2013.11.01 Friday
九州・大分の旅 その72 臼杵市・城下町めぐり 街中風景
臼杵市大字臼杵祇園南(祇園洲)にある 「八坂神社」。祇園様として親しまれています。 7月中旬に行われる祇園祭は日田祇園祭、中津祇園と並んで、大分の三大祇園祭の一つに数えられています。
商店街の町角に立つ 「石敢當」。
臼杵の商店街の町角に珍しいお宝発見
石敢當(せっかんとう)
四百余年の昔から畳屋町の人々は、町角の石敢當を魔除け、商いの神、福の神と尊び崇めて大事に守り継いでまいりました。 臼杵市の文化財にも指定されている大変貴重な塔で、歴史の上からも、観光の上からも大事に守り継ぎたいと思います。
石敢當とは
石敢當は中国伝来の悪魔除けの法で九州南部から沖縄・台湾にかけての路傍にあり、九州では鹿児島市内に数個あります。 沖縄では石敢當(いしかんとう)と呼ばれ、家庭でも門柱、玄関などに三文字書いて張る魔除けの風習が今も残っています。 大辞典に、向かうところ敵なしの義、石敢當は古の勇者の名、その名を石に刻して守護神とす。 とあります、畳屋町の塔はその姿の美と形の大きいこと、特に筆跡が唐人の名筆家の作であることから書道界においては典雅な書体であると有名です。
なぜ臼杵に
大友宗麟が臼杵に居城を構えた頃、臼杵は早吸瀬戸の難所を往来する船の潮待ち、風待ちで港は賑わい、また、町には大阪堺にも店をもつ西日本随一の豪商で分限者の仲屋宗悦のお店や、唐人のお店が並び農水産物を始め色々な品物の一大集散地として栄えていました。 また南蛮船、大明国の商船も入港して市場を開き遠く豊・筑の人々等も集めて交易をし象をはじめ虎、孔雀や陶器、書画など珍しい品々が荷揚げされました。 取引の上で喧嘩・口論が度々あり皆が迷惑をしていたのを「中国にこれを治める法がある」とで石敢當の三文字を石に刻して建てたところ以後喧嘩が治まったと言われています。
石畳が美しい八町大路。
お仏壇・創業明治5年の「山本鳳凰堂」。 格子状の美しい建物で、石畳と相まって中世の城下町を思わせます。
法雲山 大橋寺(たいきょうじ)の山門・高麗門。
普通の屋根の外に左右のひかえ柱の上にも屋根のある門。
大橋寺 江戸時代初期、幕府のキリシタン弾圧によりカキダキ村住人すべて隠れキリシタンであったことが判明し、村は全滅と思われたが大橋寺第六世歴道上人は「庄屋以下全員この寺の門徒である」との証明書を出し村人を救った。 この恩にたいして村人は現在も報恩供養を行っている。 また、大友宗麟公夫人の墓がある。 明治10年の西南戦争の時には警視隊の本営が置かれた。(HP大橋寺より)
街中で見かけた 「貝の塔」。
歴史の町 「臼杵」 のタイル絵。 龍原寺の三重塔が描かれています。
撮影を終えて、JR日豊本線臼杵駅ホームへ。
臼杵城と臼杵石仏を模して造られたホームのベンチ。
JUGEMテーマ:写真
臼杵石仏で始まって、臼杵石仏で終った臼杵の撮影。 大分県の東海岸に位置する人口約4万の臼杵市。 国宝の臼杵石仏や臼杵公園を中心とする城下町、撮影の被写体には事欠かない見所満載の歴史の町です。 時間をかけてじっくり散策されることをお勧めします。