質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
長野の旅 その34(完) 長野タウン(9) 善光寺・本堂、鐘楼、参道、道路元標
本堂-1
山門をくぐると見えてくる「善光寺・本堂」。
本堂-2
本堂-3
永きにわたって歴史を伝える本堂、国宝です。
本堂-4
本堂前にある「大香炉」。
鐘楼-1
鐘楼-2
鐘楼(梵鐘は重要美術品)
境内の風景-1
境内の風景-2
境内の風景-3
境内の風景
参道-1
参拝者で賑わう参道
参道-2
参道-3
史跡 善光寺参道(敷石)
道路元標
 かって御高札場跡であった長野市大門町の善光寺参道入口横にある『長野市道路元標』。標石の前には「育もう心豊かな我が郷土」と刻まれた方位盤。「長野市道路元標」は、大正8年(1919)に道路法施工令が公布され設置されました。平成3年3月に改修され現在の姿になりました。手前の銘板には「長野市大字長野字元善町461番地先 北緯36度39分 東経138度11分 標高392.08メートル」と刻まれています。今回の「長野の旅」で最後に撮影した写真です。

JUGEMテーマ:写真

 善光寺本堂は、創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたび善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永4年(1707)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24m、奥行き約54m、高さ約26mという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と」呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。(HP;善行寺より)

 34回にわたり写真展示してきました「長野の旅」は今回で終了です。次回より2016年10月に撮影しました「広島の旅」を写真展示しますので見て下さい。
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その33 長野タウン(8) 善光寺・山門、六地蔵、大勧進
山門-1
信州善光寺 山門(重要文化財)
山門-2
山門正面に「善光寺」の扁額。この額は享和元年(1801)輪王寺宮公澄法親王の筆。
山門-3
 山門に掲げられている扁額は、通称「鳩字の額」と言われています。この額には鳩が5羽隠されています。善の字に2羽(上の部分)、光の字に2羽(上の部分)、寺の字に1羽(最後の画、少し分かりずらい)です。また、善の字が牛の顔の形に見えることから「牛に引かれて善光寺参り」の信仰が伺い知ることができます。(HP;信州長野善光寺参りより)
六地蔵-1
山門の手前参道横に鎮座する「六地蔵」
六地蔵-2
一番右側の菩薩が蓮台から片足を踏み出しています。
六地蔵-3
「六地蔵」案内板
濡れ仏-1
濡れ仏-2
濡れ仏(重要美術品)
大勧進
 大勧進 善光寺天台宗本坊 敷地内には、室町の様式を伝える庭園や古代蓮が花を咲かせる放生池、明治天皇ゆかりの茶室、貴重な文化財を収める宝物館などがあります。
大賀蓮-1
大賀蓮-2
放生池に花を咲かせる古代蓮「大賀蓮」。
山門-4
大賀蓮越しにみる「山門」。

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 善光寺の山門は、桁行約20m、梁行約8m、高さ約20mの入母屋造の大楼門です。5年の歳月を経て、寛延3年(1750)に建立されました。長い歴史を持つ山門は、1847年の善光寺地震などに耐えてきましたが、建物や屋根に老朽化が進んでいました。2002年より平成の大修理が行われ、2007年12月に建立時の姿に復元されました。門の2階部分には、四天王に囲まれた木造文殊菩薩坐像が安置されていることから「知恵の門」とも呼ばれています。
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その32 長野タウン(7) 善光寺・仁王門、七福神めぐり・毘沙門天
仁王門-1
仁王門-2
「定額山」の扁額を掲げる「善光寺・仁王門」。
仁王門-3
筋骨隆々の「仁王像」。
仁王門-4
案内板
参道
大勢の参拝客で賑わう参道
釈迦堂-1
 仁王門をくぐり参道右の路地を入ると、前方に釈迦堂。
 案内板(上)「重要文化財 涅槃釈迦如来 釈迦堂」、案内板(下) 善光寺七福神第七番 勇気授福の神毘沙門天 四天王の一、多門天の別名 片手に宝塔、片手に矛を持つ。軍神であるが福神としても信仰された。
釈迦堂-2
小さいながら荘厳な建造物、「善光寺世尊院 釈迦堂」。
釈迦堂-3
釈迦堂-4
毘沙門天
毘沙門天様は、ご本尊釈迦涅槃像の枕元に祀られています。

