質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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佐賀県の旅(30) 小京都・小城その11 鯉料理
鯉の供養塔
清水川のほとりに建立されています 「鯉の供養塔」 です。
鯉の洗い
鯉料理の定番 「鯉の洗い」 です。
鯉こく
これも鯉料理の定番 「鯉こく」 です。

 私は今まで一度も食べたことのない鯉料理をこの小城で食べるのを楽しみにしていました。 清水の滝周辺には10数軒の専門店があります。 ここに来る途中の喫茶店で紹介して戴いたのが、創業90年 鯉料理の老舗 「滝見屋」 です。 一人旅の一元客でしたが快く迎えく下さいました。 鯉料理の先入観で泥臭いのではないかと思っていましたが、清水の滝から引いた清冽な水でさらされた鯉の洗い料理はあっさりとして美味しかったです。 また味噌味の鯉こく料理も食欲をそそります。 是非、小城にお越しの際は鯉料理を堪能して下さい。 お値段も手頃でした。

 小城は物静かな街で、最初はどこが小京都だろうと思っていましたが、旅を重ねていくうちにその良さがわかってきます。 小城には4つの日本百選があります。 (1)日本さくらの名所百選(小城公園) (2)全国名水百選(清水川) (3)ふるさといきものの里百選(小城源氏ボタル) (4)日本の棚田百選(江里山の棚田)です。 最後の江里山の棚田は今回はふれませんでしたが、機会を見つけて撮影したいと思っています。 是非小京都・小城にお越し下さい。
 今回で小京都・小城の写真展示は一旦終了します。 次回から小京都・伊万里の旅を写真展示します。
| 佐賀・小城の旅 | 19:30 | comments(2) | - |
佐賀県の旅(29) 小京都・小城その10 清水の滝
清水の滝
清水の滝です。「全国名水百選」 の一つ、清水川の上流にあります。 清流がさらさらと流れ落ちる様子は荘厳で流麗です。「珠簾(たますだれ)の滝」 と称されています。
清水の滝
横位置の清水の滝です。

 清水山見瀧寺宝地院の本堂裏手から下り坂になった参道が 「清水(きよみず)の滝」 へと続いています。 落差75メートルのこの滝は、西日本一の名瀑布として有名です。 滝壺の傍らには石仏が安置され、現在でも白衣に身を包んで滝にうたれる修行者たちが各地からやってきます。
| 佐賀・小城の旅 | 19:33 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(28) 小京都・小城その9 清水山見瀧寺宝地院
参道入口
参道入口
清水山見瀧寺宝地院参道入口です。
清水川
参道の側を流れる川は、昭和60年に全国名水百選に選ばれた 「清水川(きよみずかわ)」です。
参道
参道には歯の供養塔や沢山の石仏がやさしくほほ笑みかけるようたたずんでいます。
清水山見瀧寺宝地院
清水山見瀧寺宝地院(きよみずさん けんりゅうじ ほうちいん)です。

 清水山見瀧寺宝地院は天台宗の寺院で由緒記によると延暦二十二年(803)桓武天皇の勅を奉じて聖命上人が開基した国家鎮護の道場であり、のちに戦乱により坊中三百坊ばかりの一山はすべて焼亡したといわれています。 その後、小城藩初代藩主鍋島元茂は父である佐賀藩主鍋島勝茂を鹿狩に招き長流の滝を見つけました。 そこで、鍋島勝茂は、寛永四年(1627)ここに武運長久と国家安康を祈り、観世音菩薩を勧請し、清水山を再興しました。(掲示板より)
| 佐賀・小城の旅 | 19:03 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(27) 小京都・小城その8 村岡総本舗羊羹資料館
村岡総本舗羊羹資料館
村岡総本舗本店(左)と羊羹(ようかん)資料館(国登録有形文化財)です。
二階展示室です。
二階展示室です。 館のご好意により撮影をさせて戴きました。
展示品-1
大正十一年 新工場に設置された蒸気応用電動練釜です。
展示品-2
天皇陛下へ丹波大納言製羊羹献上の際に使用された餡篩(あんふるい)です。
展示品-3
羊羹製造道具類です。 羊羹手作りの道具がわかりやすく展示されています。
展示品-4
お菓子部門で数々の賞を受賞されています。
展示品-5
お菓子の芸術品です。 見事な出来栄えで感心しました。
展示品-6
可愛いお菓子の展示です。 見ていてほほえましくなります。

