質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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京都の旅 その18 京都散策 西本願寺・東本願寺、京都タワー
西本願寺-1
西本願寺-2
 西本願寺 唐門(国宝) 伏見城の遺構といわれる四脚門。桃山建築の特徴である細緻な彫刻と豪華な色彩が施されている。丹念に眺めていると日が暮れるのを忘れることから「日暮門」ともいいます。
西本願寺-3
西本願寺-4
西本願寺-5
西本願寺-6
西本願寺-7
この時期(2016・11・26撮影)西本願寺のイチョウがきれいです。
東本願寺-1
世界最大級の木造建築、東本願寺 御影堂。
東本願寺-2
東本願寺 阿弥陀堂
京都タワー
 京都タワー 昭和39年(1964)に誕生した、高さ131mのタワー。地上100mの最上階にある展望室からは、市街や東山三十六峰の山並み、天気がいい日は大阪まで360度の眺望が楽します。

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 西本願寺 浄土真宗本願寺派の本山。天正19年(1591)に豊臣秀吉より寄進され、現在地へ移転。重厚な御影堂(重文)や阿弥陀堂(重文)、伏見城の遺構と伝わる唐門(国宝)など、力強く華やかな桃山・江戸時代の遺構や数々の名宝を所蔵しています。
 東本願寺 真宗大谷派の本山で、正式名称は真宗本廟。慶長7年(1602)、徳川家康から土地を寄進されたことに始まる。宗祖親鸞聖人の御真影を安置する御影堂と本尊の阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂の両堂が並び建つ様子は壮観です。世界最大級の木造建築がそびえます。

 今回で、一旦「京都の旅」は終了します。次回より「金沢・能登の旅」を写真展示しますので、見て下さい。
| 京都の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
京都の旅 その17 京都散策 島原、輪違屋
角屋
石碑「長州藩志士 久坂玄瑞の密議の角屋」が立つ、揚屋建築唯一の遺構「角屋」。
島原-1
今も残る「島原の大門」。
島原-2
島原-3
島原-4
 島原 ・・・・・・しかし、明治以降の島原は次第にさびれてゆき、現在では揚屋の「角屋」、置屋の「輪違屋」、それに島原入口の「大門」、これら三箇所がわずかに往時の名残をとどめるものとなっている。
島原-5
 島原(しまばら) 豊臣秀吉が京都を再興するに当たり、二条柳馬場に柳町の花街を公許したが、これが後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、六条三筋町として栄えた。その後、京の町の発展に伴い、寛永18年(1641)、市街地の西に当たる当時の朱雀野に移った。正式名称は西新屋敷と呼んだが、その急な移転騒動が、時あたかも九州島原の乱の直後であったため、それになぞられて島原と称されるようになった。
 島原の傾城(遊宴のもてなしを公認された女性)の最高位である太夫の名称は、慶長年間、四条河原で六条三筋町の傾城が女歌舞伎を催したとき、優れた傾城を「太夫」と呼んだことが始まりとされている。太夫道中は置屋から揚屋へ練り歩く様子をいう。
 また、江戸時代の島原は単に遊宴にとどまらず詩歌連俳等の文芸が盛んで、中でも俳諧は島原俳壇が形成されるほど活況を呈していた。  京都市
輪違屋-1
京都市下京区西新屋敷中之町にある置屋兼揚屋「輪違屋;わちがいや)。
輪違屋-2
案内板
輪違屋-3
輪違屋の正面
輪違屋-4
屋根のるシンボル(家紋?)と瓦部分に「高」の文字が刻まれています。当主の姓が「高橋」に由来する。

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 輪違屋は、京都市下京区の花街、島原の置屋兼お茶屋である。現在も営業を続けている。創業は元禄元年(1688)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872)より、現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものであり、明治4年(1871)にはほぼ現在の姿となった。
 かっては芸妓等も抱えていたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれている。建物は昭和59年(1984)に京都市の有形文化財に指定された。(ウイキペディアより)
| 京都の旅 | 19:15 | comments(0) | - |
京都の旅 その16 京都散策 角屋もてなしの文化美術館
角屋-1
京都市下京区西新屋敷揚屋町にある、「新撰組刀傷の角屋」の石碑が立つ「角屋もてなしの文化美術館」。
角屋-2
角屋-3
 角屋(すみや) 角屋は江戸時代に繁栄した旧花街(かがい)・島原を代表する揚屋(あげや;現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和60年(1985)まで営業が続けられた。島原は、我が国最初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後、六条三筋町に移転し、更に寛永18年(1641)にこの地に移された。正式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時の九州で起こった島原の乱に似ていたことから、島原と呼ばれるようになった。島原には、揚屋と置屋(おきや)があり、揚屋は太夫・芸妓などを一切抱えず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場であった。角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年(1952)に重要文化財に指定された。また円山応挙・与謝蕪村など、当時の一流画人の作品を多く蔵し、蕪村大作「紅白梅図」は重要文化財に指定されている。江戸中期には、俳壇が形成されるなど文化サロンとしての役割を担い、また、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行い、彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所でもあった。こうした江戸時代の社交遊宴文化の余香を今に伝える角屋は、現在「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されている。 京都市
角屋-4
現在「角屋もてなしの文化美術館」として一般に公開されています。
角屋-5
入口
角屋-6
角屋-7
揚屋建築の特徴
角屋-8
角屋-9
台所
角屋-10
角屋-11
広庭
角屋-12
角屋-13
襖絵
角屋-14
新撰組の刀傷

