質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
勇壮な新井神社 裸まつり
新井神社 裸まつり-1
伊東市 新井神社の勇壮な 「裸まつり」 海上渡御の儀式のクライマックスです。
新井神社 裸まつり-2
午前10:00 新井神社の本殿内で 「裸まつり」 神幸祭が行われています。
新井神社 裸まつり-3
祭列が新井神社の鳥居に降りてきました。
新井神社 裸まつり-4
新井神社 裸まつり-5
神輿を守る勇壮なお祓いの儀式です。 口紙は「無言のお祭り」 の証です。
新井神社 裸まつり-6
神輿が石段を下って鳥居を出ます。
新井神社 裸まつり-7
重さ約700kgの神輿を、正装した若者達12人が無言で担ぎます。
新井神社 裸まつり-8
新井神社 裸まつり-9
東浜に向かって祭列は静かに進みます。
新井神社 裸まつり-10
新井神社 裸まつり-11
東浜の入口で担ぎ手の舞いが奉納されます。
新井神社 裸まつり-12
「裸まつり」の主会場の一つ東浜です。
新井神社 裸まつり-13
海上を渡御する御召し船です。
新井神社 裸まつり-14
「裸まつり」で神輿を担ぐ若者達です。
新井神社 裸まつり-15
御召し船で神輿の到着を待ちます。
新井神社 裸まつり-16
神輿が東浜に降りてきます。
新井神社 裸まつり-17
神輿が会場を一周します。
新井神社 裸まつり-18
神輿が裸の担ぎ手に引き渡されます。
新井神社 裸まつり-19
「裸まつり」のクライマックスに入ります。
新井神社 裸まつり-20
新井神社 裸まつり-21
何度か神輿が会場を回り徐々に海へと清めに入っていきます。
新井神社 裸まつり-22
最後は担ぎ手の腰まで海に入り神輿を清めます。
新井神社 裸まつり-23
海から神輿が清めを終えて上がります。
新井神社 裸まつり-24
新井神社 裸まつり-25
新井神社 裸まつり-26
神輿は御目召し船に乗せられます。
新井神社 裸まつり-27
本来は神輿は御召し船に乗って、西浜の会場に運ばれるのですが強風のため中止
新井神社 裸まつり-28
新井神社 裸まつり-29
神輿は御召し船から降ろされ陸路で西浜の会場に向かいます。
新井神社 裸まつり-30
ここが西浜の会場です。

 本日(1月7日)伊東市の新井神社で行われました 「裸まつり」 を撮影してきました。 空は晴天に恵まれましたが、強風で身を切る寒さの中での開催でした。
 大漁祈願と海上安全を願う2年に一度のお祭りです。朝10時半、新井神社を出発した神輿は、東浜まで担がれ、裸の若い衆に一旦海で清められた後、御召し船で西浜まで運ばれる(本日は強風のため中止、海岸通りを祭列を組んで西浜まで向かいました)厳かで勇壮なお祭りです。 真冬の海を若い衆が神輿を担ぐ姿は見物です。
 新井神社社伝によりますと、約800年前、斉藤五・六兄弟が千体崎の海中より奉戴した霊石を激浪のため東浜沖に沈めました。 その118年後、西浜の漁夫孫平がこれを拾って、奉祀しました。 すると不況だった新井が、その年は豊漁満作で景気が良くなったのです。そこでそのさまを祭りに再現して、現在の例大祭となりました。(HPゆうゆうネット伊豆より)

