質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
広島の旅 その86 鞆の浦編(13) 町中の風景
鞆の浦-1
白壁が美しい福山西警察署 鞆交番。
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町中で見かけた優雅な出窓。
鞆の浦-3
格子が美しい商家の風景。
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杉玉のある酒屋の風景。
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杉の葉を集めてボール状にしたもの。名前を杉玉(すぎたま)または酒林(さかばやし)と呼びます。
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「保命酒」の横断幕がかかる通りの風景。
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鞆の浦けんちゃんのいりこ屋
鞆の浦-8
手づくりの干物は無添加・無着色で瀬戸内海の小魚を使うこだわり。観光客や地元でも親しまれているお店。
鞆の浦-9
食事処 おてび
鞆の浦-10
龍馬談判の町家・旧魚屋萬蔵宅(宮崎駿監督デザイン御舟宿 いろは)
鞆の浦-11
波止場にたたずむ鞆の浦のシンボル「常夜燈」。
鞆の浦-12
瀬戸内海国立公園 鞆の浦

JUGEMテーマ:写真

 古くから、船が潮の干潮を待つ「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦。坂本龍馬ゆかりの地や薬味酒の発祥として有名な港町を歴史を感じながら散策してきました。約7時間の滞在でしたが、歴史と風景が楽しめるお勧めの観光地です。
 今回をもって「広島の旅」を終了します。次回より「京都の旅」の一部を写真展示します。見て下さい。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その85 鞆の浦編(12) 沼名前神社
沼名前神社-1
沼名前神社-2
沼名前神社・第二鳥居(広島県指定文化財)江戸時代初期、寛永2年(1625年)の造営。
沼名前神社-3
沼名前神社
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随身門
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拝殿
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灯籠
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鞆の津の力石(福山市指定文化財)。
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渡守社、本殿奉斎以前の旧社殿。
沼名前神社-12
社殿
沼名前神社-13
万葉集の歌

JUGEMテーマ:写真

 沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、福山市鞆町後地にある神社で、「鞆祇園宮(ともぎおんぐう)」の別称とともに、「祇園さん」の通称で親しまれています。現在の名称は、明治の渡守神社(わたすじんじゃ)・鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し『延喜式』神名帳の記載にならって「沼名前神社」と改称したものです。祭神は「大綿津見命(おおわたつみのみこと)」「須佐之男命(すさのおのみこと)」が祀られています。
 境内には、国指定重要文化財・能舞台、県指定文化財・鳥居、市指定文化財・石灯籠 力石などがあります。
| 広島の旅 | 19:33 | comments(0) | - |
広島の旅 その84 鞆の浦編(11) 對潮楼(福禅寺)
對潮楼-1
對潮楼-2
 福禅寺対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)史跡 朝鮮通信使遺跡・鞆福禅寺境内
 海岸山千手院福禅寺は、平安時代の天暦年間(950年頃)の創建と伝えられる真言宗の寺院です。本堂やそれに隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年代)に建立されました。客殿からの海の眺めはすばらしく、特に正徳元年(1711年)朝鮮通信使は、この景観を「日東第一形勝」と賞賛し、従事官李邦彦(イバンオン)はその書を残しました。また延享5年(1748年)には正使洪景禧(ホンケヒ)は客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海(ホンキョンヘ)がその書を残しています。ここが文化交流の場になっていました。
對潮楼-3
對潮楼-4
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 江戸時代(1711年)朝鮮通信使一行の上官8名(正使、副使、従事官)が對潮楼より窓枠を額縁に見立てて観る景色が一幅の名画と称賛して「福禅寺楼上よりの眺めが日本第一」と衆議が一致して「日東第一形勝」と書を残した。古くよりこの形勝を眺めに多くの著名人、文化人が訪れ感応した。 国史跡 福禅寺 對潮楼
對潮楼-6
對潮楼-7
福禅寺・本堂 階段を上って右へ行くと隣接する対潮楼があります。
對潮楼-8
對潮楼-9
對潮楼-10
対潮楼に掲示されている扁額と欄間。
對潮楼-11
窓枠を額縁に見立てて観る景色。中央多宝塔のある島が弁天島、右の半円形の島が皇后島、それ以外の島が仙酔島。
對潮楼-12
日東第一形勝

