、多くの建築専門家や文化庁から建物の価値を評価され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。 その間、建物の歴史的価値の保存を理解された高取家より建物が寄贈を受け、平成9年度には緊急の屋根葺替工事、さらに平成13年度から17年度にかけて、文化庁の指導のもと、修復・復元工事をおこない、建物の規模が最大になった昭和初期の状態に復元されました。

 敷地面積は約2,300坪、建物は一部2階建で延べ面積は約480坪です。 邸宅内は和風を基調としながら居室棟に洋間を持つなど同時代の邸宅の特色を備える一方、大広間棟に能舞台を設けるなど他に類を見ない構成を持つ点に特徴があります。 
 くわえて、絵が描かれた杉戸、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した欄間などの各部の意匠は優れたものがあります。 明治期の和風の木造住宅として規模が大きく、良質の材料をふんだんに使用した意匠性豊かな住宅建築です。(戴いたパンフレットより)

 今回、プレオープン時期に唐津を訪れたことで、予定もしなかった素晴しい建築物を拝観でき幸せでした。 高取伊好氏は唐津へ来て初めて知った佐賀県の偉大な人物です。 残念ながら邸内の写真撮影が禁止されていましたので紹介することが出来ませんが、見ごたえのある近代和風建築物です。 今年’07年4月に一般公開されます。 是非、見て素晴しさを堪能してください。
| 佐賀・唐津の旅 | 19:17 | comments(2) | - |
佐賀県の旅(64) 唐津その11 旧唐津藩藩校中門
旧唐津藩藩校中門
旧唐津藩藩校中門(市指定重要文化財)です。 貴重な歴史建造物です。
旧唐津藩藩校中門
門の前に図面入りの掲示板が設置されています。

掲示板には次のように書いてあります。
 この門は、享和元年(1801)、水野藩の藩校 「経誼館;けいぎかん」 の中門として建築され、のちに小笠原藩に引き継がれて藩校 「志道館;しどうかん」 中門となりました。 門の造りは 「十尺二戸の四脚門」 で、前後共に屋根は唐破風造り、本瓦葺の向唐門、また門の表側には小笠原候の紋が入った鬼瓦が付けてあり、裏側には水野候の紋が入っているのも注目されます。 旧唐津藩時代の建造物がほとんど残っていない今日、貴重な歴史資料となっています。
 廃藩後は、志道館が松原小学校、唐津監獄所へと変わり、中門も引き継がれましたが、大正四年(1915)西寺町の大乗寺山門となりました。 昭和45年には市の重要文化財に指定され、平成四年市に寄贈を受けました。 市では唐津城址保存整備の一環として、志道館ゆかりの地に近いこの場所に移築したものです。     唐津市
| 佐賀・唐津の旅 | 17:00 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(63) 唐津その10 城下町散策
二ノ門堀
二ノ門堀
「時の太鼓」 の近くにあります 「二ノ門堀」 です。 三の丸に住む藩士たちはこの堀を渡って登城しました。
埋門ノ館
埋門ノ館
埋門ノ館
ここは 「埋門ノ館;うずめもんのやかた」 です。 茶道、華道、舞踊、能など唐津市民の文化及び社会教育活動の場です。
埋門小路
埋門小路
埋門・埋門小路です。 埋門と呼ばれた海岸へ出るための出入口や門から南側に向かう埋門小路があったところです。

 唐津市内を散策していると、唐津城を中心とした街造りがされているように感じます。歴史的建造物、古来の名称や伝統が大事にされています。 掲示板を見ながらの散策も楽しいものです。
| 佐賀・唐津の旅 | 19:16 | comments(2) | - |
佐賀県の旅(62) 唐津その9 時の太鼓
時の太鼓-1
唐津の城下に時を告げる 「時の太鼓」 です。 現在時刻は午前10時5分です。
時の太鼓-2
唐津藩の絵図に基づき、再現されたものです。 時計はからくり仕掛け時計で、午前7時から午後7時までの毎正時、太鼓の音とともに中から武士人形と大太鼓がせり出し、武士が大太鼓を打ちならし、当時がしのばれる 「時」 を告げます。
時の太鼓-3
待つこと約50分、現在時計の針は午前10時59分です。
時の太鼓-4
扉が開いて、裃姿の武士人形と大太鼓が姿を現しました。
時の太鼓-5
武士人形と大太鼓がせり出てきます。
時の太鼓-6
時の太鼓-7
武士人形が大太鼓を打って「時」を告げます。
時の太鼓-8
武士人形と大太鼓は大事な仕事を終えて元の位置に戻ります。
時の太鼓-9
扉が閉まり次の出番を待ちます。 時間にして3分間の出来事でした。

 日本各地を旅していると、その土地の風土に合った 「からくり時計」 に出会うときがあります。 今回の佐賀の旅でも 「伊万里のからくり時計」 に出会え、唐津でも 「からくり時計・時の太鼓」 を見ることが出来ました。 唐津市民の生活にすっかり溶け込んだこの「時の太鼓」、太鼓の音を聞いていると当時にタイムスリップした感がします。

 時計にどんなからくりがあるのか、それを見るのが楽しみです。 愛読者の皆様に少しでも雰囲気が伝わるよう組写真にして展示します。
| 佐賀・唐津の旅 | 19:19 | comments(0) | - |
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