質素な写真展示室

富士の裾野で、美しい日本の風景・お祭りや花などの写真を展示します。

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PROFILE
三重・伊勢撮影の旅 その49(完) 二見浦(12) 御塩殿神社
御塩殿神社-1
御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)、地元では 「みしおでん」 と呼びます。
御塩殿神社-2
 御塩殿神社
 塩筒翁(しおつつのおきな)の神がまつってあります。 域内に皇大神宮の御料の御塩を調製する御塩殿、御塩焼所、御塩汲み入れ所があります。
 御料の御塩は夏の土用に町内の西地内にある御塩浜から運ばれた塩分の濃い海水を御塩汲み入れ所におさめ、これを御塩焼所で荒塩(あらしお)に焼きます。 さらにこの荒塩を、毎年三〜四回、御塩殿において三角型の土堝をもつて堅塩(かたしお)に焼き固めて、これを御料に供えています。 なお、御塩の調進は昔から神領二見郷の住民が奉仕しております。   二見町教育委員会
御塩殿神社-3
御塩殿神社-4
 社前に鴨長明の歌碑。
 「二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげに して 長明」
 鴨長明は、鎌倉初期の人で、「方丈記」 の作者として有名です。 文治二年(1186)ごろ、二見の御塩殿を訪れ、その物ふりて神々しいたたずまいにすっかり感動しました。 それがこの歌です。   二見町教育委員会
御塩殿神社-5
社域の鳥居。
御塩殿神社-6
御塩殿神社-7
御塩殿
御塩殿神社-8
正殿
御塩殿神社-9
これより、御塩汲入所 焼所へ。
御塩殿神社-10
参道
御塩殿神社11
御塩殿神社-12
御塩焼所
御塩殿神社-13
御塩汲入所
JUGEMテーマ:写真

 御塩殿神社は、伊勢神宮の神饌として神事に使う堅塩を作る設備を備えた神社である。 所在地は三重県伊勢市二見町大字荘、面積は27,785屬任△襦 「荘」 の地名は平安時代に神宮により開拓された二見庄に由来する。 古くは社殿を持たず、堅塩を焼き固める作業を行う施設である御塩殿の中に祀られていた。(フリー百科事典・ウィキペディアより)

 毎年10月5日には、作業の安全と塩業の発展を願って御塩殿祭が行なわれます。 全国から崇敬会代表が多数参拝に訪れます。

 49回に亘って写真展示しました 「三重・伊勢撮影の旅」 は今回をもって終了です。 次回より2012年10月27日〜11月3日に撮影しました 「九州・大分の旅」 を写真展示しますので見て下さい。(完)
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:05 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その48 二見浦(11) 二見浦の美しい風景
二見浦-1
二見シーパラダイス
二見浦-2
二見浦-3
二見浦-4
二見浦の美しい風景。
幸せの泉-1
幸せの泉-2
幸せの泉 阿麼提観音(あまだいかんのん)。
縁結の歌碑
伊勢志摩国立公園 縁結の歌碑
二見ガエル
二見名産 無事かえる
二見浦-5
夫婦岩参拝入口。 ここからも夫婦岩・二見興玉神社参拝へ行けます。
二見浦-6
二見浦海岸を散策。
二見浦-7
日本で最初の公認海水浴場 「二見浦海水浴場」。
彼岸花
この時期、草むらに彼岸花が咲いています。(2012.9.28撮影)
二見町
二見町案内板、「御塩殿神社」 へ向かいます。
安土城
二見町から山の上に見える、安土桃山文化村の安土城。
バス停
御塩殿神社前バス停。
JUGEMテーマ:写真

 夫婦岩・二見興玉神社・ 賓日館などの撮影を終え、最後の訪問地 「御塩殿神社;みしおでんじんじゃ」 へ向かいます。 御塩殿神社は、夫婦岩から海岸沿いに約2km徒歩30分のところにあります。 二見浦の海岸沿いの美しい風景を散策。