JUGEMテーマ:写真

 高台にある対潮楼は、福禅寺の客殿にあたる建物、朝鮮通信使の迎賓館として使われた歴史があり、額縁の絵のような美しい島の風景をお座敷から眺められるスポットとして有名です。国の史跡に指定されたかっての迎賓館。本堂の座敷からは海に浮かぶ弁天島や仙酔島が一望できます。写真愛好家必見の景勝地です。
| 広島の旅 | 19:31 | comments(0) | - |
広島の旅 その83 鞆の浦編(10) 阿弥陀寺
阿弥陀寺-1
福山市鞆町後地1345にある「阿弥陀寺・山門」。
阿弥陀寺-2
 阿弥陀寺は、1565年に建てられました。本尊の阿弥陀さまは、「鞆の大仏」と呼ばれる高さ約2.6メートルの座像で、台座を含めると4メートルもあるとても珍しい仏様です。この仏様は、大慈悲円満で私たちすべての人々の幸せを願って常に見守ってくださっていると言われています。境内には、見事な石造の地蔵さまもあります。 
阿弥陀寺-3
阿弥陀寺・本堂
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阿弥陀寺-7
きれいな境内の風景。
阿弥陀寺-8
供養塔
阿弥陀寺-9
阿弥陀寺-10
 石造地蔵菩薩坐像 像高67cm 総高219.3cm 延宝3年(1675)に、わざわざ遠方の名石工・肥前州小城郡の富永仁右衛門に製作を依頼したもの。鞆の商人が先祖の供養につくったもので、その豊かな経済力もみてとれる。木彫仏に迫る細密な表現で、また精神性の込もった近世日本で屈指の石仏に入ると思われる傑作である。
阿弥陀寺-11
鐘楼 梵鐘は、「慶安壬辰」(1652)年の作。鞆でわずかに残る二つの梵鐘の内の一つとして貴重である。
阿弥陀寺-12
 木造阿弥陀如来坐像(鞆の大仏)光背までの高さ約4m 雲洞住職の代の元禄16年(1703)に作られた丈六の大仏。江戸中期の都仏師による実に堂々とした優作で、これ程の大きさの仏像は地方においては極めて珍しく、鞆の経済力を如実に示している。(各説明文は、HP;阿弥陀寺より引用)
阿弥陀寺-13
案内板

JUGEMテーマ:写真

 阿弥陀寺は、鞆の浦の寺社が集中している通りにあります。本堂に上がり参拝、大きく立派な本尊(鞆の大仏)には驚きました。境内はきれいに清掃され植木の手入れも行き届いています。また、石造地蔵菩薩坐像は、参拝当日は何気なく撮影しましたが、後日写真を拡大して改めて見ると、その細密な造りに感動します。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その82 鞆の浦編(9) 明圓寺、平賀源内生祠、南禅坊
案内板
 L脊せ(みょうえんじ) 松江山明圓寺(真宗大谷派)。室町末期(戦国時代)の石山合戦(1570年〜1580年)では、明圓寺住職が毛利軍と共に織田信長と戦いました。江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもありました。
 な寝豸仔眄吾(ひらがげんないせいし) 1940年(昭和15年)広島県史跡指定。美麗な鞆港を見下ろせる医王寺の参道の途中にあります。源内は自分の生前中に神として祀る(生祠)ように言い残したので、源内が寄寓(きぐう;他人の家に身を寄せること)していた溝川家は1764年(宝暦14年)に三宝荒神を祀りました。徒歩5分。
明円寺-1
松江山 明圓寺 山門
明円寺-2
明圓寺 本堂
明円寺-3
明円寺-4
境内に立つ「親鸞聖人御像」と親鸞讃歌。
平賀源内生祠-1
平賀源内生祠-2
平賀源内生祠-3
 平賀源内生祠 蘭学者、平賀源内(1728〜79)は讃岐・志度村(現・香川県さぬき市志度町)の生まれで、植物学・科学・劇作など多くの分野で活躍した人物です。長崎で学んだ帰り、鞆の浦の溝川家に立ち寄りました。その時、ここで陶法を取り入れた源内焼の製法を伝えました。生存中に神としてまつることを生祠(せいし)といい、1764(宝暦14)年溝川家がまつっていることから、平賀源内生祠ということがわかります。
南禅坊-1
福山市鞆町後地1339にある「海龍山 南禅坊 」山門。
南禅坊-2
南禅坊 山門・本堂は国の有形文化財に登録されています。
南禅坊-3
南禅坊-4
南禅坊・本堂 創建は建久元(1190)年。法然ゆかりの寺です。