 創業明治三十二年 小城羊羹初祖・村岡総本舗本店と羊羹資料館です。 「小城羊羹」 の名は二代目社長の村岡安吉が行商をしている際に羊羹を入れる箱に 「小城羊羹」 と文字を入れたことが始まりといわれ、安吉は 「小城羊羹の名付け親」 と今では呼ばれています。
 
 現在も小城市は5万人ほどの小さな市ですが、その中に20数軒の羊羹屋があります。総務省の2003年調査で一世帯あたりの羊羹の消費額で佐賀県は全国第一位です。 全国のベスト5は 〆寛譟´栃木 千葉 づ豕 ダ朕后,箸覆辰討い泙后

 この羊羹資料館は、昭和16年に砂糖蔵として建設されたものを資料館として昭和59年3月に開館しました。 館内では羊羹づくりの道具類を展示し、羊羹の歴史を紹介しています。 また、来館者には抹茶と羊羹のサービスがあります。 是非佐賀県が誇る自慢の味 「小城羊羹」 の歴史を見て下さい。 おすすめの必見スポットです。

 私も郷里の佐賀県鳥栖市に住んでいた頃、よく小城羊羹の 「切り羊羹」 を食べました。 羊羹の外側が砂糖のシャリ感があり、中がやわらかい羊羹でした。 懐かしい味です。 今回の撮影旅行のお土産は、小城羊羹の 「切り羊羹」 を買って帰りました。
| 佐賀・小城の旅 | 19:20 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(26) 小京都・小城その7 千葉城址
千葉城址
千葉城跡碑です。
千葉城の歴史です。
城跡の掲示されている 「千葉城の歴史」 です。
展望台より小城市内を望む
展望台より小城市内が一望できます。

 須賀神社本殿を右方向へ、徒歩約10分で千葉城址につきます。城址の中腹には千葉城址碑や明治天皇御製碑があります。 展望台から小城市内が一望できます。

 南北朝、室町、戦国時代に小城郡、佐賀郡、杵島郡の三郡一帯に勢力をふるった千葉氏の山城跡です。 千葉氏がこの城を築いたのがいつ頃だったかはっきりしませんが、史書には千葉大隈守胤貞(たねさだ)という人物が正和五年(1316)はじめて下総国(千葉県)より下向し、晴気(はるけ)に居住し、それとともに千葉城をつくったとしています。 その時、祇園社を勧請(かんじょう;神仏の分霊を請じ迎えてまつること)したため牛頭(ごず)城、祇園城の名称があります。 城跡は右手の一番高い山の上にあり、この山を城山と呼んでいます。 千葉氏は東千葉、西千葉の両家にわかれ、争って衰退し、戦国大名龍造寺隆信に服属(ふくぞく;従いつくこと)していきました。
 祇園社は今日須賀社と称していますが、ここの山挽社事は千葉氏がはじめた由緒のある行事です。(掲示板より)
| 佐賀・小城の旅 | 19:05 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(25) 小京都・小城その6 須賀神社
須賀神社
祇園橋から須賀神社を撮影。 橋の下を流れる祇園川は、毎年5月下旬から6月の初旬の頃になると源氏ボタルが飛び交い、日本有数の蛍の名所になっています。
須賀神社
須賀神社の下から撮影したものです。
須賀神社鳥居額束
須賀神社の鳥居に掲げてあります額束の文字 「須賀社」 の三文字は、11月27日に写真展示しました「中林 梧竹」50代の書と言われています。

 須賀神社は 「元茂公御年譜」 によりますと、千葉胤貞(たねさだ)が正和5年(1316)に下総(しもうさ;現在の千葉県の北部および茨城県の一部)より下向し、城内に祇園社を建立したとあります。 千葉氏以来代々の領主・藩主の崇拝を受けました。 明治9年廃仏毀釈(はいぶつ きしゃく;明治初年の仏教排撃運動)により社号が 「祇園社」 から 「須賀社」 に改称されました。 毎年7月には山挽祇園が行われ、下町の山は昔ながらの技法を伝えています。(小城町文化財マップより)