 二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。 立石崎から神前岬までの海岸(神前海岸)もその一部とされることがある。 伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の渚百選にも選ばれている。
 立石崎の二見輿玉神社内にある夫婦岩は全国的に有名である。 また、二見浦海水浴場は、初代軍医総監松本順によって1881年(明治15年)に開設された日本で最初の公認海水浴場で、大正天皇も幼少時に水泳の訓練をしたと言われる。(フリー百科事典・ウィキペディアより)
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その47 二見浦(10) 賓日館(5) 格調高い品々
書-1
「御殿の間」 に掲揚されている書。
書-2
「寿の間」 に掲揚されている書。
書-3
「翁の間」 に掲揚されている書。
書-4
「大広間」 に掲揚されている書。
椅子の細工
「御殿の間」 広縁に置かれている椅子の細工。
唐櫃
展示されている 「唐櫃」。
帳場-1帳場-2
往時の 「帳場」 も見学できます。
倭姫命
 伊勢在住 阿部夫美子作 和紙人形 「倭姫命;やまとひめのみこと)」。
ヤマトタケルに草薙の剣を授ける ※倭姫命(生薨年不明) 記紀に伝える古墳時代以前の皇族。 第11代垂仁天皇の第4皇女。 伊勢の地に天照大神を祀った(現伊勢神宮)皇女とされ、これが斎宮の直接の起源であるとも伝えられている。(説明文より)
 見事な出来栄えに感動! 玄関入って直に展示されています。
玄関-1
玄関入口の美しい細工。
玄関-2
玄関上部の格調高い細工。
玄関-3
伊勢地方では、一年中注連縄が玄関に飾り付けてあります。
賓日館
最後にもう一度、見学者が訪れる賓日館正面入口を撮影。
JUGEMテーマ:写真

 歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊された国指定重要文化財 「賓日館」。 格調高い建造物を5回に分けて写真展示しました。 是非二見浦にお出かけの際は、夫婦岩とともに賓日館を拝観されることをお勧めします。 素晴らしいです。
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その46 二見浦(9) 賓日館(4) 美しい庭園
二見ガエル-1
階段の親柱に彫られている 「二見ガエル」、板倉白龍作。
二見ガエル-2
親柱と同じ楠の一木彫。
二見ガエル-3
板倉白龍の彫刻と二見ガエル。
御殿の間
「御殿の間」 から見る庭園が美しいです。
庭園-1
砂利道をぐるりと周回できる庭園。
庭園-2
庭木に水をやるために、庭園の中央に設けられた井戸。
庭園-3
庭園-4
 テーブルに置かれている新聞記事。
 伊勢市二見町茶屋にある国重要文化財の建造物 「賓日館」 で、庭の井戸に組まれている赤茶色をした自然石に、来館した石材や造園関係者が驚いている。 希少な高級石材の鞍馬(くらま)石で 「珍しい石。 しかもこんなにも大きいとは」 と目を白黒。 同館が宿泊施設として建てられた明治時代からあるとみられる。 雨にぬれると、さらに赤みを増し、梅雨を前に誘客の呼び水になりそうだ。
 館を運営するNPO法人 「二見浦・賓日館の会」 によると、鞍馬石は京都市で産出される。 益富地学会館(京都市)によると、石の中に含まれている硫化鉄が雨水で分解され、鉄のさびが表面に出て赤茶色を帯びる。 鞍馬石が使用されているのは井戸の口。 長さ1.7m、幅25cm、高さ50cmの石四個を使って 「井」 の字形に組んである。
 会は、賓日館が1887(明治20)年に伊勢神宮を参拝する皇族の定宿として建てられた際、庭木に水をやるために同時に設けられたとみている。
 鞍馬石は、京都市周辺では古くから皇室や財閥、文化人といった限られた邸宅の庭などで沓脱石(くつぬぎいし)や飛び石など庭園の石材として重宝されたらしい。
 館では、貴重な石として、これまでも入館者にPRしてきたが、一般の認知度はいまひとつ。 会の小崎峰子事務局長(62)は 「もうすぐ梅雨なので、見に来てもらうにはぴったり」 と来館を呼び掛けている。(新聞記事より引用)
庭園-5
「御殿の間」 の広縁から見る二階大広間。
庭園-6
庭園-7
庭の向こうに、二見浦が望めます。
JUGEMテーマ:写真

 賓日館は明治20年(1887)に伊勢神宮に参拝する皇族の定宿として建てられました。 庭園を初め、館内のいたる所に職人の技、日本の伝統の粋を見ることができます。 砂利道をぐるりとと周回できる庭園、まさに日本の美です。
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その45 二見浦(8) 賓日館(3) 格調高い部屋
寿の間-1
賓日館(ひんじつかん)一階の 「寿(ことぶき)の間」。
寿の間-2
床挿しで造られた珍しい天井。
寿の間-3
「寿の間」の説明文。
二階への階段
重厚な造りの二階への階段。
窓の細工-1
窓の細工-2
簡素で美しい窓の細工。
千鳥の間-1
二階 「千鳥の間」、壁の向こうが「御殿の間」。
千鳥の間-2
千鳥の間-3
床の間。
千鳥の間-4
「千鳥の間」 の説明文。
翁の間-1
翁の間-2
翁の間-3
立派な額や掛け軸が掛る 「翁の間」。
JUGEMテーマ:写真