JUGEMテーマ:写真

 楼門が立派な南禅坊(なんぜんぼう)は、1600年頃に建てられました。福(禅)寺の(南)の僧(坊)の住むところという意味から、南禅坊という名前になったようです。
 「春の海」で有名な作曲家宮城道雄の先祖のお墓もあります。本堂と山門7は、国の登録文化財になっています。鬼瓦にはいろいろな猿が彫られています。(掲示板より)
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その81 鞆の浦編(8) 医王寺
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 ^絏寺(いおうじ) 桃林山医王寺(真言宗)。医王寺から瀬戸内海が一望に見渡せ、福山藩儒の門田朴斎は『医王寺十勝』という有名な漢詩を残しています。「夕日の虹は島々に横たわり 水波に落ちる月影はすばらしい。また、冬には石槌山をはじめ、四国連山の積雪が遠望できる。」
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医王寺入口
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医王寺からの眺望、瀬戸内海が一望できます。
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眼下に鞆湾を見ることができます。
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医王寺境内
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 医王寺 桃林山慈眼院医王寺は、平安時代の弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院です。本尊は木造薬師如来立像で県の重要文化財に指定されています。慶長年間(1600年頃)福島正則が藩主となり、鞆城代大崎玄藩がこれを再興しました。現存する鐘楼は1642(寛永20)年福山藩主水野勝成の建立、本堂は1685(貞享2)年四代水野勝種の再建したものと伝えられています。ここから15分ばかり登った所にある太子殿からの展望はすばらしいものです。1826年オランダの医師シーボルトはツツジや松の観察のために小径を登りました。
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医王寺 御影堂
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医王寺 本堂
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太子殿登り口

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 由緒ある寺、医王寺から絶景が楽しめます。更に、医王寺の裏の階段を583段上がった先にある太子殿からは町並みと仙酔島を一望する、鞆の浦屈指の絶景が眺められます。夕方には海が赤く染まり、昼とは違った幻想的な雰囲気が味わえる鞆の浦随一のビューポイント。残念ながら今回、時間と体力の関係で挑戦できませんでした。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その80 鞆の浦編(7) 鞆の港 日本一の常夜燈
鞆港-1
鞆湾にある常夜燈は、150年以上にわたり町を見守り続けるシンボル。撮りたかった一枚の写真です。
鞆港-2
海中の亀腹型石積まで含めると10mを超す大きさで、港の常夜燈としては日本一。瀬戸内海の誇れる景観です。
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 竿柱の南面に「金毘羅大権現」、北側に「当所祇園宮」の石額を掲げていて、海上安全の守護神に対する寄進灯籠。石額の文字、金毘羅さんも祇園さんも海上安全の神様です。
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常夜燈側から見る風景。
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常夜燈のすぐ近くにある「いろは丸展示館」。
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備後灘で慶応3年(1867年)に起こったいろは丸と明光丸の衝突事件の概要を展示する博物館。
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鞆の港
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 雁木(がんぎ) 潮の干満に関わらず船着けできる石階段を雁木と言う。満潮時には最上段が岸壁となり、干潮時には最下段が荷揚げの場となる。雁が飛ぶさまに似ていることからその名が付いた。
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波が穏やかな鞆の港。
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右側奥に常夜燈が見えます。
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 龍馬と鞆の浦 慶応3年(1867年)4月23日、坂本龍馬の率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」は紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し宇治島付近で沈没した。紀州藩は「円福寺」、いろは丸側は「桝屋清右衛門宅」を宿とし、「魚屋萬蔵宅」などを談判所とした。談判は平行線をたどり4月27日交渉決裂となり、交渉の場を長崎に移した。その後10月19日紀州藩からの7万両の賠償金で和解したが、坂本龍馬は同年11月15日京都近江屋にて暗殺された。