[撮影後記]
 東海道本線の電車が小田原〜真鶴間で、運行を見合せるほどの強風が吹き荒れる伊東の海岸で開催された「裸まつり」でした。 見る人も寒さにふるえながらの見物。 カメラマンにとってつらかったのは、海岸から吹き上げる潮風の塩分がレンズに付着。 レンズの表面や画質に影響しないかと心配でした。 午後から西浜でのまつりがつづくのですが大事なカメラへの悪影響を考え撮影を中断して帰途につきました。 画面をみるかぎり潮風の影響はなさそうなので一安心。思い出に残る伊東の「裸まつり」でした。 それにしても一番大変だったのは、強風が吹き荒れる寒さの中で何度も海の中に入った担ぎ手の人達でした。 ご苦労様でした。 感動ありがとうございました。
| 伊豆・伊東の旅 | 21:13 | comments(0) | - |
伊豆・伊東の旅 松川遊歩道です。
江戸城 築城石
松川遊歩道に展示されている 「江戸城 築城石」 です。
松川遊歩道
松川の川沿いに遊歩道桜並木が整備されています。
遊歩道のパネルです。
遊歩道に木下杢太郎のパネルが色々と展示されています。
伊東のアーケード街です
伊東のアーケード街です。
JR伊東駅
JR伊東駅です。ここから先、下田駅までが伊豆急行線です。

  松川遊歩道は、松川沿いに造られた情緒あふれる散策路。岡橋(手すりに頼朝と八重姫が描かれている橋)から河口付近まで続く約1kmの散策路で、沿道には伊東市にちなんだ歌碑やモニュメントが点在します。
  特に河口付近の散策路に展示されている 「江戸城 築城石」 の掲示板をみると 「江戸城大修築工事は、慶長十年(1605)から半世紀にわたり、伊豆各地から石を切り出した。ことに伊東は、二十家に及び西国大名により、五十六ヶ所の石切帳場が開かれ、数万人が採石に関わり、石船数千艘が伊東と江戸を往復し、伊東にはかってない賑わいにわいた華やかな時期であった。」 と興味深い話しが記されてあります。
  また散策路には桜並木があり、花見の季節のんびりと木下杢太郎の描いた絵のパネルなど見ながら時を過ごすのもいいものです。
  伊東七福神めぐりを含めた伊東の旅は今回で終了します。今後伊東では色々なお祭りがあります。撮影しましたら展示します。
| 伊豆・伊東の旅 | 19:16 | comments(0) | - |
伊東七福神の最後 新井神社です。
新井神社
伊東七福神の最後 新井神社です。
記念スタンプ
伊東七福神めぐりの記念としてスタンプを押してきました。

  新井神社は伊東港、魚市場を見下ろし、遠く相模湾を望む高台にあります。漁業の守り神恵比寿さまを祀り、漁師のあつい信仰を受けてきました。二年に一度正月七日には海上安全・大漁祈願の 「裸まつり」 が催されます。フンドシ姿の若衆が神輿をかつぎ真冬の海に入る勇壮な祭りです。祀られている恵比寿神は清廉を表し商売繁盛をもたらす神です。

  伊東七福神めぐりは新井神社で最後になります。藤の花がきれいな福禄寿の林泉寺、庭園が素晴らしい弁財天の松月院、17cm程の素朴な木彫・大黒天神の朝光寺、樹齢6百年の大蘇鉄がある寿老神の最誓寺、相撲碑のある布袋尊の東林寺、天狗の詫証文などがある毘沙門天王の仏現寺、そして今回の勇壮な裸まつりがみられる恵比寿神の新井神社。色々と勉強になった伊東七福神めぐりでした。
  是非機会があったら 「伊東温泉七福神めぐり」 の観光バスも出ているようですので参詣されることをお勧めします。
| 伊豆・伊東の旅 | 19:02 | comments(0) | - |
伊東七福神の一つ 仏現寺です。
仏現寺本堂
海光山 仏現寺(ぶつげんじ)本堂です。
仁王門
仁王門です。門越しに見えるのは常経殿です。
御草庵 毘沙門堂 紫雲殿
御草庵 毘沙門堂 紫雲殿です。毘沙門天王は開運厄除け財宝をもたらす神です。
シャクヤクの花
釈迦本佛殿の側に質素に咲いていたシャクヤクです。心が和みます。

