2014.01.08 Wednesday
九州・大分の旅 その91 観光バスで行く 両子寺
車窓から見る風景。 道路側面に祭りの模様が描かれた壁画(?)。
走水(はしりみず)トンネル 延長:568m 開通:平成14年(2002年) 国東半島のほぼ中央に位置し、豊後高田市と国東市を結ぶ主要県道29号線。
レリーフに描かれているのは、地元安岐町(あきまち)に住んでいた豊後の三賢人のひとり 「三浦梅園(みうらばいえん)」 と旧宅。
三浦梅園・・・江戸中期の儒医。 名を晋(すすむ)。 字は安貞。豊後の人。 天文・物理・医学・博物・政治・経済に通じ、条理学を首唱。 著「玄語」「贅語」「敢語」など。(1723~1789)(広辞苑より)
ちなみに豊後の三賢人とは、三浦梅園、帆足万里・広瀬淡窓を云います。
両子(ふたご)トンネル 延長:500m 竣工:1999年3月 ちょっとユーモラスな仁王像と梅の花がレリーフに描かれています。
大分県国東市安岐町にある天台宗の寺院、「両子寺(ふたごじ)」。
朱色が鮮やかな 「無明橋」 を渡ります。 橋の下に観音をまつり、不信心者もこの橋を渡れば信仰心が湧き、牛馬が通れば落橋すると云う。
山門に続く石段の両脇に立つ、国東半島最大級の石造の仁王像。
町指定有形文化財(昭和56年3月25日指定) 「両子寺仁王」。 江戸時代後期。
石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、130を越える仁王が確認されている。
寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎える。 しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれている。 阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。 吽形像右手は肩下拳を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。 両像とも腹をやや突き出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
銘はなく、寺の伝えによると文化11年(1814年)の作といわれ、総高245cm(阿形・吽形)、像高230cm(阿形・吽形) 石材は角閃安山岩である。(掲示板より)
灯籠まつりの準備が進む石畳の参道。
書院・客殿(両子寺会館)。
護摩堂(五大明王)
山岳修行の根本道場として本堂不動尊をはじめ、諸仏を祀る。 明治2年焼失後、同25年に原型通り再建。 四方方形、扇タル木、二段化粧。
大講堂(弥陀三尊、四天王) 平成元年~3年再建。
大講堂本尊 木造阿弥陀如来坐像。 像の構造や形状から平安時代後期の和様の定型ともいえる定朝様の仏像の伝統を伝え、さらに鎌倉時代の新しい様式も取り入れた作品である。 県指定有形文化財(掲示板より)
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本定期観光バスコース 「国東半島史跡めぐり」 の最後の見学地は「両子寺」です。 両子寺は、養老2年(718年)に仁聞(にんもん)菩薩によって創建されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えました。 江戸時代は杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総寺院として満山を統轄する立場にありました。
山門に続く石段の両脇には、江戸後期の作とされる国東半島最大級の石造の仁王像が立っています。 境内は瀬戸内海国立公園内に位置し、その森は森林浴の森100選にも選定されています。 紅葉の名所、子授けの寺としても有名です。(フリー百科事典・ウィキペディアより)