質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
九州・大分の旅 その50 大分市内散策(6) 大分元町石仏
大分元町石仏-1
大分元町石仏、木造瓦葺の覆堂。
大分元町石仏-2
大分元町石仏-3
 史跡大分元町(もとまち)石仏  1934年(昭和9)に国史跡に指定。
 仏像名(向かって左より) \吨(?)迦童子(せいたかどうじ) 不動明王(ふどうみょうおう) b砌四綟源辧覆海鵑らどうじ) ぬ師如来(やくしにょらい) チ欠兄嫺源辧覆爾鵑砲靴匹Δ検 θ沙門天(びしゃもんてん) У半妖掘覆ちしょうてん) ─銑仏像名不明

 本尊の薬師如来坐像を中心に、向かって左に不動明王と両脇に矜羯羅・制吨(?)迦童子の立像、右には毘沙門天立像が彫り出され、毘沙門天像の両脇にはその妻子される吉祥天・膳膩師童子の痕跡があります。 この仏像群の右側には風化が著しい三尊形式の仏像があり、さらにこの右にも三尊仏が彫られていた跡が残っています。
 薬師如来坐像を本尊とする仏像群は定朝(じょうちょう)様式の見事な作風がみられ、12世紀(平安時代後期)の制作と推定されています。 とくに薬師如来坐像は量感のある体躯(たいく)、童顔を思わせる端正で穏やかな顔立ちなどにすぐれた彫刻の技を見ることができます。 平安時代後期、この付近は宇佐神宮領の「勝津留畠(からかつるばたけ)」といわれていた場所であり、宇佐神宮の力が関係したものと思われます。 「豊後国志(ぶんごこくし)」 などでは百済(くだら)の僧・日羅(にちら)の作と記していますが伝承にすぎません。
 軟らかい凝灰岩(ぎょうかいがん)に彫り出された磨崖仏(まがいぶつ;自然の丘陵の岩壁に彫刻された仏像)ですので、長年月の間に風化、損傷が進み、これを防ぐため地下水位の低下、岩面を強化する合成樹脂の含浸など、各種の対策を文化庁・県の補助を受けて実施しました。 大分市教育委員会
大分元町石仏-4
掲示板の左部分拡大。
大分元町石仏-5
覆堂は見学自由。入口の前面は黒い遮光シートで保護されています。
大分元町石仏-6
童顔を思わせる端正で穏やかな顔立ちの 「薬師如来坐像」。
大分元町石仏-7
薬師如来坐像の左右に、仏像の痕跡があるも、風化・損傷が著しく確認できません。
JUGEMテーマ:写真

 大分駅から市内バス元町経由行きで10分、元町下車徒歩5分のところに国の史跡 「大分元町石仏」 はあります。 大分市街地にほど近い上野丘台地の中腹にあり、石仏群は凝灰岩に刻まれた磨崖仏です。 
 中心は、高さ約5.15mの薬師如来坐像で、岩薬師(元町薬師)と呼ばれています。 それ以外は残念ながら風化と損傷が進んでいます。 
| 九州・大分の旅(大分) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その49 大分市内散策(5) 大分城址公園(2)
人質櫓
城内からみる 「人質櫓」、きれいな庭園になっています。
慶長の石垣-1
慶長の石垣-2
慶長の石垣 この石垣は、築城当時の慶長期(1600年前後)に積まれたもので山里丸(現松栄神社)を囲む石垣の一部です。
大友宗麟の胸像
府内城とは直接結びつきは有りませんが、城跡の中央に建つ 「大友宗麟」 の胸像。
廣瀬淡窓詩碑-1
 城跡に建つ 「廣瀬淡窓(ひろせたんそう)」 の詩碑。
 桂林荘雑詠示諸生 廣瀬淡窓
  休道他郷多苦辛 道(い)うことを休(や)めよ 他郷苦辛多しと
  同袍有友自相親 同袍(どうほう)友有り 自ずから相親しむ
  柴扉暁闢霜如雪 柴扉暁に出れば 霜 雪の如し
  君汲川流我拾薪 君は川流を汲め 我は薪を拾わん

 遠く故郷を離れて他郷に勉学する身には、辛いこと、苦しいことも多かろうが、
 それを口にするのはやめよう。
 一枚の綿入れを貸しあう親友同士は、お互いに親しみ励まし合って
 学問修養につとめているではないか。
 早朝に起きて、柴の扉を開いて出れば、霜が雪のように降りている。
 君は川で水を汲んできなさい、私は薪を拾ってこよう。