撮影後記
 鳥居の前に立つて本殿を見上げると急な石段がそびえ建っています。 三脚を付けたカメラを肩に担ぎ、一歩一歩息を切らして登りました。段数を数えたら152段、少々疲れました。本殿から小城市内が良くみえます。
 額束の文字が梧竹さんの書とは、撮影している時は判りませんでした。 本日の須賀神社の記事を書いている時、小城市商工観光課から送って戴いた資料から額束の文字が梧竹さんの書であることを知りました。 そこで撮影した写真を調べたら偶然写っていたのです。 何か得したような気分です。 愛読者の皆さんに梧竹さんの書をお見せすることができました。 
| 佐賀・小城の旅 | 19:30 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(24) 小京都・小城その5 星巌寺
星巌寺楼門
佐賀県重要文化財 祥光山 星巌寺楼門です。立派な中国風の楼門です。
五百羅漢
さまざまな表情をたたえた小さな石仏、五百羅漢(らかん;仏教の修行の最高段階、また、その段階に達し人)です。
小城藩主墓所
小城市史跡 小城鍋島家墓所です。

 祥光山 星巌寺(じょうこうざん せいがんじ)は二代小城藩主・鍋島直能(なおよし)が建立した小城藩菩提寺です。
 幕末の敷地図によりますと本堂、禅堂、斎堂、知客寮がありますが、現存していません。 現在は報恩堂、開山堂、御霊所、楼門、五百羅漢が残るのみです。
 楼門は嘉永5年(1852)13代沢林和尚の代に竣工。 鍋島家9代藩主直堯(なおたか)が大檀那(おおだんな;施主)になり建立したものです。 屋根に鯱(しゃち)が乗せてあり、俗に 「龍宮門」 と呼ばれる中国風の楼門で佐賀県重要文化財です。
 当時、佐賀藩は長崎警護を勤めていたことから、中国文化の影響を多大に受けたと思われます。
 楼門から先へ進むと境内には、さまざまな表情をたたえた石仏、五百羅漢が並びます。 江戸中期に造られたと伝えられるものです。 江戸時代、小城郡は九州でも有数の石工の町でした。 五百羅漢はそれら石工の一族が造ったと伝えられ、現在約200体が残っています。
 奥には歴代藩主の墓所があります。 墓所の中央に赤茶色の小さなお堂があります。 4代藩主元延(もとのぶ)の墓碑をすっぽり包んだベンガラ塗りの珍しい御霊屋(おたまや)です。 謹んで合掌してきました。

| 佐賀・小城の旅 | 19:12 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(23) 小京都・小城その4 桜城館
桜城館
桜城館(おうじょうかん)です。 JR小城駅より徒歩5分のところにあります。 一階が図書館、二階が小城市立歴史資料館と中林梧竹記念館になっています。
 歴史資料館では、江戸時代の小城藩主と水戸光圀(みと みつくに)の交流や、剣術の柳生新陰流についての資料などが展示されています。 梧竹記念館では、独特の書風で知られる明治三大書家の一人・梧竹の作品や遺品が展示されています。
中林梧竹
近代書道の祖 書聖 中林梧竹(なかばやし ごちく)です。 梧竹さんの写真がなく、小城市観光ガイドブックより転写させて戴きました。 生没年;1827―1913

 小城駅前からタクシーに乗り、撮影場所に向かう途中運転手さんに 「ゴチクサン」 見られましたか? と言われて、最初何を言われているのか判りませんでした。 よく聞いてみると近代日本書道の礎を築き、「書聖」 とあがめられている 「中林 梧竹」 のことでした。 町民にとって 「梧竹さん」 は今も身近な存在なのです。 佐賀県出身の私としては恥ずかしい話ですが、ここへ来て初めて知る著名人です。

 梧竹さんを 「HP・小さなミュージアム」 では次のように紹介されています。
 「梧竹さん」 今も町民が親しみを込めてそう呼ぶ中林梧竹は、小城藩士の長男として出生。 幼少から書に親しみ神童とうたわれた。 藩校・興譲館で学び、十三歳のとき江戸に遊学。 二十八歳でいったん帰藩し、藩校指南役を務めた。 明治の廃藩置県後は全国各地を遍歴。 晩年は、小城町の隣の三日月村(現・三日月町)に観音堂を建て、八十七歳で生涯を閉じるまで、精力的に筆をふるい続けた。