  バラやハナショウブの展示を一旦終え、伊豆・伊東の旅の続きを展示します。伊東七福神の一つ 「仏現寺」 です。
  当山は、海光山仏現寺と号し日蓮聖人の開山なされた寺です。聖人は困難救護の為 「立正安国論」 を鎌倉幕府に奏上した事が北条執権の怒りにふれるところとなり、弘長元年(1261年)5月12日御年40才 伊東に配流の身となられた。
  たまたま地頭 八郎左衛門が奇病にかかり、祈祷により治されたことから起死回生の御礼に、同家の重宝海中出現の立像釈迦仏を贈られた。
  この尊像は聖人生涯の随身仏となされ、海が光り仏が現れた由縁から山号を聖人御自身が海光山と命されております。(掲示板より)
  尚、このお寺には寺宝として 「天狗の詫証文」 などがあります。天狗の詫証文は江戸時代の住職だった日安上人が、伊東と中伊豆の境にある柏峠の老松に住んでいる天狗が通行する旅人にいたずらをし、悩ましていることを聞き祈祷したところ満願の日、松の木の上から巻物が下りて以来、旅人は無事通れるようになったことから、天狗がお詫びのしるしに落としていったものだろうとこの名がついたようです。しかしその巻物には何が書かれているか未だ判読した人が無いという不思議な巻物です。一度は拝見したいものです。大変由緒あるお寺を参詣でき身の引き締まる思いでした。
| 伊豆・伊東の旅 | 19:24 | comments(0) | - |
伊豆・伊東の旅 音無神社です。
音無神社
松川の畔にある古社 音無(おとなし)神社です。
ひしゃくは安産のお礼
穴の開いた 「ひしゃく」 は安産祈願のお礼に奉納されたものです。
天下の奇祭 尻つみ祭り
天下の奇祭 尻つみ祭りが毎年11月10日夜半に行われます。
天然記念物 タブの木
伊東市指定天然記念物 樹齢千年ともいわれるタブの木です。
頼朝と八重姫を祀る祠
祭神 頼朝・八重姫を祀る祠です。
岡橋の手すり
松川に架かる岡橋の手すりに描かれている頼朝と八重姫です。

  伊東駅の南約1kmの松川畔にある古社。境内は狭いところですが、樹齢千年といわれる市天然記念物のタブの木や楠の老木が生い茂り、昼でも薄暗い。そのむかし、源頼朝と八重姫(伊東市の開祖・伊東祐親の娘)が逢瀬を重ねた所と伝わり、境内に二人をまつる小さな祠があります。
  また、祭神の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)のお産が軽かった故事により、昔から安産の神、育児の神、或いは縁結びの神としての信仰が厚い神社です。
  拝殿の長押(なげし)に刺してある柄杓(ひしゃく)は、これらの宿願のお礼に奉納されたものです。
  毎年11月10日夜半。尻つみ祭りが開催されます。御祭神が急ぎ産殿にお入りになる時 「あが生まむところを見給うなかれ」 と申された。その神慮をかしこみ、比類稀なる暗中の祭事となったものと思われます。殿内の参列者は、御神酒をいただく時、暗いので、巡次隣りの人のお尻を摘み、合図をして盃を廻します。天下の奇祭です。
 
| 伊豆・伊東の旅 | 19:43 | comments(0) | - |
伊豆・伊東の旅 物見塚公園です。
物見塚公園
伊東市内東側の小高い丘にあります 「物見塚(ものみづか)公園」 です。
馬上姿の伊東祐親像
馬上姿の伊東祐親像です。
伊東市役所
芸術的な建造物は伊東市役所です。ワイドズーム10−22mmで撮影しました。