 廣瀬淡窓が日田に「咸宜園(かんぎえん)」を開く前、「桂林園」 時代に詠まれた漢詩。 故郷を離れ、勉学に励む門下生たちを励ます内容となっており、淡窓の代表的な漢詩です。
廣瀬淡窓詩碑-2
詩碑の裏面に刻まれている説明文。
廊下橋-1
復元された 「廊下橋」。 これより橋を渡ります。
廊下橋-2
廊下橋-3
 「廊下橋(ろうかばし)」  図は、廊下橋とその周辺(慶長期絵図による)
 松栄神社の場所は、かって山里丸と呼ばれた郭(くるわ)のあった所です。 山里丸は、茶の湯や能、月見などの諸芸能が営まれた特別な場所であり、府内城の風格を示す貴重な史跡です。
 山里丸と西の丸を結ぶ堀の上に架けられていた渡り廊下が、この廊下橋です。 山里丸と同様、他にあまり例を見ない貴重な史跡であることから、平成8年度に復元しました。 復元に先立って、平成7年度に行った発掘調査の結果、「慶長期絵図」 に示された石垣が確認され、その内容が正確に伝えられていることも分かりました。 復元に際しては、「慶長期絵図」 「松栄神社所蔵絵図」 等を参考にしました。 廊下橋の規模は、長さ21.7m、幅員2.4m、橋脚高3.8m、建築部分の最高高さ4.6m、檜造り、壁はしっくい塗り、屋根は檜皮(ひわだ)葺きとなっています。
廊下橋-4
平成8年度に復元された 「廊下橋」 の全景。
松栄神社
府内城跡北西側に鎮座する 「松栄神社」、府内城とは、復元された西の丸と「廊下橋」で繋がってい、ます。 市発展の守護神として市民のシンボルとなっています。
人質櫓
北西から見る 「人質櫓」、右上に見える石垣は、天守台。
西丸二重櫓
海と川に面した水上の要塞。 西丸二重櫓(左)、右側の石垣に沿って 「宗門櫓」 「大手門」 があり、そして右端が 「着到櫓」 。 二重櫓後方の建物は文化会館。
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 府内城(大分城)、本丸と二の丸(西の丸・東の丸)を画す堀は、現在では埋め立てられ、外堀と三の丸は消滅したものの、二の丸(西の丸・東の丸)の石垣とそれを囲む塀は、ほぼ往時の姿を保っています。
| 九州・大分の旅(大分) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その48 大分市内散策(4) 大分城址公園(1)
府内城着到櫓
大分城址公園(府内城跡)、1965(昭和40)年に復元された着到(ちゃくとう)櫓。
大手門-1
大手門-2
復元された 「大手門」。 これより公園内に入ります。
府内城あんない
 府内城あんない
 府内城は1597(慶長2)年、福原直高(なおたか)により築城が始められ二年後には一部が完成しましたが、直高の領地没収によっ中断、これに代った早川長敏(ながとし)も1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いで西軍(石田三成方)に加担して取り潰されました。 次いで翌年、竹中重利(しげとし)が入封して築城を工事を再開、石垣の構築には熊本藩の加藤清正の援助を受けるなどして、1602(慶長7)年 四重の天守閣がそびえる城郭が完成しました。 続いて城下町の建設が始められ、やがて東西約1.1km、南北約1kmにおよぶ、豊後最大の規模を誇る府内城下町が出来上りました。
 荷揚(にあげ)城とも呼ばれる府内城は、大分川の河口左岸、別府湾に接したかっての 「荷落ろし」(交易地)の場所に 城地を定めました。 荷揚の城名の由来は 「落」 の字を忌み、「揚」 の字に改めたといわれています。 今はその面影はほとんど失われていますが、府内城と府内城下町は内堀(現存)、中堀、外堀の三つの大きな堀をもち、北は海に接してまさに水城ともいえる城でした。 また、その美しい姿から白雉(はくち;白色のきじ)城とも呼ばれています。
 城と城下町を完成させた竹中氏は、その後長崎奉行を兼務していた重義(しげよし)の時に、非違をとがめられて断絶しました。 代って1634(寛永11)年、壬生(みぶ)城(栃木県)から日根野吉明(ひねのよしあきら)が入封しましたが、あとつぎがなく、一代で断絶しました。 次いで松平(大給;おぎゅう)忠昭(ただあきら)が1658(万治元)年に新藩主として入封、以来1871(明治4)年の廃藩置県まで、二万余石の譜代大名として10代にわたる藩主によって府内藩政が進められました。 この間1743(寛保3)年に城下におこった大火によって、天守閣を始め城の施設が多く焼失し以後天守閣は再建されませんでした。
 1871(明治4)年11月大分県が成立、翌年城内に県庁が置かれ県政の中枢を担う場所となりました。1921(大正10)年には、新県庁舎が竣工しましたが、戦後1962(昭和37)年県庁舎の移転にともない、1966(昭和41)年に現在の大分市文化会館が完成しました。 この年、1945(昭和20)年の米軍の大分空襲により焼失した五つの櫓も復元(鉄筋コンクリート製)され、往時の姿を取りもどりました。
 城跡は旧状をとどめる堀、土塀、宗門櫓、人質櫓、櫓(天守台)跡が県史跡に指定され、また城址公園として市民の憩いの場となっています。  大分市教育委員会
大分文化会館
府内城・本丸跡に建つ 「大分文化会館」。(2013年10月閉館予定)
府内城跡
 府内城跡
 大分市荷揚町73ほか 
 県指定史跡(昭和38年2月15日);人質櫓・宗門櫓・堀・土塀・石垣・櫓(天守台)跡