JUGEMテーマ:写真

 常夜燈は、安政6年(1859)に建造された鞆の浦のシンボル。夜になると明かりが灯り、常夜燈は幻想的な雰囲気に、鞆の浦の町を150年以上にわたって照らし続けています。2015年放送の、ドラマ「流星ワゴン」で鞆の浦が重要な役割を果たしています。ドラマの影響もあり、近年観光客が増えているそうです。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その79 鞆の浦編(6) 国の重要文化財・太田家住宅
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福山市鞆町鞆842にある国の重要文化財「太田家住宅」。
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これより入館、入館料400円。
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 案内板 三条実美(さねとみ)幕末・明治期の公家・政治家。尊皇攘夷運動の先頭に立ち、維新後太政大臣。内閣制発足後は内大臣。 世にならす 鞆の港の竹の葉を 斯(か)くして嘗(な)むるも 珍しの世や
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建造当時の形が残る日本唯一の保命酒蔵
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JUGEMテーマ:写真

 太田家住宅は、江戸時代に隆盛した保命酒の製造が行なわれていた元蔵です。主屋や醸造蔵など9棟からなる商家建築を代表する建物で、国の重要文化財に指定されています。バス停鞆港から3分のところにあります。建造当時の形が残る日本唯一の保命酒蔵、必見の文化財です。
| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その78 鞆の浦編(5) 鞆城跡 鞆の浦歴史民俗資料館
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案内掲示板
鞆城跡-2
福山市鞆町後地536-1にある「鞆の浦歴史民俗資料館」。
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福山市鞆の浦歴史民俗資料館
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 鞆城跡(ともじょうあと)
 ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。慶長12年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中だったことが知られる。
 元和元年(1615年)の一国一城令に先立って廃城となり、正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。
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紅葉が見られる歴史民俗資料館の前庭。
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前庭にある「楽聖 宮城道雄先生像」。
鞆城跡-8
 前庭に立つ万葉歌碑
 鞆の浦の、磯のむろの木、見むごとに、相見し妹は、忘らえめやも
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 天平二年(730)12月 大納言兼務となって都に上る大宰師大伴旅人は、鞆の浦で亡き愛妻を偲び三首の歌を詠んだ。その中の一首がこの歌で、万葉集に載録されている。鞆の浦の磯に立つむろの木 そのむろの木を見るたびに、ともに眺めた妻のことが忘れようにも忘れられない、と歌う。
 旅人は、神亀5年(728)の初め大宰府に下ったと思われるが、その途中、鞆の浦のむろの木を妻とともに眺めた。しかし、その妻はまもなくこの世を去ってしまう、その悲しみを、旅人は翌天平三年、六十七歳で没するまで歌い続けたのである。
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鞆城跡-11
鞆城跡から見る眼下の風景。

JUGEMテーマ:写真

 福山市鞆の浦歴史民俗資料館は、福山市制70周年を記念して鞆城跡の高台に建設されました。館内では、歴史資料やお祭りなどの民俗資料が常設展示されています。鞆の浦とゆかりの深い箏曲家、宮城道雄の愛用琴などの遺品を展示しています。宮城道雄が1929年に発表した「春の海」で世界的に評価されました。この曲は、父親の故郷であり、自身が幼少期を過ごした鞆の浦を思って創作したと言われています。宮城道雄は8歳で失明しており、光を失う以前に見た鞆の浦の海が、永遠の原風景として心に刻み込まれていたのでしょう。

| 広島の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
広島の旅 その77 鞆の浦編(4) 保命酒、商家
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軒を並べる鞆の浦の商家
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商家-3
商家-4
商家-5
軒下に下がるのれん
商家-6
商家-7
入江保命酒本店
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店内に展示されている大きさ日本一の「備前人形徳利」。
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商家-10
福山市重要文化財「鞆の津の商家」。

JUGEMテーマ:写真

 商家の屋根に掲げられている大きな「保命酒(ほめいしゅ)」の看板が目に付きます。鞆の浦の名産で、正式名称は「十六味地黄保命酒」、江戸時代から鞆の地で造られている伝統の薬味酒で、十三種類の漢方薬と麹米・もち米・焼酎を合わせた十六味を漬け込んだ和製のリキュールです。
 1659年に中村吉兵衛が製造販売したのが始まりで、その後、福山藩を代表する幕府への高級献上品として全国的に有名になりました。現在も鞆町の4つの保命酒屋でしかつくられていません。試飲させてもらいました。「瀬戸内海の養命酒」の味です。
| 広島の旅 | 19:37 | comments(0) | - |
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