  物見塚公園は平安時代末期の武将で、この地に館を置いた最初の地頭 「伊東祐親」 の館跡で、市内東側の小高い丘にあります。
  園内には馬上姿の伊東祐親像があります。像の背後に芸術的な建造物で、伊東市民7万4千人のシンボルである伊東市役所があります。
  伊東市文化財史蹟保存会は伊東市の開祖「伊東祐親公」を始めとする、偉大な先人への感謝を込めて、毎年5月下旬に「祐親まつり」を主催しています。今年で第31回を数え5月27日(土)28日(日)の2日間開催されます。
  湯の街・伊東を象徴する老舗旅館(東海館など)を背景に、舞台と客席を川中に浮かべ、かがり火のもとで演じられる薪能と郷土芸能は、全国でも大変めずらしい水上舞台で高い評価を得ています。国内一流演者(今年は野村萬斎、梅若万三郎らが出演)による幻想的な世界を心ゆくまで堪能してはいかがですか。
| 伊豆・伊東の旅 | 19:05 | comments(0) | - |
伊東七福神の一つ 東林寺です。
東林寺山門
稲荷山 東林寺(とうりんじ)の山門です。
東林寺本堂
東林寺本堂です。
伊東七福神 布袋尊
伊東七福神の一つ 布袋尊です。福寿財宝をもたらす神です。
鐘楼堂と顕彰碑
鐘楼堂と日本相撲協会が建立した顕彰碑、左の石段が墓や供養塔に行く参道です。

 東林寺の開基は、伊東祐親公です。もとは久安年中(十二世紀中頃)に真言宗久遠寺と称して開創されたといわれますが、伊東祐親が我が子河津三郎の菩提を弔うために、仏門に入って東林院殿寂心入道と称して、法名にちなんで東林寺と改めました。
  祐親は源頼朝の助命を断って自刃し、以後、東林寺は伊東家の菩提寺となりました。祐親(すけちか)の嫡男・河津三郎祐泰(すけやす)は、領地争いのもつれから、相手方の遠矢にかかって無念の死をとげました。
  二人の遺児が、母親の再婚先の曽我で成長して、冨士の裾野で父・祐泰の仇を討つのが、有名な日本三大の仇討ちの一つ曽我兄弟の物語です。河津三郎祐泰は、奥野の相撲で大活躍して、 「かわづがけ」 の名を残し、相撲界では大切な人です。
  昭和34年5月、ここ東林寺で横綱栃錦が土俵入りを奉納し、時津風理事長が除幕した相撲碑が参道上り口にあります。大日本相撲協会の時津風理事長(元双葉山)・現役横綱栃錦・若乃花・朝潮という豪華な顔ぶれです。
  この寺の本堂内部の一角に、伊東家の伊東祐親や河津三郎祐泰などの伊東一族の位牌が安置されています。また、伊東祐親の木像や、千鶴丸(頼朝と八重姫の間に生まれた若殿)の木像もあります。
  鐘楼堂の左の参道を数十段上がった所に、河津三郎祐泰の墓と曽我兄弟の供養塔があります。参道に沿って三十三観音の石仏も安置されています。(掲示板より)

  大変由緒あるお寺を参詣でき、日本の歴史の一頁を見る思いです。

【ミニ知識】
  かわづがけ(河津掛)・・・(河津三郎祐泰と俣野景久とが相撲をとった時に用いたという)相撲の手の一つ。片足を相手の片足の内側にからめかけ、掛けた足と同じ側の手を相手の首にまいて後へ反って相手を倒すこと。(広辞苑より)
 
| 伊豆・伊東の旅 | 19:08 | comments(0) | - |
伊豆・伊東の旅 全国第2位の大楠の木です。
葛見神社
大楠の木を神木とする 「葛見神社・くずみじんじゃ」 です。
大楠の木
昭和8年2月28日に国指定天然記念物とされた大楠の木です。
大楠の木
樹齢約千年 目通約20mで全国第2位の大楠の木です。