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 善光寺・仁王門は参拝者を迎合する出入口。宝暦二年(1752)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918)に再建されました。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。また、善光寺七福神めぐり第七番目 毘沙門天は、釈迦堂御本尊釈迦涅槃像の枕元に祀られています。残念ながら撮影禁止です。
| 長野の旅 | 19:06 | comments(0) | - |
長野の旅 その31 長野タウン(6) 善光寺七福神めぐり 布袋、西宮神社・恵比寿
中央通り-1
再び、中央通り(善光寺表参道)を進みます。
中央通り-2
善光寺 表参道 大門町 第10回長野市景観賞、手づくり郷土賞など数多くの賞を受賞した表参道大門町の景観。
布袋-1
布袋-2
大門町 御本陣藤屋玄関前に祀られている、七福神めぐり五番目「布袋」。
西宮神社-1
西宮神社-2
長野のえびすさん 西宮神社
恵比寿-1
恵比寿さん
恵比寿-2
恵比寿-3
鯛の水盤
西宮神社-3
西宮神社 拝殿

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 善光寺七福神巡りの六番目は、西宮神社・恵比寿様です。右手に釣竿、左手に鯛を抱えたお姿で、七福神の中では唯一日本の神です。商売繁盛、家内安全、除災開運、五穀豊穣などの御神徳があります。
 西宮神社は、恵比寿の宮として県下で最も古く、11月19、20日のえびす講祭は晩秋の風物詩で、煙火大会などが開催されます。また1月19、20日には初えびす祭が行われます。(掲示板より)
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その30 長野タウン(5) 七福神めぐり 往生院・弁財天
中央通り
中央通り(善光寺表参道)
権堂アーケード
権堂アーケード
往生院-1
アーケードに面した往生院・弁財天入口
往生院-2
往生院寺歴
往生院-3
往生院-4
往生院-5
往生院 御影堂 浄土宗蓮池山往生院 権堂宇賀弁財天社 
弁財天-1
弁財天-4
信州最古 宇賀神大弁才天堂
弁財天-2
弁財天-3
善光寺七福神めぐり「弁財天」

JUGEMテーマ:写真

 善光寺七福神めぐり、秋葉神社・福禄寿の参拝を終え、再び中央通り(善光寺表参道)を進み、バス停・権堂入口を右へ折れ「権堂アーケード」へ。アーケードを少し入ったところに往生院入口はあります。木戸を開けて参拝します。
 弁財天は、インドの河の女神。音楽をつかさどり、学問と伎芸、雄弁と智恵を授けます。境内の宇賀弁財天社は、権堂の芸能の神として信仰されてきました。
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その29 長野タウン(4) 七福神めぐり 秋葉神社・福禄寿
十念寺-1
十念寺-2
中央通りに面した細い路地「十念寺入口」。
十念寺-3
源頼朝開基の紫雲山「十念寺」本堂
出世大仏堂-1
十念寺に隣接してある「出世大仏堂」。
出世大仏堂-2
出世大仏の由来
出世大仏堂-3
出世大仏堂-4
黄金に輝く「阿弥陀仏坐像」(通称;出世大仏)
秋葉神社-1
秋葉神社社殿。
秋葉神社-2
社殿前に建つ、三尺坊福禄寿之碑
秋葉神社-3
秋葉神社-4
善光寺七福神めぐり 「福禄寿」

JUGEMテーマ:写真

 長野駅から善光寺までの表参道界隈に祀られている七福神をめぐる「善光寺七福神めぐり」は道のりが約2.5kmです。三番目に訪れたのは、西後町秋葉神社に祀られている「福禄寿」。南極星の象徴、泰山真君を人格化した福と高禄(財産)、長寿の三徳をつかさどる神です。秋葉神社ゆかりの三尺坊(天狗といわれた)が福禄寿の神徳につながることにちなんでいます。(善光寺表参道マップより)
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その28 長野タウン(3) 長野県庁、七福神めぐり・大黒天
中央通り
中央通り(善光寺表参道)
マンホールの蓋
長野市の花「りんご」がデザインされたマンホールの蓋(Sewerageとは下水設備の意)。ちなみに、市の木は「シナノキ」、長野県の古名「信濃」は、古くは「科野」と記したが、「シナノキ」を多く産出したことからだといわれる。
大黒天-1
大黒天-2
大黒天-3
大黒天-4
中央通り新田町交差点を左へ、昭和通りにある善光寺七福神巡り「大黒天(大国主神社)」。
長野県庁-1
「大黒天」よりすぐ「県庁前交差点」。
長野県庁-2
県民209万人の行政を司る「長野県庁」。
長野県庁-3
県庁のご案内、中央の建物が本館棟。
彫刻 若い女-1
彫刻 若い女-2
彫刻 若い女-3
県庁前に立つ彫刻「若い女」。