 賓日館の内部を見学すると、各部屋に立派な額や掛軸が掛けてあります。 残念ながら読み方も意味も分かりません。 内容が解釈出来れば見学もなお一層楽しめることでしょう。 勉強したいものです。 なお現在、賓日館の一階・客室と二階・翁の間は会議室及び展示室として利用することができます。
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その44 二見浦(7) 賓日館(2) 大広間
大広間-1
賓日館二階にある百二十畳敷の大広間。
大広間-2大広間-3
 大 広 間
 120畳敷の大広間は、昭和5年(1930)に始まる賓日館2回目の大増改築で建築された代表的書院造りの広間で、桃山式の折上格天井(おりあげごうてんじょう)が特徴です。 2~2.5寸角の断面の格縁(ごうぶち)と呼ばれる部材で格子を作り、格子の間(格間;ごうま)に正方形の板を張った天井を格天井と言い、その格縁を 「亀の尾」 と呼ばれる曲げ物にして折り上げた形式の天井を折上格天井と言います。 桃山時代に流行した天井形式なので桃山式天井とも言われています。 格縁には木曽檜が使われています。 また、格間の天井紙は型押しをしてから彩色し、金箔を置いたため見る角度によっては金箔が浮き出して見えます。
大広間-4
大広間舞台。 この舞台の下に6つの大きな甕(かめ)が据えられています。
大広間-5大広間-6
大広間の床の間、床框(とこがまち)は螺鈿(らでん)の輪島塗。
大広間-7
床脇。 壺の前に置かれている説明文には、「床脇障子の細かい細工 宴席で酔った客が、右側の障子を破ってしまいました。 修理のできる技術を持った職人を探し、やっと直せたそうです。」 と書かれています。
大広間-8
違い棚、棚板には大きな木目の欅(けやき)が使われています。
大広間-9
床の間の置物。
大広間-10
床脇の細かい細工。
大広間-11
大広間-12
折上格天井とシャンデリア。
大広間-13
広縁の天井部。
JUGEMテーマ:写真

 明治19年12月に着工、翌年2月19日に竣工。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の二回の大増改築を重ね、現在の状態となりました。 桃山式の格調高い大広間に、当時の日本の素晴らしい建築技術や職人の技が堪能できます。 
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その43 二見浦(6) 賓日館(1) 御殿の間
賓日館-1
清渚二見浦にたたずむ貴賓の館 「賓日館;ひんじつかん」、国指定重要文化財。
賓日館-2
堂々たる唐破風の正面玄関。
賓日館-3
 賓 日 館
 賓日館は明治20年(1887)、伊勢神宮の賓客の休憩・宿泊施設として、ここ藤堂藩の砲台跡地(敷地面積千坪余り)に、神宮の崇敬団体・財団法人神苑会によって建設されました。 明治天皇の母であられる英照(えいしょう)皇太后のご宿泊(3月7日)に間に合うよう、明治19年(1886)12月に着工、翌年2月19日に竣工という驚くほど短期日で開館しました。
 明治24年(1891)7月29日から8月21日までの3週間余り、後の大正天皇・皇太子明宮嘉仁(はるのみや よしひと)親王が避暑と療養並びに臨海学校の教育目的のため、賓日館に滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多くご宿泊されています。 また、賓日館は神宮の古文書、古器物も展示していましたが、伊勢市倉田山の神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)にそれらが移設されることになり、明治44年(1911)2月には、賓日館自体も隣接する二見館に払い下げられました。 その後、賓日館は二見館の別館として平成11年まで使用されてきましたが、二見館の休業に伴い二見町に寄贈されました。
 賓日館は明治末期から大正初年にかけてと、昭和5年(1930)から同11年(1936)にかけての二回、大増改築がなされています。 重厚な唐破風の玄関や壮麗な大広間など、現在の賓日館は昭和5年に始まる大増改築により完成されました。 設計監理に当たったのは、昭和4年(1929)の神宮式年遷宮で主任技師を務めた建築家・大江新太郎と塩野庄四郎の二人です。
 賓日館は、当時一流の建築家による品格ある洗練されたデザインと、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、建築学的見地からだけでなく、二見町の近代史を語る上でも、欠くことのできない大変重要な文化財と言えます。
 現在、賓日館は国の登録有形文化財(国指定重要文化財)に登録されています。
御殿の間-1
賓日館二階、皇族方もよく利用された 「御殿の間」。
御殿の間-2
床框(とこがまち;床の間の前端の化粧横木)は螺鈿(らでん)の輪島塗です。
御殿の間-3
格式を尊ぶ部屋に用いる二重格天井(ごうてんじょう)。
御殿の間-4
床の間の置物。
御殿の間-5
重厚な椅子。
御殿の間-6
火鉢。
御殿の間-7
掲示されている 「御殿の間」 の案内板。
木札-1
二階通路に掲示されている、皇族方のご宿泊者の木札。 明治20年3月7日 皇太后宮陛下、明治24年8月3日より3週間 皇太子嘉仁親王殿下の名が書かれています。
木札-2
明治42年~大正7年の皇族方のご宿泊者名。
木札-3
大正9年~昭和11年までの皇族方のご宿泊者名。
木札-4
昭和12年~昭和59年までの皇族方の宿泊者名。 最後に昭和59年3月26日 礼宮文仁親王殿下の名が書かれています。
JUGEMテーマ:写真