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 角屋もてなしの文化美術館は、江戸時代から栄えた花街・島原に残る唯一の揚屋建築の遺構で重要文化財に指定されています。内部は当時の文化を紹介する美術館となっています。揚屋は太夫や芸妓を呼び歌謡音曲を楽しむなど宴会を行った施設。現在でいう料亭としての役割を担い、また、豪商や文化人も多く集い、当時のサロン的な役割も持っていました。特に島原の揚屋は幕末の勤皇志士や新撰組などにも縁が深く、角屋自体も勤王派の密談の場所として使われ、久坂玄瑞や西郷隆盛なども利用しました。また、新撰組の隊士・芹沢鴨が最後に宴会をした場所としても知られています。(HPアート情報総合サイト 京都で遊ぼうARTより)
| 京都の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
京都の旅 その15 京都散策 梅小路公園・京都鉄道博物館
梅小路公園
梅小路公園、美しい花壇です。
京都鉄道博物館-1
旧二条駅舎
京都鉄道博物館-2
京都鉄道博物館
京都鉄道博物館-3
本物の電車や新幹線が展示されています。
京都鉄道博物館-4
人気のC62蒸気機関車。
京都鉄道博物館-5
公園内では蒸気機関車の乗車体験ができます。
京都鉄道博物館-6
京都鉄道博物館-7
御召列車の前で記念写真!
京都鉄道博物館-8
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重要文化財(建造物)梅小路機関車庫
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転車台
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大正3年製の扇形庫と転車台。

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 京都鉄道博物館は、SLから新幹線まで、53両の実物車両を展示する日本最大教の鉄道博物館です。また、本物の蒸気機関車がけん引するSLスチーム号の体験乗車ができます。「見る」だけでなく「さわる」「体験する」を重視した数多くの展示。特に、大正3年製の扇形車庫など、鉄道ファンには魅力満載の施設です。
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京都の旅 その14 京都散策 観智院・六孫王神社
観智院-1
京都市南区八条にある「観智院;かんちいん」西門。
観智院-2
観智院 客殿が昭和34年6月に国宝に指定。客殿は院主が住まった建物。
観智院-3
観智院-4
観智院の案内板、境内配置図。
東寺北総門-1
東寺北総門-2
重要文化財 東寺・北総門
六孫王神社-1
京都市南区八条町にある「六孫王神社;ろくそんのうじんじゃ」の正面。
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「神龍地」にかかる橋
六孫王神社-3
六孫王神社-4
唐門(京都市指定文化財)
六孫王神社-5
拝殿(京都市指定文化財)
誕生水弁財天
誕生水弁財天
児水不動明王
 児水不動明王(ちごすいふどうみょうおう) 新幹線の高架のすぐ手前、一段低くい位置にある小さな祠、中に不動明王を祀る。不動明王の脇から、眼病平癒のご利益で名高い名水「児の水(ちごのみず)」が湧き出ています。

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 六孫王神社は、祭神の源経基(みなもとのつねもと)は、平安中期の貴族・武人。清和天皇の第6皇子貞純親王の長子であり、天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれた。嫡子で当神社を創建した源満仲が清和源氏の武士団を形成したことから、「清和源氏発祥の宮」を称している。
 六孫王神社は桜が美しく、境内にある「御衣黄」と呼ばれる遅咲きの八重桜は、珍しい黄緑色の花を咲かせます。
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京都の旅 その13 京都散策 梅小路公園
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梅小路公園内の紅葉がきれいです。
梅小路公園-2
梅小路公園 案内図
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芝生広場
梅小路公園-4
 芝生広場で女子プロ野球・京都フローラが練習。現在、JWBLは、兵庫ディオーネ、京都フローラ、埼玉アストライア、REIAレイアの4チームで構成されています。
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撮影当日(2016.11.26)公園では京都フェスタ開催中!
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 市電ひろば 京都市電は、明治45年6月11日、烏丸線、四条線、丸太町線、千本・大宮線の4路線で営業を開始しました。その後、大正7年に京都電気鉄道(明治28年開業の日本最初の路面電車)の事業を受け継ぐなど、京都の発展とともに路線を拡大し、市内の主たる交通機関として活躍しました。
 しかしながら、自動車が増加する中で市電を取り巻く経営環境は段々と悪化し、昭和53年9月30日をもって、その歴史の幕を閉じました。この「市電ひろば」は、長年市民の足として親しまれた市電を活用し、皆様に楽しんでいただく新たな憩いの空間として整備したものです。   平成26年3月 
梅小路公園-7
市電ひろば
梅小路公園-8
チンチン電車のりば
梅小路公園-9
梅小路公園-10
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現在、この広場でチンチン電車に乗ることができます。
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梅小路公園-13
この時期、紅葉がきれいな公園です。