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 長野県は、本州内陸部に位置し、海に面していない内陸県です。令制(りょうせい)国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれています。大規模な山岳地帯があるため可住地面積が小さい。県庁所在地は長野市で、善光寺の門前町として発展し、第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体です。
 県の木は白樺、県の花はりんどう、県の鳥は雷鳥です。(フリー百科事典「ウィキベディア」より)
| 長野の旅 | 19:01 | comments(0) | - |
長野の旅 その27 長野タウン(2) かるかや山・西光寺
西光寺-1
善光寺表参道(中通り)に面した「かるから山・西光寺」入口
西光寺-2
西光寺案内板
西光寺-3
刈萱山西光寺本堂 御本尊・木造刈萱親子地蔵尊像(来迎地蔵尊像)
西光寺-4
大師堂(園通殿)弘法大師が祀られ、刈萱親子との縁が深いお堂。
西光寺-5
 刈萱塚 鎌倉時代より信濃七塚の一つとして七百余年を経たる塚。
 左より千里御前の墓、刈萱上人の墓、石堂丸の墓。刈萱上人の墓は、石堂丸が父の菩提を弔うため九重の搭を建立、弘化4年3月善光寺大地震の折崩れ現在の五重の搭となっています。
西光寺-6
西光寺-7
「かるかや親子の対面」像
西光寺-8
 松尾芭蕉翁の碑 寛保3年(1743)10月12日芭蕉翁の50回忌を期して多くの俳諧師によって建立された翁の句碑としては信濃最古のもの 「雪ちるや 穂屋のすゝきの刈残し」
西光寺-9
 六地蔵憧(ろくじぞうどう) 六道(地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天)の衆生を救う菩薩のお姿を六体の浮彫りであらわした室町時代の作風であり素朴ながら柔和なお顔とやさしいお姿はまれにみるすぐれた作といわれている。
西光寺-10
西光寺-11
境内に建つ「善光寺七福神巡り第一番 寿老人」

JUGEMテーマ:写真

 長野駅善光寺口を出発し最初に訪れたのは、善光寺表参道(中央通り)に面した西光寺(さいこうじ)です。西光寺境内には、四百年以上前に建立した開山刈萱上人、中興石童丸上人、その母千里御前の墓石三塔が祀られています。また善光寺七福神巡りの第一番・寿老人も祀られています。
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その26 長野タウン(1) JR長野駅
長野駅-1
長野駅自由通路・コンコースを善光寺口へ
長野駅-2
明るくきれいなエントランスが気持ちいいです。
長野駅-3
 コンコースに掲示されている長野オリンピックのロゴマーク。1998年(平成10年)に長野で開催された冬季オリンピックは2月7日〜2月22日まで、72の国(地域)から選手・役員4638人が参加、延べ144万2700人の観客が会場に集まりました。日本は金5 銀1 銅4 計10個のメダルを獲得。記憶に残る冬季オリンピックでした。
長野駅-4
善光寺口へ
長野駅-5
長野駅善光寺口からみる駅前の風景
長野駅-6
長野駅-7
木目彫の柱と提灯が目に付く「善光寺口」。
長野駅-8
長野駅善光寺口、ちなみに反対側は「東口」です。
長野駅-9
MIDORI長野 2015年3月にグランドオープンした駅ビルで、地下1階から地上5階の建物に112店舗があります。
長野駅-10
 長野駅善光寺口広場の噴水の中に立つ「如是姫(にょぜひめ)像」。
像は長野駅には背を向けていますが、向いているのは善光寺の方で、善光寺に対して華をささげています。如是姫があるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治らなかった。その時助けたのが善光寺御本尊である阿弥陀如来です。その感謝を示して善光寺に向いて華を捧げています。
長野駅-11
灯籠越しにみる長野駅善光寺口
長野駅-12
これより善光寺へ向かいます。