 明治20年(1887)建築の賓日館が宿泊・休憩所として皇族や各界要人を迎えることで、二見は全国的に知られるようになりました。 賓日館は二見の町が観光地として発展していく端緒になったと言えるのかも知れません。(賓日館公式HPより) 
 賓日館を見学して先ず感じたことは、建築期間が僅か3ヶ月と言う驚くべき短期間で開館したことです。 当時の一流建築家と選び抜かれた材料、それに応える職人の技に敬意を表します。 見応えのある後世に伝えたい日本建築の美です。
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:00 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その42 二見浦(5) 二見浦の風景と記念碑
撮影日
伊勢志摩国立公園 二見ヶ浦 平成24年9月28日 撮影記念日です。
中村九一の歌碑
 二見興玉神社参道入口に建つ、中村九一の歌碑。
 「いつみても かはらぬ伊勢の二見岩 夫婦なかよく くらせといふらん」
芭蕉の句碑-1
芭蕉の句碑-2
松尾芭蕉の句碑 「うたがふな 潮(うしほ)の花も浦の春」。 
二見の風景-1
郷土料理穴子丼
昼食は、食事処 「まるはま」 で伊勢湾産郷土料理 「穴子丼」 を頂きました。
二見の風景-2
二見の風景-3
緑の木々が美しい、海に面した二見の風景。
二見の風景-4
風情豊かな木造の老舗旅館などが軒を連ねています。
記念碑-1
海沿いに建つ 「二見浦清記念碑」。
記念碑-2
 二見浦清記念碑(題字は三重県知事の成川尚義)
 伊勢神宮の東8キロのところに、なだらかな山が起伏し、数多くの杉や松が緑をなす海に面した二見浦という土地がある。 遥か彼方から波が打ち寄せ、二つの岩が並び立っている。 これが二見という地名の由来である。 対岸には愛知県の山々が黛(まゆずみ)をひいたように見え、霞(かすみ)がたなびく波間に見え隠れする。 晴れた空から陽光が海上に降り注ぐと、燦然(さんぜん)と輝き正視できないほどまばゆい。
 優れた成分を含むこの海の潮に浸れば疾病も癒される。 この海浜は天界と俗界の境界をなし、住民も自らの財産として海潮を疾病治療に利用してきた。 この優れた海潮は満々と水を湛え尽きない。
 こうした名勝と優れた海潮を全国に宣伝しようと住民は日々努力していたところ、英照(えいしょう)皇太后陛下(明治天皇のお母様)が当地へ来られることを聞き驚喜して快哉を叫び、われ先にと鋤(すき)やもっこなどの道具を背負って険しい土地を切り開いて道を造った(鳥羽街道)。
 神宮の崇敬団体・神苑会会員は皇太后陛下ご滞在のため賓客の宿・賓日館を建築した。 明治24年7月、明宮嘉仁(はるのみや よしひと)皇太子殿下(後の大正天皇)が賓日館に長期滞在され、人々は遠方からも慶賀に訪れた。
 これにより名勝・二見浦とその海潮の霊験は全国津々浦々に広まり、保養に当地を訪れるお客は日に日にその数を増やしている。   ・・・・・明治26年3月
JUGEMテーマ:写真