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 梅小路公園は、水・花・木・緑の空間として、また災害時には市民の皆さんが避難できる場所として、平成7年(1995)に開園した面積約13.7ヘクタールの都市公園です。公園内には、広々とした「芝生広場」、水と親しめる「河原遊び場」などがあり、有料施設として京都市電として初めて導入された車両が走る「チンチン電車」、便利なレストランなどが楽しめます。
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京都の旅 その12 京都観光 東寺(2) 金堂・講堂
東寺-1
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 東寺 国宝・金堂 金堂本尊は薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の大仏師康正の作で薬師信仰の形をとどめています。
東寺-3
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 重要文化財・講堂 堂内の白亜の壇上には大日如来を中心として五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。中でも平安時代前期の十五躯はわが国の密教彫刻の代表作です。
東寺-5
八島社殿
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八幡社殿
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重要文化財・潅頂院(かんじょういん)東門
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小子坊
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本坊
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北大門

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 金堂は東寺一山の本堂です。文明18年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興されたもので、慶長8年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。 講堂は天長2年(825)弘法大師によって着工され、承和2年(835)頃には完成しました。その後台風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明18年(1486)の土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は延徳3年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。(東寺リーフレットより)
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京都の旅 その11 京都観光 東寺(1) 南大門・五重塔
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近鉄東寺駅下車
東寺-2
駅から徒歩約10分、東寺の正門・南大門が見えてきました。
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真言宗総本山 東寺
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重要文化財 南大門(正門)
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南大門の正面に見えるのは国宝・金堂。
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門に掲示されている「定」。
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南大門の傍らには黄葉した銀杏。
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国宝・五重塔
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瓢箪池越しにみる五重塔
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アングルを変えながら五重塔を撮影。

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 今回からの京都の旅は、近鉄・東寺駅で下車し、東寺から島原を経て西本願寺まで徒歩で散策します。京都には何度が足を運んでいるのですが、東寺は今回初めての撮影です。
 平安京の玄関口に建つ弘法大師ゆかりの東寺。古都・京都のシンボルとして親しまれている五重塔は、天長3年(826)弘法大師の創建着手に始まりますが、雷火などによって、消失すること4回におよんでいます。現在の搭は正保元年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの現存する日本古塔中最高の塔です。全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の色彩も落着いて、江戸時代前期の秀作です。(東寺リーフレットより)
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京都の旅 その10 京都観光 龍安寺
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龍安寺 山門
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大雲山 龍安寺全景
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参道の紅葉がきれいです。
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庫裏入口に掲示されている書、「雲關;うんかん」。入るために通らねばならぬところ の意味。
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「石庭」として知られる枯山水の方丈庭園。幅25m、奥行10mほどの空間に白砂を敷き詰め、15の大小の石を配置。
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アングルを変えながら石庭を撮影。
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苔がきれいな庭園
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勅使門
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夕刻の紅葉
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緑が豊かな境内。
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心和む池周辺の散策路。
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鏡容池(きょうようち) この池は徳大寺家によって築かれたもので、かってはおしどりが群れ遊んだところからおしどり池と呼ばれました。

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 京都定期観光バス 〜京都もみじ紀行〜 嵯峨・嵐山天龍寺と龍安寺 の最後は、石庭で有名な大雲山 龍安寺(りゅうあんじ)。龍安寺は徳大寺家の別荘だったのを、宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものです。応仁の乱に焼失して、明応8年(1499)、勝元の子、政元が再建しましたが、寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂などを失った。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものです。方丈の前庭は枯山水の石庭として著名です。(龍安寺リーフレットより)
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京都の旅 その9 京都観光 仁和寺(2)
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仁和寺-2
仁和寺 御殿に展示された生花がきれいです。
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白書院の襖絵 昭和12年に福永晴帆による松の絵が部屋全体に描かれています。
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黒書院から見る北庭の風景。
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宸殿より北庭をのぞむ。
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御殿の随所で紅葉が見れます。
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仁和寺門跡 拝観御殿 出入口、拝観を終え御殿を出ます。

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 仁和寺は豊かな緑に包まれた境内に国宝・重文の伽藍がそびえます。宸殿では、白川砂を敷きつめ、簡素な美を表した南庭、そして池を配した晴れやかな北庭を見ることができます。南庭に面した白書院、さらに奥にある黒書院では、堂本印象による襖絵があります。この時期、御殿随所に紅葉が楽しめます。
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