 沿 革(別称 荷揚城・白雉城)
1597年(慶長 2) 福原直高が築城開始
1599年( 〃  4) 東三重櫓と三の丸の家臣屋敷が完成 早川長敏が府内藩主に
1601年( 〃  6) 竹中重利が府内藩主に
1602年( 〃  7) 四重天守閣、山里、諸櫓、中堀などが完成
1605年( 〃 10) 外堀が完成
1607年( 〃 12) 笠和口、堀川口、塩九升口の門が完成
1608年( 〃 13) 京泊(港)が完成
1634年(寛永11) 白根野吉明が府内藩主に
1658年(万治 元) 松平(大給)忠昭が府内藩主に
1743年(寛保 3) 城下大火で天守閣以下諸施設焼失
1872年(明治 5) 大分県庁が置かれる
1945年(昭和20) 米軍空爆により着到櫓などが焼失
1965年( 〃 40) 着到櫓などを再建 
                  大分市教育委員会
天守台石垣
野面積みの古式な姿をとどめる天守台。
野面積み-1
野面積み-2
山から切り出したままの自然の石を積み上げる 「野面積み」 の石垣が現存。
天守台からの眺め
天守台からの眺望。
現存する人質櫓
天守台から見た、人質を収容したと言われる現存唯一の 「人質櫓」。
JUGEMテーマ:写真

 大分県庁舎の北側、昭和通りを挟んで 「大分城址公園」 はあります。 府内12万石の領主となった石田三成の妹婿、福原直高によって慶長2年(1597)に築城が開始された府内城の跡。 櫓や堀に往時のたたずまいが残っています。 熊本藩の加藤清正に援助を受けたと言う石垣も見所の一つ。 市内中心にある桜の名所として知られ、市民の憩いの場となっています。
| 九州・大分の旅(大分) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その47 大分市内散策(3) 赤レンガ館と県庁
案内地図-1
案内地図-2
大分駅地下道前に設置された案内地図。 これより赤レンガ館や県庁へ向かいます。
赤レンガ館-1
大分駅前から徒歩5分、大分市府内町にある 「赤レンガ館」。
明治時代に建てられ、現在も大分銀行の支店として使われている貴重な建築物。
東京駅や日本銀行の設計で知られている辰野金吾氏が手掛けたものです。
赤レンガ館-2
英国から輸入された赤レンガに白い御影石の帯を巡らせ、屋根にドームを配した典型的ないわいる「辰野式」の建築であり、大分市中心部に残る唯一の洋館です。
赤レンガ館-3
平成8年(1996)12月20日、この建造物は貴重な国民的財産として、国の 「登録有形文化財」 に登録されました。
大分県庁-1
大分県庁-2
大分県庁-3
大分県民118万人の行政を司る 「大分県庁本館」。
大分平成の塔-1
大分平成の塔-2
県庁新館をバックに建つ 「大分平成の塔」。 21世紀に向け、新たな飛躍を目指すシンボルとして平成5年12月16日竣工しました。
大分県道路元標
大分市荷揚町、県庁北交差点で発見した 「大分県道路元標」 。 背景の堀と石垣は、約400年前の豊後府内城(大分城)の遺構です。
JUGEMテーマ:写真