 五十鈴川河口に広がる二見浦、ここはかって伊勢神宮の神領だった場所で、参拝者たちは神宮を詣でる前に、「浜参宮」といってこの海で禊(沐浴;もくよく)を行なうのが習わしでした。 現在もこの清めの風習は受け継がれているものの、沐浴はいつしかなくなり、海岸沿いに建つ二見興玉神社でのお祓いによる禊が一般的となっています。 
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:30 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その41 二見浦(4) 天の岩屋と二見蛙
二見興玉神社鳥居
二見興玉神社西の参道入口。
天の岩屋-1
天の岩屋-2
天の岩屋(あまのいわや) 二見興玉神社境内にある岩窟で、稲を司ると言われる宇迦御魂大神(うがのみたまおおかみ)を祀った三宮神社の遺跡と伝えられています。
富士見橋
富士見橋
句碑-1
阿波野青畝(あわのせいほ)自筆の句碑 「大初日 二見の巌を 抱擁す」 昭和62年11月建立。1899年(明治32)ー1992年(平成4) 俳人。
句碑-2
 大初日 二見の巌を 抱擁す 青畝
二見浦に句碑を所望されて現地に赴いた。 朝明けの気分は海から受ける水平線が色付いてくる。 まもなく太陽の顔が現われた、海が一斉にきらめいた、同時に夫婦岩が直射されて尊厳な存在を写した。 思わず二拍手一拝をしている。 この太陽の最高は元日の初日であろう。 万象の始まりを感じるのである。
句碑-3
小路紫峡(こみちしきょう)の句碑。 紫峡は 「ひいらぎ」 の主宰者です。
二見蛙-1
二見蛙(ふたみかえる)。 二見興玉神社境内には猿田彦大神のお使いとされる二見蛙が多数奉納されています。 この蛙は 「無事かえる」 「若がえる」 「貸した物がかえる」 など縁起物として親しまれています。
二見蛙-2
二見蛙-3
二見蛙-4
二見浦に奉納されている蛙(カエル)たち
二見蛙-5
二見興玉神社拝殿に置かれている 「蛙みくじ」。  千の掌(てのひら)に万の希望(ねがい)祈りて御神徳をいただきましょう。
二見蛙-6
満願蛙(水の中の蛙) この蛙は 御神示により この水中にお鎮りになりました 水を掛けると皆様の願いが かなえられます。
二見蛙-7
夫婦岩と二見蛙。
JUGEMテーマ:写真

 倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおかみ)の御鎮座の地を求めてこの地を訪れた時、あまりの美しさに二度も振り返ったことからその名がつげられた二見浦。 昔の習わしから伊勢神宮参拝の前に、二見浦の 「清き渚」 で身を清められることをお勧めします。 
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 19:41 | comments(0) | - |
三重・伊勢撮影の旅 その40 二見浦(3) 契りの松
夫婦岩-1
夫婦岩-2
夫婦岩(めおといわ)と参道に立つ案内板。
さざれ石
 参道に展示されている 「さざれ石」。
   君が代は千代に八千代に
     さざれ石の巌となりて
           苔のむすまで
 此の石は通称 「さざれ石」 と言われ岐阜県揖斐郡春日村の産である学名石灰質角礫岩。 古今集に天皇陛下の弥栄を寿き祈り此の石の如く坐しませと詠われ後に一部が改作され我が国の国歌となった。 永年の内に小石が集結するという誠に目出度い石である。 原歌作者藤原石佐左衛門の後裔四十八代が春日村小宮神に定住されている 歌人小林宗一号宗閑 揖斐川町定住によって発見されたものである。
龍宮社-1
龍宮社-2
二見興玉神社境内社 龍宮社
禊橋
二見興玉神社参道に架かる「禊橋;みそぎばし」。
見晴所
参道中央付近にある見晴所。
契りの松-1
見晴所の一角にある 「契りの松」 と石碑。
契りの松-2
本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑。 宣長は江戸時代の国学者・文献学者・医師。
契りの松-3
 「契りの松」
 江戸時代末期お陰参り、抜け参りと伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国(徳島県)より若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み塩垢離(みそぎ)をし、着物を松の木にかけて結び 夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したところから 「ちぎりの松」 と呼ばれている。 昭和28年9月25日台風13号により流失したままであったが、平成3年5月23日ここにおよそ40年ぶりに昔ながらに再現したものである。
旅人
偶然、参道で見かけた和服姿で旅する二人、微笑ましい光景です。
JUGEMテーマ:写真

 恋愛成就や夫婦円満のご利益があることで有名な二見興玉神社と夫婦岩。 お参りに訪れる人が絶えません。 海の中に浮かぶ男岩と女岩が大しめ縄で固く結ばれた夫婦岩、心が和む日本の風景です。 
| 三重・伊勢撮影の旅(後編) | 21:04 | comments(0) | - |
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