 「中林梧竹記念館」 はこの桜城館の二階にあります。 今回、残念ながら訪ねた日は月曜日で休館日でした。 書をたしなまれる方はもちろん、そうでない方も後学のため、小城にお越しの際は一度お立ち寄り下さい。
 ちなみに入場料は210円(大学生以下は無料)です。
| 佐賀・小城の旅 | 19:15 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(22) 小京都・小城その3 岡山神社
岡山神社
小城公園内にあります岡山神社です。
岡山神社沿革
岡山神社沿革です。
燈籠
有田焼の灯籠が建立されています。

 岡山神社には、焼き物で有名な佐賀らしく有田焼の灯籠が建っています。 また同じ境内に、剣豪・柳生宗矩(やぎゅう むねのり)を祭った玉成社、十兵衛を祭った武正社があります。 小城初代藩主・元茂(もとしげ)は江戸で、柳生新陰流の宗矩に入門、免許皆伝を受けるほどの腕前でありました。 宗矩の子十兵衛とは、同じ門下生であり、柳生家との親交は深かったそうです。(小城町みどころ案内より)
| 佐賀・小城の旅 | 19:13 | comments(0) | - |
佐賀県の旅(21) 小京都・小城その2 小城公園
小城公園-1
小城公園-2
小城公園-3
築山と池の調和がきれいな小城公園です。
佐賀の名木・古木 イヌマキ
さが名木100選 小城公園の大角槙(おうかくまき) 樹種;イヌマキ 樹齢;約300年 大きさ 樹高3.5m、幹回り2.7m、枝張り7.1m たたみ30畳の広さです。
小城公園-4
公園内を流れる小川にゲンジボタルの幼虫がすんでいます。
重松むら子の歌碑
重松むら子の歌碑
公園内に建立されている、小城市出身の歌人 「重松むら子」 の歌碑です。
小城公園-5
きれいに整備された公園です。 市民の憩いの場所です。
後西院御製碑
公園の頂きに建立されています 「後西院御製碑」 です。
八重一重歌碑
八重一重歌碑です。
日本桜名所100選の碑
日本さくら名所100選の碑です。 さくら名所100選の地 小城公園 平成2年3月3日 財団法人日本さくらの会 と記されています。

 ここ佐賀県小城市は平成17年3月1日に小城町、三日月町、牛津町、芦刈町の4町が合併し、新たに誕生した市です。面積 96k屐⊃邑 4万7千人です。

 小城公園は初代小城藩主の鍋島元茂(もとしげ)から二代藩主直能(なおよし)によって造られた名園です。 「日本さくら名所100選」にも選ばれています。 園内外の3000本の桜が花開き、桜花爛漫です。 開花期間中は雪洞(ぼんぼり)でのライトアップもあり、池に映える桜はとても幻想的だそうです。 4月中旬からは、2万5千本のツツジの花が咲き誇ります。 この素晴らしい春の小城公園へお越し下さい。

 『ミニ知識』 小城公園の由来が公園入口に掲示されていましたので紹介します。
 はじめ鯖岡(沙婆岡)と称する小丘があった。 小城藩初代藩主鍋島元茂はここに桜樹を植え、茶室を設けた。 明暦二年(1656)、二代藩主鍋島直能が鯖岡を桜岡と改称し、さらに吉野の桜樹などを移植した。
 万治元年(1658)に木下順庵が直能の依頼により 「桜岡記」 を作り、また弘文院学士林春斎、同鳳岡父子をはじめ当時の儒者が 「桜岡十景」、「桜岡二十景」 の詩文を作り桜岡の名勝を讃えた。 延宝三年(1675)には、桜岡の桜花は朝廷にも聞こえ、後西院の御製や公卿十八人の岡花の詠歌を頂戴することになる。 直能はこれを 「海外飛香」、「八重一重」 と名付け秘蔵した。 直能は桜岡の南方に池水・邸閣を配した庭園を作り 「自楽園」 と命名した。
 明治六年(1873)明治政府は太政官布告で公園の制定を掲げ、明治八年(1875)佐賀県下で最初の公園とし桜岡公園が成立した。
 昭和二十六年(1951)、南方の 「自楽園」 の部分を加えて、「小城公園」 と改称した。                    平成十八年五月吉日 小城ロータリークラブ
| 佐賀・小城の旅 | 19:12 | comments(0) | - |
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