 現在の大分県の名は、古来国府が置かれていた大分郡(おおきたのこほり)に由来。 「おおいた」という読みは、「おおきた」 が転訛(てんか;発音がなまってかわること)したものです。
 大分駅前から中央通りを歩いて約5分のところに 「赤レンガ館」、更に徒歩10分で大分県庁はあります。 1962年に竣工した県庁本館は、同年の日本建築学会賞作品賞を受賞した建造物です。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 九州・大分の旅(大分) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その46 大分市内散策(2) 街中の芸術作品
美しき広場
中央通り(パルコ前)に設置、 「美しき広場」。 富永直樹作 昭和63年4月。 大分駅前に立つ 「大友宗麟公像」 も富永直樹作です。
平和の羽音-1
平和の羽音-2
大分駅地下道前にある 「平和の羽音」。 九羽の鳩が舞う姿が彫られています。
湖の華
中央通り(朝日生命ビル前)に設置されている 「湖の華」、山田良定作。
ゴリラの像
横断歩道を監視する 「ゴリラの像」。 心が和む作品です。
ラ・メール(海)
高田博厚作 「ラ・メール(海)」、中央通り(府内会館前)に置かれています。
みどりのかげ
大分県出身の朝倉文夫作 「みどりのかげ」。(遊歩公園)
健ちゃん-1
健ちゃん-2
「建ちゃん」 この制作は彫塑界の長老北村西望の出世作で1917年、第2回日展に出品し、圧倒的称賛を博した作品です。・・・・
西洋医術発祥記念像-1
遊歩公園に設置されている 「西洋医術発祥記念像」、古賀忠雄作。 ポルトガル青年医師アルメイダが、日本人助手と共に外科手術を始めようとしているところ。
西洋医術発祥記念像-2
 「西洋医術発祥記念像」 日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルが、国主大友宗麟の招きによってこの地で布教したのは、1551年(天文20年)のことであった。 それから僅か6年後の1557年(弘治3年)には、この地に早くも日本最初の洋式病院が建ち、ポルトガルの青年医師アルメイダによって内科はもとより、日本最初の洋式外科手術が盛んに行なわれた。
 病院には外来のほか入院の設備もあって、1562年(永禄5年)には入院患者が百人を超えていた。 更に病院に来ることのできない患者のために巡回診療も行なわれていた。 患者はこの新しい南蛮医術にあこがれ、はるばる京都や関東からさえ訪ねて来たと、当時の記録は報じておる。
 またこの病院に日本最初の医学校が併設され、若き日本人学生が西洋医学を学んだ。 時は流れ、世は移り、今この史実を知る人はきわめて稀である。・・・・ 
JUGEMテーマ:写真

 大分市内を散策して目にした屋外彫刻です。 大分市内には、これ以外にも数多くの彫刻が設置されています。 今回写真展示しました彫刻はその一部です。  彫刻を見て回るのも大分市内散策の楽しみのひとつです。 彫刻から色々な事を学ぶことができます。
| 九州・大分の旅(大分) | 19:00 | comments(0) | - |
九州・大分の旅 その45 大分市内散策(1) 大友宗麟公像と大分駅
大友宗麟公像
 大分駅府内中央口(北口)駅前広場に建つ 「大友宗麟公像」。
 大友宗麟(おおともそうりん) 1530-1587 戦国時代のキリシタン大名。 名は義鎮(よししげ)。 教名フランシスコ。 1550年家督を継ぎ、のち北九州6ヵ国の守護となり、大友氏の最盛期を築く。 キリスト教に帰依しキリシタンを保護し、ポルトガル貿易を行い、府内(大分市)を西洋文化の中心地とした。 1582年大村・有馬氏とともに天正遺欧使節を派遣。 作者;富永直樹。(百科事典マイベディアより)
きれいな花壇
大友宗麟公像の前に造られた花壇、きれいな花が咲いています。
大分駅-1
2012年(平成24年)3月17日、日豊本線部分の高架化が完成し、全面高架化完成。
新装成った大分駅上野の森口(南口)、外観は市中心部の南北をつなぐ “門” をイメージしたもの。 右側に 「豊後にわさき市場」 があります。
大分駅-2
大分駅-3
大分駅-4
大分駅コンコース中央に置かれた 「九州の朝を告げる駅」 として鶏の像を置き、大分駅の新しいシンボルになっています。
 ちなみに、コンコース(concourse)とは、鉄道駅や空港などの多くの空間において、通路が交差する場所や大通路、中央広場を表す言葉。
大分駅-5
上野の森口を入って右側に 「豊後にわさき市場」 があります。
大分駅-6
豊後にわさき市場は、大分駅にある複合商業施設。 駅高架化に合わせて建設され、完全高架化と同時にオープン。 大分滞在中、この市場で大分の郷土料理 「とり天」 を毎日食べました。 鶏肉に衣をつけて揚げた日本の料理で、最高に美味です。
大分駅-7
コンコースの天井は、「ぬくもり」 を強調した木張り構造になっています。
大分駅-8
大分駅-9
週末や祝日に運行される 「ミニトレン」。 コンコースを2周、約8分間のコース。
JUGEMテーマ:写真

 大分駅を撮影したのが、2012年11月1日、駅の全面高架化完成の7ヶ月後です。 大友宗麟公の像がある府内中央口は新駅ビルが工事中で2015年春に竣工予定です。 竣工の暁には、九州の朝を告げる駅として生まれ変わることでしょう。

 8月21日(水)午後7時頃、静岡地方を襲った落雷と停電により我が家のインターネットが通信不能。 本日の午後3時、44時間ぶりに復旧しました。
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