  大昔、伊豆の東北部は葛見庄と呼ばれていた。西暦1100年頃、葛見庄の初代地頭工藤祐高(=伊東家次・・・伊東家の祖)が葛見神を祀って神社を創建、伊東家の守護神とし、京都から伏見稲荷を勧請して合祀した。これが葛見神社の起源であるという。推定樹齢が正しければ、大楠は神社創立以前からの、この地の歴史をすべて見てきたことになります。(人里の巨木たちより引用)
  実物の前に立つと、とにかくでかいです。まさに巨木です。私が今まで見てきた木の中で1番大きい木です。幹の下部は一大空洞ですが幹勢は旺盛です。
| 伊豆・伊東の旅 | 19:32 | comments(0) | - |
伊豆・伊東の旅 モニュメント 「ウイリアム・アダムス」
ウイリアム・アダムス胸像
日本初洋式帆船建造の地モニュメントとウイリアム・アダムス(三浦按針)胸像
サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号
アダムス胸像の横にあります、按針帆船モニュメント 「サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号」

  伊東の旅は今回で3回目。伊東の名所めぐりと残り七福神めぐりを実施しました。
松川河口、按針メモリアルパークに日本初洋式帆船建造の地モニュメント、ウイリアム・アダムス胸像と帆船モニュメント 「サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号」 があります。
  アダムスがこの地で建造した洋式帆船2隻の内、120トンの船 「サン・ヴェナ・ヴェンツーラ号」 は、日本から太平洋を横断してメキシコに渡り、マニラ貿易に使われたといいます。胸像及び帆船の制作者は地元の彫刻家 重岡健治さんの作品です。

【ミニ知識】
  彫刻家 重岡健治さん・・・1936年、旧満州ハルピンの生まれ。71年にイタリアへ留学してエミリオ・グレコに師事、現在は伊豆・大室高原にアトリエを構えています。
  作品の多くは 「大地」 をテーマにしています。北海道由仁町の 「生命の樹」 、あきるの市の 「大地の詩」 、伊東市・なぎさ公園の 「夢を呼ぶ」 、静岡県土肥町・恋人岬の 「AMORE」 、熊本市の 「原爆犠牲者の碑」 など全国各地で百を越すモニュメントを制作しているほか、イタリア・リエティ市庁舎の 「大地より生ずる」 など海外にも作品があります。(ギャラリーウオークより引用)
| 伊豆・伊東の旅 | 19:10 | comments(0) | - |
ウイリアム・アダムスの記念碑です。
ウイリアム・アダムスの記念碑
三浦按針ことウイリアム・アダムスの記念碑です。松川遊歩道にあります。
洋式帆船の建造風景
ウイリアム・アダムス、洋式帆船の建造風景です。
按針音頭の歌碑
按針音頭の歌碑です。伊東市在住の牧野正氏が英国人ウイリアム・アダムスの事蹟を顕彰した伊東の按針祭に寄せて作詞されたものです。

  ウイリアム・アダムス(1564.9.24ー1620.5.16)はイギリス人であり、1600年にヤン・ヨーステンらと共にリーフデ号で日本に漂着。徳川家康に謁見して気に入られ、250石の領地と三浦按針(みうらあんじん)の名を与えられ、外交顧問として活躍した。後に、日本人女性のお雪と結婚し、息子のジョセフと娘のスザンナが誕生した。
  按針の墓は神奈川県横須賀市西逸見町の「塚山公園」の中にある。1923年3月7日 国の史跡に指定される。(フリー百科事典より)

  アダムスは航海術・天文学・造船術にもすぐれ、1604に家康の命令で伊東市松川河口で80トンのイギリス式帆船を、翌年には120トンの外洋航海ができる大形帆船を伊東の船大工の助けを得て建造しました。アダムスはこの功績で横須賀市逸見に250石の領地を与えられました。
  やがて120トンの船は日本から太平洋を横断ししてメキシコに渡り、マニラ貿易に使われました。アダムスは英国平戸商館に勤務した後独立し南方貿易にも従事しましたが、1620年5月16日病気のため平戸の地で56才の生涯をとじました。
  伊東市はアダムスの事蹟を顕彰すると共に国際親善を願い1948年7月28日この碑を建て、英連邦軍サーロバートソン中将により除幕されました。(記念碑より引用)
| 伊豆・伊東の旅 | 19:20 | comments(0) | - |
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