JUGEMテーマ:写真

 長野駅へ降りて善光寺口へ向かう自由通路・コンコースを歩きます。天井が高く明るいエントランスが解放感と清潔感があり思わず撮影したくなります。また、駅広場に面した外観は、長野の門をイメージした大きな庇(ひさし)と木目調の列柱に圧倒されます。
| 長野の旅 | 19:00 | comments(0) | - |
長野の旅 その25 長野市小島田町 八幡原史跡公園
八幡原史跡公園-1
八幡原史跡公園に掲示されている「川中島大合戦図」
八幡原史跡公園-2
八幡原史跡公園-3
史跡公園の松林の中にたたずむ「八幡社」
八幡原史跡公園-4
八幡社御由緒
八幡原史跡公園-5
川中島古戦場八幡原
八幡原史跡公園-6
公園内に建つ「武田信玄(左)・上杉謙信(右)一騎討像」
八幡原史跡公園-7
像の傍らに立つ「風林火山」の旗
八幡原史跡公園-15
「毘」「龍」の旗
八幡原史跡公園-9
 「執念の石」 武田・上杉両軍三万余の死闘を展開した川中島合戦の最中、作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄になった武田信玄をめがけて切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、武田軍の中間頭原大隅(はらおおすみ)が、傍らにあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突きだした。苛立った槍は鎧の肩の上にそれ、残念なりと返す槍で謙信の鎧の肩を斜右上から力いっぱい打下したが、またも外れて馬の三頭(さんず)をしたたか打ったので、馬は驚き跳ね上ってその場を狂奔し去ったため、信玄は危う虎口を免れることができた。一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれる。(掲示板より)
八幡原史跡公園-10
 三太刀七太刀之跡(みたちななたちのあと) 
 永禄4年(1561)9月10日、ここ八幡原を中心に上杉、武田両軍三万余の壮絶な死闘が展開された。上杉謙信は紺糸縅(こんいとおどし)の鎧に萌黄緞子(もえぎどんす)の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、長光の太刀を抜き放ち、名馬放生に跨がり戦況の伸展に注目、乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本陣を強襲した。この時の武田信玄は諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋(ひ)の法衣、軍配を右手にもち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。この信玄をめがけて謙信は只一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負った。後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、この一騎討ちの跡を世に三太刀七太刀の跡という。(掲示板より)
八幡原史跡公園-11
 首塚(くびづか) この塚は以前は屍塚(かばねつか)と呼ばれ、1561(永禄4)年9月10日の戦いの後、武田方の海津城主 高坂弾正(こうさかだんじょう)が激戦場となったこの辺り一帯の戦死者(六千余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚の一つである。
 これを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田氏に対し「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれている。このことが乱世に咲いた美学と褒め称えられ、「敵に塩を送る」という言葉が生まれたといわれている。
 ここから東南へ約180mのところにも同じく大きな首塚がある。昔はこの付近にいくつもの首塚があったが、現存する大きな塚は二つだけであり、小さな塚は各所に点在している。(掲示板より)
八幡原史跡公園-12
 逆槐(さかさえんじゅ) 山本勘助等の進言による「キツツキ戦法」の採用を決定した武田信玄は、永禄4年(1561)9月9日夜、ここ八幡原に上杉軍挟撃の陣地を構えた際、この場所に土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をめぐらして本陣をおいた。このとき土塁の土どめに自生の槐(えんじゅ)の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、その約四百年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる。周囲に低い土塁のあとが見えるのは、信玄本陣を示す桝形(ますがた)陣形跡である。(掲示板より)
八幡原史跡公園-13
八幡原史跡公園-14
緑豊かな公園内の風景

JUGEMテーマ:写真

 八幡原史跡公園(川中島古戦場)は長野市小島田町にあり、武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)第四次合戦(八幡原の戦い)に於いて、武田軍が本陣をこの付近に置いたと伝えられます。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田信繁、山本勘助らの勇将が戦死しました。
 八幡原史跡公園には、古くからの八幡社が静かにたたずみ、境内には信玄・謙信一騎討像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがあります。また、公園内には桜が植えられ、花の時期は花見客で賑わうそうです。今回、松代町から長野駅へバスで帰る途中、バス停「川中島古戦場」で下車、徒歩ですぐのところにあります。
| 長野の旅 | 19:22 | comments(0) | - |
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